刀剣乱舞にっかり青江で文字書き中。創作審神者(♂)と弓箭女士がいる独自本丸+ときどき他所さまの本丸でにかさに。基本シリアスで独自本丸ものはファンタジー色強めになると思います。

遠い昔に一次創作していた文字書きで、2年前、黒バス伊月くんで突然二次創作に目覚めて創作活動をン十年ぶりに再開しましたが、こちらは当面とうらぶ専用。
#にっかり青江版創作60分一本勝負への投稿は今まで通りぷらいべったーですが、加筆修正したものを順次こちらで公開する予定です。

投稿日:2020年09月03日 23:25    文字数:24,944

刀剣弓箭譚 6ー内に秘めた熾火ー 

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とある男性審神者の本丸で出会った、にっかり青江と弓の娘の物語。

創作刀剣男士も加わって弓の娘を取り巻く本丸事情も賑やかになってきました。政府の定めた刀剣ではないが故の悩みを抱えながら、この本丸で自分たちはいかに存在すべきか奮闘する彼らをどうか応援してやってください。
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 この数日間、僕のこの渡殿を一体何度行き来したことだろう。戦場からの帰還や内番の片付けで通り土間を通りかかる度に届け物を頼まれる。三条殿、誰が言い出したか知らないけど、母屋から一番遠くの三条派の刀たちの部屋がある一角はそう呼ばれている。もちろんちゃんとした寝殿造りになっているわけじゃないけど、構造や調度品からどことなく平安貴族を思わせて、僕らはいつからか、棟を結ぶ渡り廊下も渡殿などと言い始めたのだ。そして皆、面白そうに口にする割には三条殿に寄りつかない。単に遠いから、というのが一番の理由だけど、平安貴族風の佇まいがどうも落ち着かないという刀もいて、別にこちらがそう振る舞う必要もないのだけど、結局、そういうのを気にしない僕みたいな刀にお鉢が回ってくるんだ。
 普段は皆、こんなに三条殿に用事なんかないだろうに。 僕は少しばかりうんざりしていた。頼まれるのは大抵茶菓子の差し入れだ。多いときには一日に三度も足を運んだことがある。理由は簡単だ。皆、弓の娘が気になって仕方ないのだ。それなら直接自分が行けばいいのに、遠慮があるらしい。ひとつは三条は三日月宗近への。そしてもうひとつは弓の娘自身への。別に女人だからって直接対面するのは失礼な時代じゃあるまいしねえ。それでも僕は頼まれればこうやって差し入れを持って三条殿まで足を運ぶ。そしてわざわざまた母屋まで戻って娘の様子を差し入れ主に語って聞かせるんだ。 人がいいにもほどがあるよ……刀だけど。まあ、娘の様子を頻繁に堂々と確かめに行けるのは僕にとっても都合はいい。だから、今日もこうして僕は仕方ないという面持ちで三
条殿に向かうんだ。
「にっかり~、今日の差し入れは誰から?」
 背後から軽やかな足音が近づいてきた。乱クンだ。
「歌仙クンから若鮎。いい小豆が手に入ったんだってさ」
「ええ? 餡子入ってるの?」
「うん、東では求肥と餡を入れると聞いて作ってみたって」
「燭台切の南蛮菓子がよかったなあ」
「彼、今日は遠征で不在だからねえ。君も三条殿へ貢ぎ物を手に渡るのかい?」
 僕は乱クンが抱える包みに視線を落とす。
「そ、三条の連中じゃなくて囚われの姫に」
 乱クンは蜂須賀の補佐役だけあって、三条派相手でも物怖じしない。
「ちょっといい加減、目に余るから。蜂須賀は言いにくいだろうし、ここは僕がね」
「それは頼もしい」
 得意げな瞳を向けられて、僕も笑顔で返した。
「大体、疑いが晴れたなら兄弟の許に戻して上げるべきじゃないの?」
「彼ら、もうここでの暮らしには慣れたみたいだね」
「うん、内番はもう蜂須賀の手も離れて僕らと組んでる」
 乱クンの明るい声は前途に憂いがないことを僕に教えてくれる。
「あの娘もそれを聞いたらきっと安――おや?」
 僕はふと足を止めた。奥から箏の値が聞こえてくる。
「三日月って箏、弾くっけ?」
「さあ……」
 僕らは顔を見合わせて、音の主を確かめようと早足で部屋の正面に向かった。
「三日月、入るよ」
 乱クンは入り口に下げられた簾を上げて部屋へと入る。僕もそれに続いた。
「おお、このところこちらが出向かずとも茶菓子が届くのが有り難い。さてさて、今日は何かな?」
「何かな、じゃないでしょ」
 乱クンが僕の持つ器に伸ばそうとした三日月の手を、まるで悪戯をしようとした幼子をたしなめるように叩いた。
「ねえ、あるじさんの弓なんだよ? 何、やらせてるの!」
 乱クンが指さす先で、箏を前に座っているのは弓の娘だ。
「何? とな。じじいの話し相手ばかりしていても退屈だろうと取り寄せた。
なかなかに筋が良くてな、教え甲斐のあることよ。美しい音色であったろう?」
「そうじゃなくて! 退屈するほどここに留め置くのが問題なの!」
 乱クンは三日月に臆することなく言い返す。
「あ、あの……わたし、よくしていただいてますし、楽しんでますよ」
 弓の娘が取りなしに三日月は満足そうに満面の笑みを浮かべているが、乱クンには効いていないようだ。
「大体、紫の上にでもするつもり? なら、箏だけじゃなくて衣装の面倒もちゃんと見てるんでしょうねえ? ねえ?」
 乱クンが三日月に迫る。
「衣装……」
 あの三日月が慌てふためいてる。すごいな、乱クン。
「大丈夫ですよ。今の陽気なら夜中に洗っても朝には乾きますから」
「そんなことだろうと思ったんだ」
 乱クンは盛大なため息を吐いて肩を竦めた。
「三日月は世話するんじゃなくて世話されるほうでしょ……」
 乱クンはぷいと三日月から顔を背けると、別人のような笑顔で箏の前に座る娘に歩み寄ると持っていた包みを渡した。
「だから、はい。これ、ボクと蜂須賀からの贈り物だよ」
 包みを開く娘の瞳がみるみる丸くなる。
「これは……」
 隣で乱クンは楽しそうに体を揺らしている。
「似合うと思うんだ。早く着てみせてよ」
「でも、こんな……頂くわけには」
「いいの、いいの。主さんが所有する弓だから、とか、ここを取り仕切るものの勤めだから、とかじゃなくてね。お姉さんにかわいくしてて欲しくって、いろいろ考えてたらボクまで楽しくなっちゃって。一緒におめかしする仲間ができてうれしいんだ~」
 乱クンの様子は本当に楽しそうで、誉れの花弁じゃなくて紅?色の猪目が飛び交ってるかと見紛うばかりだ。
「そ、それなら――」
 娘は遠慮がちに立ち上がって少し思案していたが、おもむろに身に纏っている衣の襟に手を掛けた。
「ちょ、ちょっと待っ――」
 乱クンが慌てて娘の手を取って止めさせる。三日月はわざとらしく目を逸らし、僕はといえば、まあ……様子を見守っていたよ。
「どうかしたの?」
 娘は何故止められたのか、一向に理解していないようだった。
「そこに几帳があるであろう。使うが良いぞ」
 三日月が背を向けながらも笑いを噛み殺している。
「どうやら、人の身の振る舞いにまだ慣れておらぬようだな。俺が教えてもいいんだが……差し障りあろう? 乱よ」
「そうね……ボクがここに来るまで何事もなくてホントよかった」
 乱クンがすごい形相で三日月を一瞥すると、部屋の隅へと娘の背を押しやる。
「はいはい、こっち。お姉さんはさ、ボクたちと違って女の人の身を授かってるから」
「え……? あっ! そ、そうか――そうだよね」
 急に娘が狼狽えだした。
「でもさ、そういう乱クンがなんでついて行くのかい?」
 僕が揶揄うように言うと、真面目に冷静な声が返ってくる。
「ボクはかわいい装束の扱いに慣れてるからね。それにちゃんと引くべき場面は弁えてるからご心配なく」
「はいはい」
 娘は暫く几帳の向こうから出てこなかった。ときどき、乱クンが呼ばれ、几帳に隠れてはまた出てきては娘から声が掛かるのを待っている。
「これでいいのかしら」
 娘の問いかけに乱クンは几帳の中をのぞき込む。
「うん、いいんじゃないかな」
 乱クンに手を取られて娘が几帳から出てきた。
「ほお、これはまた……蜂須賀と乱の見立てにしては意外な」
 三日月が驚きの声を上げる。娘が身に纏うのは、着物と変わりはないようでいてゆったりとした上着に、丈が短めの袴だ。生成りの紅梅地に薄桃の立葵の花が描かれた上っ張りに、深い山を思わせる緑の袴は華美ではないけれど、その色の対比が目を引きつける。
「いきなり慣れない格好させられたら緊張するでしょ?」
 乱クンは娘を前に押し出すように、娘の後ろに立ち横からひょいと顔を出す。鼻歌交じりにご機嫌な様子で僕の方へ戻ってくると、僕を一瞥して囁いた。
「ボクみたいな服かと思った? 相手の油断を誘うわけじゃなし、そうそう肌を露わにはできないなあ。期待外れ?」
「いや、奥ゆかしくて結構じゃないか」
「ふ~ん」
 見定めるように乱クンは僕をじっと見てから、何かを納得したのか小さく笑うとひらりとその場に座った。
「せっかくの差し入れ、ボクもおよばれしていいかな」
「もちろんだとも。茶も振る舞うぞ」
「振る舞うって……入れてくれるのは三日月じゃなくてお姉さんでしょ?」
「いいんですよ。わたし、お世話係ですから」
 和やかに始まった茶話会だけど、乱クンは三日月に対して娘は三条に独占させてはおけないと釘を刺し、僕らと同じように暮らす算段を付けた。話し相手がいなくなるのは寂しいと三日月が零すが、乱クンは取り付く島もなく、そのがっかりした様子は見ていた僕でさえちょっと可哀想に思えるほどだった。結局、娘は明日まで三条殿の部屋に留まることになり、これまでの娘の様子からも、三条殿での暮らしはそう悪くもなかったようで、素直に引き下がった三日月に僕はほっと胸を撫で下ろした。
「君が選んだと聞いて、てっきり洋装かと思ったけどね。蜂須賀の勧めだったのかい?」
 三条殿からの帰りに、僕は乱クンに尋ねてみた。
「一見、おじいちゃんにも受け入れられるよう無難に着物風にしたと思うでしょ? でもね、そこはボクが選んだだけの工夫はあるんだ~」
 乱クンは得意げにボクを見上げる。
「防御は万全! あれ、一見和装に見えるけど、下着はバッチリ洋装なんだよ。飛んだり跳ねたり、転んだりしても、ちょっとやそっとじゃ中まで見えないから安心♪」
「それは……さすが乱クンだ。頼もしいねえ」
 想像のしようはないけど、乱クンが言うなら安心なんだろう。
「お姉さんがしたい格好をするのが一番だからね。仲良くなったらいろいろお話したいなあ。それでね、一緒に似合う服を選ぶの。きっと楽しいよ」
「僕は仲間はずれかい?」
「えー、にっかりって服に興味あるの?」
「ん~、そう言われると別にどうでもいいかな……」
「じゃ、だめー」
 無邪気に目を輝かせる乱クンと僕は連れだって、空になった茶菓子の器を厨へと返しに行った。
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 三巡目の大阪城地下攻略は無事最深部まで敵を掃討し終え、本丸には穏やかな時間が流れていた。もちろん政府が定期監視を指定している戦場への出陣や遠征はあったが、本丸発足から三月(みつき)と半分が過ぎ、ここでの暮らしも大分落ち着いてきたこともあって、内番の見直しに始まり「人の営み」に割く時間も増えてきた。三日月が話し相手を欲しがるのもわからないでもない。少なくともその間は畑仕事に駆り出されることがないからね。この季節の植物の勢いったら本当に驚くほどで、当番だけでは田畑の手入れが追いつかない。部屋でぼーっとしているとお呼びが掛かるんだ。
 この日、僕は昼餉のあと茶碗を洗うのを口実に厨に留まった。娘に昼の膳を振る舞ってから茶の間に連れてくると三日月が言っていたからだ。茶の間に残っているのは厨当番と僕みたいな非番の刀だ。
「失礼する」
 馴染みのない声が土間に響いた。主の打刀だ。
「やあ、畑仕事には慣れたかい?」
 土まみれの手を見て僕は言った。
「おっと、外で流してくるんだったな」
「ここで手を洗えばいいよ」
 僕が入り川戸を指差すと、では失礼すると断ってから打刀はしゃがんで手を洗った。
「兄さん、鍬の上にお忘れですよ」
 後から入ってきた短刀が手拭いを差し出した。仕草を見ても仲の良さが伝わってくる。
「そうだ。にっかり青江殿」
 打刀が改めてこちらに向き直った。
「当家の弓を最初に見つけてくだされたこと、御礼申し上げる」
「わ、わたしからも。姉上の言を信じてくださり、ありがとうございました」
打刀が頭を下げたのに続いて、短刀もその場で勢いよく頭を垂れた。
「改めて礼を言われるほどのことでもないよ、えっと……君たちの名をまだ聞いていなかったね」
 僕がそう言うと、ふたりは決まり悪そうに顔を見合わせた。どうかしたのかと思ったところで茶の間から蜂須賀の声が掛かった。
「やあ、待たせたかな」
「いや、我々もちょうど今来たところだ。心配には及ばん」
 同田貫が陰(いん)の質実剛健だとしたら、この打刀は陽(よう)の質実剛健とでも言うべき気持ちの良さがあり、実直な物腰はどことなく蜻蛉切を彷彿させた。
「ちょうどいい、青江からも言ってくれないだろうか」
 蜂須賀が懇願するような顔を僕に向けた。
「何をだい?」
「俺がどんなに頼んでも、呼び名を教えてくれないんだ」
「め、滅相もない! 主の筆頭家臣である蜂須賀殿の命を拒むつもりは……」
 打刀が困った顔をした。
「何を言うんだい。本来、真の家臣は君たちだよ」
 蜂須賀はわざわざ僕らと同じ土間に降りて続ける。
「僕たちはあなた方と違って、ただ刀としか呼ばれてこなかったので」
 短刀は兄の打刀に助けを求めるような目を向けて口籠もった。
「その……自分たちを除けば銘をお持ちの方ばかりなのだから、打刀! 短刀! とでも呼んでくだされば」
 打刀が頭を掻き掻き訴える。
「だが……それでは政府から刀種について何か伝達があったときに区別がつかぬ。蜂須賀の政に支障がでよう」
 穏やかな、けれど有無を言わさぬ声が響いた。娘を伴ってやってきた、三日月だ。
「じじいの勝手で迷惑を掛けたな。この数日、お主らの身内にはよくしてもらった。疑って済まなかった」
 三日月は後ろについてきた娘を見遣ったが、それはまるで本当に孫を見るようで、僕はちょっとなんだかなあと肩を竦めた。
「なんの……この本丸にとっては我らは本来いないはずのもの。三日月殿は為すべきことをしたのみ」
「はい。お仕えしているあいだも三条のみなさまにはよくしていただきました」
 娘もまっすぐな笑みを返す。なんだか面白くないねえ。まあ嘘ではないようだから、何事もなく兄弟の元に戻れてなによりだよ。
「でだ……」
 三日月は茶の間に腰を下ろした。
「今はまだよい。だがこれから我ら刀剣男士も数多(あまた)増えるであろう。
そなたらの名が、我らが刀種を指すのと同じでは差し支えも出ような」
 兄弟が返答に窮しているのは手に取るようにわかる。
「前にも提案したことだが……かつて君たちを手にした主はそう呼ばなかったとして、その身に刻まれた名ではだめなのかい?」
 兄弟が顔を見合わせる。
「その身に残っておらぬのか?」
「いえ、銘はありますが」
「なら、何故だめなのだ」
「だめというわけではないのですが……」
 畳みかける三日月に短刀が口を濁す。
「よもや気後れするなどと言うのではあるまいな?」
 それ、三日月が言っちゃうのか……。ちらりと横に目を向けると、どうしたものかと蜂須賀がおろおろしていた。
「いや、気後れというより……」
 打刀が気恥ずかしそうにわずかに視線を逸らして口を開いた。
「ここに居られるのはいずれも名刀、それぞれの刀工の代表作たるもの。その中で我らがその名を拝借するのは、我らを鍛えたかの方に失礼に当たるのでは、と」
「この身を恥じているのでは決してありません。僕らは僕らのすべきことをかの時代で全うしたと自負があります。ただ、僕らがその名をかたって良いものか、判断が付きかねるのです」
 兄弟は互いを見ると強く頷き合った。黙って聞いていた三日月は愛(いと)おしげに目を細める。
「その者とて自ら打ちし刀に迷いあれば、手ずから銘を刻むことはあるまい。それに……」
 三日月はわざわざ身を乗り出して、兄弟の手を取った。
「もはや此処ではその働きでしか評価されぬ。どんなに見目麗しくとも主が望む戦果を上げられねば重用されぬからな。それぞれがそれぞれの力を磨き、主に尽くすのだ。お主らは出陣こそできぬが、手合わせで俺たちと共に切磋琢磨することも主に勝利をもたらす助けとなろう。胸を張って刻まれた銘を名乗ればよい。なあ、蜂須賀」
「――っ、もちろんだとも」
 僕は、蜂須賀が一瞬、返答に詰まったように感じて、思わず蜂須賀のほうへ顔を向けた。そこにはいつものように穏やかに微笑む蜂須賀がいた。三日月に、突然話を振られて驚いただけだったのかもしれない。少し気にはなったが、話題はすぐに兄弟の名へと移り、蜂須賀のことはそれきりになってしまった。
「では自分から――この身にあるはかねときの銘。金科玉条の金に十二支の辰で金辰(かねとき)だ」
「僕は宗一(むねかず)です。よろしくお願いします」
「そうかそうか、金辰と宗一……よろしく頼む。して――」
 三日月の視線は娘へと移る。
「お主もこのものらと同じに、名など必要ないと言っておったわけだが」
 娘は困った顔をして俯いた。
「あの……名がないと困るでしょうか」
 娘は恐る恐る伺いを立てた。
「呼びようがないと、なあ? 蜂須賀」
「ああ。主の弓を、おい??とか、そこのお前??などと呼ぶわけにはいかないからね」
「確かに、我々だけで暮らしていたときなら刀、弓と呼び合えば事足りたが」
 金辰も顎に手を遣り考え込む。
「あまり深刻にならずに、君が好きに決めればいいじゃないか」
 僕は助け船を出すつもりでそう言った。
「でも……兄上たちとは違って、ここにはわたしのほかの弓はないですし」
 娘の食い下がる様(さま)に僕は思い出した。僕が名を尋ねたとき、名はないと娘は言った。そして、主に名付けてもらいたいのだ、と。
「浮かばぬのなら……考えてやらぬでもないぞ」
 事情を知らない三日月がにこにこと笑いかける。親切、というか、楽しんでるよね……。まるで初孫のできたおじいちゃんみたいだよ。
「ところで、姉上のいうようにここにはほかに弓はいないようですが、この先、迎えることはあるのでしょうか」
 宗一が僕らに尋ねる。
「はて……? 少なくとも時の政府によれば、審神者が目覚めさせるのは刀剣に宿る心とある。更に言えば、俺たちとて弓を扱えるものは少なくなかろうが、刀剣を以て敵を倒すよう定められているしな」
「ああ、今のところ俺も刀剣以外を顕現させるはなしは聞いたことがない」
「それなら、僕が出陣するときのお気に入り、金の玉は? あ、金の刀装ーー弓兵ーーのことだよ」
「それは、刀装……? 兵というからには弓で戦う……?」
 そう呟きながら宗一が僕らを交互に見比べる。うん、混乱するのも無理もない。金辰も何のことかわからず首を傾げるばかりだ。
「まだ君たちには説明していなかったね。僕らはそれを刀装と呼んではいるが、そうだなーー式神のようなもの、とでも言おうか。俺たちが持つ力を強化させたり、先制攻撃を仕掛けたりする装備なんだ。刀種によって扱える刀装が異なってね。脇差しである青江は弓兵を連れて出陣できるんだよ」
 蜂須賀の説明に、金辰と宗一はまだ合点がいかぬ顔をしてはいるが、おぼろげには把握できたらしい。
「つまり、弓で戦う兵はいるがそれはあなた方のように名を持ち存在するものではないという理解でよろしいか?」
 金辰の解釈に、大体あってるよと僕は相槌を打った。
「でしたら、わたしのことは弓と呼んでくだされば、みなさまが困ることはないのでは?」
 娘がここぞとばかりに蜂須賀に詰め寄った。
「いや、しかし……」
 渋る蜂須賀に三日月がぽつりと呟く。
「弓……ゆみ……まあ女子(おなご)の名とも取れなくはないな」
「はい、どう受け取っていただいても構いません。ですが、わたしの名ではなく、ただ弓であるとだけ。それでよろしいでしょう? 蜂須賀さま」
 目を輝かせ迫る娘に蜂須賀が気圧されている。
「ね、三日月さまもああおっしゃってくださいましたし」
 今度は勢いよく三日月を振り仰ぐ。
「こら、お二方を困らせるでない」
 金辰が娘の腕を引き寄せる。
「いいんじゃないかな、政府へ銘を登録しなきゃいけないわけじゃなし。実際、この本丸で弓を名乗るものはほかにいないんだから」
 僕も同意してみせる。それでも蜂須賀は、何か好きな名はないのか尋ねたりしたのだけど、娘は頑として譲らず、最後には本人がそれを望むのであればと受け入れた。
 金辰と宗一の大小、そして弓。この日、こうして主の私的家臣団はそれぞれの名を得て成立した。

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 名前を与えられるということは新たに個として認識されるということなんだと、誰かから聞いた気がする。主からだったか、書物で知ったのかははっきりしない。 でも、主の持ち物でありながら、ただ打刀と短刀という「刀」であったものが、金辰と宗一という名を得たことでこの本丸にみるみる溶け込んでいくのを僕は目の当たりにした。彼らが変わったわけじゃない。だけど、彼らが存在するという概念の輪郭は、名を持つ前よりもはっきりと確かなものとして、僕らが安心して受け入れられるものへと変容を遂げた。
 弓はというと、改めて「弓」であると名乗ったときに疑問を口にするものもいたけど、誰だったか短刀の中から、「じゃあ、弓のお姉さんですね」と声が上がり、なんとなくうやむやになってそのままだ。結局、「弓」や「弓のお姉さん」、唯一の女人でもあることから「あの娘」とか各自が好きに呼び始めた。最近だと「真弓の君」なんて呼び刀もあるらしい。ただひとつの呼び名に定まらなかったのは、ある意味、娘の望んだ在り方ではあるけれど、どこか掴みどころがなく所在のなさが付き纏う。そのどれもがあの弓のことを口にして
いるのは明らかなのだけど、でもその呼び名はそれが唯一無二の存在であることは表さない。呼び名の数だけそれぞれが思い描く弓があり、僕にしてもいつも目にするあの弓と、僕が初めて見た、社の山で神楽を舞っていた娘は果たして同じだったのだろうかと考えることがある。どう呼ばれようと僕は僕だと思ってきたけど、そういうわけでもないのかな、と思ったりね。
 金辰と宗一は、出陣や演練へ出ることがないを除けば僕らと全く変わりない暮らしをしている。鍛刀や刀装作成こそすることはないだろうけど、そうした場へ足を踏み入れてもどうやら差し支えないこともわかった。僕らが出陣している間の掃除や準備など進んで替わってくれるからとても助かっているのだと聞いた。
 一方、弓は兄弟とは少し事情が違った。その与えられた人の身が女であるが故に、どうしても力仕事からは外される。本人のやる気だけではどうにもならないからだ。それでも農作業や手合わせには熱心で、最初は女が手合わせに参加することに否定的だったものも渋々認めるまでになっていた。自分の身は自分で守れるようになったほうが、結局はこの本丸に利することになるだろうという蜂須賀の言葉には一定の説得力があったからで、専ら薙刀を手に鍛錬に励んでいるらしい。薙刀を選んだのは、かつて主に家の奥方が稽古しているのを見ていたからだそうだ。僕らにしても女人が薙刀を扱うのに不自然さを感じることはなかったから、いつしか道場に女人がいることにも慣れていった。
 非番のときはというと、乱が弓の面倒を買って出たこともあって、藤四郎の短刀たちと一緒にいるのをよく見かける。いつだったか、 僕は前田と平野の両藤四郎と一緒に居る弓を中庭で見かけた。
「あ、にっかりさん」
 前田が通りすがりの僕に声を掛けてきた。
「端午の節句の朝の謎が解けたんです」
 平野は早く伝えたくて仕方ないのが一目でわかるほど、目を輝かせていた。
「端午の節句の謎……というと、あの朝のことかな」
 そういえば騒ぎの発端は朝に見つかった軒の草だったっけ。と言っても、直後に起きた道場の騒ぎでそんなことはどこかへ吹き飛んでしまっていたっけ。
「ごめんなさい。あれ、そんなに騒ぎになっていたなんて」
 弓が丁寧に頭を下げた。
「いや、それ以上の騒ぎが道場ですぐに起きたからね。みんなもう忘れてるんじゃないかな」
「でもすごいんですよ。これを使って軒に吊したんだそうです」
 前田は僕に小さな弓を差し出した。
「これは?」
 それはまるでおもちゃのような小さくて簡単な作りの弓だった。
「水目桜で、わたしが作ったんです。枝を折ると香りが立って、むかしから魔除けに使われてい……即席ですけどね」
 確かに枝と蔓の簡単な作りだ。
「菖蒲とよもぎの束を小枝に結びつけて射たと聞いて、僕たちほんとうにびっくりしました」
 平野の言葉に、僕は感心して軒を見上げた。
「へえ、ここでは軒菖蒲をそんな風に扱うしきたりなのかあ」
「あ、違うんです。その普通は軒に向かって手で投げるんですけど……このお
屋敷は軒が高くて届かなかったものだから」「だからってあんなに均等に射込むなんてたいしたもんだよ、その即席の弓でだろう?」
 弓はちょっと気まずそうに微笑んだ。
「実は……手伝ってもらったんです」
 弓が手を高く上げると、どこからか鳥たちが集まってきた。そのうち、頭上を飛び回っていた一羽が弓の指に留まり、弓はその鳥を口元まで運び囁くような仕草をした。その鳥は弓の指から飛び立つと、軒に残っていた一本の草を啄んで引き抜くと、娘の元へ戻り頭上で輪を描いた。頭上の鳥から弓へ視線を戻せば、いつの間にか鳥のほかに栗鼠も加わり弓の肩や腕、背で楽しそうにしている。
「わたしは束を軒へ射るだけで、きれいに並べてくれたのはこのものたちなんです」
「この鳥や栗鼠はどこからやってくるのですか」
 平野が背伸びをして小さないきものを少しでも近くで見ようとしている。
「社のあるお山から」
「あの、触れてもよいでしょうか」
 前田が躊躇いながら手を伸ばす。
「社で過ごすうちに仲良くなったの。みんな、社を大切にしてくれる主さまが大好きなんですって。みなさんとも仲良くしたいそうですよ」
 藤四郎の二振(ふたり)が目を輝かせて小さないきもと戯れているのを僕は何をするとでもなく眺めていた。あの晩、社で「歓迎されている」と感じたのはあながち間違いではなかったということなのかもしれない。それでも、目の前の和やかな輪に僕は入ってはいかなかった。僕はいつの間にか自分の足下を見詰めていた。
「ありがとう。もう山へお帰り」
 弓の声に僕ははっとして顔を上げた。指に留まった鳥を弓が高く飛び立たせているのを僕の目が捕らえた。飛び立った鳥が山へと帰るのを見送る弓の姿と、あの晩、天の声を聞くが如く空を仰ぐ巫女舞が僕の中で重なる。飛び立った鳥たちが目指すのは社のある山なのか、慌てて振り仰ぐが鳥たちの姿はもうそこにはなかった。そして、振り返ればそこにいるのは前田、平野の両藤四郎とにこやかに言葉を交わすいつも通りの弓だった。
 別の日には、畑当番を終えた鯰尾が手足が痒くて堪らないと騒いでいると、ちょうど洗濯を手伝っていた弓が鯰尾を呼び止めた。
「ちょっとここで待ってて」
 弓はすぐに駆け出すと、ほどなく竹筒を手に戻ってきた。竹は水入れに細工されていて、弓はそこから小さな白い欠片を取り出すと、鯰尾に手足にぽんぽんと塗っていった。
「これ、なんです?」
 鯰尾の問いに弓は十薬の花だと答えた。
「じゅうやく?」
 一緒にいた骨喰が呟くと、弓は壺に蓋をして顔を上げた。
「う~ん、どくだみと呼んだほうがわかるかしら」
「ええぇーっ!」
 鯰尾が叫び、腕をぶんぶんと振り回した。腕の液体を振り落とそうとでもしているのかねえ。でも弓はそれを見るとくすくすと笑い出した。
「大丈夫、これは匂いませんよ」
 弓の言葉に、鯰尾が恐る恐る自分の腕の匂いを嗅いだ。
「あ、平気ですね」
 鯰尾はほっとしたのか、にぃっと笑うと骨喰の目の前に腕を突きつけた。
「お、おい……」
 骨喰はその勢いに驚いて咄嗟に仰け反った。
「驚くじゃないか。それに馬糞が平気なら気にするほどの匂いじゃないだろう」
「えーそういうのとはちょっと違うんですけどお」
 骨喰の物言いに不満げな鯰尾だが、もう一度確かめるように自分の腕に鼻を近づける。
「これは花を漬けたものなので、あの独特な匂いはないんです。葉のほうが効くかもしれないんですけど、まだできあがってなくて。でも、乾かしてお茶にした葉は匂わないでしょう? そんなに嫌わないで」
「確かにどくだみ茶にあの匂いはないですね」
「十(とお)の薬効があると言われているから十薬と呼ばれるようになったんですよ」
「そういうことなのか」
「じゃあ俺、今度たくさん集めてきますよ」
「兄弟にまかせるのは危険だ。はげ山にしてしまうぞ」
「十薬は土の下でもどんどん増えるから、そう簡単には取り尽くせませんよ。それにこれは一年に一度しか作れない特製の十薬液だから。また来年にお願いするわ」
 弓がわざわざ手にした竹筒を掲げて言った。
「端午の節句――薬日の午の刻に降る雨を竹の節にためて薬を作るとよく効くと言われてるんです。迷信みたいなものですけどね」
「よし、本当に効果があるか薬研に聞いてみよう」
 鯰尾が無邪気に瞳を輝かせれば、隣の骨喰は無言で頷いてみせる。
「薬、ありがとうねー。弓のおねえさーん」
 鯰尾が大きく手を振って走って行く。弓のおねえさん……ねえ。多分、藤四郎兄弟――短刀たちがそう呼んでいるからだろう。鯰尾や骨喰から見たらそんなに年嵩でもないだろうに。弓のほうは少しばかり面映ゆいような困ったような、複雑な笑みを浮かべていた。
 母屋の中庭を掃除中だった僕は少し離れた場所からこのやりとりを眺めていたのだけど、ふと思い立って弓の背後へ回った。
「もしかして、それって君が社に籠もっていたときの――」
 僕は弓の肩越しに声を掛けた。
「脅かさないでください、青江さま」
 急に背後から声を掛けられたからか、弓の肩が大きく跳ねた。慌ててこちらを振り向こうとして竹筒を落としそうになるから、僕は手を伸ばして弓の手ごと掴んで事なきを得た。
「あ、ありがとうございます」
 ぎこちなくも律儀に礼を返してくる。僕は気にせずそのまま弓の肩に顎を乗せるようにして竹筒を覗き込んだ。筒を満たす水の中には白い花弁が漬け込まれている。
「この花、社殿に広げてあったあの花?」
「ええ。散らかしてたの、見られちゃいましたね」
 僕の頭が邪魔しているからか、弓は視線だけをこちらへ向けて言った。
「だから、あの日までここへは帰ってこなかったのかい?」
 僕は手を離し、弓の背から少しだけ離れた。弓がゆっくりと僕の正面へと向き直る。
「さっきのはなし、聞いてたんですか?」
「聞こえてたんだよ」
 僕の返答に、弓はくすりと笑った。
「これを作ったら帰ってこよう……なんて、決めていたわけじゃないんですよ? ここへは戻らないほうがいいのかと悩んでましたし。社に残ったままでも、主さまのお役に立つ方法はなにかしらあるでしょうし」
 弓は手元に視線を落とし、慎重に竹筒に栓をしながら、自分に語りかけるように言葉を綴る。
「じゃあ、どうして戻ってきたんだい? 主への思いを断ち切れなかったから――かな?」
 僕は少し揶揄うように、鼻先が触れるくらい顔を近付け弓の瞳を覗き込んだ。審神者は人で、僕らは人ではない。それでも演練にわざわざ立ち会う審神者やほかの見聞きするほかの本丸の様子に、懸想の気配を感じることがある。特に演練では役人の立ち会いもあるためか、互いの気持ちを隠そうとするあまり却って不自然になってしまうもので、弓もいつぞやの審神者のように頬を赤らめたり視線を逸らせてまごついたりするだろうかと意地の悪い好奇心あっての行動だった。でも、弓は顔色ひとつ変えることなく、僕をまっすぐに見据えたまま穏やかに微笑んでみせた。
「わたしが戻ってきたのは、青江さまが伝えてくれたからですよ」
 弓はすっと身を躱すと手を添えて僕の耳元に口を寄せる。
「山たづね迎へか行かむと待ちにか待たむ」
 そう囁くと弓はさっと退いて小首を傾げた。
「主さまのご家来に、主さま以外のことで手を煩わせるわけにいかないじゃないですか」
 屈託なく笑いながら僕の返事を待つでもなく洗濯場へ戻る弓の姿を、僕はただぽかんと眺めるばかりだった。
「これは一本取られた、ということなのかねえ……」
 誰にともなく、間抜けな呟きが僕の口から漏れたのを、まるで他人事のように僕の耳が拾う。
「何かおっしゃいました?」
 洗濯場から振り仰ぐ弓に、僕は一呼吸置いてにっかりと笑って見せた。
「っふふ……なんでもないよ」
 僕も持ち場へと戻ったが、箒を手にぼんやりと考える。弓は人の子ではない。でも、僕が人の身を得てから目にしてきた女人――他所(よそ)の審神者とも、万屋やお役人とも違っていて、観察対象としては実に興味深い。出陣できないときの退屈しのぎにはもってこいだと思えて、当番中の僕は自分でも意外なほど上機嫌だった。
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 あれからほどなく大阪城地下調査が終わり、あらかじめ定められた地へ出陣する哨戒任務の傍ら本丸での内番に勤しむ、穏やかな日々を送っていた。まあ、哨戒といって重要歴史守護地点だけあって交戦は必至だった。常に時間遡行軍が跋扈する特異点が複数存在するということは、戦況としてはあまりよろしくないのかもしれない。それに、僕らができることは常に出陣し、その特異点を歴史修正主義者の目論見通りに改変されてしまうことを防ぐことであって、時間遡行軍を掃討するにはほど遠かった。それでも、一度(ひとたび)帰還すれば本丸での暮らしは平穏そのものだった。
 この本丸に迎えられてから一週間も経つと、金辰と宗一、弓はこの本丸の暮らしにすっかり馴染んだようだった。本丸の暮らしというより刀剣男士とのそれに馴染んだというほうが正確かな。なぜなら、主に縁のある土地に構えたと言われているこの本丸は、全く同じというわけでもないそうなのだが彼らが過ごしていた地と変わらないというのだ。働き者であることに加え、気候風土――特に畑仕事――についての彼らの知識はこの本丸の誰よりも豊富で、この本丸の日常の質が格段に上がっていった。そのことが出陣が叶わない彼らの存在意義は僕らに劣らぬものとして確固たる立場を築いたのだった。ただ、彼らを見ていて、僕はどこか違和感を覚えていた。その正体を、僕は御手杵クンが竈番の夜に知るのだった。
 宵の口はまだ厨や茶の間は出入りも多く、御手杵クンと僕は囲炉裏端でのんびりと働く刀たちを眺めていた。厨を行き来しているのは、明日の朝餉の下準備をしている弓とその兄弟だ。
「あ~あ、あんなにからだを強張らせて……辛そうな表情が健気だねえ。あ、水汲みのことだよ」
 僕の軽口にいつものようなのんびりとした返事が返ってこないので、不思議に思って御手杵クンを見た。御手杵クンは何かを考えるようにじっと厨のほうを見詰めている。どうやらその視線の先にいるのは弓のようだ。
「御手杵クン? あの娘が気になるのかい」
 茶化すような僕の問いにも御手杵クンは無言のままじっと弓を見たままでいる。何かきになることでもあるのだろうかと僕もそちらを眺めてみるものの、特に訝しむようなところは見当たらない。少しして、御手杵クンは弓を見詰めたまま小さく呟いた。
「あのコ、竈の焚き口には近付かないんだよな……」
 その言葉に僕は驚いて厨へ目を向ける。忙しなく働いている弓は竈に全く寄り付かないわけではない。竈の焚き口の前を行き交うこともある。でも絶対にそこでは立ち止まらない。火を扱う仕事は兄弟が手を貸し弓がその間でてきぱきと働いているから、よほど注意してみないとわからないほど、不自然さがない。
「よく気が付いたねえ、御手杵クン」
「ん? あ、ああ……」
 歯切れの悪い返事だ。僕の話を聞いていなかったと言うより、まだ何か考えている最中みたいだ。
 でも、これはまずいんじゃないかな。三条連中の疑いは晴れたとは言え、三日月は獣憑きなら火を恐れるだろうと考えた。弓に霊なんて取り憑いてはいないけど、火に全く近付かないとなるといずれにそれは皆に知れ渡ることになるだろう。余程の事情がない限り、当番は平等に回ってくる。兄弟と別々になることもあるだろう。そのとき、火と関わらずに済ませることができるだろうか。僕はのそりと厨側へ身を乗り出した。
「ねえ、実際今まで、この本丸では僕ら男士だけで厨を回してきたわけだけど女だから炊事をするべきとは僕は思わないしけど、君が竈仕事に一切手を出さないというのはどうだろうねえ。火の扱いなら、風呂焚きの当番なんてひとりですることもあるくらいだし」
 僕の言葉に、弓だけでなく兄弟までもがぎくりと身を固くした。やっぱり意図的に火を避けているんだ。そして兄弟もそれを知って助けている。
「そ、そうですよね……」
 弓の声が震えている。
「青江殿、我らは人の身を得てまだわずかしか経っていない。身につけるべきものをひとつひとつ学んでいるのだ。今は我ら兄弟が火の扱いを……」
「そう言うけど、君らは畑仕事はこの本丸の誰よりも詳しいじゃないか」
 僕が畳みかけると、今度は金辰ではなく宗一が躊躇いがちに反論してきた。
「それは、我々がここの風土には詳しいからなだけですよ。まだまだ手際は悪うございます。まして火を扱うとなると――」
「いいえ、青江さまのおっしゃる通りです。いつまでも兄上たちに頼ってばかりでは」
 宗一を遮ると弓は兄弟に何か声を掛けてから竈の正面へと近付いていった。弓は表情を固くし、血の気はすっかり失われている。震えながら踏み出す一歩からは、明らかに火を怖れていることが伝わってくる。黙って弓を見詰める兄弟は、さながら初めて立とうとする我が子に手を貸すべき貸さぬべきか、逡巡している親のようだ。まあ、こちらが強要するまでもなく弓が自ら行動の移したのだから、こちらも成り行きを見守るしかないだろう。
 固(かた)唾(ず)を呑むというのはこのことなのだろう。喉の奥にひりつくような感覚を覚えたとき、通り土間の奥から声が聞こえてきた。
「じゃあ、みんなこっちにいるのかい?」
 聞き慣れない声だった。
「ああっ、慌ててはいけないよ。その先は火を扱っている場所なんだ」
 追いかけてきた声は蜂須賀のものだ。聞こえてきた声に兄弟ははっとして通り土間のほうへ顔を向けたが、弓の耳には届いていないようだ。
 弓が薪が燃えさかる焚き口の正面に最後の一歩を踏み出したのと、見知らぬ人影が厨に入ってきたのは同時だった。
「おい、どうした!」
 僕は思わず叫び声の主(ぬし)へと目を向けた。そこには老人というには早いが青年とも言い難い、上背のある細身の男が立っていた。そして次の瞬間、その男が地を蹴って向かった先で、弓の体がぐらりと揺れその場に崩れ落ちていった。
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「こいつにいきなり火を扱えってぇのは酷だろうに……、俺たちと違ってその身の大部分は竹からできてるんだぞ?」
 倒れた弓を抱きかかえた見知らぬ男がえらい剣幕で言い放つ。
「叔父貴殿、落ち着かれよ。この方々は――」
「お前らもお前らだ。物事には順番ってもんがあんだ。それを知らねえってんならちゃんと教えてやるってのが筋ってもんだろうが」
 金辰の制止も聞かず弓を茶の間に横たわらせながら、兄弟を叱りつけているところを見るとこのものも主の家縁の刀剣なのだろうか。
「いやいや、金辰も宗一もよくやってくれているよ。配慮が足りなかったのは俺の落ち度だ。確かに、鋼と竹とでは炎に対して抱く思いが異なるのは当然だからね。それに思い至れなかったのは――」
「いやいやいやいや、失敬失敬。どうか蜂須賀殿はお気になさらずに。当家の事情なれば当家が然るべき計らいを願い出ねばならん。刀剣男士の皆様方には自ら弓を射て戦うことのない時代なれば、弓の在り方に思い至らぬも道理。そちらのお二方にもとんだ失礼を」
 男は僕と御手杵クンに向かってひょいと頭を下げた。不思議な御仁だ。年の頃が推し量れないだけでなく、江戸の町を思わせる啖呵を切ったかと思えば、蜂須賀には武家のように振る舞う。金辰たちに比べるとなんと自由な――刀剣――なのか? 僕の注ぐ視線に気が付いたのか、蜂須賀がこほんと咳を払う。
「金辰と宗一には紹介するまでもないようだが、青江と御手杵にはきちんと紹介しよう」
 蜂須賀の言葉を合図に、その男は金辰、宗一兄弟に並び座ると居住まいを正した。
「先程、主から賜った、金辰と宗一と同じく主のご実家に伝わる槍殿だ。ふたりと違って柄の手入れが必要で、本丸へ来るのが遅れたんだ。既に君達兄弟は顕現していたからね、この槍ももしや……と思いながら大広間の槍掛けに納めた途端に姿を顕したんだよ。庫院の皆に挨拶を済ませから母屋に戻ってきたところだったんだ」
 なるほど、槍ならばその身の丈は納得だ。蜂須賀は僕と御手杵クンのことを紹介すると、槍は改めて口を開いた。
「大森源(みなもと)行盈(ゆきみつ)が手による槍。兄弟に倣えば行盈と名乗るべきと存ずるが、当地には既に不動行光殿がおられるとのこと。なれば、行盈が号「遊玄斎」とお呼びいただきたく。以後、これら兄弟ともどもよろしくお願い申し上げる」
 深々と頭を垂れそう言い終えると、槍は顔だけ上げてこちらににぃっと笑って見せた。
「ま、そう言ってみたものの、兄弟とは違って政の場に出たこたぁねえし、手合わせに駆り出されることもないままお屋敷に控えてた身だ。生まれながらに隠居してたようなもんだな」
「叔父貴殿、そのような――」
 金辰が慌てて袖を引っ張るが、遊玄斎は意に返さない。
「心配するなって……然るべき場での振る舞いは心得てらぁ」
 遊玄斎はあっけらかんと笑って見せた。
「心配には及ばないよ、金辰。皆に紹介して回っていたときの遊玄斎はきちんとしていたよ。紹介が済めば堅苦しい振る舞いは無用だと、俺が言ったんだ」
「そういうこった」
 蜂須賀がそう言うと、遊玄斎はお墨付きを得たと足を崩して胡座をかいた。
それでも兄弟は遊玄斎の振る舞いに落ち着かずに右往左往していたが、それを蜂須賀は面白そうに眺めている。
「そう案ずることはないよ。それに、俺たちは不動……不動行光のことはそう呼んでいるだろう? だから行盈と名乗るのに支障はまったくないと言ったのに、そういうところはきちんと分けなきゃいけないと引き下がらなかったのは遊玄斎のほうだよ」
 遊玄斎は決まり悪そうに頭を掻いて誤魔化し笑いを浮かべている。兄弟もそれを聞いてようやく安堵したのか、茶の間の空気が一気に和らいだ。
「しかし叔父貴殿、我ら――を同じに扱うのは憚られるが――刀剣男士はその刀身に比して人の姿を得るようで……であるなら、もう少しお若い姿を纏ってもよろしかったのでは」
 金辰が遊玄斎に遠慮がちに尋ねる。
「いや、それよりも行盈……じゃなくて……えっと、遊玄斎。年の頃よりもその背丈が自分には解せません」
 宗一の遠慮ない問いに、遊玄斎は苦笑いを浮かべた。
「よしてくれ! 穂を基準にされたら俺なんざよちよち歩きの赤ん坊になっちまう。いや茎まで入れたって短刀か脇差か……刀にゃ足りねえなあ。でもよ、それじゃあ自分を振り回すにゃちと不便じゃねえか?」
「確かに一理ありますな。我らが例外とは言え、そもそも刀剣男士は己を以て戦うために人の身を与えられているのならば、槍を手にして引き摺っては戦いようがござらぬな」
 金辰が頷きながら相槌を打つ。
「俺はそちらさんのような大身槍じゃないからな」
 遊玄斎が御手杵クンに目を遣った。どことなくそわそわしていた御手杵クンは、話題を振られるのを待っていたかのように身を乗り出した。
「で、あんたはどんな槍なんだ?」
「どんなって言われてもなあ……」
 遊玄斎が御手杵クンの顔をしげしげと見詰める。
「御手杵……結城の槍だろ?」
「えっ――あ、ああ」
 御手杵クンが目を丸くする。確かに御手杵は結城家の槍だけど、後の松平家の家宝として過ごした時間のほうが長い。名の由来となった鞘が作られたのも数々の謂れも松平家でのことだ。でも遊玄斎はそんなことはお構いなく、にやりと笑って御手杵クンに答えてみせる。
「俺の穂なんざお前さんの十分の一もありゃしねえ。だがまあ、仲間っちゃ仲間だ」
 顎に手をやり、うんうんと頷きながら遊玄斎は続ける。
「俺ができることと言やあ、狙った一点を突く、これに尽きる。だがお前さんと比べりゃ貫き通せる深さはわずかだ。だからかねえ……形(なり)が小さきゃ槍を振り回せねえが大身のお前さんと同じってわけにもいかねえってんで、形は同じくらいになる替わりにお前さんよりも年食った姿で差を付けたってんじゃねーか? ま、槍同士よろしくな」
 遊玄斎は御手杵クンに豪快に笑って見せた。
「あんたも切ったり薙いだりはしないのか」
「おう、突くしかできねえ三角槍だ」
 御手杵クンには珍しく、畳みかけるように次々と話しかけている。余程うれしかったんだろうか。
「でさ、あんた、さっき俺のこと結城の槍って言っただろ? 俺のことで知ってることがあったら、教えてくれ」
 前のめりの御手杵クンに、遊玄斎が突然真顔になった。
「いや、済まねぇ。主が仕えた殿様のご先祖様がな、結城とちっと関わりがあったってだけで……何か知ってるってわけじゃねえんだ。なんか期待させるようなこと言って悪かったな」
 焦る遊玄斎の前で御手杵クンの落胆ぶりは誰の目からも明らかだった。
「そっか……いや、いいんだ。気にしないでくれ」
 御手杵クンはへらりと笑ってみせるが、気落ちした様子に遊玄斎が訝しげな顔をした。
「あんたほど有名な槍が自分のこと知りてぇだなんて、変わってんなあ」
「そういうわけじゃなくて、その――」
 普段なら頭を掻きながら言葉を探す御手杵クンが、今日は両の膝の上に拳を置き思い詰めたように考え込んでいる。いつもと違う御手杵クンに、僕らも黙って様子を見守り続けた。そして、意を決したように御手杵クンは口を開いた
が、僕らの耳に届いたのは別の声だった。
「う……ううん……」
 脇で寝ていた弓の眉間に皺が寄り、ゆっくりとまぶたが開いていった。
「お、気が付いたか。弓っ娘(こ)」
 遊玄斎の声に、弓は二、三度瞬きをしてがばっと起き上がった。
「ご、ご隠居さま?」
 驚いて叫んだ弓の声が茶の間に響く。
「こら、お前はまた叔父貴殿をそのように」
 即座に金辰が弓をたしなめ、弓は慌てて手で自分の口を塞いだ。それを見て、遊玄斎は金辰の背をぽんぽんと叩く。
「あーいいっていいって。そう呼べって俺が言ったんだから。な?」
「叔父貴殿はそうやっていつも甘やかして――」
「それを言うなら兄さんもだろ」
 弾む会話に後は任せたと蜂須賀は席を外し、茶の間に残る政府刀剣男士は御手杵クンと僕だけに戻った。御手杵クンは変わらず正座のままで、僕は足を崩して三振と一張の和気藹々と語らう様子を眺めていた。それは主従とも師弟とも、そして藤四郎兄弟たちとも違った。なんと言えばいいだろう。権力や恩賞を背負わず、家から家、人から人へと渡り歩くことなく、生まれたときからひとつの家で過ごし、ただ親から子へと伝わってきたものたちに、これが家族というものなのかなどとぼんやりと考えながら、他愛のないやりとりが僕の耳を掠めていく。
「まあ、なんだ――いきなり無理すんなってこった。またぶっ倒れたりしたらそちらさんにもまたご迷惑掛けちまう」
 ふいに遊玄斎がこちらに顔を向けた。
「迷惑だって?」
 話の流れを追っていなかった僕が驚いて聞き返すと、弓が申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい。厨当番も風呂焚きも、火を扱えなきゃいけないのはわかっていて……近寄るくらいでは自分が燃えるわけじゃないのも頭ではわかってるの。だから……ゆっくり近付けば平気なんじゃないかって……」
「だから焦るこたあねえって」
「それじゃあだめなの!」
 なだめるように諭す遊玄斎に、珍しく弓が叫んだ。遊玄斎も兄弟も驚いて弓を見詰めた。
「だめなんです。それじゃあ、お役に立てない」
 まるでさっきの御手杵クンのように、弓は膝の上でぎゅっと着物を握り拳を振るわせた。
「あんたも火が怖いのか?」
 静まりかえった茶の間で、口を開いたのは御手杵クンだった。
「え?」
 僕は少し驚いて御手杵クンをみた。顔を上げた弓を、御手杵クンはまっすぐ見据えていた。
「火に近付けるようになりたいのか?」
 弓は黙って頷いた。
「わかった」
 御手杵クンはそう言うと、いきなり弓の手を取ると抱きかかえるようにして土間へと向かった。
「お、御手杵さま――」
 弓は為す術もなく竈の前へと引き摺れ出され、身を強張らせた。御手杵クンは背にぴたりと貼り付き、左腕で弓を左腕ごと抱きかかえ右手で弓の右手を掴んでいる。弓は逃げ場がない。
「膝、折って――」
「あ、あの……」
 弓の声が震えている。
「膝――折らないとしゃがめないだろ」
 御手杵クンに促されて、恐る恐る弓が腰を低くしていく。御手杵クンもそれに合わせて器用にしゃがみ込む。御手杵クンは竈の火の前でしばらくじっとしていた。弓の乱れた呼吸が囲炉裏端まで聞こえてくる。
「大丈夫だから」
 御手杵クンはまるで自分に言い聞かせるようにそう言うと、ぐっと力を入れ握っている弓の右手を竈に向かって伸ばした。
「あっ――」
 弓は咄嗟に火から離れようと身を捩るが、御手杵クンはびくともしない。それどころか更に身を前へと屈(かが)めようとする。弓は必死に抵抗しているようだが、そもそもふたりの体躯の差はそれでどうにかなるものじゃないし、御手杵クンも手加減はしてるようだけど折れる気は全くないようだ。遂には堪えきれずに、弓の体は前へ倒れどんと膝を突いた。
「嫌ぁ――っ」
 茶の間に響いた弓の声に、様子を窺っていた兄弟達が一斉に立ち上がって弓に駆け寄ろうとする先で僕が立ちはだかる。そりゃ、ちょっと危なっかしいところがないとは言わないけど、御手杵クンが考え込んだ末に起こした行動だ。
「本当に危ないと判断したら、僕が止めるよ」」
 小声で兄弟達に釘を刺し、僕は土間へ下りた。
「あ、熱――、お願い……止めて」
 弓が御手杵クンに懇願すると、背中で兄弟達がおろおろと動揺するのがわかる。僕は振り向くことなく、兄弟達にその場に留まれと言わんばかりにさっと腕を伸ばし、その場で竈前のふたりを見守った。弓は御手杵クンの腕の中にすっぽりと収まって身動きすら取れなくなっている。
「ごめんな……熱いよな」
 御手杵クンの呟きに返事はなく、微かな嗚咽が僕の耳に届く。
「俺の手も熱いんだ。でも、ちゃんとこっち見て」
 御手杵クンが顔を逸らす弓の顎に手を添え、無理やり火にかざしている手の先へ向けた。
「見て」
 弓の肩は御手杵クンの中で小刻みに震えていたが、見開いた瞳には目の前の揺れる焔が映っていた。
「確かに熱い、でも燃えてない――あんたも俺も」
 弓の手を握る御手杵クンの手が更に火へと近付く。弓はもうその動きに逆らわなかった。
「さっきより熱い。でも燃えてないだろ? 大丈夫……今の俺は燃えてない」
 絞り出すような御手杵クンの声に、弓が不思議そうな顔で振り返る。
「でも本当の俺は燃えちまった……覚えてないけど」
 御手杵クンの体から力が抜け、弓のからするりと手が落ちる。そのまま土間に尻餅を突くように座り込んだ。竈の前だというのに、あんなに体を強張らせていた弓から力が抜け、心配そうに御手杵クンを覗き込んでいる。
「あの、燃えた……って?」
 恐る恐る尋ねた弓に、御手杵クンはいつものようにへらりと笑顔を作ってみせた。
「松平に伝わった御手杵は焼夷弾で焼く尽くされたんだ、手の施しようがないくらい」
 そう言うと、御手杵クンは手を組んでそこに額を預けた。
「いろんな人が燃えた俺にかたちを与えてくれた。俺がどうあったのか調べて、作ってくれた。そのおかげもあって、俺は御手杵なんだって、自信持って言えるんだと思ってる。でも――」
 御手杵クンは弓の肩越しに竈の火へ視線だけ向ける。
「夢を見るんだ。真っ赤な焔に包まれてる夢。おかしいだろ? 俺、火を使うのなんてなんとも思ってないのにさ」
「おまえさん、燃えちまってたのか」
 遊玄斎が尋ねるでもなく呟いた。
「本物の俺は燃えてなくなった。でも、人がそのあとでたくさんの俺を生み出してくれた。刀剣そもものが存在しなくても、語り継がれてきたことで顕現した仲間がいることも知ってる。わかってるんだ。だから俺もここにいる……ほかの誰でもない『御手杵』だ」
「それで自分のことを聞きいたのか。すまなかったな、外の世界にとんと疎くてあんな言い方しちまった」
 今度ははっきりと御手杵に向かって掛けた言葉だった。
「いや、いいんだ……そんな顔するなよ」
 どこか吹っ切れたように御手杵クンはさっぱり言い切る目の前では、まるで今にも泣きそうな弓の顔がある。
「わたしが火を怖がるのなんて……御手杵さまに比べたら、なんて……」
「えっ? あ、ああ、言い方が悪かった。そうじゃなくて」
 御手杵クンはぐしゃりと無造作に弓の頭を撫でた。
「火を平気で扱ってても、ときどき火でうなされる。怖いのは仕方ないんだろ? あんたは俺たちより燃えやすいんだ。でも、さっきどんなに熱くても燃
えなかったろ? それ、怖くなったら思い出してくれよ」
 弓は黙って頷く。僕はかつかつとふたりに近付いた。
「知らなかったなあ、君にこんな強引なところがあるなんて。僕には秘密だったのかい?」
「そうかあ?」
 僕は御手杵クンの脇に立って揶揄うような視線を投げてみるけど、返ってきたのはいつもと変わらずのんびりとした御手杵クンの笑顔だった。
「見ててはらはらしたよ。君も大丈夫かい?」
 僕はすっと弓に向かって手を差し伸べた。
「え、ええ……もう大丈夫、です」
 弓は素直に僕の手を取って立ち上がった。それを見て御手杵クンが大きな声を上げる。
「あー、わりぃ。あんたのこと、汚すつもりじゃ――」
「別にあのくらいで汚すもなにも……」
 僕は言いかけて、御手杵クンが見詰める先に目を遣った。弓もそれを見て同じように目を向けた。
「わっ、大変」
 竈の前だったからか、弓の着物の膝の部分が真っ黒になっていた。
「これは……弁解の余地がないほど、汚れてしまったね」
 弓はするりと僕の手をすり抜けて、膝をぽんぽんと払う。
「洗濯すれば大丈夫ですよ」
 弓はにっこりと御手杵に笑いかける。
「あの……わたしのために、ありがとうございました」
 弓は御手杵クンに深々と頭を下げた。
「そうですよね、近くに寄るだけなら燃える心配ないのに」
「そうは言っても気を付けなければいけないよ。舞った火の粉を浴びることもあるからね」
「はい」
 弓は僕にも素直に返事をすると、茶の間の兄弟達に向かって声を上げる。
「兄上、ご迷惑をお掛けしました。もう大丈夫ですから、支度を済ませてしまいましょう」
「おう、俺も手伝うぜ」
 兄弟を追って遊玄斎も腰を上げると、土間に下りてきた。御手杵クンは腰を下ろしたまま竈の火を眺めてていたけど、一度天上を見上げてから自分の手のひらに視線を落とした。
「ここにいる俺がこの本丸の『御手杵』でいいんだよな」
 御手杵クンが自分に向かって呟いた。
「ほかの誰かが知ってる『御手杵』はもう要らねえかい?」
 通りすがりに遊玄斎が御手杵クンに尋ねると、御手杵クンはいつも通りの笑顔を向ける。
「いや、気にはなるよ。でも、まあ……俺は俺だからな」
「おう。狙いの定まんねえ三角槍じゃあ締まりがねえ」
 遊玄斎は遠慮なく御手杵クンの背中をばーんと叩くと、その隣にしゃがみ込んだ。
「傍目にはよ、すっかり消えたように見えてもちょっと扇ぐと火が熾きたりすることあるだろ? そういうもん、ひとつやふたつみんな持ってるんだろうよ」
「そうかもな」
 御手杵クンはそう言うとう~んと伸びをした。
「なあ、あんた。明日手合わせしようぜ」
 遊玄斎にそう笑う御手杵クンを、僕はちょっと不思議な気持ちで見ていた。御手杵クンが顕現して、僕は主からその教育係を仰せつかった。僕よりずっと背が高くていつも僕を見下ろしているけど、何をするにも僕の後ろをついてきた御手杵クンは、もう僕の助けはいらないのかもしれない。僕の廻りで何かが動き出したのは、主の家から弓や刀剣達がやってきたからだけじゃないのかもしれない。
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 この本丸に訪れた変化は、時の政府管理外の、主の家に伝わる弓や刀剣が顕現しただけではなかった。遊玄斎が顕れた翌日、今剣が修行へ旅立った。政府が開示している新たな力はまだ限られた短刀にしか与えられていない。まだ発足間もないこの本丸では、最初の短刀四振に修行が解禁になった時点では本丸の戦跡としても刀の練度としても修行へ出るだけの資格を満たしてはいなかった。ようやく本丸としての資格を得て、新たに修行の許可が出されたのが今剣だ。先制を取るのが得意な今剣は短刀の中でも練度が高く、政府から正式に解禁が発布される前からすぐに修行へ出ることを決意していたらしい。政府から通達が届くや否や、主に修行を願いでたのだとか。あの大阪城出陣では旅装束を手に入れることはできなかったが、本丸として資格を得たときに政府から支給されていた一式を主は今剣に与えた。
 今剣がどんな姿で帰還するのか、僕らのあいだではその話題で持ち切りなこともあって、主の弓や大小――打刀と短刀ではあるけど揃いの拵えからなんとなくそういう呼び方が広がっていた――と新たに加わった槍について、もうあれこれあらぬ嫌疑を掛けたり詮索したりするものはいなかった。強くなって帰ってくる今剣を思い、手合わせに力の入らない刀剣(もの)はいなかった。意外にも、と言ったら失礼だろうか、主の大小と槍は元々なかなかの腕を持っていたようで、僕らとの手合わせでめきめきと腕を上げていった。
 主の元に今剣から明日帰ると文が届いた翌日、皆どことなく落ち着かず、内番中も心此処に在らずと身の入らないものが多かった。何しろ本丸初めての極だ、不思議はない。収穫した野菜を届けに土間に入れば、今夜は宴だと準備に奔走する刀たちでごった返していた。そんな中、厨の片隅に座り、ひとりせっせと手を動かしている弓がいた。
「何をしてるんだい?」
 近付いてみると弓の脇に青梅が山と入った籠が目に留まる。
「畑の向こうの梅が大きくなったので、梅酒と梅漬けの準備を」
「へえ……」
 小さな竹串で器用に青梅のなり口にある星を取っては水を張った瓶に放り込んでいく。小気味よく一定の速度で次々と青梅が処理されていく様を、僕はしばらく眺めていた。
「手伝おうか?」
 僕は土間の向こうにまだ作業を待っている青梅の籠があるのを見つけて申し出た。
「大丈夫ですよ、これはわたしひとりで」
 弓は返事をする間も手を動かし続ける。籠の青梅はみるみる減っていった。
「みなさん、今剣さんのお戻りを本当に心待ちにされてるんですね」
「この本丸ができて初めての極だからね」
「なので、わたしもちょっとお祝いに甘味を作ってみようと思って」
 弓は僕に無邪気に笑いかけると、瓶の中から傷がなく大きくて形の良い実を選り分けた。
「もうお湯は沸いたかな~」
 青梅を手に、弓が竈へと向かう。
「ちょっと、君――」
 僕は思わず声を上げた。
「大丈夫なのかい?」
 柄にもなく慌てて駆け寄った僕に、弓はちょっと決まり悪そうに眉を下げた。
「本当はまだちょっと怖かったりするんですけど」
 そう言うと弓は湯の沸いた鍋の中へ青梅をひとつ、ふたつと落としていく。
火から距離を取ろうと、少しへっぴり腰な様子に僕は思わずくすりと笑った。
「これでも頑張ったんですから、笑わないでください」
 弓は不服そうな顔を向けたが、すぐに穏やかな笑顔を浮かべた。
「特別に青江さまと御手杵さまにも差し上げますね。こうしてわたしが竈の前に立ってるのはおふたりのおかげですから」
「御手杵クンはともかく、僕にまでおまけしてくれなくていいよ」
「おまけじゃないですよ」
 弓はするりと僕の脇を抜けると、砂糖壺を手にまた竈の前に戻ってくる。
「人の身をどう扱うか教えてくれたのは青江さまだって、御手杵さまが言ってました」
 竈との距離はやっぱりまだぎこちないけど、火の扱いに慣れるまでそう長くは掛からないだろう。
「その御手杵さまから教わったんですから、青江さまにも御礼しなくちゃ……
ね?」
 皆、宴の準備で忙しなく働いている。弓が火を怖れて避けていたことを知るものはほとんどいないだろう。それももう心配するまでもなくなった。弓を気遣う大小や槍もいる。あの晩、初めて出会ってから、どうなることかとずいぶん気を揉んだけど、もう僕が見ていなくても大丈夫そうだ。
「じゃあ、せっかくだから記念にごちそうになるよ」
「記念?」
 弓が不思議そうな顔を向けた。
「二羽のひな鳥の巣立ちを祝して……かな」
 そう言って、僕は御手杵クンが待つ庫院へと戻っていった。
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刀剣弓箭譚 6ー内に秘めた熾火ー 
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 この数日間、僕のこの渡殿を一体何度行き来したことだろう。戦場からの帰還や内番の片付けで通り土間を通りかかる度に届け物を頼まれる。三条殿、誰が言い出したか知らないけど、母屋から一番遠くの三条派の刀たちの部屋がある一角はそう呼ばれている。もちろんちゃんとした寝殿造りになっているわけじゃないけど、構造や調度品からどことなく平安貴族を思わせて、僕らはいつからか、棟を結ぶ渡り廊下も渡殿などと言い始めたのだ。そして皆、面白そうに口にする割には三条殿に寄りつかない。単に遠いから、というのが一番の理由だけど、平安貴族風の佇まいがどうも落ち着かないという刀もいて、別にこちらがそう振る舞う必要もないのだけど、結局、そういうのを気にしない僕みたいな刀にお鉢が回ってくるんだ。
 普段は皆、こんなに三条殿に用事なんかないだろうに。 僕は少しばかりうんざりしていた。頼まれるのは大抵茶菓子の差し入れだ。多いときには一日に三度も足を運んだことがある。理由は簡単だ。皆、弓の娘が気になって仕方ないのだ。それなら直接自分が行けばいいのに、遠慮があるらしい。ひとつは三条は三日月宗近への。そしてもうひとつは弓の娘自身への。別に女人だからって直接対面するのは失礼な時代じゃあるまいしねえ。それでも僕は頼まれればこうやって差し入れを持って三条殿まで足を運ぶ。そしてわざわざまた母屋まで戻って娘の様子を差し入れ主に語って聞かせるんだ。 人がいいにもほどがあるよ……刀だけど。まあ、娘の様子を頻繁に堂々と確かめに行けるのは僕にとっても都合はいい。だから、今日もこうして僕は仕方ないという面持ちで三
条殿に向かうんだ。
「にっかり~、今日の差し入れは誰から?」
 背後から軽やかな足音が近づいてきた。乱クンだ。
「歌仙クンから若鮎。いい小豆が手に入ったんだってさ」
「ええ? 餡子入ってるの?」
「うん、東では求肥と餡を入れると聞いて作ってみたって」
「燭台切の南蛮菓子がよかったなあ」
「彼、今日は遠征で不在だからねえ。君も三条殿へ貢ぎ物を手に渡るのかい?」
 僕は乱クンが抱える包みに視線を落とす。
「そ、三条の連中じゃなくて囚われの姫に」
 乱クンは蜂須賀の補佐役だけあって、三条派相手でも物怖じしない。
「ちょっといい加減、目に余るから。蜂須賀は言いにくいだろうし、ここは僕がね」
「それは頼もしい」
 得意げな瞳を向けられて、僕も笑顔で返した。
「大体、疑いが晴れたなら兄弟の許に戻して上げるべきじゃないの?」
「彼ら、もうここでの暮らしには慣れたみたいだね」
「うん、内番はもう蜂須賀の手も離れて僕らと組んでる」
 乱クンの明るい声は前途に憂いがないことを僕に教えてくれる。
「あの娘もそれを聞いたらきっと安――おや?」
 僕はふと足を止めた。奥から箏の値が聞こえてくる。
「三日月って箏、弾くっけ?」
「さあ……」
 僕らは顔を見合わせて、音の主を確かめようと早足で部屋の正面に向かった。
「三日月、入るよ」
 乱クンは入り口に下げられた簾を上げて部屋へと入る。僕もそれに続いた。
「おお、このところこちらが出向かずとも茶菓子が届くのが有り難い。さてさて、今日は何かな?」
「何かな、じゃないでしょ」
 乱クンが僕の持つ器に伸ばそうとした三日月の手を、まるで悪戯をしようとした幼子をたしなめるように叩いた。
「ねえ、あるじさんの弓なんだよ? 何、やらせてるの!」
 乱クンが指さす先で、箏を前に座っているのは弓の娘だ。
「何? とな。じじいの話し相手ばかりしていても退屈だろうと取り寄せた。
なかなかに筋が良くてな、教え甲斐のあることよ。美しい音色であったろう?」
「そうじゃなくて! 退屈するほどここに留め置くのが問題なの!」
 乱クンは三日月に臆することなく言い返す。
「あ、あの……わたし、よくしていただいてますし、楽しんでますよ」
 弓の娘が取りなしに三日月は満足そうに満面の笑みを浮かべているが、乱クンには効いていないようだ。
「大体、紫の上にでもするつもり? なら、箏だけじゃなくて衣装の面倒もちゃんと見てるんでしょうねえ? ねえ?」
 乱クンが三日月に迫る。
「衣装……」
 あの三日月が慌てふためいてる。すごいな、乱クン。
「大丈夫ですよ。今の陽気なら夜中に洗っても朝には乾きますから」
「そんなことだろうと思ったんだ」
 乱クンは盛大なため息を吐いて肩を竦めた。
「三日月は世話するんじゃなくて世話されるほうでしょ……」
 乱クンはぷいと三日月から顔を背けると、別人のような笑顔で箏の前に座る娘に歩み寄ると持っていた包みを渡した。
「だから、はい。これ、ボクと蜂須賀からの贈り物だよ」
 包みを開く娘の瞳がみるみる丸くなる。
「これは……」
 隣で乱クンは楽しそうに体を揺らしている。
「似合うと思うんだ。早く着てみせてよ」
「でも、こんな……頂くわけには」
「いいの、いいの。主さんが所有する弓だから、とか、ここを取り仕切るものの勤めだから、とかじゃなくてね。お姉さんにかわいくしてて欲しくって、いろいろ考えてたらボクまで楽しくなっちゃって。一緒におめかしする仲間ができてうれしいんだ~」
 乱クンの様子は本当に楽しそうで、誉れの花弁じゃなくて紅?色の猪目が飛び交ってるかと見紛うばかりだ。
「そ、それなら――」
 娘は遠慮がちに立ち上がって少し思案していたが、おもむろに身に纏っている衣の襟に手を掛けた。
「ちょ、ちょっと待っ――」
 乱クンが慌てて娘の手を取って止めさせる。三日月はわざとらしく目を逸らし、僕はといえば、まあ……様子を見守っていたよ。
「どうかしたの?」
 娘は何故止められたのか、一向に理解していないようだった。
「そこに几帳があるであろう。使うが良いぞ」
 三日月が背を向けながらも笑いを噛み殺している。
「どうやら、人の身の振る舞いにまだ慣れておらぬようだな。俺が教えてもいいんだが……差し障りあろう? 乱よ」
「そうね……ボクがここに来るまで何事もなくてホントよかった」
 乱クンがすごい形相で三日月を一瞥すると、部屋の隅へと娘の背を押しやる。
「はいはい、こっち。お姉さんはさ、ボクたちと違って女の人の身を授かってるから」
「え……? あっ! そ、そうか――そうだよね」
 急に娘が狼狽えだした。
「でもさ、そういう乱クンがなんでついて行くのかい?」
 僕が揶揄うように言うと、真面目に冷静な声が返ってくる。
「ボクはかわいい装束の扱いに慣れてるからね。それにちゃんと引くべき場面は弁えてるからご心配なく」
「はいはい」
 娘は暫く几帳の向こうから出てこなかった。ときどき、乱クンが呼ばれ、几帳に隠れてはまた出てきては娘から声が掛かるのを待っている。
「これでいいのかしら」
 娘の問いかけに乱クンは几帳の中をのぞき込む。
「うん、いいんじゃないかな」
 乱クンに手を取られて娘が几帳から出てきた。
「ほお、これはまた……蜂須賀と乱の見立てにしては意外な」
 三日月が驚きの声を上げる。娘が身に纏うのは、着物と変わりはないようでいてゆったりとした上着に、丈が短めの袴だ。生成りの紅梅地に薄桃の立葵の花が描かれた上っ張りに、深い山を思わせる緑の袴は華美ではないけれど、その色の対比が目を引きつける。
「いきなり慣れない格好させられたら緊張するでしょ?」
 乱クンは娘を前に押し出すように、娘の後ろに立ち横からひょいと顔を出す。鼻歌交じりにご機嫌な様子で僕の方へ戻ってくると、僕を一瞥して囁いた。
「ボクみたいな服かと思った? 相手の油断を誘うわけじゃなし、そうそう肌を露わにはできないなあ。期待外れ?」
「いや、奥ゆかしくて結構じゃないか」
「ふ~ん」
 見定めるように乱クンは僕をじっと見てから、何かを納得したのか小さく笑うとひらりとその場に座った。
「せっかくの差し入れ、ボクもおよばれしていいかな」
「もちろんだとも。茶も振る舞うぞ」
「振る舞うって……入れてくれるのは三日月じゃなくてお姉さんでしょ?」
「いいんですよ。わたし、お世話係ですから」
 和やかに始まった茶話会だけど、乱クンは三日月に対して娘は三条に独占させてはおけないと釘を刺し、僕らと同じように暮らす算段を付けた。話し相手がいなくなるのは寂しいと三日月が零すが、乱クンは取り付く島もなく、そのがっかりした様子は見ていた僕でさえちょっと可哀想に思えるほどだった。結局、娘は明日まで三条殿の部屋に留まることになり、これまでの娘の様子からも、三条殿での暮らしはそう悪くもなかったようで、素直に引き下がった三日月に僕はほっと胸を撫で下ろした。
「君が選んだと聞いて、てっきり洋装かと思ったけどね。蜂須賀の勧めだったのかい?」
 三条殿からの帰りに、僕は乱クンに尋ねてみた。
「一見、おじいちゃんにも受け入れられるよう無難に着物風にしたと思うでしょ? でもね、そこはボクが選んだだけの工夫はあるんだ~」
 乱クンは得意げにボクを見上げる。
「防御は万全! あれ、一見和装に見えるけど、下着はバッチリ洋装なんだよ。飛んだり跳ねたり、転んだりしても、ちょっとやそっとじゃ中まで見えないから安心♪」
「それは……さすが乱クンだ。頼もしいねえ」
 想像のしようはないけど、乱クンが言うなら安心なんだろう。
「お姉さんがしたい格好をするのが一番だからね。仲良くなったらいろいろお話したいなあ。それでね、一緒に似合う服を選ぶの。きっと楽しいよ」
「僕は仲間はずれかい?」
「えー、にっかりって服に興味あるの?」
「ん~、そう言われると別にどうでもいいかな……」
「じゃ、だめー」
 無邪気に目を輝かせる乱クンと僕は連れだって、空になった茶菓子の器を厨へと返しに行った。
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 三巡目の大阪城地下攻略は無事最深部まで敵を掃討し終え、本丸には穏やかな時間が流れていた。もちろん政府が定期監視を指定している戦場への出陣や遠征はあったが、本丸発足から三月(みつき)と半分が過ぎ、ここでの暮らしも大分落ち着いてきたこともあって、内番の見直しに始まり「人の営み」に割く時間も増えてきた。三日月が話し相手を欲しがるのもわからないでもない。少なくともその間は畑仕事に駆り出されることがないからね。この季節の植物の勢いったら本当に驚くほどで、当番だけでは田畑の手入れが追いつかない。部屋でぼーっとしているとお呼びが掛かるんだ。
 この日、僕は昼餉のあと茶碗を洗うのを口実に厨に留まった。娘に昼の膳を振る舞ってから茶の間に連れてくると三日月が言っていたからだ。茶の間に残っているのは厨当番と僕みたいな非番の刀だ。
「失礼する」
 馴染みのない声が土間に響いた。主の打刀だ。
「やあ、畑仕事には慣れたかい?」
 土まみれの手を見て僕は言った。
「おっと、外で流してくるんだったな」
「ここで手を洗えばいいよ」
 僕が入り川戸を指差すと、では失礼すると断ってから打刀はしゃがんで手を洗った。
「兄さん、鍬の上にお忘れですよ」
 後から入ってきた短刀が手拭いを差し出した。仕草を見ても仲の良さが伝わってくる。
「そうだ。にっかり青江殿」
 打刀が改めてこちらに向き直った。
「当家の弓を最初に見つけてくだされたこと、御礼申し上げる」
「わ、わたしからも。姉上の言を信じてくださり、ありがとうございました」
打刀が頭を下げたのに続いて、短刀もその場で勢いよく頭を垂れた。
「改めて礼を言われるほどのことでもないよ、えっと……君たちの名をまだ聞いていなかったね」
 僕がそう言うと、ふたりは決まり悪そうに顔を見合わせた。どうかしたのかと思ったところで茶の間から蜂須賀の声が掛かった。
「やあ、待たせたかな」
「いや、我々もちょうど今来たところだ。心配には及ばん」
 同田貫が陰(いん)の質実剛健だとしたら、この打刀は陽(よう)の質実剛健とでも言うべき気持ちの良さがあり、実直な物腰はどことなく蜻蛉切を彷彿させた。
「ちょうどいい、青江からも言ってくれないだろうか」
 蜂須賀が懇願するような顔を僕に向けた。
「何をだい?」
「俺がどんなに頼んでも、呼び名を教えてくれないんだ」
「め、滅相もない! 主の筆頭家臣である蜂須賀殿の命を拒むつもりは……」
 打刀が困った顔をした。
「何を言うんだい。本来、真の家臣は君たちだよ」
 蜂須賀はわざわざ僕らと同じ土間に降りて続ける。
「僕たちはあなた方と違って、ただ刀としか呼ばれてこなかったので」
 短刀は兄の打刀に助けを求めるような目を向けて口籠もった。
「その……自分たちを除けば銘をお持ちの方ばかりなのだから、打刀! 短刀! とでも呼んでくだされば」
 打刀が頭を掻き掻き訴える。
「だが……それでは政府から刀種について何か伝達があったときに区別がつかぬ。蜂須賀の政に支障がでよう」
 穏やかな、けれど有無を言わさぬ声が響いた。娘を伴ってやってきた、三日月だ。
「じじいの勝手で迷惑を掛けたな。この数日、お主らの身内にはよくしてもらった。疑って済まなかった」
 三日月は後ろについてきた娘を見遣ったが、それはまるで本当に孫を見るようで、僕はちょっとなんだかなあと肩を竦めた。
「なんの……この本丸にとっては我らは本来いないはずのもの。三日月殿は為すべきことをしたのみ」
「はい。お仕えしているあいだも三条のみなさまにはよくしていただきました」
 娘もまっすぐな笑みを返す。なんだか面白くないねえ。まあ嘘ではないようだから、何事もなく兄弟の元に戻れてなによりだよ。
「でだ……」
 三日月は茶の間に腰を下ろした。
「今はまだよい。だがこれから我ら刀剣男士も数多(あまた)増えるであろう。
そなたらの名が、我らが刀種を指すのと同じでは差し支えも出ような」
 兄弟が返答に窮しているのは手に取るようにわかる。
「前にも提案したことだが……かつて君たちを手にした主はそう呼ばなかったとして、その身に刻まれた名ではだめなのかい?」
 兄弟が顔を見合わせる。
「その身に残っておらぬのか?」
「いえ、銘はありますが」
「なら、何故だめなのだ」
「だめというわけではないのですが……」
 畳みかける三日月に短刀が口を濁す。
「よもや気後れするなどと言うのではあるまいな?」
 それ、三日月が言っちゃうのか……。ちらりと横に目を向けると、どうしたものかと蜂須賀がおろおろしていた。
「いや、気後れというより……」
 打刀が気恥ずかしそうにわずかに視線を逸らして口を開いた。
「ここに居られるのはいずれも名刀、それぞれの刀工の代表作たるもの。その中で我らがその名を拝借するのは、我らを鍛えたかの方に失礼に当たるのでは、と」
「この身を恥じているのでは決してありません。僕らは僕らのすべきことをかの時代で全うしたと自負があります。ただ、僕らがその名をかたって良いものか、判断が付きかねるのです」
 兄弟は互いを見ると強く頷き合った。黙って聞いていた三日月は愛(いと)おしげに目を細める。
「その者とて自ら打ちし刀に迷いあれば、手ずから銘を刻むことはあるまい。それに……」
 三日月はわざわざ身を乗り出して、兄弟の手を取った。
「もはや此処ではその働きでしか評価されぬ。どんなに見目麗しくとも主が望む戦果を上げられねば重用されぬからな。それぞれがそれぞれの力を磨き、主に尽くすのだ。お主らは出陣こそできぬが、手合わせで俺たちと共に切磋琢磨することも主に勝利をもたらす助けとなろう。胸を張って刻まれた銘を名乗ればよい。なあ、蜂須賀」
「――っ、もちろんだとも」
 僕は、蜂須賀が一瞬、返答に詰まったように感じて、思わず蜂須賀のほうへ顔を向けた。そこにはいつものように穏やかに微笑む蜂須賀がいた。三日月に、突然話を振られて驚いただけだったのかもしれない。少し気にはなったが、話題はすぐに兄弟の名へと移り、蜂須賀のことはそれきりになってしまった。
「では自分から――この身にあるはかねときの銘。金科玉条の金に十二支の辰で金辰(かねとき)だ」
「僕は宗一(むねかず)です。よろしくお願いします」
「そうかそうか、金辰と宗一……よろしく頼む。して――」
 三日月の視線は娘へと移る。
「お主もこのものらと同じに、名など必要ないと言っておったわけだが」
 娘は困った顔をして俯いた。
「あの……名がないと困るでしょうか」
 娘は恐る恐る伺いを立てた。
「呼びようがないと、なあ? 蜂須賀」
「ああ。主の弓を、おい??とか、そこのお前??などと呼ぶわけにはいかないからね」
「確かに、我々だけで暮らしていたときなら刀、弓と呼び合えば事足りたが」
 金辰も顎に手を遣り考え込む。
「あまり深刻にならずに、君が好きに決めればいいじゃないか」
 僕は助け船を出すつもりでそう言った。
「でも……兄上たちとは違って、ここにはわたしのほかの弓はないですし」
 娘の食い下がる様(さま)に僕は思い出した。僕が名を尋ねたとき、名はないと娘は言った。そして、主に名付けてもらいたいのだ、と。
「浮かばぬのなら……考えてやらぬでもないぞ」
 事情を知らない三日月がにこにこと笑いかける。親切、というか、楽しんでるよね……。まるで初孫のできたおじいちゃんみたいだよ。
「ところで、姉上のいうようにここにはほかに弓はいないようですが、この先、迎えることはあるのでしょうか」
 宗一が僕らに尋ねる。
「はて……? 少なくとも時の政府によれば、審神者が目覚めさせるのは刀剣に宿る心とある。更に言えば、俺たちとて弓を扱えるものは少なくなかろうが、刀剣を以て敵を倒すよう定められているしな」
「ああ、今のところ俺も刀剣以外を顕現させるはなしは聞いたことがない」
「それなら、僕が出陣するときのお気に入り、金の玉は? あ、金の刀装ーー弓兵ーーのことだよ」
「それは、刀装……? 兵というからには弓で戦う……?」
 そう呟きながら宗一が僕らを交互に見比べる。うん、混乱するのも無理もない。金辰も何のことかわからず首を傾げるばかりだ。
「まだ君たちには説明していなかったね。僕らはそれを刀装と呼んではいるが、そうだなーー式神のようなもの、とでも言おうか。俺たちが持つ力を強化させたり、先制攻撃を仕掛けたりする装備なんだ。刀種によって扱える刀装が異なってね。脇差しである青江は弓兵を連れて出陣できるんだよ」
 蜂須賀の説明に、金辰と宗一はまだ合点がいかぬ顔をしてはいるが、おぼろげには把握できたらしい。
「つまり、弓で戦う兵はいるがそれはあなた方のように名を持ち存在するものではないという理解でよろしいか?」
 金辰の解釈に、大体あってるよと僕は相槌を打った。
「でしたら、わたしのことは弓と呼んでくだされば、みなさまが困ることはないのでは?」
 娘がここぞとばかりに蜂須賀に詰め寄った。
「いや、しかし……」
 渋る蜂須賀に三日月がぽつりと呟く。
「弓……ゆみ……まあ女子(おなご)の名とも取れなくはないな」
「はい、どう受け取っていただいても構いません。ですが、わたしの名ではなく、ただ弓であるとだけ。それでよろしいでしょう? 蜂須賀さま」
 目を輝かせ迫る娘に蜂須賀が気圧されている。
「ね、三日月さまもああおっしゃってくださいましたし」
 今度は勢いよく三日月を振り仰ぐ。
「こら、お二方を困らせるでない」
 金辰が娘の腕を引き寄せる。
「いいんじゃないかな、政府へ銘を登録しなきゃいけないわけじゃなし。実際、この本丸で弓を名乗るものはほかにいないんだから」
 僕も同意してみせる。それでも蜂須賀は、何か好きな名はないのか尋ねたりしたのだけど、娘は頑として譲らず、最後には本人がそれを望むのであればと受け入れた。
 金辰と宗一の大小、そして弓。この日、こうして主の私的家臣団はそれぞれの名を得て成立した。

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 名前を与えられるということは新たに個として認識されるということなんだと、誰かから聞いた気がする。主からだったか、書物で知ったのかははっきりしない。 でも、主の持ち物でありながら、ただ打刀と短刀という「刀」であったものが、金辰と宗一という名を得たことでこの本丸にみるみる溶け込んでいくのを僕は目の当たりにした。彼らが変わったわけじゃない。だけど、彼らが存在するという概念の輪郭は、名を持つ前よりもはっきりと確かなものとして、僕らが安心して受け入れられるものへと変容を遂げた。
 弓はというと、改めて「弓」であると名乗ったときに疑問を口にするものもいたけど、誰だったか短刀の中から、「じゃあ、弓のお姉さんですね」と声が上がり、なんとなくうやむやになってそのままだ。結局、「弓」や「弓のお姉さん」、唯一の女人でもあることから「あの娘」とか各自が好きに呼び始めた。最近だと「真弓の君」なんて呼び刀もあるらしい。ただひとつの呼び名に定まらなかったのは、ある意味、娘の望んだ在り方ではあるけれど、どこか掴みどころがなく所在のなさが付き纏う。そのどれもがあの弓のことを口にして
いるのは明らかなのだけど、でもその呼び名はそれが唯一無二の存在であることは表さない。呼び名の数だけそれぞれが思い描く弓があり、僕にしてもいつも目にするあの弓と、僕が初めて見た、社の山で神楽を舞っていた娘は果たして同じだったのだろうかと考えることがある。どう呼ばれようと僕は僕だと思ってきたけど、そういうわけでもないのかな、と思ったりね。
 金辰と宗一は、出陣や演練へ出ることがないを除けば僕らと全く変わりない暮らしをしている。鍛刀や刀装作成こそすることはないだろうけど、そうした場へ足を踏み入れてもどうやら差し支えないこともわかった。僕らが出陣している間の掃除や準備など進んで替わってくれるからとても助かっているのだと聞いた。
 一方、弓は兄弟とは少し事情が違った。その与えられた人の身が女であるが故に、どうしても力仕事からは外される。本人のやる気だけではどうにもならないからだ。それでも農作業や手合わせには熱心で、最初は女が手合わせに参加することに否定的だったものも渋々認めるまでになっていた。自分の身は自分で守れるようになったほうが、結局はこの本丸に利することになるだろうという蜂須賀の言葉には一定の説得力があったからで、専ら薙刀を手に鍛錬に励んでいるらしい。薙刀を選んだのは、かつて主に家の奥方が稽古しているのを見ていたからだそうだ。僕らにしても女人が薙刀を扱うのに不自然さを感じることはなかったから、いつしか道場に女人がいることにも慣れていった。
 非番のときはというと、乱が弓の面倒を買って出たこともあって、藤四郎の短刀たちと一緒にいるのをよく見かける。いつだったか、 僕は前田と平野の両藤四郎と一緒に居る弓を中庭で見かけた。
「あ、にっかりさん」
 前田が通りすがりの僕に声を掛けてきた。
「端午の節句の朝の謎が解けたんです」
 平野は早く伝えたくて仕方ないのが一目でわかるほど、目を輝かせていた。
「端午の節句の謎……というと、あの朝のことかな」
 そういえば騒ぎの発端は朝に見つかった軒の草だったっけ。と言っても、直後に起きた道場の騒ぎでそんなことはどこかへ吹き飛んでしまっていたっけ。
「ごめんなさい。あれ、そんなに騒ぎになっていたなんて」
 弓が丁寧に頭を下げた。
「いや、それ以上の騒ぎが道場ですぐに起きたからね。みんなもう忘れてるんじゃないかな」
「でもすごいんですよ。これを使って軒に吊したんだそうです」
 前田は僕に小さな弓を差し出した。
「これは?」
 それはまるでおもちゃのような小さくて簡単な作りの弓だった。
「水目桜で、わたしが作ったんです。枝を折ると香りが立って、むかしから魔除けに使われてい……即席ですけどね」
 確かに枝と蔓の簡単な作りだ。
「菖蒲とよもぎの束を小枝に結びつけて射たと聞いて、僕たちほんとうにびっくりしました」
 平野の言葉に、僕は感心して軒を見上げた。
「へえ、ここでは軒菖蒲をそんな風に扱うしきたりなのかあ」
「あ、違うんです。その普通は軒に向かって手で投げるんですけど……このお
屋敷は軒が高くて届かなかったものだから」「だからってあんなに均等に射込むなんてたいしたもんだよ、その即席の弓でだろう?」
 弓はちょっと気まずそうに微笑んだ。
「実は……手伝ってもらったんです」
 弓が手を高く上げると、どこからか鳥たちが集まってきた。そのうち、頭上を飛び回っていた一羽が弓の指に留まり、弓はその鳥を口元まで運び囁くような仕草をした。その鳥は弓の指から飛び立つと、軒に残っていた一本の草を啄んで引き抜くと、娘の元へ戻り頭上で輪を描いた。頭上の鳥から弓へ視線を戻せば、いつの間にか鳥のほかに栗鼠も加わり弓の肩や腕、背で楽しそうにしている。
「わたしは束を軒へ射るだけで、きれいに並べてくれたのはこのものたちなんです」
「この鳥や栗鼠はどこからやってくるのですか」
 平野が背伸びをして小さないきものを少しでも近くで見ようとしている。
「社のあるお山から」
「あの、触れてもよいでしょうか」
 前田が躊躇いながら手を伸ばす。
「社で過ごすうちに仲良くなったの。みんな、社を大切にしてくれる主さまが大好きなんですって。みなさんとも仲良くしたいそうですよ」
 藤四郎の二振(ふたり)が目を輝かせて小さないきもと戯れているのを僕は何をするとでもなく眺めていた。あの晩、社で「歓迎されている」と感じたのはあながち間違いではなかったということなのかもしれない。それでも、目の前の和やかな輪に僕は入ってはいかなかった。僕はいつの間にか自分の足下を見詰めていた。
「ありがとう。もう山へお帰り」
 弓の声に僕ははっとして顔を上げた。指に留まった鳥を弓が高く飛び立たせているのを僕の目が捕らえた。飛び立った鳥が山へと帰るのを見送る弓の姿と、あの晩、天の声を聞くが如く空を仰ぐ巫女舞が僕の中で重なる。飛び立った鳥たちが目指すのは社のある山なのか、慌てて振り仰ぐが鳥たちの姿はもうそこにはなかった。そして、振り返ればそこにいるのは前田、平野の両藤四郎とにこやかに言葉を交わすいつも通りの弓だった。
 別の日には、畑当番を終えた鯰尾が手足が痒くて堪らないと騒いでいると、ちょうど洗濯を手伝っていた弓が鯰尾を呼び止めた。
「ちょっとここで待ってて」
 弓はすぐに駆け出すと、ほどなく竹筒を手に戻ってきた。竹は水入れに細工されていて、弓はそこから小さな白い欠片を取り出すと、鯰尾に手足にぽんぽんと塗っていった。
「これ、なんです?」
 鯰尾の問いに弓は十薬の花だと答えた。
「じゅうやく?」
 一緒にいた骨喰が呟くと、弓は壺に蓋をして顔を上げた。
「う~ん、どくだみと呼んだほうがわかるかしら」
「ええぇーっ!」
 鯰尾が叫び、腕をぶんぶんと振り回した。腕の液体を振り落とそうとでもしているのかねえ。でも弓はそれを見るとくすくすと笑い出した。
「大丈夫、これは匂いませんよ」
 弓の言葉に、鯰尾が恐る恐る自分の腕の匂いを嗅いだ。
「あ、平気ですね」
 鯰尾はほっとしたのか、にぃっと笑うと骨喰の目の前に腕を突きつけた。
「お、おい……」
 骨喰はその勢いに驚いて咄嗟に仰け反った。
「驚くじゃないか。それに馬糞が平気なら気にするほどの匂いじゃないだろう」
「えーそういうのとはちょっと違うんですけどお」
 骨喰の物言いに不満げな鯰尾だが、もう一度確かめるように自分の腕に鼻を近づける。
「これは花を漬けたものなので、あの独特な匂いはないんです。葉のほうが効くかもしれないんですけど、まだできあがってなくて。でも、乾かしてお茶にした葉は匂わないでしょう? そんなに嫌わないで」
「確かにどくだみ茶にあの匂いはないですね」
「十(とお)の薬効があると言われているから十薬と呼ばれるようになったんですよ」
「そういうことなのか」
「じゃあ俺、今度たくさん集めてきますよ」
「兄弟にまかせるのは危険だ。はげ山にしてしまうぞ」
「十薬は土の下でもどんどん増えるから、そう簡単には取り尽くせませんよ。それにこれは一年に一度しか作れない特製の十薬液だから。また来年にお願いするわ」
 弓がわざわざ手にした竹筒を掲げて言った。
「端午の節句――薬日の午の刻に降る雨を竹の節にためて薬を作るとよく効くと言われてるんです。迷信みたいなものですけどね」
「よし、本当に効果があるか薬研に聞いてみよう」
 鯰尾が無邪気に瞳を輝かせれば、隣の骨喰は無言で頷いてみせる。
「薬、ありがとうねー。弓のおねえさーん」
 鯰尾が大きく手を振って走って行く。弓のおねえさん……ねえ。多分、藤四郎兄弟――短刀たちがそう呼んでいるからだろう。鯰尾や骨喰から見たらそんなに年嵩でもないだろうに。弓のほうは少しばかり面映ゆいような困ったような、複雑な笑みを浮かべていた。
 母屋の中庭を掃除中だった僕は少し離れた場所からこのやりとりを眺めていたのだけど、ふと思い立って弓の背後へ回った。
「もしかして、それって君が社に籠もっていたときの――」
 僕は弓の肩越しに声を掛けた。
「脅かさないでください、青江さま」
 急に背後から声を掛けられたからか、弓の肩が大きく跳ねた。慌ててこちらを振り向こうとして竹筒を落としそうになるから、僕は手を伸ばして弓の手ごと掴んで事なきを得た。
「あ、ありがとうございます」
 ぎこちなくも律儀に礼を返してくる。僕は気にせずそのまま弓の肩に顎を乗せるようにして竹筒を覗き込んだ。筒を満たす水の中には白い花弁が漬け込まれている。
「この花、社殿に広げてあったあの花?」
「ええ。散らかしてたの、見られちゃいましたね」
 僕の頭が邪魔しているからか、弓は視線だけをこちらへ向けて言った。
「だから、あの日までここへは帰ってこなかったのかい?」
 僕は手を離し、弓の背から少しだけ離れた。弓がゆっくりと僕の正面へと向き直る。
「さっきのはなし、聞いてたんですか?」
「聞こえてたんだよ」
 僕の返答に、弓はくすりと笑った。
「これを作ったら帰ってこよう……なんて、決めていたわけじゃないんですよ? ここへは戻らないほうがいいのかと悩んでましたし。社に残ったままでも、主さまのお役に立つ方法はなにかしらあるでしょうし」
 弓は手元に視線を落とし、慎重に竹筒に栓をしながら、自分に語りかけるように言葉を綴る。
「じゃあ、どうして戻ってきたんだい? 主への思いを断ち切れなかったから――かな?」
 僕は少し揶揄うように、鼻先が触れるくらい顔を近付け弓の瞳を覗き込んだ。審神者は人で、僕らは人ではない。それでも演練にわざわざ立ち会う審神者やほかの見聞きするほかの本丸の様子に、懸想の気配を感じることがある。特に演練では役人の立ち会いもあるためか、互いの気持ちを隠そうとするあまり却って不自然になってしまうもので、弓もいつぞやの審神者のように頬を赤らめたり視線を逸らせてまごついたりするだろうかと意地の悪い好奇心あっての行動だった。でも、弓は顔色ひとつ変えることなく、僕をまっすぐに見据えたまま穏やかに微笑んでみせた。
「わたしが戻ってきたのは、青江さまが伝えてくれたからですよ」
 弓はすっと身を躱すと手を添えて僕の耳元に口を寄せる。
「山たづね迎へか行かむと待ちにか待たむ」
 そう囁くと弓はさっと退いて小首を傾げた。
「主さまのご家来に、主さま以外のことで手を煩わせるわけにいかないじゃないですか」
 屈託なく笑いながら僕の返事を待つでもなく洗濯場へ戻る弓の姿を、僕はただぽかんと眺めるばかりだった。
「これは一本取られた、ということなのかねえ……」
 誰にともなく、間抜けな呟きが僕の口から漏れたのを、まるで他人事のように僕の耳が拾う。
「何かおっしゃいました?」
 洗濯場から振り仰ぐ弓に、僕は一呼吸置いてにっかりと笑って見せた。
「っふふ……なんでもないよ」
 僕も持ち場へと戻ったが、箒を手にぼんやりと考える。弓は人の子ではない。でも、僕が人の身を得てから目にしてきた女人――他所(よそ)の審神者とも、万屋やお役人とも違っていて、観察対象としては実に興味深い。出陣できないときの退屈しのぎにはもってこいだと思えて、当番中の僕は自分でも意外なほど上機嫌だった。
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 あれからほどなく大阪城地下調査が終わり、あらかじめ定められた地へ出陣する哨戒任務の傍ら本丸での内番に勤しむ、穏やかな日々を送っていた。まあ、哨戒といって重要歴史守護地点だけあって交戦は必至だった。常に時間遡行軍が跋扈する特異点が複数存在するということは、戦況としてはあまりよろしくないのかもしれない。それに、僕らができることは常に出陣し、その特異点を歴史修正主義者の目論見通りに改変されてしまうことを防ぐことであって、時間遡行軍を掃討するにはほど遠かった。それでも、一度(ひとたび)帰還すれば本丸での暮らしは平穏そのものだった。
 この本丸に迎えられてから一週間も経つと、金辰と宗一、弓はこの本丸の暮らしにすっかり馴染んだようだった。本丸の暮らしというより刀剣男士とのそれに馴染んだというほうが正確かな。なぜなら、主に縁のある土地に構えたと言われているこの本丸は、全く同じというわけでもないそうなのだが彼らが過ごしていた地と変わらないというのだ。働き者であることに加え、気候風土――特に畑仕事――についての彼らの知識はこの本丸の誰よりも豊富で、この本丸の日常の質が格段に上がっていった。そのことが出陣が叶わない彼らの存在意義は僕らに劣らぬものとして確固たる立場を築いたのだった。ただ、彼らを見ていて、僕はどこか違和感を覚えていた。その正体を、僕は御手杵クンが竈番の夜に知るのだった。
 宵の口はまだ厨や茶の間は出入りも多く、御手杵クンと僕は囲炉裏端でのんびりと働く刀たちを眺めていた。厨を行き来しているのは、明日の朝餉の下準備をしている弓とその兄弟だ。
「あ~あ、あんなにからだを強張らせて……辛そうな表情が健気だねえ。あ、水汲みのことだよ」
 僕の軽口にいつものようなのんびりとした返事が返ってこないので、不思議に思って御手杵クンを見た。御手杵クンは何かを考えるようにじっと厨のほうを見詰めている。どうやらその視線の先にいるのは弓のようだ。
「御手杵クン? あの娘が気になるのかい」
 茶化すような僕の問いにも御手杵クンは無言のままじっと弓を見たままでいる。何かきになることでもあるのだろうかと僕もそちらを眺めてみるものの、特に訝しむようなところは見当たらない。少しして、御手杵クンは弓を見詰めたまま小さく呟いた。
「あのコ、竈の焚き口には近付かないんだよな……」
 その言葉に僕は驚いて厨へ目を向ける。忙しなく働いている弓は竈に全く寄り付かないわけではない。竈の焚き口の前を行き交うこともある。でも絶対にそこでは立ち止まらない。火を扱う仕事は兄弟が手を貸し弓がその間でてきぱきと働いているから、よほど注意してみないとわからないほど、不自然さがない。
「よく気が付いたねえ、御手杵クン」
「ん? あ、ああ……」
 歯切れの悪い返事だ。僕の話を聞いていなかったと言うより、まだ何か考えている最中みたいだ。
 でも、これはまずいんじゃないかな。三条連中の疑いは晴れたとは言え、三日月は獣憑きなら火を恐れるだろうと考えた。弓に霊なんて取り憑いてはいないけど、火に全く近付かないとなるといずれにそれは皆に知れ渡ることになるだろう。余程の事情がない限り、当番は平等に回ってくる。兄弟と別々になることもあるだろう。そのとき、火と関わらずに済ませることができるだろうか。僕はのそりと厨側へ身を乗り出した。
「ねえ、実際今まで、この本丸では僕ら男士だけで厨を回してきたわけだけど女だから炊事をするべきとは僕は思わないしけど、君が竈仕事に一切手を出さないというのはどうだろうねえ。火の扱いなら、風呂焚きの当番なんてひとりですることもあるくらいだし」
 僕の言葉に、弓だけでなく兄弟までもがぎくりと身を固くした。やっぱり意図的に火を避けているんだ。そして兄弟もそれを知って助けている。
「そ、そうですよね……」
 弓の声が震えている。
「青江殿、我らは人の身を得てまだわずかしか経っていない。身につけるべきものをひとつひとつ学んでいるのだ。今は我ら兄弟が火の扱いを……」
「そう言うけど、君らは畑仕事はこの本丸の誰よりも詳しいじゃないか」
 僕が畳みかけると、今度は金辰ではなく宗一が躊躇いがちに反論してきた。
「それは、我々がここの風土には詳しいからなだけですよ。まだまだ手際は悪うございます。まして火を扱うとなると――」
「いいえ、青江さまのおっしゃる通りです。いつまでも兄上たちに頼ってばかりでは」
 宗一を遮ると弓は兄弟に何か声を掛けてから竈の正面へと近付いていった。弓は表情を固くし、血の気はすっかり失われている。震えながら踏み出す一歩からは、明らかに火を怖れていることが伝わってくる。黙って弓を見詰める兄弟は、さながら初めて立とうとする我が子に手を貸すべき貸さぬべきか、逡巡している親のようだ。まあ、こちらが強要するまでもなく弓が自ら行動の移したのだから、こちらも成り行きを見守るしかないだろう。
 固(かた)唾(ず)を呑むというのはこのことなのだろう。喉の奥にひりつくような感覚を覚えたとき、通り土間の奥から声が聞こえてきた。
「じゃあ、みんなこっちにいるのかい?」
 聞き慣れない声だった。
「ああっ、慌ててはいけないよ。その先は火を扱っている場所なんだ」
 追いかけてきた声は蜂須賀のものだ。聞こえてきた声に兄弟ははっとして通り土間のほうへ顔を向けたが、弓の耳には届いていないようだ。
 弓が薪が燃えさかる焚き口の正面に最後の一歩を踏み出したのと、見知らぬ人影が厨に入ってきたのは同時だった。
「おい、どうした!」
 僕は思わず叫び声の主(ぬし)へと目を向けた。そこには老人というには早いが青年とも言い難い、上背のある細身の男が立っていた。そして次の瞬間、その男が地を蹴って向かった先で、弓の体がぐらりと揺れその場に崩れ落ちていった。
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「こいつにいきなり火を扱えってぇのは酷だろうに……、俺たちと違ってその身の大部分は竹からできてるんだぞ?」
 倒れた弓を抱きかかえた見知らぬ男がえらい剣幕で言い放つ。
「叔父貴殿、落ち着かれよ。この方々は――」
「お前らもお前らだ。物事には順番ってもんがあんだ。それを知らねえってんならちゃんと教えてやるってのが筋ってもんだろうが」
 金辰の制止も聞かず弓を茶の間に横たわらせながら、兄弟を叱りつけているところを見るとこのものも主の家縁の刀剣なのだろうか。
「いやいや、金辰も宗一もよくやってくれているよ。配慮が足りなかったのは俺の落ち度だ。確かに、鋼と竹とでは炎に対して抱く思いが異なるのは当然だからね。それに思い至れなかったのは――」
「いやいやいやいや、失敬失敬。どうか蜂須賀殿はお気になさらずに。当家の事情なれば当家が然るべき計らいを願い出ねばならん。刀剣男士の皆様方には自ら弓を射て戦うことのない時代なれば、弓の在り方に思い至らぬも道理。そちらのお二方にもとんだ失礼を」
 男は僕と御手杵クンに向かってひょいと頭を下げた。不思議な御仁だ。年の頃が推し量れないだけでなく、江戸の町を思わせる啖呵を切ったかと思えば、蜂須賀には武家のように振る舞う。金辰たちに比べるとなんと自由な――刀剣――なのか? 僕の注ぐ視線に気が付いたのか、蜂須賀がこほんと咳を払う。
「金辰と宗一には紹介するまでもないようだが、青江と御手杵にはきちんと紹介しよう」
 蜂須賀の言葉を合図に、その男は金辰、宗一兄弟に並び座ると居住まいを正した。
「先程、主から賜った、金辰と宗一と同じく主のご実家に伝わる槍殿だ。ふたりと違って柄の手入れが必要で、本丸へ来るのが遅れたんだ。既に君達兄弟は顕現していたからね、この槍ももしや……と思いながら大広間の槍掛けに納めた途端に姿を顕したんだよ。庫院の皆に挨拶を済ませから母屋に戻ってきたところだったんだ」
 なるほど、槍ならばその身の丈は納得だ。蜂須賀は僕と御手杵クンのことを紹介すると、槍は改めて口を開いた。
「大森源(みなもと)行盈(ゆきみつ)が手による槍。兄弟に倣えば行盈と名乗るべきと存ずるが、当地には既に不動行光殿がおられるとのこと。なれば、行盈が号「遊玄斎」とお呼びいただきたく。以後、これら兄弟ともどもよろしくお願い申し上げる」
 深々と頭を垂れそう言い終えると、槍は顔だけ上げてこちらににぃっと笑って見せた。
「ま、そう言ってみたものの、兄弟とは違って政の場に出たこたぁねえし、手合わせに駆り出されることもないままお屋敷に控えてた身だ。生まれながらに隠居してたようなもんだな」
「叔父貴殿、そのような――」
 金辰が慌てて袖を引っ張るが、遊玄斎は意に返さない。
「心配するなって……然るべき場での振る舞いは心得てらぁ」
 遊玄斎はあっけらかんと笑って見せた。
「心配には及ばないよ、金辰。皆に紹介して回っていたときの遊玄斎はきちんとしていたよ。紹介が済めば堅苦しい振る舞いは無用だと、俺が言ったんだ」
「そういうこった」
 蜂須賀がそう言うと、遊玄斎はお墨付きを得たと足を崩して胡座をかいた。
それでも兄弟は遊玄斎の振る舞いに落ち着かずに右往左往していたが、それを蜂須賀は面白そうに眺めている。
「そう案ずることはないよ。それに、俺たちは不動……不動行光のことはそう呼んでいるだろう? だから行盈と名乗るのに支障はまったくないと言ったのに、そういうところはきちんと分けなきゃいけないと引き下がらなかったのは遊玄斎のほうだよ」
 遊玄斎は決まり悪そうに頭を掻いて誤魔化し笑いを浮かべている。兄弟もそれを聞いてようやく安堵したのか、茶の間の空気が一気に和らいだ。
「しかし叔父貴殿、我ら――を同じに扱うのは憚られるが――刀剣男士はその刀身に比して人の姿を得るようで……であるなら、もう少しお若い姿を纏ってもよろしかったのでは」
 金辰が遊玄斎に遠慮がちに尋ねる。
「いや、それよりも行盈……じゃなくて……えっと、遊玄斎。年の頃よりもその背丈が自分には解せません」
 宗一の遠慮ない問いに、遊玄斎は苦笑いを浮かべた。
「よしてくれ! 穂を基準にされたら俺なんざよちよち歩きの赤ん坊になっちまう。いや茎まで入れたって短刀か脇差か……刀にゃ足りねえなあ。でもよ、それじゃあ自分を振り回すにゃちと不便じゃねえか?」
「確かに一理ありますな。我らが例外とは言え、そもそも刀剣男士は己を以て戦うために人の身を与えられているのならば、槍を手にして引き摺っては戦いようがござらぬな」
 金辰が頷きながら相槌を打つ。
「俺はそちらさんのような大身槍じゃないからな」
 遊玄斎が御手杵クンに目を遣った。どことなくそわそわしていた御手杵クンは、話題を振られるのを待っていたかのように身を乗り出した。
「で、あんたはどんな槍なんだ?」
「どんなって言われてもなあ……」
 遊玄斎が御手杵クンの顔をしげしげと見詰める。
「御手杵……結城の槍だろ?」
「えっ――あ、ああ」
 御手杵クンが目を丸くする。確かに御手杵は結城家の槍だけど、後の松平家の家宝として過ごした時間のほうが長い。名の由来となった鞘が作られたのも数々の謂れも松平家でのことだ。でも遊玄斎はそんなことはお構いなく、にやりと笑って御手杵クンに答えてみせる。
「俺の穂なんざお前さんの十分の一もありゃしねえ。だがまあ、仲間っちゃ仲間だ」
 顎に手をやり、うんうんと頷きながら遊玄斎は続ける。
「俺ができることと言やあ、狙った一点を突く、これに尽きる。だがお前さんと比べりゃ貫き通せる深さはわずかだ。だからかねえ……形(なり)が小さきゃ槍を振り回せねえが大身のお前さんと同じってわけにもいかねえってんで、形は同じくらいになる替わりにお前さんよりも年食った姿で差を付けたってんじゃねーか? ま、槍同士よろしくな」
 遊玄斎は御手杵クンに豪快に笑って見せた。
「あんたも切ったり薙いだりはしないのか」
「おう、突くしかできねえ三角槍だ」
 御手杵クンには珍しく、畳みかけるように次々と話しかけている。余程うれしかったんだろうか。
「でさ、あんた、さっき俺のこと結城の槍って言っただろ? 俺のことで知ってることがあったら、教えてくれ」
 前のめりの御手杵クンに、遊玄斎が突然真顔になった。
「いや、済まねぇ。主が仕えた殿様のご先祖様がな、結城とちっと関わりがあったってだけで……何か知ってるってわけじゃねえんだ。なんか期待させるようなこと言って悪かったな」
 焦る遊玄斎の前で御手杵クンの落胆ぶりは誰の目からも明らかだった。
「そっか……いや、いいんだ。気にしないでくれ」
 御手杵クンはへらりと笑ってみせるが、気落ちした様子に遊玄斎が訝しげな顔をした。
「あんたほど有名な槍が自分のこと知りてぇだなんて、変わってんなあ」
「そういうわけじゃなくて、その――」
 普段なら頭を掻きながら言葉を探す御手杵クンが、今日は両の膝の上に拳を置き思い詰めたように考え込んでいる。いつもと違う御手杵クンに、僕らも黙って様子を見守り続けた。そして、意を決したように御手杵クンは口を開いた
が、僕らの耳に届いたのは別の声だった。
「う……ううん……」
 脇で寝ていた弓の眉間に皺が寄り、ゆっくりとまぶたが開いていった。
「お、気が付いたか。弓っ娘(こ)」
 遊玄斎の声に、弓は二、三度瞬きをしてがばっと起き上がった。
「ご、ご隠居さま?」
 驚いて叫んだ弓の声が茶の間に響く。
「こら、お前はまた叔父貴殿をそのように」
 即座に金辰が弓をたしなめ、弓は慌てて手で自分の口を塞いだ。それを見て、遊玄斎は金辰の背をぽんぽんと叩く。
「あーいいっていいって。そう呼べって俺が言ったんだから。な?」
「叔父貴殿はそうやっていつも甘やかして――」
「それを言うなら兄さんもだろ」
 弾む会話に後は任せたと蜂須賀は席を外し、茶の間に残る政府刀剣男士は御手杵クンと僕だけに戻った。御手杵クンは変わらず正座のままで、僕は足を崩して三振と一張の和気藹々と語らう様子を眺めていた。それは主従とも師弟とも、そして藤四郎兄弟たちとも違った。なんと言えばいいだろう。権力や恩賞を背負わず、家から家、人から人へと渡り歩くことなく、生まれたときからひとつの家で過ごし、ただ親から子へと伝わってきたものたちに、これが家族というものなのかなどとぼんやりと考えながら、他愛のないやりとりが僕の耳を掠めていく。
「まあ、なんだ――いきなり無理すんなってこった。またぶっ倒れたりしたらそちらさんにもまたご迷惑掛けちまう」
 ふいに遊玄斎がこちらに顔を向けた。
「迷惑だって?」
 話の流れを追っていなかった僕が驚いて聞き返すと、弓が申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい。厨当番も風呂焚きも、火を扱えなきゃいけないのはわかっていて……近寄るくらいでは自分が燃えるわけじゃないのも頭ではわかってるの。だから……ゆっくり近付けば平気なんじゃないかって……」
「だから焦るこたあねえって」
「それじゃあだめなの!」
 なだめるように諭す遊玄斎に、珍しく弓が叫んだ。遊玄斎も兄弟も驚いて弓を見詰めた。
「だめなんです。それじゃあ、お役に立てない」
 まるでさっきの御手杵クンのように、弓は膝の上でぎゅっと着物を握り拳を振るわせた。
「あんたも火が怖いのか?」
 静まりかえった茶の間で、口を開いたのは御手杵クンだった。
「え?」
 僕は少し驚いて御手杵クンをみた。顔を上げた弓を、御手杵クンはまっすぐ見据えていた。
「火に近付けるようになりたいのか?」
 弓は黙って頷いた。
「わかった」
 御手杵クンはそう言うと、いきなり弓の手を取ると抱きかかえるようにして土間へと向かった。
「お、御手杵さま――」
 弓は為す術もなく竈の前へと引き摺れ出され、身を強張らせた。御手杵クンは背にぴたりと貼り付き、左腕で弓を左腕ごと抱きかかえ右手で弓の右手を掴んでいる。弓は逃げ場がない。
「膝、折って――」
「あ、あの……」
 弓の声が震えている。
「膝――折らないとしゃがめないだろ」
 御手杵クンに促されて、恐る恐る弓が腰を低くしていく。御手杵クンもそれに合わせて器用にしゃがみ込む。御手杵クンは竈の火の前でしばらくじっとしていた。弓の乱れた呼吸が囲炉裏端まで聞こえてくる。
「大丈夫だから」
 御手杵クンはまるで自分に言い聞かせるようにそう言うと、ぐっと力を入れ握っている弓の右手を竈に向かって伸ばした。
「あっ――」
 弓は咄嗟に火から離れようと身を捩るが、御手杵クンはびくともしない。それどころか更に身を前へと屈(かが)めようとする。弓は必死に抵抗しているようだが、そもそもふたりの体躯の差はそれでどうにかなるものじゃないし、御手杵クンも手加減はしてるようだけど折れる気は全くないようだ。遂には堪えきれずに、弓の体は前へ倒れどんと膝を突いた。
「嫌ぁ――っ」
 茶の間に響いた弓の声に、様子を窺っていた兄弟達が一斉に立ち上がって弓に駆け寄ろうとする先で僕が立ちはだかる。そりゃ、ちょっと危なっかしいところがないとは言わないけど、御手杵クンが考え込んだ末に起こした行動だ。
「本当に危ないと判断したら、僕が止めるよ」」
 小声で兄弟達に釘を刺し、僕は土間へ下りた。
「あ、熱――、お願い……止めて」
 弓が御手杵クンに懇願すると、背中で兄弟達がおろおろと動揺するのがわかる。僕は振り向くことなく、兄弟達にその場に留まれと言わんばかりにさっと腕を伸ばし、その場で竈前のふたりを見守った。弓は御手杵クンの腕の中にすっぽりと収まって身動きすら取れなくなっている。
「ごめんな……熱いよな」
 御手杵クンの呟きに返事はなく、微かな嗚咽が僕の耳に届く。
「俺の手も熱いんだ。でも、ちゃんとこっち見て」
 御手杵クンが顔を逸らす弓の顎に手を添え、無理やり火にかざしている手の先へ向けた。
「見て」
 弓の肩は御手杵クンの中で小刻みに震えていたが、見開いた瞳には目の前の揺れる焔が映っていた。
「確かに熱い、でも燃えてない――あんたも俺も」
 弓の手を握る御手杵クンの手が更に火へと近付く。弓はもうその動きに逆らわなかった。
「さっきより熱い。でも燃えてないだろ? 大丈夫……今の俺は燃えてない」
 絞り出すような御手杵クンの声に、弓が不思議そうな顔で振り返る。
「でも本当の俺は燃えちまった……覚えてないけど」
 御手杵クンの体から力が抜け、弓のからするりと手が落ちる。そのまま土間に尻餅を突くように座り込んだ。竈の前だというのに、あんなに体を強張らせていた弓から力が抜け、心配そうに御手杵クンを覗き込んでいる。
「あの、燃えた……って?」
 恐る恐る尋ねた弓に、御手杵クンはいつものようにへらりと笑顔を作ってみせた。
「松平に伝わった御手杵は焼夷弾で焼く尽くされたんだ、手の施しようがないくらい」
 そう言うと、御手杵クンは手を組んでそこに額を預けた。
「いろんな人が燃えた俺にかたちを与えてくれた。俺がどうあったのか調べて、作ってくれた。そのおかげもあって、俺は御手杵なんだって、自信持って言えるんだと思ってる。でも――」
 御手杵クンは弓の肩越しに竈の火へ視線だけ向ける。
「夢を見るんだ。真っ赤な焔に包まれてる夢。おかしいだろ? 俺、火を使うのなんてなんとも思ってないのにさ」
「おまえさん、燃えちまってたのか」
 遊玄斎が尋ねるでもなく呟いた。
「本物の俺は燃えてなくなった。でも、人がそのあとでたくさんの俺を生み出してくれた。刀剣そもものが存在しなくても、語り継がれてきたことで顕現した仲間がいることも知ってる。わかってるんだ。だから俺もここにいる……ほかの誰でもない『御手杵』だ」
「それで自分のことを聞きいたのか。すまなかったな、外の世界にとんと疎くてあんな言い方しちまった」
 今度ははっきりと御手杵に向かって掛けた言葉だった。
「いや、いいんだ……そんな顔するなよ」
 どこか吹っ切れたように御手杵クンはさっぱり言い切る目の前では、まるで今にも泣きそうな弓の顔がある。
「わたしが火を怖がるのなんて……御手杵さまに比べたら、なんて……」
「えっ? あ、ああ、言い方が悪かった。そうじゃなくて」
 御手杵クンはぐしゃりと無造作に弓の頭を撫でた。
「火を平気で扱ってても、ときどき火でうなされる。怖いのは仕方ないんだろ? あんたは俺たちより燃えやすいんだ。でも、さっきどんなに熱くても燃
えなかったろ? それ、怖くなったら思い出してくれよ」
 弓は黙って頷く。僕はかつかつとふたりに近付いた。
「知らなかったなあ、君にこんな強引なところがあるなんて。僕には秘密だったのかい?」
「そうかあ?」
 僕は御手杵クンの脇に立って揶揄うような視線を投げてみるけど、返ってきたのはいつもと変わらずのんびりとした御手杵クンの笑顔だった。
「見ててはらはらしたよ。君も大丈夫かい?」
 僕はすっと弓に向かって手を差し伸べた。
「え、ええ……もう大丈夫、です」
 弓は素直に僕の手を取って立ち上がった。それを見て御手杵クンが大きな声を上げる。
「あー、わりぃ。あんたのこと、汚すつもりじゃ――」
「別にあのくらいで汚すもなにも……」
 僕は言いかけて、御手杵クンが見詰める先に目を遣った。弓もそれを見て同じように目を向けた。
「わっ、大変」
 竈の前だったからか、弓の着物の膝の部分が真っ黒になっていた。
「これは……弁解の余地がないほど、汚れてしまったね」
 弓はするりと僕の手をすり抜けて、膝をぽんぽんと払う。
「洗濯すれば大丈夫ですよ」
 弓はにっこりと御手杵に笑いかける。
「あの……わたしのために、ありがとうございました」
 弓は御手杵クンに深々と頭を下げた。
「そうですよね、近くに寄るだけなら燃える心配ないのに」
「そうは言っても気を付けなければいけないよ。舞った火の粉を浴びることもあるからね」
「はい」
 弓は僕にも素直に返事をすると、茶の間の兄弟達に向かって声を上げる。
「兄上、ご迷惑をお掛けしました。もう大丈夫ですから、支度を済ませてしまいましょう」
「おう、俺も手伝うぜ」
 兄弟を追って遊玄斎も腰を上げると、土間に下りてきた。御手杵クンは腰を下ろしたまま竈の火を眺めてていたけど、一度天上を見上げてから自分の手のひらに視線を落とした。
「ここにいる俺がこの本丸の『御手杵』でいいんだよな」
 御手杵クンが自分に向かって呟いた。
「ほかの誰かが知ってる『御手杵』はもう要らねえかい?」
 通りすがりに遊玄斎が御手杵クンに尋ねると、御手杵クンはいつも通りの笑顔を向ける。
「いや、気にはなるよ。でも、まあ……俺は俺だからな」
「おう。狙いの定まんねえ三角槍じゃあ締まりがねえ」
 遊玄斎は遠慮なく御手杵クンの背中をばーんと叩くと、その隣にしゃがみ込んだ。
「傍目にはよ、すっかり消えたように見えてもちょっと扇ぐと火が熾きたりすることあるだろ? そういうもん、ひとつやふたつみんな持ってるんだろうよ」
「そうかもな」
 御手杵クンはそう言うとう~んと伸びをした。
「なあ、あんた。明日手合わせしようぜ」
 遊玄斎にそう笑う御手杵クンを、僕はちょっと不思議な気持ちで見ていた。御手杵クンが顕現して、僕は主からその教育係を仰せつかった。僕よりずっと背が高くていつも僕を見下ろしているけど、何をするにも僕の後ろをついてきた御手杵クンは、もう僕の助けはいらないのかもしれない。僕の廻りで何かが動き出したのは、主の家から弓や刀剣達がやってきたからだけじゃないのかもしれない。
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 この本丸に訪れた変化は、時の政府管理外の、主の家に伝わる弓や刀剣が顕現しただけではなかった。遊玄斎が顕れた翌日、今剣が修行へ旅立った。政府が開示している新たな力はまだ限られた短刀にしか与えられていない。まだ発足間もないこの本丸では、最初の短刀四振に修行が解禁になった時点では本丸の戦跡としても刀の練度としても修行へ出るだけの資格を満たしてはいなかった。ようやく本丸としての資格を得て、新たに修行の許可が出されたのが今剣だ。先制を取るのが得意な今剣は短刀の中でも練度が高く、政府から正式に解禁が発布される前からすぐに修行へ出ることを決意していたらしい。政府から通達が届くや否や、主に修行を願いでたのだとか。あの大阪城出陣では旅装束を手に入れることはできなかったが、本丸として資格を得たときに政府から支給されていた一式を主は今剣に与えた。
 今剣がどんな姿で帰還するのか、僕らのあいだではその話題で持ち切りなこともあって、主の弓や大小――打刀と短刀ではあるけど揃いの拵えからなんとなくそういう呼び方が広がっていた――と新たに加わった槍について、もうあれこれあらぬ嫌疑を掛けたり詮索したりするものはいなかった。強くなって帰ってくる今剣を思い、手合わせに力の入らない刀剣(もの)はいなかった。意外にも、と言ったら失礼だろうか、主の大小と槍は元々なかなかの腕を持っていたようで、僕らとの手合わせでめきめきと腕を上げていった。
 主の元に今剣から明日帰ると文が届いた翌日、皆どことなく落ち着かず、内番中も心此処に在らずと身の入らないものが多かった。何しろ本丸初めての極だ、不思議はない。収穫した野菜を届けに土間に入れば、今夜は宴だと準備に奔走する刀たちでごった返していた。そんな中、厨の片隅に座り、ひとりせっせと手を動かしている弓がいた。
「何をしてるんだい?」
 近付いてみると弓の脇に青梅が山と入った籠が目に留まる。
「畑の向こうの梅が大きくなったので、梅酒と梅漬けの準備を」
「へえ……」
 小さな竹串で器用に青梅のなり口にある星を取っては水を張った瓶に放り込んでいく。小気味よく一定の速度で次々と青梅が処理されていく様を、僕はしばらく眺めていた。
「手伝おうか?」
 僕は土間の向こうにまだ作業を待っている青梅の籠があるのを見つけて申し出た。
「大丈夫ですよ、これはわたしひとりで」
 弓は返事をする間も手を動かし続ける。籠の青梅はみるみる減っていった。
「みなさん、今剣さんのお戻りを本当に心待ちにされてるんですね」
「この本丸ができて初めての極だからね」
「なので、わたしもちょっとお祝いに甘味を作ってみようと思って」
 弓は僕に無邪気に笑いかけると、瓶の中から傷がなく大きくて形の良い実を選り分けた。
「もうお湯は沸いたかな~」
 青梅を手に、弓が竈へと向かう。
「ちょっと、君――」
 僕は思わず声を上げた。
「大丈夫なのかい?」
 柄にもなく慌てて駆け寄った僕に、弓はちょっと決まり悪そうに眉を下げた。
「本当はまだちょっと怖かったりするんですけど」
 そう言うと弓は湯の沸いた鍋の中へ青梅をひとつ、ふたつと落としていく。
火から距離を取ろうと、少しへっぴり腰な様子に僕は思わずくすりと笑った。
「これでも頑張ったんですから、笑わないでください」
 弓は不服そうな顔を向けたが、すぐに穏やかな笑顔を浮かべた。
「特別に青江さまと御手杵さまにも差し上げますね。こうしてわたしが竈の前に立ってるのはおふたりのおかげですから」
「御手杵クンはともかく、僕にまでおまけしてくれなくていいよ」
「おまけじゃないですよ」
 弓はするりと僕の脇を抜けると、砂糖壺を手にまた竈の前に戻ってくる。
「人の身をどう扱うか教えてくれたのは青江さまだって、御手杵さまが言ってました」
 竈との距離はやっぱりまだぎこちないけど、火の扱いに慣れるまでそう長くは掛からないだろう。
「その御手杵さまから教わったんですから、青江さまにも御礼しなくちゃ……
ね?」
 皆、宴の準備で忙しなく働いている。弓が火を怖れて避けていたことを知るものはほとんどいないだろう。それももう心配するまでもなくなった。弓を気遣う大小や槍もいる。あの晩、初めて出会ってから、どうなることかとずいぶん気を揉んだけど、もう僕が見ていなくても大丈夫そうだ。
「じゃあ、せっかくだから記念にごちそうになるよ」
「記念?」
 弓が不思議そうな顔を向けた。
「二羽のひな鳥の巣立ちを祝して……かな」
 そう言って、僕は御手杵クンが待つ庫院へと戻っていった。
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