刀剣乱舞にっかり青江で文字書き中。創作審神者(♂)と弓箭女士がいる独自本丸+ときどき他所さまの本丸でにかさに。基本シリアスで独自本丸ものはファンタジー色強めになると思います。

遠い昔に一次創作していた文字書きで、2年前、黒バス伊月くんで突然二次創作に目覚めて創作活動をン十年ぶりに再開しましたが、こちらは当面とうらぶ専用。
#にっかり青江版創作60分一本勝負への投稿は今まで通りぷらいべったーですが、加筆修正したものを順次こちらで公開する予定です。

投稿日:2020年04月29日 00:39    文字数:27,556

刀剣弓箭譚 5 ーいのち、瞬くー

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とある男性審神者の本丸で出会った、にっかり青江と弓の娘の物語。
 ようやく弓の娘に関わる刀剣男士が増えました。まだ不審者扱いの弓の付喪神ですが、果たして…

2020/6/28;中編を追加しました。三日月、かなり登場してます。追加部分はこちらの5頁目です。
2020/7/3;後編を追加しました。胡散臭い三日月と青江の掛け合いはかなり気合いれて書きました。満足です。後編は6〜7ページ目です。
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 廻り廊下が騒がしいな。話し声で目を覚ます。大阪城へ続けて出陣したからだろうか、辺りはすっかり明くて、僕にしては随分と起きるのが遅かったようだ。障子戸を引いて部屋の外を見れば、そこには何やら難しい顔をした蜂須賀と短刀たちがいた。
「あ、にっかりさん。おはようございます」
 僕に気が付いて笑顔を向けてきた短刀は平野藤四郎だ。隣に立つ前田籐四郎と同じく加賀藩前田家に伝わった刀で、彼もまた守り刀として多くの主に仕えてきた。でも平野藤四郎は御一新後は前田家を離れ皇室に献上された。同じ凜とした佇まいでも前田と平野とで印象が異なるのはそのためだろうか。いつの御代だったか、皇后さまの枕刀を務めたこともあると言っていたっけ。
「お前がこんな時間に起きたばかりとは。めずらしいな」
 蜂須賀が目を丸くして僕を見る。先日の厳しい姿からは想像できないほど柔らかな人当たりのいい笑みだ。人当たり……いや、刀当たりというべきなのだろうか。まあ、慣用句ってものは人だろうと刀だろうと、通りのよい言葉遣いとして使えばいいか。
「ああ、昨夜は随分と入れ込んでしまってね。っふふ……ああ、大阪城のことだよ」
 きょとんとしている蜂須賀と、はっとした表情を瞬時に戻す前田が対照的だ。彼はご婦人の警護に長けてる。
「ということは、お前が帰還したときに特に変わったことはなかったんだな」
「変わったこと?」
「これだ」
 蜂須賀が軒へと上げた目線を追う。何かがぶら下がっている。
「何かの葉が屋根に落ちたんじゃないのかい。風か鳥が運んできたとか」
「そうならよかったんだが。表に出てきてみるといい」
 蜂須賀に促され僕は表に出て屋根を見た。細く長い葉が数本ずつ束ねられ、等間隔に置かれている。
「これはこれは……壮観だねえ。昨晩、帰ったのはもう月も沈んで真っ暗になってからだけど、これだけ並んでたら僕が気付かないことはないと思うけど」
 僕が首を捻っていると、母屋のほうから鯰尾藤四郎と骨喰藤四郎がこちらに駆けてくる。「おーい、蜂須賀さ~ん」
 無邪気に手を振って飛び跳ねながらこちらに向かってくるのは鯰尾のほう。黙ったままその隣を走るのが骨喰藤四郎だ。どちらも磨上げられた薙刀直しの脇差だ。鯰尾はその形が鯰の尾に似ているから、骨喰は斬ろうと構えただけで骨まで砕くとの謂われから、その名が付いた。そしてどちらも火事で焼かれて記憶がない。いや、鯰尾はすべて忘れているわけでもないのだけど……少なくとも顕現して初めて言葉を交わしたとき、鯰尾は僕のことを覚えていなかった。
「ここだけじゃなかったよ」
 息を切らす鯰尾の言葉を継いで骨喰が続ける。
「母屋の庇も同じように置かれていた」
 表情豊かな鯰尾と淡々と語る骨喰、実に対照的だ。
「母屋も同じなのか。なら、大阪城から戻ったときには確かになかったよ。あそこは夜通し竈番が明かりを絶やさないようにしてるからね」
 前田、平野によればふたりは明け方に目を覚ましたが、雨が降っていて表には出ず部屋で過ごしていたとか。
「何か……特別、変わったことでなくてもいい。朝、部屋を出るまで何か覚えていることはないかい」
 蜂須賀の問いに前田と平野が互いに顔を見合わせた。
「鳥が飛んでいました」
 少し考え込んでから前田が口を開いた。
「朝は鳥の声がよく聞こえてきますが、そういえばいつもより近くを飛んでいるようでした」
 僕は社で出会った生き物たちを思い出していた。もしかすると……ああ、あり得ない話ではないだろう。あの鳥たちなら娘が願えば手助けするに違いない。僕は蜂須賀を粟田口連中から少し離れるよう促した。
「蜂須賀、ちょっと相談があるんだ。主のことで……もしかしたらこのこととも関係があるかもし――」
 蜂須賀に話し掛けている僕の耳に、別の誰かが蜂須賀を呼ぶ声が飛び込んできた。
「は、蜂須賀さーん! 大変です。兼さんがっ……早く、来てくださーい」
 全速でこちらに向かってくるのは堀川国広だ。和泉守兼定と共に土方歳三の元にあったと言われる堀川国広作の脇差だ。真偽は置いておくとして、堀川自身は和泉守の助手であるという自覚を強く持ち顕現している。血相を変えた堀川の様子に、和泉守に何かあったのかと身構えたが、聞かされたのは予想もしなかった事態だった。
「みんなと道場に行ったら、誰かが掃除をしていて……それを咎めた兼さんが」
「掃除がどうかしたのかい?」
 蜂須賀が苦しそうな堀川の背をさすってやる。
「それが、し、知らない……女の人で……」
 僕は咄嗟に駆けだしていた。本丸に女人がいるはずがない。政府からの訪問者がないとは言えないが、万が一にも道場の掃除をしているなどあり得ない。僕は視界の端に廊下を曲がってきた御手杵クンを捕らえると振り向きざまに叫んだ。
「御手杵クン! あの弓、弓を持って道場に来てくれ! 今は主の部屋にある、すぐにだ!」
 きょとんとしていた御手杵クンだが、僕の剣幕に何かを感じ取ってくれたのか彼なりの全速で母屋に向かって走り出してくれた。
「わかった! 絶対に持ってく」
 御手杵クンの声に安堵し、僕はまっすぐ道場へと地を蹴る。その後ろを蜂須賀が追いかけてくる。
「青江、お前は侵入者のこと、何か知ってるのか!」
「知らないよ、侵入者なんて! 僕に心当たりがあるのは主の縁者だよ。急がないと……」
「何?」
 蜂須賀の声色が固くなる。
「さっきの相談と何か関係があるのか」
「もしかしたら……だよ」
 僕は蜂須賀を待たずに形振構わず道場へと駆け込んだ。
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「そうやって躱してばかりじゃ、いつまで経っても俺に当てることなんざできねーぞ」
 僕の目に飛び込んできたのは、刀を手に対峙している和泉守とあの娘だ。一瞬ぎょっとしたが、和泉守が手にしているのが真剣ではなく手合わせで使う木刀だったのに安堵した。
「ちょっと待っ――」
 僕はそのまま道場の中へと進もうとしたときだ。
「はいはーい」
「邪魔しないでねー」
 大和守安定と加州清光に両脇からがっちりと組まれ身動きが取れなくなった。
「和泉守がちゃーんと決着付けるから」
「そうそう、余計な手出しは無用ってね」
 二振は和泉守や堀川と同じく新撰組にあった刀だ。和泉守と堀川が土方歳三の大小の愛刀だったのに対して、加州と大和守は沖田総司の刀でどちらも打刀だ。共に戦場に立つことはなかったが同じ主が振るった刀だっただけあって連携されるとやっかいなほどに息が合う。
「堀川が蜂須賀を呼びに行ったでしょ? それ聞きつけたの? さすが早いね」
 朗らかに褒めそやしてくれる加州だが腕に掛かる力は緩まない。
「びっくりだよね。あの娘、まるで怯む様子なくって。挙げ句、問い詰める和泉守に無礼だって食って掛かっちゃってさ」
 大和守はどこかこの騒ぎを楽しんでるみたいだ。そりゃそうだよね、どう考えても勝負となったらあの娘が和泉守に敵うわけがない。あの娘を不審者と捉えていても排除は容易いと思っているからこそ、こんな茶番を申し出る余裕があるのだろう。けど、だからといって手加減するつもりが微塵もなさそうなのもわかるんだよね。
「っていうか、放してくれないかな。止めなきゃいけないんだ」
 加州が不思議そうな顔をする。
「止める? どうしてさ。公明正大な立ち合いだよ。不法侵入なんだからさ、有無を言わさず成敗されていたっておかしくないのに、和泉守があの女の話を聞いてやるって譲歩してあげたんだだよ。あの木刀を自分の体にわずかでも当てられることができたら申し開きを聞いてやるって。本来なら問答無用で斬り捨てられても文句言えないと思うけど」
 大阪城の一件からこっち、なんかみんな必要以上に高まってるんだよね、戦意が。いや、基本この本丸に与り知らぬ存在があってはならないのは事実なのだから、即座に反論できない。不幸中の幸いは、娘がこうしてまだ無事でいること。そう、まだ……だから早く止めないと。
 説得力のある言い訳を必死に考えている最中にも、道場に木刀を打ち付ける音が響き続ける。
「でもあの娘もなんだかんだいい筋はしてるんだよね。なんか柳に風って感じで、和泉守がどんな手を繰り出してもきれいに受け流しちゃうんだ」
「そうそう。なんでもあり、なんて言ってる割に和泉守ってこういうときは辛抱強いよね。僕なんかあれだけ組み合うの避けられたら、痺れ切らして一気に方つけようとしちゃうなあ」
 確かに、娘は和泉守の力をうまく利用して自分に向かってくる刀を脇へと逃がしている。でも、それだけじゃあ娘が和泉守に木刀を打ち込むことはおそらく無理だ。疲れてくれば一気に押される。そんな不安が過った瞬間だ。
「そうやって俺が疲れるのを待つって寸法か……残念だったな。主を守るためならどんな手段だって繰り出すぜ。なんでもあり、だ。女だからって容赦しねーんだよ!」
 和泉守が一気に踏み出した。正面から受け止めた娘が持ち堪えられたのは一瞬だった。次の瞬間、押し飛ばされた娘の体は道場の壁に叩きつけられ、掛けてあった木刀がばらばらと娘の上に降った。
「和泉守、その娘に手を出しては駄目だ!」
 和泉守がゆっくりと振り向いた。
「なんだ、にっかり青江。まさかお前、この女の仲間なんじゃないだろうな」
 広い意味ではここにいるみんなが仲間なんじゃないだろうか。そもそもあの娘をここへ連れてきたのは主なんだし。でもそう言ったところで納得はしてくれないだろうな。早く御手杵クンが来てくれないかと僕は必死で願う。
「そうじゃない。その娘は主がここへ連れてきたんだ」
「はあ? 主からそんな話は聞いてねえ。お前がそんな見え透いた嘘を吐くなんてどういうこった。まさか俺たちを裏切――」
「「ああっ、和泉守!」」
 大和守と加州が一斉に叫んだ。からん、と木刀が床に落ちる音が響く。やれやれ……、面倒なことにならないといいんだが。
「なんでもあり、なんでしょ?」
 道場の壁に凭れ掛かった娘から伸びる腕は、まっすぐ和泉守に向かって伸びている。さっきの音は娘が床から拾って和泉守の背に向かって投げた短刀のものだった。
「んだと、てめぇ――」
「兼さん! 落ち着いて」
 いつの間にか道場の入り口に立っていた堀川の声に和泉守や大和守、加州が気を取られた一瞬の隙に、僕は捉えられたいた両腕を振り払い、和泉守と娘の間に割って入った。
「逃げも隠れもしない相手に、これ以上何をしようっていうんだい?」
「ああ? 幽霊だからって女子ども斬ったお前が何言い出しやがる」
 確かに、ね。
「僕だって主に仇なす存在なら迷わず斬るよ。だけど――」
「ちょ、ちょっと待って。刀を当てることができたら話を聞いてくれるんじゃなかったの?」
 娘が立ち上がり進み出ようとする。いや、待って欲しいのはこっちなんだけどね。さすがに娘を庇いながらここにいる全員を一度に相手をするのは難儀だ。というか僕、今、丸腰なんだよね。そんなことを逡巡している間にも和泉守がじりじりと間合いを詰めてくる。そこにばたばたと大きめの足音が近付いてくるのが聞こえた。
「青江、持ってきた!」
 いつもののんびりした口調からは想像できない、鋭い声が道場に鳴り響いた。御手杵クンだ。蜂須賀も一緒にいる。そう言えば、僕が道場に駆け込んだとき一緒に向かっていたはずの蜂須賀の姿がなかった。
「話を聞く前に少し時間をくれないか」
 蜂須賀は御手杵クンから弓を受け取ると僕らのほうへと近付いてきた。僕の目の前で立ち止まると僕の肩に空いたほうの手を掛け、脇へ退くように促した。僕は素直に蜂須賀に場所を譲った。蜂須賀は手にした弓を娘に突きつける。その蜂須賀の肩越しに、申し訳なさそうに手を合わせる御手杵クンが見えている。
「これは君のもの……いや、君なのか?」
 ああ、もしかして主の部屋に入るのに蜂須賀に協力を仰いだのか。そりゃ説明しないわけにはいかないよね。蜂須賀をまっすぐ見据え、娘は無言のまま弓へと手を伸ばす。蜂須賀はそのまま弓を娘へ手渡した。
 弓を手にした娘からは、僕らが顕現するときのように花が舞うわけでもなく、説話にあるような霊験が顕わになることもなかった。だけど、その場に居た刀は瞬時に感じ取った。ここに居る娘は、正にこの弓そのものなのだと。それは、おそらく付喪神という在り方を内包している「物」にのみ理解できる現象なのだと、そう思うほかなかった。
「その弓、もしかして大広間にあった……あれか?」
 和泉守が息を呑んで、次の瞬間大いにたじろぐのがこの場にいる一同に伝わった。
「お、おい! なんでそれを先に言わねーんだよ!」
「あら、わたしの話も聞かずに、俺にその木刀を打ち込めたら聞いてやるよ、って吹っかけてきたのはそっちじゃない!」
 和泉守に食って掛かる娘に僕は初めて会った晩のことを思い出していた。そうだ、この娘は僕らに対して全く物怖じしないのだ。
「ちょっと待ってくれ。僕に説明させてくれないか」
 慌てて僕がふたりの間に割って入る。が、僕がもう一度口を開くより早く、蜂須賀の声が低く響いた。
「青江、お前はここにその娘がいる……その姿を目にした上で黙っていたんだな」
 皆の視線が僕に集まるのがわかる。
「まあ……そういうことになるかな」
 蜂須賀が小さく溜息を吐く。
「御手杵から粗方聞いた。言い分は聞いてやるが不問に付すかはその内容次第だ」
「青江さまに非はありません! わたしが」
 僕は蜂須賀の前に出ようとした娘を腕で制した。
「彼はこの本丸の……主の一番の側近だ。ここでの政をすべて取り仕切っている」
 僕はだから彼に従うよう続けるつもりだったのだけど、娘はそれを聞くまでもなく姿勢を正し僕のすぐ後ろに控えた。その振る舞いから、主が統べるこの本丸の秩序には素直に従うことが伝わったのだろう。誰もが蜂須賀が口を開くのを固唾を呑んで見守っている。
「まず俺が話を聞こう。一刻後に全員に茶の間に集まってもらう。それまで、娘の――この弓のことについては一切口外しないでもらいたい」 
 蜂須賀は道場の外から様子を窺っていた前田、平野、鯰尾、骨喰の藤四郎兄弟に人払いと見張り役を命じると、僕と娘を道場脇の小部屋へと引き入れた。部屋へ入るとき、こちらを心配そうに見ている御手杵クンの姿が目に入る。ここへ来るまでに蜂須賀に粗方事の次第を伝えてくれた感謝と巻き込んでしまって申し訳ない気持ちとで、僕は咄嗟に御手杵クンを安心させるだけの笑顔を向けることができなかった。
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 一通りの説明を聞き終え、目を閉じて考え込む蜂須賀の眉間に皺が寄った。
「事情は……わかった」
 そう告げると蜂須賀はそのまま黙り込んでしまう。
「あの……」
 続く沈黙に耐えられなかったのか、 娘が躊躇いがちに口を開いた。
「わたしはここに居てはならないのでしょうか」
 それでも蜂須賀の瞼は閉じられたままだ。どのくらい経ってからだろうか、蜂須賀は天を仰ぐようにしてからその瞳を僕らに向けたが、表情は険しかった。
「事の起こりをなぞる限り青江に非は、おそらくない。もちろん報告があって然るべきと言えなくもないが……身元が確かなだけに……誰よりもまず主に目通りを考えたことを責めることはできないだろう。ただ――」
 蜂須賀は額に手を当てて俯いた。
「皆をどう説得したものか」
「説明も何も……出てしまった以上、仕方ないだろう? 人の身として、ってことだよ」
 蜂須賀は娘をじっと見据える。娘もその瞳で蜂須賀をまっすぐ捉えている。
「確かに、君はその弓から顕現したのだということを俺たち刀剣男士が理解するのは難しいことじゃあない。君の在り方は俺たちのそれに限りなく近いと感じる」
 蜂須賀の言葉に棘はないが、どこか歯切れの悪さも伝わってくる。
「つい先日、主の刀をこちらへ持ち込むのに政府の役人と一悶着あってな」
「ああ……」
 頭を過ったのは、僕が娘と出会う晩に長谷部クンと蜂須賀が交わした会話だ。
「公になってはいないが、政府の管理下にない刀剣から俺たちのように人の姿を顕した例があると聞いたことがある」
「へえ……どうして隠すんだい? 戦力が増えるのは喜ばしいことじゃないか」
「それがそうとも言えないんだ。確かに俺たちは主によって人の世に呼び起こされこうして顕現した。だが、俺たちのこの姿を定めたのは時の政府だ。つまり、審神者が行うのはあらかじめ用意された器へ、刀剣に宿る心を移し置くことであって、新たな刀剣男士を生み出すことではないんだ」
 蜂須賀は一呼吸の間を置くと声を落とした。
「これは審神者の力を政府が制御していると取れなくもない」
 僕は少し考えてから口を開いた。
「統治……という観点からは好ましくない、と」
「その通りだ。政府は刀剣男士を顕現する術が歴史修正主義者に渡ることはなんとしても阻止しなくてはならない。でもその術が権力の中枢ではなく末端に存在するとしたら?」
「管理上、面倒なことにはなるし、何より自分たちが独占しているはずの術を手中に収めているのはある意味、目の上のたんこぶ的……な?」
「表向きは政府も歓迎するだろう。何しろ歴史修正主義者にとっては想定外の戦力という点での利がある。だが同時に警戒もする。どの刀剣から顕現したのか、容姿や能力、事細かに報告を求められる。そして僅かでも歴史修正主義者への傾倒ありと判断されたなら」
「されたなら?」
「接収だ。有無を言わさずに、だ」
 蜂須賀の言葉に、しばし沈黙が場を支配した。娘の表情がわずかに険しくなったように見えた。それに気付いた蜂須賀が娘を気遣ってか、ふわりと笑みを浮かべ娘に話しかけた。
「ああ、そんな顔をしないでくれ。君を困らせるつもりはないんだよ」
 そう言えば、蜂須賀の娘に対する態度は始めから一貫していた。それはまるで主を訪ねてきた親族であるかのように礼儀正しくありつつも、優先すべきは主の立場であることからの葛藤や迷いが垣間見えて、ああ彼はやはり主の第一の臣なのだな、と感じずにはいられなかった。
「少なくとも君は政府から侵入者と見なされていないのは確かなんだ。警報装置が反応していないのだから、それは安心していい。君はあくまでその弓そのものでしかない、と言うと気を悪くするかもしれないが」
「いいえ、そうでなければ難しい立場になってしまうことはわかりましたから。わたしだけでなく主さままでも」
 娘のその言葉に蜂須賀も安心したようだ。
「理解してくれてうれしいよ。では、君を皆に紹介するとしよう。その上で君の処遇をどうするかを決める。それでいいかな」
 娘が黙って頷くのを確認して、僕はそっと蜂須賀に目配せした。
「少し……ここで待っていてくれるかな」
 蜂須賀はそう娘に告げると立ち上がって外へ出た。僕もその後を追う。ちら、と娘のほうを見ると娘もこちらへと目線を向けたところで、はっとした表情を浮かべたがすぐに小さく微笑んで正面を向いてしまった。凜とした佇まいの背筋が男士のそれとは違って、怒られるかもしれないけど、 心細さはいかほどかと思わずにはいられなかった。
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 先に部屋から出た蜂須賀の後を僕は黙ってついていく。ちょうど道場の角まで来たところで蜂須賀が足を止めて振り向いた。
「立ち話で済む話かい? 長くなりそうなら別の場所へ」
「いや、ここでいい」
 僕の索敵範囲には小部屋の娘以外に気配はない。
「皆にあの娘を紹介する前に、主のことで伝えておきたいことがあるんだ」
 蜂須賀は早くに顕現し、この本丸発足の準備から主を支えていたという。それなら、きっと話は早い。
「君なら……主が僕らに対してどこか遠慮している理由を詳しく知っているのだろう?」 蜂須賀の表情が一瞬揺らぎ、深い溜息が漏れた。
「あのとき、主にあんなことを口にさせてしまったのは俺が判断を誤ったからで、主が責任を感じる必要などどこにも――」
 思わず口を突いて出た言葉に蜂須賀自身も驚いたのか、急に口を噤むと僕に向かって跋が悪そうに微笑んでみせた。
「君には僕の言い訳なんてとっくにお見通しだろうな」
「そうは思わないさ。皆もわかってるよ」
 僕は蜂須賀に微笑んでみせ、あのあと主の部屋で交わした会話を掻い摘まんで伝えた。弓に限らず、主がここへ持ってきた刀の付喪神が顕現したとして、その姿を自分が見ることができないとしたら……そう口にした、あのときの主の寂しそうな様子と共に。蜂須賀にはそれで伝わると思ったんだ。
「少なくとも政府がこの本丸に用意した、主を補助する力というのは僕ら政府に登録されている刀剣男士にしか作用しない。それはこの本丸構築の際、主と一緒に説明を受けたことだから間違いないだろう。政府以外の何らかの力が働いてあの娘の姿が具現化されたなら、まず一番に考えられるのは主の力なんだと俺は思う」
「でも、主には見えていないんだ。それについては僕だけじゃなく御手杵クンも目撃している」
「ああ、それはさきほど彼からも聞いたよ。主に、あの娘が見えていない振りをする理由は、僕には思い当たらない」
 蜂須賀はそれきり黙ったまま、腕を組んで考え込んでいる。僕は黙って蜂須賀が口を開くのを待った。
「あの娘の処遇に加えて、そのことを主に伝えるべきかどうか。皆の意見がまとまるだろうか」
「その必要はあるのかい?」
 僕の言葉に蜂須賀は驚いた様子で顔を向けた。
「当然じゃないか。主に関わることだ。この本丸すべての男士に計って当然だろう」
「でも、この本丸の政を司っているのは蜂須賀虎徹、君じゃないか」
 蜂須賀の目が見開かれる。
「すまない、僕は政にあまり関わっていないから……もし間違っていたら謝るよ。でも、 この本丸を司るのが主なら、実際の算段をつけるのは君だと、僕は思っている。だから僕は主が僕に語ったことを、君にだけ話したんだ」
 君にだけ、僕はそこに力を込めた。蜂須賀の瞳がわずかに揺れる。
「戦に長けている君に、そう言ってもらえるのはうれしいよ」
 微かな笑みと共に蜂須賀はそう応えてくれた。
「正解はわからない。でも主の弓をないがしろにするわけにはいかない。そして主には主として堂々と胸を張ってこの本丸に在ってほしい。俺のこの気持ちは本物だ」
 自分に言い聞かせるように、ひとつひとつ噛み締めて音となった蜂須賀の言葉を、僕は微笑みで受け止めた。
「さあ、あまり待たせるのは失礼だ。あの娘と茶の間へ行くとしよう」
 そう言って目線を上げた蜂須賀はいつものきりりとした面持ちで、僕はと言えば、きっと大丈夫なんて根拠のない安堵を覚えたことにちょっと驚きながら、歩き出した蜂須賀の後を追いかけた。
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 大阪城撤退に端を発したあの晩、打刀、太刀、大太刀に槍と、大きな刀だけ集まったこの茶の間に(あ、僕が脇差なのにあの場にいたのは単に成り行きだよ)、今日は短刀と脇差も加わりこの本丸に顕現しているすべての刀剣男士が集まったものだから、文字通り鮨詰めで土間にも溢れる有様で、結局、隣の部屋との仕切り戸を外すことでようやく皆、腰を下ろすことができた。つい数日前に焦燥感と殺気とで重苦しく沈んでいたこの部屋が、今は好奇心と期待に満ちて華やいでさえいる。皆、蜂須賀がやってくるのを今か今かと待っているのだ。もちろん、新撰組の連中が箝口令を破るようなまねはしやしない。蜂須賀が女の人を連れて歩いている、そんな本丸での目撃談が知れ渡るのにはわずかな時間があれば十分だった、ということだ。
「主君の……もしかして奥方さまでしょうか」
「それにしちゃあ随分と若かぁなかったか?」
「え~? 年の差なんて関係なくない?! まあ、そんな感じには見えなかったけどぉ」
「んじゃ、娘とかか?」
「えと……それはさすがに、人の世の理を考えれば無理があるのではないでしょうか」
「しかしながら、お身内でもなければ本丸には入れないのではないでしょうか」
  事情を知らない粟田口の短刀たちと鳴狐(のお供)が推理に花を咲かせている横で、前田と平野は口を閉じたままかしこまって座っている。真面目だなあ。
「しっ――来たよ」
 鳴狐の呟きに短刀たちは一斉に姿勢を正す。同時に部屋のあちこちで交わされていた私語もぴたりと止み、皆の視線が戸口へと注がれた。
「皆、待たせた。突然の召集にも関わらず全員揃ったのは有り難いな」
 まず入り口に姿を見せた蜂須賀が皆を見渡して言った。それから少し後ろを振り返って小さく頷いてから茶の間へと足を踏み入れた。蜂須賀はすたすたと囲炉裏端の横座へと進む。囲炉裏端では上座のことを横座というそうだ。以前、小夜クンに教わった。そしてそのすぐ後にあの娘が続いて茶の間に入ってきた。緊張した面持ちで男士のあいだを歩く娘は、無遠慮な視線を一身に集めている。そりゃそうだよね、この本丸始まって以来、初めてやってきた女人だ。じっと娘を凝視するもの、ちらちらと視線を投げては隣同士言葉を交わすもの、気にする素振りを隠しつつ耳をそばだてているもの、振る舞いこそそれぞれだが、皆の興味はただひとつ、娘が何者なのか、だ。
 蜂須賀は無言のまま横座に腰を下ろすと、娘はその少し後ろに控え座った。
「新たな仲間を紹介する」
 蜂須賀の声を合図に、あちこちで驚きの声が上がる。当然だよね、目の前にいるのは確かに今までこの本丸には居なかったものだけど、その姿は僕らでいえば脇差か打刀とおぼしき年頃の娘で、およそ刀剣男士とは思えぬ容姿だ。それでも蜂須賀は「仲間」と称した。
「静かに」
 蜂須賀の張りのある声が茶の間に響き渡った。さざ波が立つように広がっていたざわめきがぴたりと止まった。
「皆が驚くのも無理はない。だが、まずは一通り説明を聞いてほしい」
 茶の間は静まり返ったまま異議を唱えるものはいなかった。
「では――」
 蜂須賀が入り口へ顔を向け、頷いてみせるといつの間にか席を外していた前田と平野、両藤四郎がうやうやしく弓を手に茶の間に入ってきた。
「あるじさんの弓……?」
 乱藤四郎が思わず呟く。
「そうだ」
 蜂須賀は声を上げたことを咎めることなく、乱の言葉をそのまま肯定した。それでもここにいるほとんどは事の次第をまだ理解していない。あの弓が誰かの手に渡るのか、それとも弓に縁のある男士でもいただろうか、それともまだ誰も知らない新しい刀剣男士のお披露目でもあるのかと、あちらこちらで囁き声が上がっている。前田と平野は蜂須賀の前へと進み弓を手渡すと、藤四郎兄弟の並びに座り姿勢を正した。それを合図に茶の間は再び静寂に包まれた。蜂須賀は一呼吸置き、皆を見渡してからゆっくりと後ろを向いた。そこに控える娘に向かって頷いてみせると、娘の口元はわずかに引き結ばれ、娘はすっと立ち上がった。娘を見詰める皆が固唾を呑み、成り行きを見守っている。蜂須賀は娘を前へと誘い、一歩進み出た娘へ弓を差し出す。娘がそれを手にした瞬間、茶の間に集う男士たちは本能で感じ取った。「主の弓」とこの「娘」は同じものである、と。
 そうか、なんで始めから娘が弓を持って入らずにもったいぶるのかとも思ったけど、このほうが効果的だよね。さっき道場で目にした光景と同じだ。蜂須賀が手にした弓を娘へ託した瞬間、皆は目の前の弓とそれを手にした娘とが等しい存在だということを理解した。言葉で説明するより雄弁に、あの娘の成り立ちに説得力を持たせるための蜂須賀の采配なのだ。蜂須賀は戦経験がないことをよく気にするけれど、なんてことはない。上に立つものの振る舞いをよく知っている。
 驚きと興奮とで沸き立ちそうな雰囲気の中、娘は一歩前へ出ると姿勢を正した。実際に矢を射るわけじゃないから射法の構えではないけど、その立ち姿はよく均整の取れた堂々としたものだった。
  娘が口を開く。
「わたしは、主さまの弓。この地の守りにと主さまよりこの地へ招かれたもの」

                    ――娘の声と共に、この本丸に風がやってきた――

 おかしな話だ。風はいつだってこの本丸を自由に行き交っている。それでも、朗々と響く娘の声と共にこの茶の間を駆け抜けたのは、社の杜に吹く風を思わせる木々の匂いを運ぶ、此処へは届いたことのない風だ。本丸が存在できるのは、時の政府管理下の空間だ。いわば時空の飛び地。とある時代、とある場所を間借りしていることに変わりはないが、僕らはあまくで異物でしかない。だから本丸が閉ざされた空間なのは僕らを守るのと同時に間借り先へ影響を及ぼさないためでもある。そして、特例として審神者となった主のため、結界を万全のものとすべく母屋には特別に政府が防御の技術を提供、管理している。だから社がある山は本丸の一部であり行き来こそ自由にできるけど、厳密には母屋と同じ空間ではない。そのせいか、母屋を出入りする風は僅かに鈍る。母屋の外の敷地は厳重に守られている特殊な空間と人里との間にある緩衝地帯のようなものだけど、そこは互いに干渉し過ぎないのが肝要だ。それなのに、あの娘は今、外の風を直接連れてきた。それは本当に一瞬の出来事で、すぐに何事もなかったかのように、茶の間はいつもの空気に包まれた。僕の気のせいだっただろうか。そうかもしれない。政府が張り巡らせた結界をすり抜けるなんてね。でも、それまで閉じられていた三日月宗近の瞼が風の到来と同時に開かれたのを僕は見逃さなかった。少し、胸がざわつく。
 一方で、ほかの皆は多少の驚きを覚えつつも、あの日の出来事――長押から落ちてきたのを僕が受け止めた顛末――を皆が鮮明に覚えていたおかげで、娘が携えてきた弓が主の弓であることはすんなりと受け入れられた。まずは第一関門突破だ。あちこちで感嘆とも驚愕とも取れる声が上がる。ほっとして顔を上げると蜂須賀と目が合った。蜂須賀も一瞬、僕に対して安堵の笑みを浮かべたがすぐに表情を引き締め、蜂須賀は異議を唱えるものがいないことを確認すると、まずこの本丸の仕組み上、政府は娘の存在を敵や異物と認識していないことを強調した。曰く、本丸に私物として弓を持ち込む際に、政府の役人が検め問題なしとしていること、そして人の身を得たあとも侵入者として警報装置が作動していないことが何よりの証しだと言う。
 蜂須賀は要領よく、主がこの本丸に弓を持参してから今日までのことを説明していった。主の刀はなかなか持ち込みが許可されなかったけど弓はすんなりと持ってこられたこと、そしてその晩にはその姿が目撃されていたこと。そして幽霊と噂されたことで僕が深夜にその正体を確かめようとしたけど、幽霊でも妖怪でもなく、悪意は感じられなかったから在るべきところに留まるよう諭したこと。そこまでが最初の夜の出来事だ。僕はあの晩見たことすべてを伝えているわけじゃない。怪異には慣れているはずの僕だけど、あの晩の社でのことはこの土地を統べる神々のことを知らぬまま口外するのは憚られた。たぶん、最初に伝えるなら主になのだ、と僕はどこかで感じている。だからまだ誰にも教えていない。皆へは今、蜂須賀がした説明で十分なはずだ。
「あ、あの……」
 五虎退がおずおずと手を挙げた。
「そしたら僕があの晩に見た幽霊って……その……お姉さんのことだったんでしょうか。だとしたら僕……あるじさまの弓のこと、幽霊って……ご、ごめんなさっ」
 泣き出しそうな五虎退の言葉を、乱クンが継いだ。
「五虎退だけが悪いんじゃないよ、ボクも一緒にいて幽霊だって。だからボクにも責任がある。ねえ、だから叱るならボクも叱って? ううん、その前にちゃんと謝らせて。主さんの弓だなんて知らなかったけど、幽霊だなんて失礼なこと言ってごめんなさい!」
 主がその最初の一振である蜂須賀と共に鍛えた刀、乱藤四郎。短刀ながらその堂々とした態度は蜂須賀と並びこの本丸を支えてきた自負と責任感に裏打ちされたものだ。その勢いに蜂須賀は面食らった様子だったが、ふっと表情を和らげると娘に目配せしてみせた。口を開くきっかけを探してそわそわしていた娘は、蜂須賀の視線で身を乗り出した。
「わたしのほうこそ、あの晩は来たばかりでここの事情をよく知らないのに、勝手に歩き回ったりしたものだから。だから謝らないで――」
「五虎退、乱、お前たちの気持ちはわかったが、話はまだ済んでない。あとでたくさん話すといいから、少し待ってくれ」
 娘の声にほっと胸を撫で下ろした二振に、蜂須賀は優しく言い聞かせ、話を先へと進めた。
 蜂須賀が続けている間も、僕はさっきの風のことをずっと考えていた。涼やかで清々しい薫風……いや、それとも違う。新緑を揺らす山の風ではあるけど、それだけじゃない。静謐な水の気配、夜露か朝露の匂い――ああ……社の上、磐座を包み込んでいた空気だ。茶の間がその新しい風に満たされ、張り詰めた空気が解けていった。新参として注目を浴びていた娘が、僕たち刀剣男士が居並ぶ場にいつの間にか溶け込んでいる。気が付けば、瞼を閉じ、じっと何かを考えている三日月の様子に、僕は少し警戒する。その表情は、いつもの何を考えているのかわからない曖昧な笑みで何かを隠しているようにも見えた。
「そういうわけで、人の身を得て成せることを成し、我らと同じく主に仕えたいと願いを、俺は受け入れようと思う。主がわざわざ現世からここへ持ってきた意味を考えれば皆とて拒む理由はないはずだ」
 蜂須賀がきっぱりと言い切った。確かに、ね。弓をここへ置くことは主の意思にほかならない。
「前例のないことだけに不安に思うものもいるだろう。それは俺も同じだ。だからここへ来る前、主の部屋でこの本丸を維持する装置を確認してきた。結果は、ここに存在する付喪神の数や本丸の入退出に何ら問題はなかった。問題がないということは――これはあくまで俺の考えなんだが――政府がその存在を把握できるのはあくまでこの弓本体だけであって、俺たちが目にしているこの姿は政府にとっては存在していないも同じなのではないかと思うんだ」
 これは朗報だ。政府があの娘を認識していないということは少なくともあの弓が政府に接収される心配はないってことだし、時の政府の政で主を煩わせることもなくなる。もしあの娘が主に害を及ぼすことになったなら、公にするまでもなく僕らで始末をすればいいのだから。まあ、主の所有する弓そのものを破壊してしまったらその責は負わなければならないだろうけどね。そんなことを考えながら僕は蜂須賀の話に注意深く耳を傾ける。
「それから、もうひとつ伝えておかなければならないことがある」
 蜂須賀がちらりと娘のほうへと顔を向けた。娘の表情がわずかに曇ったが、一文字に口を引き結び小さく頷くのを確認して蜂須賀が正面に向き直った。
「主が目にするのもまたこの弓の姿のみ……俺たちが見ている人の姿は主には見えていない」
「待って――せっかく顕現したのに、あるじさんとおはなしできないの? そんなのって……」
 乱クンが思わず声を上げた。
「間違いない。ここへ来る前に、実際にこの目で確かめてきた」
 ああ、あの娘を伴って主の部屋に行ったのか。やっぱりすごいな、初期刀として、そしてこの本丸の政を司る筆頭の刀として、ここへ来るわずかな間にそこまで確認してくるとはね。
「そして、俺はこのことを主には伏せたままにしようと思っている」
 蜂須賀の言葉で、茶の間に戸惑いとざわめき広がる。僕はてっきり蜂須賀はあの娘のことを主に伝えてきたのだと思っていた。ああは言ったものの、この本丸を統べるにあたって主を欺くようなことを蜂須賀はしないだろうと、そして、蜂須賀なら主に上手く説明できるんじゃないかと勝手に思っていた。皆の様子に、少し心配になる。僅かでも疑念を残せばそれはいつしか不信感へと変わるだろうから。
「蜂須賀、それはどういうことなんだ」
 僕の憂いと同時に、鋭い声が上がった。長谷部クンだ。
「その……だな。主の弓に疑いを抱いているわけではないのだが……」
 珍しく歯切れが悪い。流石の長谷部クンも主の所有物には遠慮するみたいだね。
「そもそも主と共にご実家に伺いそのもの――いや、こほん――その弓を本丸に持ち帰ったのは他でもないこの俺だ。怪しむべき点は何にひとつない。しかし、だ」
 言いにくそうな様子を振り切るように、長谷部クンは頭を振った。
「俺たちは主の力、物に宿る心を励起する技を以てここに存在している。その弓もここへ来る前にはそのような姿をしてはいなかった。この本丸という場において主の力が働き、顕現したというなら、それを為し得た主に何故その姿が見えない。おかしいだろう? そして主にその姿が見えていないのなら、その存在をお伝えすべきではないのか。主に隠しごとなど許されることではない」
 一気に捲し立てると、長谷部クンは気まずそうに娘から視線を外した。 
「失礼な物言いは承知の上だが……主のお力は我ら刀剣に働くもの。審神者の力が弓に働くなど聞いたことがない。まして主のお目に映らず、政府の警備体制をも掻い潜るとなれば、間者でない証明の立てようがない」
「長谷部、その手でこの本丸に運んできたお前が主の弓をそんな風に――」
 蜂須賀は長谷部クンを諫めようとしたが言葉に詰まる。
「だから、失礼なのは承知の上と断っただろう。俺だって主の弓を悪し様に言いいたくはない。だが――」
 そのとき、ばたばたと慌てた様子の足音が響き、見たことのない若者がふたり、土間に駆け込んできた。
「御免」
 瞬時に緊張が走る。何故って、この本丸の男士全員が揃っているところに見ず知らずの男が現れたんだ、誰もが己が刀に手を掛け身構えた。
「我らが命は、ここに」
 即座にふたりの若者は土間に跪くと、手にしていた刀を目の前、茶の間の木尻側に差し出すように置いた。一斉に飛びかからんとしていた僕らはそれを見て動きを止めた
「兄上!」
 驚いて声を上げたのは弓の娘だ。同時に、その差し出された二振の刀に僕らは思わず息を呑んだ。赤石目塗り揃いの大小、あれは主の刀だ。
「兄上、いつからそのお姿――」
 娘が歩み寄るより早く、ふたりは丸腰で茶の間に駆け上がり娘の手を取ると一目散に土間へ駆け下りた。
「あ、兄上――どうしたというのですか」
 ふたりは戸惑う娘を強引に土間へ下ろすと娘の両脇でこちらに向かって平伏した。
「兄上? 何をなさっているのですか……あの、わたしからみなさまにご紹介を――」
 ふたりの間で戸惑う娘の頭を、ふたりは両脇から押さえつけて無理矢理頭を下げさせた。
「いいから、控えろ。こちらに並ぶ方々は我々が席を同じくできるようなご身分ではないのだぞ」
「えっ?」
 左側の大柄な若者の言葉に娘の動きが止まる。
「姉さんには馴染みがないだろうけど、うちの殿様でお同じ間には上がれないような方々の刀なんだ」
 右の小柄な若者の囁きが僕の耳に届くと同時に、娘はぴくりと方を震わせ即座に両の手を揃え、額を土間に打ち付けんばかりの勢いでひれ伏した。
「我ら、主が家にかつて仕えし刀なれば、このもの、確かに長きに渡り我らと共に在った弓に相違なきこと、申し上げたく。皆様方におかれましては出自を怪しむは真に道理なれど、我らも如何にしてこの姿を得しかは知らず。然れども、それぞれの姿によらず気配で通じてきた我ら、互いを見紛うことなし。そしてただ、ただ、我らが持ち主に相見えたことこの上ない喜びなれば、我ら、共にこの身を賭して主にお仕えしたく」
「どうか、我らが願い、お聞き入れいただきたく存じまする」
 差し出された大小に相応しく、娘が兄と呼んだ若者は逞しく打刀の中では大柄なほうに入るだろうがっしりとした体格で、もうひとりは短刀と思しき身の丈ながらもその堂々とした態度にずっと大人びて見えた。弓の付喪神が現れただけでも大事だというのに、更に見知らぬ刀の付喪神登場に――いや、目の前にあるのは確かに主の刀なのだけれど――混乱するなというほうが無理だ。蜂須賀もどうしたものかと考え倦ねている。
「はっはっは……」
 突然、場違いな笑い声が高らかに響いた。三日月宗近だ。
「これはこれは、このように身分を弁えるものを見たのは、随分と久しぶりだな」
 三日月が目を細めて言うと、蜂須賀がはっとして土間へと歩み出た。
「どうか面を上げてくれ。主の刀にそのようなことをさせるわけにはいかない」
 蜂須賀は膝を突き、土間に手を突くお三方に声を掛けると三日月へと顔を向けた。
「三日月宗近、ここにはあの時代のような身分制度などないぞ」
 蜂須賀の苦々しい顔に、三日月は目尻を下げて笑い返す。
「いや、すまぬすまぬ。なかなかに新鮮な光景だったのでな、ついあのような物言いになった。許せ」
 蜂須賀は向き直り、目の前の大小の刀を凝視した。
「君たちは、この……主の刀たちなのだな」
「はっ」
 短く返答するも、まだ手は付いたままだ。
「主の刀なれば、控えねばならぬのは我らのほうだ」
 頭を下げようとする蜂須賀の気配に、娘が思わず顔を上げた。
「お、おやめください! 蜂須賀さまにそのようなこと――兄上!」
 娘が両脇の若者を揺り動かし、ふたりもようやく顔を上げた。
「い、いや。そのような……我らはただの刀で……」
「ど、どうかお止めください」
 明らかに動揺している様子だ。それを見て蜂須賀は少し表情を緩めて、丁重に声を掛けた。
「ならば、どうか土間からお上がりいただきたい。それと、これはお返ししよう」
 蜂須賀がそれぞれに刀を渡した。互いに顔を見合わせているとまず打刀が立ち上がり、埃を払うと茶の間へ登った。短刀が後に続き、娘はふたりから少し下がって腰を下ろした。
「どうだろうか。自らを差し出して、身内を庇ったのだ。それでもまだ疑いは晴れないか?」
 立ち上がった蜂須賀が皆に問いかけると、表だって異を唱えるものはもういなかった。
「蜂須賀虎徹だ。この本丸の、いや、本丸を構える前から主に仕えた最初の一振だ。よろしく頼む」
 打刀が一礼する。
「ああ、もう堅苦しいのはやめにしよう。互いに、今の世の習いに従おうじゃないか」
 蜂須賀の言葉に、兄弟は顔を見合わせ小さく頷き合うとまっすぐ前を向いた。
「では。我らは――」
 娘から兄と呼ばれた若者が声を上げたときだ。
「あああああっ、こんなところに! 皆さん、一体何をしているんですか!」
 よく響く張りのある声が、突然の大層な剣幕に掻き消された。恐らく僕ら刀剣男士全員の背筋が凍ったはずだ。僕らはすっかり忘れていた。この本丸には主と僕ら刀剣男士、そして政府による警備の仕掛け以外にもっと直接的に僕らを監視している存在がいることを。
 こんのすけ、それは政府が書く本丸に送り込む管狐だ。といってもその姿は竹筒に入るのは明らかに無理と思われる肉付きで、戯画の如く可笑しくも愛らしければ、術を使って悪さをする類いの狐ではない。政府との連絡役であると言われてはいるが、要は政府直属の役人であることに変わりなく、こちらを監視するような素振りを見せることもある。敵ではないが、かと言って味方とも言い難い、そんな存在だ。
「蜂須賀殿、あなたが居ながらどういうことですか? 審神者の刀を勝手に持ち出して床に転がしておくとは」
 誰もが詰問されるものと身構えていたはずだ。それが、こんのすけの思いもよらない言葉で、括ったはずの腹の力がいっぺんに抜けた。
「床に……転がって?」
 蜂須賀が呆然としながらも、こんのすけに恐る恐る尋ねた。
「全く、同じ刀剣として興味を持たれるのはわかりますが、そこは丁寧に扱って然るべきですな」
「あ、ああ……済まなかった。気を付けよう」
 心此処に在らずといった蜂須賀の返事だったが、こんのすけは特に気に留めるでもないようだ。
「蜂須賀殿、審神者からの言伝です。手空きの際でよいので、部屋まで取りに来てほしいものがあるそうです」
「わかった。もう少ししたら向かおう」
「では、よろしく頼みますよ」
 こんのすけは用向きを伝えると、後は興味がないといった風情ですぐにどこかへ行ってしまった。まるで狐につままれたように、僕らはしばらく呆然としていた。
「こんのすけにも見えていないのか。これは朗報。政府に君たちの存在を説明する心配はこれで本当になくなった」
 蜂須賀は肩の荷が下りたかのようにほっと息を吐いた。
「これで俺も踏ん切りがついた」
 蜂須賀の表情は晴れやかだった。
「改めて皆に伝えよう。俺は主のこの弓と刀について、主にはその姿が見えぬうちは主に告げぬままとする」
 今度は蜂須賀はきっぱりと宣言してみせた。
「もしそれが政府に知られ咎められるようなことになったなら、主の預かり知らぬこととして、俺が責任を取る」
 すかさず主の刀が蜂須賀に反論する。
「それはならぬ。我らのためにお役目を果たすべきお歴々にご迷惑をお掛けするなど」
 僕らにすれば仕える主の直臣たる弓に刀、彼らにすれば自分たちは新参もの。繰り広げられる押し問答を僕らは眺めているしかなかった。結局は、この本丸を仕切る蜂須賀に一任することで話がついたらしい。一方その間、先程は真っ先に異を唱えた長谷部クンは顎に手を当て何やら考え込んでいた。
「確かに、俺たちの勝手となれば主の責は軽くなる、か」
 どうやら長谷部クンなりに納得したらしい。が、その呟きとは裏腹にすぐに首を横に振った。
「だが解せぬ。何故こんのすけに見えない姿が俺たちの目には映るのだ?」
 あ、納得したのはあくまで主に伏せておくということについてなのか。
「まあ、よいではないか」
 長谷部クンをなだめるような、緊張感のない声が上がった。三日月だ。
「よくはないだろう! 理由がわからねばいざというとき、守れるものも守れん」
「おや、へし切長谷部はもう守る気でいるのだな。感心、感心」
「三日月っ――」
 長谷部クンが苦虫を噛みつぶしたような顔で、反論を呑み込んだ。
「何、見当がつかないわけではない」
 三日月は立ち上がると、主の刀たちの元へ進む。
「本丸は特殊な場だ。時の政府の助けもあって、主の力は外界と比して強く、安定している。ならば、へし切長谷部がこれらのものとあちらで対面したときに付喪も姿がなかったとしても、ここで過ごすうちに主の影響を受け、人の姿を得たと考えられなくもない」
 三日月は主の刀たちの正面で立ち止まった。
「人は自らの経験上、把握できぬ事は目に映らぬ。いや、映れども理解できないと言うべきか。自分の知っているものと置き換えがちだ。幽霊の正体見たり枯れ尾花というであろう? 我らは名と共にこの人の身の器を用意され、顕現したのだ。あちら側で、器なしに俺たちを見るものは限られている。数多の人は付喪神の存在など気にも止めぬ。管狐とて同じよ」
 三日月はまるで値踏みするかのように刀たちを凝視している。
「ふむ……やはり鋼の生まれだけあって、相通ずるものがあるな」
 三日月は警戒を解いた笑みを浮かべ、刀の正面に腰を下ろした。
「だが……お主はわからぬな。もともと命あったもの故か」
 笑みを浮かべたまま、三日月は弓の娘へと顔を向けた。
「このものは――」
 口を開いた打刀を、三日月は掌を向け制した。
「氏素性を疑っているわけではないぞ。ただ、俺たちと異なる故、そなたらふたりほど同じ匂いがしないのでな……手放しに受け入れるわけにもいかぬのだ。済まぬな」
 三日月の声は、幼きものをあやすようでもあり、敵意は感じられなかった。それでも娘にしてみれば、気落ちさせるに十分なものだったろう。伏し目がちなその睫が微かに揺れている。
「ほぉ、物分かりがいいような素振りを見せておいて結局は認めぬということか」
 長谷部クンの厭みにも三日月は眉ひとつ動かさず弓の娘を見据えている。
「三日月宗近、納得できないのであれば後で俺が話を聞こう。結論が出るまでどこか一処に居てもらえばいいだろう」
 蜂須賀が会話に割って入る。それでも三日月は身動きひとつしない。これじゃあ埒が明かないかな。
「いいじゃないか。万が一、敵の手に落ちたなら、そうなってから僕らが斬ればいいだけだろう?」
 さすがに皆がぎょっとする様子が見て取れた。三日月がゆっくりと僕へ顔を向けた。
「なるほど、この本丸で最初にこの娘を見つけ、そのまま見逃したお主が始末する……と。そもそも何故、隠し立てしたりしたのだ。何か、疚しい――」
 まあ、そうなるよね。三日月の目は笑っていない。
「待ってください」
 弓の娘が急に立ち上がり叫んだ。
「こら、わきまえんか」
 打刀が慌てて座らせようとするが、娘は引かなかった。
「わたしが疑われるのは仕方のないこと。でも、わたしのせいで主さまに仕える剣士さまへ嫌疑が掛かるのなら黙っているわけにはいかないわ」
 娘が打刀の手を振り払って、僕に向けた三日月の視線を遮るように立ち塞がった。
「わたしから申し出ました。主に害を為すのであれば斬れ、と。本気で対峙したなら手も足も出ないことを承知の上で。それが、主さまのお側に居たいと願うわたしの覚悟です」
 ちらりと見えた三日月は、まるで鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしている。
「なるほど、なるほど……そなたの覚悟、か。あいわかった」
 三日月は云々と頷き、成り行きを見守っていた蜂須賀を仰ぎ見た。
「済まぬな、蜂須賀。年寄りが出しゃばりすぎた。どうも年を取ると疑り深くなっていかん。にっかり青江も、許せ」
 それを聞くと、娘はその場にへたり込んだ。
「で、どうであろう。年寄りの取り越し苦労を承知で、しばらくこの娘を俺に預けて見ぬか。蜂須賀」
「「えっ――」」
 蜂須賀と僕が同時に声を上げた。
「何、数日でよい。それで俺が安心すればそなたもこの本丸で大手を振って自由に振る舞えるというわけだ」
「そ、その……我らはここに居られるのであれば下働きも厭わないが、その……お側にというのは――」
 打刀が言葉を濁す。
「お主はどうなのだ。身の潔白が証明されれば、にっかり青江へのあらぬ疑いも晴れるぞ」
 三日月が娘に畳みかける。僕は出しに使われるわけか。
「僕は気にしないよ? 疑われようとなんだろうと」
 ちらりと娘が心配そうに振り向く。
「三日月、曲がりなりにも主の弓だ。その……預けるにしても共に暮らすなどとは――」
「はっはっはっはっはっ」
 慌てる蜂須賀に、三日月は屈託なく笑った。
「いやいや、年寄りの戯れ言を真に受けるでない」
 三日月はすっくと立ち上がった。
「我ら三条の並びに空き部屋があったであろう。そこですごしてもらえば良い。年寄りの話し相手はつまらぬだろうが、茶飲み仲間が欲しかったのだ。若い娘がいるだけで場が華やぐ。気心知れれば、年寄りの猜疑心も和らごう」
 どことなく芝居染みた言い回しに少し引っかかる。
「おじいちゃんのあいてにあきたら、ぼくがおもてなしします! いっしょにあそびましょ」
   離れたところでぴょんぴょん跳ねて手を振るのは、三日月と同じ三条派の短刀、今剣だ。義経の守り刀として顕現しただけあって、三条大橋での牛若丸を思わせる姿だが、見た目はともかく打たれてこの方、三日月と同じくらい長らくこの世にあるだろうにと思わなくもない。
「あ、ああ。そういうことなら……よろしいか?」
 蜂須賀が躊躇いがちに主の刀に尋ねる。ああ言われては無碍に断るわけにもいかず、娘は三条が暮らす棟で数日を過ごすことになった。
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 結局、主の打刀と短刀の兄弟はしばらくの間、蜂須賀預かりの身となり、弓の娘は三条の話し相手として過ごすことになった。僕が御手杵クンにしたように、ここでの暮らしぶりを教えながら本丸に慣れるようにするんだそうだ。ひとつ異なる点があるとすれば、彼らが出陣することはない、ということだ。
 今日のところはまず一緒にこの本丸全体を案内すると、蜂須賀が彼らを連れて行った。そして僕は今、三条の連中の後ろを追いかけるように、庫院の廊下を歩いている。
「ねえ、本気で茶飲み友達にする気かい?」
 先頭を歩く三日月が、肩越しにこちらをちらりと見る。
「気になるか?」
 含みのある視線が僕を少し苛立たせる。
「主の弓だよ? 側仕えみたいな扱いはどうだろうねえ……」
「ほぉ……側仕え、か。いっそ側女に取り立てるのも――」
「ちょ、ちょっと、何を言っているのかわからないよ」
 僕はいい加減呆れていたが、このまま去るわけにもいかないし、仕方なく歩き続けた。庫院のなかでも三条の一角はちょっと変わっていて、部屋の造りこそ同じだけど、南に面した廻り廊下や調度品、庭の雰囲気がどことなく貴族文化を彷彿とさせている。さすがに平安時代の暮らしそのものを持ち込んでいるわけではなさそうだけど。
「掃除は行き届いているな」
 三日月が一番奥の部屋の戸を開けて中を検めた。各自の居室は自分で整えることになっているけど、空き部屋については共用部分として常に当番が掃除をしている。何故って、いつ新しい男士が増えてもいいようにだ。
「まあ、今夜は灯りと布団を準備してやればよいか」
「そうだな。俺が布団部屋から一組持ってきておこう」
 三日月の問いに応えたのは、岩融。武蔵坊弁慶の薙刀だ。義経の守り刀である今剣は早くからこの本丸に顕現し、岩融が来るのを今か今かと待っていた。当然、経験値は今剣のほうが岩融よりも上で、その主従らしい在り方は彼らの元の主たちを彷彿させた。
「ぼくもいっしょにいきます。まくらはぼくがえらびますよー」
「では、私は部屋を清めておくことにしよう」
 石切丸は自室から御幣を取ってくると、空き部屋へと入っていった。ほどなく祝詞が聞こえてくる。これ、長くなりそうだよねと肩をすくめてみる。
「ねえ、三日月――」
 声を掛けようと顔を向ければ、当の三日月はさっさと自室に戻ろうとしていた。
「ちょっといいかな、まだ話は終わっていないんだけどねえ」
 ぴたり、と三日月が足を止めた。
「はて、何の話だったかな」
 とぼけるな、と言いたいところだけどそんなやり方じゃ本音は聞き出せないだろう。僕は腕組みをすると柱に背を預け、庇越しに空を仰いだ。
「どうやら、にっかり青江殿は主に弓のご執心のご様子」
 三日月の横で小狐丸がこの日初めて口を開いた。小狐丸は能の小鍛治の中で、三条宗近と稲荷明神によって打たれた太刀だ。ものに逸話が憑くのでなく、先にあった物語に肖る刀が存在するという、僕らの中でも一風変わった在り方をしている。この本丸発足時に、三日月と同じく政府から賜ったことから古参の刀ではあるのだけど、出陣にしても内番にしてもこれまであまり縁がなく、その堂々とした態とは対照的に物腰の柔らかい刀ということしか僕は知らない。その彼から声を掛けられたことに僕は驚いた。
「にっかり青江殿はあまり他者に興味をお持ちにならない方とお見受けしておりました故……珍しいこともある、と」
 黙ったままの僕に、小狐丸が控えめな笑みを投げかける。小狐丸がどのような性格なのか、掴みきれていないからどう返していいのかわからないけど、無視するのも何なので決まり悪そうに微笑んでみせた。
「おお、そうであったか……これは失礼、失礼」
 三日月は大げさに驚いてみせると僕にそっと耳打ちする。
「案ずるな、俺は手は出さぬ」
 人の良さそうな笑顔だが、目が全然笑ってないよ……。
「どうかな……」
 僕は曖昧に躱す。さあ、どう取るかな、三日月宗近。
「お前の好きにすればよい」
「そ」
「俺が興味があるのはあやつの素性であって、器である人の身ではないのでな」
 素っ気ない返事しかしない僕を、三日月はたいそう楽しそうに眺めている。素性ねえ。あの娘が神託を受けていたのは山の社――本丸の中に降りる神なのだから案じることはないだろうけど、でもそれを三日月が暴くのは何故か面白くない。
「あの娘、生々し過ぎるのだ」
 不機嫌な僕に気がついたのか、鷹揚な態度が影を潜め、三日月は真面目な顔でそう口にした。
「明神の鎚の賜か、小狐丸の五感は我らより鋭い」
「いいえ、狐という野生に導かれてのことでしょう」
 三日月の言葉に、小狐丸が謙遜してみせる。
「いのちの気配がある、と」
 三日月の言葉に、小狐丸は無言で小さく頷いた。
「鋼ではなく竹より生まれし故――そうであれば、憂うこともなかろうが」
 そう言って自室へと向かう三日月は、去り際に意味ありげな視線を投げてきた。
「今宵、俺の部屋を訪ねてくるといい。あの娘のあられもない姿が見られるかもしれんぞ」
 また人を喰ったような三日月の態度に、僕はむっとして声を上げた。
「あの娘を最初に見つけたのは僕だよ」
「ほお、にっかり青江にも独占欲があったとは」
「独占って――あの娘の持ち主はほかならぬ主じゃないか」
「左様、故に手は付けぬぞ」
 三日月はこちらを振り返りもせず、そのまま自室へと消えた。
 大阪城への出陣は打刀に太刀、大太刀が主力の部隊へ交代する時期を迎えていた。今回、僕の大阪城出陣は今夜が最後になりそうだったから、同じ部隊の連中と万全の体制で挑んだ。三日月が何を企んでいるのか、気にならないわけではなかったけど、出陣のときに別のことに気を取られるような僕じゃない。結局、弓の娘と兄弟がどう過ごしたのか知るよしもなく、夜半に帰還するや否や僕は戦装束のまま三日月の部屋へと向かった。
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 月は既に沈み、辺りは闇に包まれていた。三条の部屋の一角まで来たところで、三日月がこちらに歩いてくるのが見えた。
「来たか」
 紙燭を手に、まるで僕を出迎えにきたかのようだ。行動を見透かすような態度が癪に障る。
「君が来いと言ったんじゃないか」
「別に、俺に従う義理はなかろう? 五分五分と踏んでいた」
 ふたりして音も立てず奥へと進み、三日月に促されるまま部屋へ足を踏み入れた僕は目を見張った。
「一体……これは何を始める気なんだい?」
 僕は努めて声を落とすようにして三日月に尋ねた。部屋の中央には急拵えと一目でわかる護摩壇が設えてある。正面で山伏国広が何やら祈祷をしている。山伏国広、読んで字の如くというか、一見して山伏を思わせる姿なのは、刀工が山伏修行中に鍛えた刀だからだそうて、暇さえあれば修行のため山籠もりを企てている。山間にあるこの本丸は彼にはうってつけだろう。両隣に座っているのは小狐丸と今剣だ。そういえば、岩融と石切丸は僕と入れ違いで大阪城出陣だったね。
「何……とな? 見てわからぬか?」
 僕の後ろで戸を閉めながら三日月が揶揄うように声を掛けてきた。
「わかるよ」
 僕が聞きたいのはそれじゃない。
「そうじゃなくてさ。炎上させる気かい? 事と次第によってはこの棟だけじゃすまないよ」
「案ずることはないぞ、青江殿」」
 呆れている僕に、祈祷中の山伏が顔を上げる。彼ほどお天道様の下を堂々と歩くに相応しいものはないだろうと思えるほど、陰日向なく真正直な刀が何故ここに居るのか。場違いにもほどがないかい?
「護摩行を願い出たところ、こんのすけ殿が用意してくれてな。屋外で行わねばならぬと思っていたのだが。にわかには信じられぬが燃え移らぬ絡繰りがあるのだぞ」
 屈託のない豪快な笑顔は謀にはほど遠い。
「解せぬか? 俺が頼み込んだのだ」
 三日月が戸の側に座り込んだ。まるで、何事かあればすぐに部屋を飛び出せるようにしてるみたいだね。
「お前も突っ立っていないで座れ」
 三日月に言われるまま、僕もその場に腰を下ろした。
「調伏の真似事だ」
 三日月が目を細める。
「三日月殿が気を揉んでおられたのでな。獣の気配を感じる、と」
 山伏の言葉に妙な含みはない。
「気のせいかと思いましたが、やはり山人の気配を感じますれば……」
 小狐丸が僕に済まなそうな顔を向ける。
「小狐丸はこの本丸の誰よりも鼻が利くのでな」
 三日月が素で口にするとなんか逆に不安が増す。
「何、主の弓そのものに穢れは見えぬ。ここへ来てから山で過ごしている間に彷徨うてるものに付き纏われるようになったのであれば、払い落とせばよいだけのこと。拙僧に任されよ」
 再び山伏の祈祷が始まり、護摩の火に勢いが増した。憑き物を落として調伏するつもり満々じゃないか。素知らぬふりの三日月だけど、僕の様子をずっと窺っているのはわかる。
「でもびっくりだよ。こんなに身を焦がすほど熱くなってるのに……まるで立たないなんて」
「これはまた意外な――囲い甲斐のないことよ」
「……煙のことだよ?」
「そうであろう? この天蓋が煙も熱も集めて他所へ送るのだとか」
 おっと、僕としたことが煙に巻かれてしまったよ。三日月は僕があの娘の肉に惑わされていると勘ぐって探りを入れてきているのだろうか。それとも単に僕の反応を面白がっているだけで、本気で憑き物を炙り出そうとしているのだろうか。三日月のほんとうの狙いがわからない以上、下手に動くわけにはいかない。で、黙ったままの僕に業を煮やしたのか、三日月のほうからにじり寄ってきた。
「今日は疲れたろうからと早くに休ませた」
「誰を?」
 僕の返事は半ば投げやりだ。
「とぼけおって――」
 どっちがだ……僕は苛立ちを表に出さないようただ護摩の焔を見詰め続けた。
「この煙は庭に出て行くようになっていてな。娘が休んでいるのはこのすぐ奥の部屋なのだが、今夜の風向きだと……欄間を空けていたりすれば、今頃はさぞ煙たかろう。おお、そうだ。部屋が埃っぽかったのでな、昼間少し開けておいたのだった。すっかり忘れていた」
 目が笑ってない。本気で憑き物を落とす気だ。
「煙たいのは、獣が憑いていようがなかろうが、同じだろうけどね」
 そのとき、こほんと小さな咳が聞こえた。しばらくしてまたひとつ。次第に咳と咳の間隔が短くなり、苦しそうになってくる。がた、と大きな音がした。部屋の中で藻掻いたかに思えて落ち着かない。そして柱に思い切り当たるほどの勢いで戸を開け放つ音がした。どん、と大きく踏みしめる音は、廻り廊下に転がり出るように踏み出したのか。僕は思わず腰を浮かせた。
「ならぬ」
 三日月が僕の肩を掴む。
「あの娘がどのような顔で助けを求めてくるか、見物ではないか」
 三日月がそう言い放ったが早いか、背後の戸ががたりと音を立てた。
「三日月さま、失礼します!」
 そう叫んで娘が部屋へ飛び込んできた。がたがたと全身を震わせて、血の気の引いた顔で目を見開いている。
「どうか、したかな」
 三日月の鋭い視線が娘を捉えている。娘はきゅっと口を引き結ぶと、意を決したように三日月の腕を掴んだ。三日月の瞳がぎらりと光った。部屋に緊張が走る。
「どうかしたかじゃないです。火事です、逃げますよ!」
 三日月も僕も、一瞬何が起こっているのかわからなかった。娘は三日月の両腕を掴んで強く揺するが、三日月に動く気配がないと悟ると、咄嗟に三日月を背負うようにして立ち上がらせると、引きずるように外へ出ていく。
「みなさまも、ここに居てはなりません。早く外へ逃げてください」
 娘の必死の形相に、僕も後に続いて外に出た。見れば、娘は素足のまま庭に降りると、三日月の様子を確認している。
「どこかにお怪我は? 火傷はなさっていませんか? 胸が苦しくはありませんか?」
 矢継ぎ早に質問を投げるが、三日月はぽかんとしたままで、途方に暮れた娘は僕に気付くと、慌てて声を上げた。
「青江さま、お部屋にはまだどなたか?」
 僕の返事を待たずに、娘は部屋に向かって駆け出した。
「早く助けないと――」
 その娘の動きがぴたりと止まった。振り向く娘の先で三日月がその手を掴んでいた。
「あーっはっはっはっは、あーっはっはっはっは……」
 突然、三日月が腹の底から笑い始めた。今度は娘がぽかんとする番だった。
「三、三日月さま……?」
「すまぬ、すまぬ。もう休んでいるだろうと言わずにいたのだが、却って驚かせてしまったようだな」
 三日月の笑い声に釣られたか、残りの連中もぞろぞろと部屋の外へと出てきた。娘は皆の顔を見比べては、わけもわからずおろおろするばかりだ。
「護摩行だよ」
 三日月の笑いが止まらないものだから、仕方なく僕が娘に告げた。
「護摩……?」
 三日月を振り払おうとしていた娘の腕から力が抜ける。
「左様、左様……これは耄碌爺の取り越し苦労だったか」
 三日月はまだくつくつと笑い止まずにいる。
「有無、拙僧は山伏国広と申す。日々、修行に励む身である。今宵は主殿に災い無きよう、拙僧が祈祷を執り行っていたのだ。相済まぬ」
 事情を察した山伏国広が上手いこと誤魔化してくれた。いや、嘘は言ってないか。山伏らしい。
「祈祷……」
 それを聞くと娘はその場にへたり込み、しばらく呆然としていた。
「そんなに、ひがこわかったですか?」
 今剣が駆け寄って顔をのぞき込むと、娘は突然ぽろぽろと泣き出し今剣を抱きしめた。
「無事でよかった……火の中に取り残されているかと思ったじゃないですか」
 今剣はちょっと驚いた顔をしたけど、すぐに穏やかな笑みを浮かべると娘の背中を優しく撫でた。
「なかないでください。ぼくたちならだいじょうぶです」
「さあ、中へ。夜露で濡れてしまいます」
 小狐丸が娘の手を取り、立ち上がらせる。
「せっかくである、お主も護摩木に願いをしたためぬか? 拙僧がその願い、炊き上げて不動明王に届けようぞ」
 山伏が奥から護摩木と筆を持ってきた。三日月がそれを取り、娘の手に握らせた。
「驚かせた詫びと言ってはなんだが……俺からも頼む。主のために祈ろうではないか」
 娘の顔にようやく笑顔が戻り、大きく頷くと皆と一緒に部屋へと戻っていった。
 僕はそのまま庭で見守ることにした。月が沈んでから大分経った空は満点の星々で輝いていた。そして護摩行は滞りなく終わった。和やかな雰囲気の中、部屋から出てきた娘は僕に気付くと、無言のまま小さく会釈して、自分の部屋へと戻っていった。それを見届けて立ち去ろうとする僕の背後から、三日月の声が掛かる。
「手間を取らせたな」
「とんだ茶番だよ」
「まあ、見込み違いにもほどがあると笑ってくれ」
 これで疑いは晴れたかい? そう言ってやろうと口を開きかけたとき、目の前をふわりと淡い光が横切った。
「これはこれは。このような時間に迷い出る蛍がいるとはな」
 三日月が光と戯れるように空で手を泳がせる。
「これもここのいのちのひとつか。まこと、ここは数多のいのちに溢れていることよ。よきかな、よきかな」
 三日月は上機嫌でそのまま去って行ってしまった。
「なんだい、僕には謝らず仕舞いか……」
 別に詫びてもらいたかったわけじゃないけどね。変な詮索が止んでくれればそれでいいさ。
「でも、背負われるように引き摺られてるときの三日月の顔、傑作だったなあ」
 僕はひとり、思い出し笑いを噛み殺しながら草の上を歩き出した。
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刀剣弓箭譚 5 ーいのち、瞬くー
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 廻り廊下が騒がしいな。話し声で目を覚ます。大阪城へ続けて出陣したからだろうか、辺りはすっかり明くて、僕にしては随分と起きるのが遅かったようだ。障子戸を引いて部屋の外を見れば、そこには何やら難しい顔をした蜂須賀と短刀たちがいた。
「あ、にっかりさん。おはようございます」
 僕に気が付いて笑顔を向けてきた短刀は平野藤四郎だ。隣に立つ前田籐四郎と同じく加賀藩前田家に伝わった刀で、彼もまた守り刀として多くの主に仕えてきた。でも平野藤四郎は御一新後は前田家を離れ皇室に献上された。同じ凜とした佇まいでも前田と平野とで印象が異なるのはそのためだろうか。いつの御代だったか、皇后さまの枕刀を務めたこともあると言っていたっけ。
「お前がこんな時間に起きたばかりとは。めずらしいな」
 蜂須賀が目を丸くして僕を見る。先日の厳しい姿からは想像できないほど柔らかな人当たりのいい笑みだ。人当たり……いや、刀当たりというべきなのだろうか。まあ、慣用句ってものは人だろうと刀だろうと、通りのよい言葉遣いとして使えばいいか。
「ああ、昨夜は随分と入れ込んでしまってね。っふふ……ああ、大阪城のことだよ」
 きょとんとしている蜂須賀と、はっとした表情を瞬時に戻す前田が対照的だ。彼はご婦人の警護に長けてる。
「ということは、お前が帰還したときに特に変わったことはなかったんだな」
「変わったこと?」
「これだ」
 蜂須賀が軒へと上げた目線を追う。何かがぶら下がっている。
「何かの葉が屋根に落ちたんじゃないのかい。風か鳥が運んできたとか」
「そうならよかったんだが。表に出てきてみるといい」
 蜂須賀に促され僕は表に出て屋根を見た。細く長い葉が数本ずつ束ねられ、等間隔に置かれている。
「これはこれは……壮観だねえ。昨晩、帰ったのはもう月も沈んで真っ暗になってからだけど、これだけ並んでたら僕が気付かないことはないと思うけど」
 僕が首を捻っていると、母屋のほうから鯰尾藤四郎と骨喰藤四郎がこちらに駆けてくる。「おーい、蜂須賀さ~ん」
 無邪気に手を振って飛び跳ねながらこちらに向かってくるのは鯰尾のほう。黙ったままその隣を走るのが骨喰藤四郎だ。どちらも磨上げられた薙刀直しの脇差だ。鯰尾はその形が鯰の尾に似ているから、骨喰は斬ろうと構えただけで骨まで砕くとの謂われから、その名が付いた。そしてどちらも火事で焼かれて記憶がない。いや、鯰尾はすべて忘れているわけでもないのだけど……少なくとも顕現して初めて言葉を交わしたとき、鯰尾は僕のことを覚えていなかった。
「ここだけじゃなかったよ」
 息を切らす鯰尾の言葉を継いで骨喰が続ける。
「母屋の庇も同じように置かれていた」
 表情豊かな鯰尾と淡々と語る骨喰、実に対照的だ。
「母屋も同じなのか。なら、大阪城から戻ったときには確かになかったよ。あそこは夜通し竈番が明かりを絶やさないようにしてるからね」
 前田、平野によればふたりは明け方に目を覚ましたが、雨が降っていて表には出ず部屋で過ごしていたとか。
「何か……特別、変わったことでなくてもいい。朝、部屋を出るまで何か覚えていることはないかい」
 蜂須賀の問いに前田と平野が互いに顔を見合わせた。
「鳥が飛んでいました」
 少し考え込んでから前田が口を開いた。
「朝は鳥の声がよく聞こえてきますが、そういえばいつもより近くを飛んでいるようでした」
 僕は社で出会った生き物たちを思い出していた。もしかすると……ああ、あり得ない話ではないだろう。あの鳥たちなら娘が願えば手助けするに違いない。僕は蜂須賀を粟田口連中から少し離れるよう促した。
「蜂須賀、ちょっと相談があるんだ。主のことで……もしかしたらこのこととも関係があるかもし――」
 蜂須賀に話し掛けている僕の耳に、別の誰かが蜂須賀を呼ぶ声が飛び込んできた。
「は、蜂須賀さーん! 大変です。兼さんがっ……早く、来てくださーい」
 全速でこちらに向かってくるのは堀川国広だ。和泉守兼定と共に土方歳三の元にあったと言われる堀川国広作の脇差だ。真偽は置いておくとして、堀川自身は和泉守の助手であるという自覚を強く持ち顕現している。血相を変えた堀川の様子に、和泉守に何かあったのかと身構えたが、聞かされたのは予想もしなかった事態だった。
「みんなと道場に行ったら、誰かが掃除をしていて……それを咎めた兼さんが」
「掃除がどうかしたのかい?」
 蜂須賀が苦しそうな堀川の背をさすってやる。
「それが、し、知らない……女の人で……」
 僕は咄嗟に駆けだしていた。本丸に女人がいるはずがない。政府からの訪問者がないとは言えないが、万が一にも道場の掃除をしているなどあり得ない。僕は視界の端に廊下を曲がってきた御手杵クンを捕らえると振り向きざまに叫んだ。
「御手杵クン! あの弓、弓を持って道場に来てくれ! 今は主の部屋にある、すぐにだ!」
 きょとんとしていた御手杵クンだが、僕の剣幕に何かを感じ取ってくれたのか彼なりの全速で母屋に向かって走り出してくれた。
「わかった! 絶対に持ってく」
 御手杵クンの声に安堵し、僕はまっすぐ道場へと地を蹴る。その後ろを蜂須賀が追いかけてくる。
「青江、お前は侵入者のこと、何か知ってるのか!」
「知らないよ、侵入者なんて! 僕に心当たりがあるのは主の縁者だよ。急がないと……」
「何?」
 蜂須賀の声色が固くなる。
「さっきの相談と何か関係があるのか」
「もしかしたら……だよ」
 僕は蜂須賀を待たずに形振構わず道場へと駆け込んだ。
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「そうやって躱してばかりじゃ、いつまで経っても俺に当てることなんざできねーぞ」
 僕の目に飛び込んできたのは、刀を手に対峙している和泉守とあの娘だ。一瞬ぎょっとしたが、和泉守が手にしているのが真剣ではなく手合わせで使う木刀だったのに安堵した。
「ちょっと待っ――」
 僕はそのまま道場の中へと進もうとしたときだ。
「はいはーい」
「邪魔しないでねー」
 大和守安定と加州清光に両脇からがっちりと組まれ身動きが取れなくなった。
「和泉守がちゃーんと決着付けるから」
「そうそう、余計な手出しは無用ってね」
 二振は和泉守や堀川と同じく新撰組にあった刀だ。和泉守と堀川が土方歳三の大小の愛刀だったのに対して、加州と大和守は沖田総司の刀でどちらも打刀だ。共に戦場に立つことはなかったが同じ主が振るった刀だっただけあって連携されるとやっかいなほどに息が合う。
「堀川が蜂須賀を呼びに行ったでしょ? それ聞きつけたの? さすが早いね」
 朗らかに褒めそやしてくれる加州だが腕に掛かる力は緩まない。
「びっくりだよね。あの娘、まるで怯む様子なくって。挙げ句、問い詰める和泉守に無礼だって食って掛かっちゃってさ」
 大和守はどこかこの騒ぎを楽しんでるみたいだ。そりゃそうだよね、どう考えても勝負となったらあの娘が和泉守に敵うわけがない。あの娘を不審者と捉えていても排除は容易いと思っているからこそ、こんな茶番を申し出る余裕があるのだろう。けど、だからといって手加減するつもりが微塵もなさそうなのもわかるんだよね。
「っていうか、放してくれないかな。止めなきゃいけないんだ」
 加州が不思議そうな顔をする。
「止める? どうしてさ。公明正大な立ち合いだよ。不法侵入なんだからさ、有無を言わさず成敗されていたっておかしくないのに、和泉守があの女の話を聞いてやるって譲歩してあげたんだだよ。あの木刀を自分の体にわずかでも当てられることができたら申し開きを聞いてやるって。本来なら問答無用で斬り捨てられても文句言えないと思うけど」
 大阪城の一件からこっち、なんかみんな必要以上に高まってるんだよね、戦意が。いや、基本この本丸に与り知らぬ存在があってはならないのは事実なのだから、即座に反論できない。不幸中の幸いは、娘がこうしてまだ無事でいること。そう、まだ……だから早く止めないと。
 説得力のある言い訳を必死に考えている最中にも、道場に木刀を打ち付ける音が響き続ける。
「でもあの娘もなんだかんだいい筋はしてるんだよね。なんか柳に風って感じで、和泉守がどんな手を繰り出してもきれいに受け流しちゃうんだ」
「そうそう。なんでもあり、なんて言ってる割に和泉守ってこういうときは辛抱強いよね。僕なんかあれだけ組み合うの避けられたら、痺れ切らして一気に方つけようとしちゃうなあ」
 確かに、娘は和泉守の力をうまく利用して自分に向かってくる刀を脇へと逃がしている。でも、それだけじゃあ娘が和泉守に木刀を打ち込むことはおそらく無理だ。疲れてくれば一気に押される。そんな不安が過った瞬間だ。
「そうやって俺が疲れるのを待つって寸法か……残念だったな。主を守るためならどんな手段だって繰り出すぜ。なんでもあり、だ。女だからって容赦しねーんだよ!」
 和泉守が一気に踏み出した。正面から受け止めた娘が持ち堪えられたのは一瞬だった。次の瞬間、押し飛ばされた娘の体は道場の壁に叩きつけられ、掛けてあった木刀がばらばらと娘の上に降った。
「和泉守、その娘に手を出しては駄目だ!」
 和泉守がゆっくりと振り向いた。
「なんだ、にっかり青江。まさかお前、この女の仲間なんじゃないだろうな」
 広い意味ではここにいるみんなが仲間なんじゃないだろうか。そもそもあの娘をここへ連れてきたのは主なんだし。でもそう言ったところで納得はしてくれないだろうな。早く御手杵クンが来てくれないかと僕は必死で願う。
「そうじゃない。その娘は主がここへ連れてきたんだ」
「はあ? 主からそんな話は聞いてねえ。お前がそんな見え透いた嘘を吐くなんてどういうこった。まさか俺たちを裏切――」
「「ああっ、和泉守!」」
 大和守と加州が一斉に叫んだ。からん、と木刀が床に落ちる音が響く。やれやれ……、面倒なことにならないといいんだが。
「なんでもあり、なんでしょ?」
 道場の壁に凭れ掛かった娘から伸びる腕は、まっすぐ和泉守に向かって伸びている。さっきの音は娘が床から拾って和泉守の背に向かって投げた短刀のものだった。
「んだと、てめぇ――」
「兼さん! 落ち着いて」
 いつの間にか道場の入り口に立っていた堀川の声に和泉守や大和守、加州が気を取られた一瞬の隙に、僕は捉えられたいた両腕を振り払い、和泉守と娘の間に割って入った。
「逃げも隠れもしない相手に、これ以上何をしようっていうんだい?」
「ああ? 幽霊だからって女子ども斬ったお前が何言い出しやがる」
 確かに、ね。
「僕だって主に仇なす存在なら迷わず斬るよ。だけど――」
「ちょ、ちょっと待って。刀を当てることができたら話を聞いてくれるんじゃなかったの?」
 娘が立ち上がり進み出ようとする。いや、待って欲しいのはこっちなんだけどね。さすがに娘を庇いながらここにいる全員を一度に相手をするのは難儀だ。というか僕、今、丸腰なんだよね。そんなことを逡巡している間にも和泉守がじりじりと間合いを詰めてくる。そこにばたばたと大きめの足音が近付いてくるのが聞こえた。
「青江、持ってきた!」
 いつもののんびりした口調からは想像できない、鋭い声が道場に鳴り響いた。御手杵クンだ。蜂須賀も一緒にいる。そう言えば、僕が道場に駆け込んだとき一緒に向かっていたはずの蜂須賀の姿がなかった。
「話を聞く前に少し時間をくれないか」
 蜂須賀は御手杵クンから弓を受け取ると僕らのほうへと近付いてきた。僕の目の前で立ち止まると僕の肩に空いたほうの手を掛け、脇へ退くように促した。僕は素直に蜂須賀に場所を譲った。蜂須賀は手にした弓を娘に突きつける。その蜂須賀の肩越しに、申し訳なさそうに手を合わせる御手杵クンが見えている。
「これは君のもの……いや、君なのか?」
 ああ、もしかして主の部屋に入るのに蜂須賀に協力を仰いだのか。そりゃ説明しないわけにはいかないよね。蜂須賀をまっすぐ見据え、娘は無言のまま弓へと手を伸ばす。蜂須賀はそのまま弓を娘へ手渡した。
 弓を手にした娘からは、僕らが顕現するときのように花が舞うわけでもなく、説話にあるような霊験が顕わになることもなかった。だけど、その場に居た刀は瞬時に感じ取った。ここに居る娘は、正にこの弓そのものなのだと。それは、おそらく付喪神という在り方を内包している「物」にのみ理解できる現象なのだと、そう思うほかなかった。
「その弓、もしかして大広間にあった……あれか?」
 和泉守が息を呑んで、次の瞬間大いにたじろぐのがこの場にいる一同に伝わった。
「お、おい! なんでそれを先に言わねーんだよ!」
「あら、わたしの話も聞かずに、俺にその木刀を打ち込めたら聞いてやるよ、って吹っかけてきたのはそっちじゃない!」
 和泉守に食って掛かる娘に僕は初めて会った晩のことを思い出していた。そうだ、この娘は僕らに対して全く物怖じしないのだ。
「ちょっと待ってくれ。僕に説明させてくれないか」
 慌てて僕がふたりの間に割って入る。が、僕がもう一度口を開くより早く、蜂須賀の声が低く響いた。
「青江、お前はここにその娘がいる……その姿を目にした上で黙っていたんだな」
 皆の視線が僕に集まるのがわかる。
「まあ……そういうことになるかな」
 蜂須賀が小さく溜息を吐く。
「御手杵から粗方聞いた。言い分は聞いてやるが不問に付すかはその内容次第だ」
「青江さまに非はありません! わたしが」
 僕は蜂須賀の前に出ようとした娘を腕で制した。
「彼はこの本丸の……主の一番の側近だ。ここでの政をすべて取り仕切っている」
 僕はだから彼に従うよう続けるつもりだったのだけど、娘はそれを聞くまでもなく姿勢を正し僕のすぐ後ろに控えた。その振る舞いから、主が統べるこの本丸の秩序には素直に従うことが伝わったのだろう。誰もが蜂須賀が口を開くのを固唾を呑んで見守っている。
「まず俺が話を聞こう。一刻後に全員に茶の間に集まってもらう。それまで、娘の――この弓のことについては一切口外しないでもらいたい」 
 蜂須賀は道場の外から様子を窺っていた前田、平野、鯰尾、骨喰の藤四郎兄弟に人払いと見張り役を命じると、僕と娘を道場脇の小部屋へと引き入れた。部屋へ入るとき、こちらを心配そうに見ている御手杵クンの姿が目に入る。ここへ来るまでに蜂須賀に粗方事の次第を伝えてくれた感謝と巻き込んでしまって申し訳ない気持ちとで、僕は咄嗟に御手杵クンを安心させるだけの笑顔を向けることができなかった。
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 一通りの説明を聞き終え、目を閉じて考え込む蜂須賀の眉間に皺が寄った。
「事情は……わかった」
 そう告げると蜂須賀はそのまま黙り込んでしまう。
「あの……」
 続く沈黙に耐えられなかったのか、 娘が躊躇いがちに口を開いた。
「わたしはここに居てはならないのでしょうか」
 それでも蜂須賀の瞼は閉じられたままだ。どのくらい経ってからだろうか、蜂須賀は天を仰ぐようにしてからその瞳を僕らに向けたが、表情は険しかった。
「事の起こりをなぞる限り青江に非は、おそらくない。もちろん報告があって然るべきと言えなくもないが……身元が確かなだけに……誰よりもまず主に目通りを考えたことを責めることはできないだろう。ただ――」
 蜂須賀は額に手を当てて俯いた。
「皆をどう説得したものか」
「説明も何も……出てしまった以上、仕方ないだろう? 人の身として、ってことだよ」
 蜂須賀は娘をじっと見据える。娘もその瞳で蜂須賀をまっすぐ捉えている。
「確かに、君はその弓から顕現したのだということを俺たち刀剣男士が理解するのは難しいことじゃあない。君の在り方は俺たちのそれに限りなく近いと感じる」
 蜂須賀の言葉に棘はないが、どこか歯切れの悪さも伝わってくる。
「つい先日、主の刀をこちらへ持ち込むのに政府の役人と一悶着あってな」
「ああ……」
 頭を過ったのは、僕が娘と出会う晩に長谷部クンと蜂須賀が交わした会話だ。
「公になってはいないが、政府の管理下にない刀剣から俺たちのように人の姿を顕した例があると聞いたことがある」
「へえ……どうして隠すんだい? 戦力が増えるのは喜ばしいことじゃないか」
「それがそうとも言えないんだ。確かに俺たちは主によって人の世に呼び起こされこうして顕現した。だが、俺たちのこの姿を定めたのは時の政府だ。つまり、審神者が行うのはあらかじめ用意された器へ、刀剣に宿る心を移し置くことであって、新たな刀剣男士を生み出すことではないんだ」
 蜂須賀は一呼吸の間を置くと声を落とした。
「これは審神者の力を政府が制御していると取れなくもない」
 僕は少し考えてから口を開いた。
「統治……という観点からは好ましくない、と」
「その通りだ。政府は刀剣男士を顕現する術が歴史修正主義者に渡ることはなんとしても阻止しなくてはならない。でもその術が権力の中枢ではなく末端に存在するとしたら?」
「管理上、面倒なことにはなるし、何より自分たちが独占しているはずの術を手中に収めているのはある意味、目の上のたんこぶ的……な?」
「表向きは政府も歓迎するだろう。何しろ歴史修正主義者にとっては想定外の戦力という点での利がある。だが同時に警戒もする。どの刀剣から顕現したのか、容姿や能力、事細かに報告を求められる。そして僅かでも歴史修正主義者への傾倒ありと判断されたなら」
「されたなら?」
「接収だ。有無を言わさずに、だ」
 蜂須賀の言葉に、しばし沈黙が場を支配した。娘の表情がわずかに険しくなったように見えた。それに気付いた蜂須賀が娘を気遣ってか、ふわりと笑みを浮かべ娘に話しかけた。
「ああ、そんな顔をしないでくれ。君を困らせるつもりはないんだよ」
 そう言えば、蜂須賀の娘に対する態度は始めから一貫していた。それはまるで主を訪ねてきた親族であるかのように礼儀正しくありつつも、優先すべきは主の立場であることからの葛藤や迷いが垣間見えて、ああ彼はやはり主の第一の臣なのだな、と感じずにはいられなかった。
「少なくとも君は政府から侵入者と見なされていないのは確かなんだ。警報装置が反応していないのだから、それは安心していい。君はあくまでその弓そのものでしかない、と言うと気を悪くするかもしれないが」
「いいえ、そうでなければ難しい立場になってしまうことはわかりましたから。わたしだけでなく主さままでも」
 娘のその言葉に蜂須賀も安心したようだ。
「理解してくれてうれしいよ。では、君を皆に紹介するとしよう。その上で君の処遇をどうするかを決める。それでいいかな」
 娘が黙って頷くのを確認して、僕はそっと蜂須賀に目配せした。
「少し……ここで待っていてくれるかな」
 蜂須賀はそう娘に告げると立ち上がって外へ出た。僕もその後を追う。ちら、と娘のほうを見ると娘もこちらへと目線を向けたところで、はっとした表情を浮かべたがすぐに小さく微笑んで正面を向いてしまった。凜とした佇まいの背筋が男士のそれとは違って、怒られるかもしれないけど、 心細さはいかほどかと思わずにはいられなかった。
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 先に部屋から出た蜂須賀の後を僕は黙ってついていく。ちょうど道場の角まで来たところで蜂須賀が足を止めて振り向いた。
「立ち話で済む話かい? 長くなりそうなら別の場所へ」
「いや、ここでいい」
 僕の索敵範囲には小部屋の娘以外に気配はない。
「皆にあの娘を紹介する前に、主のことで伝えておきたいことがあるんだ」
 蜂須賀は早くに顕現し、この本丸発足の準備から主を支えていたという。それなら、きっと話は早い。
「君なら……主が僕らに対してどこか遠慮している理由を詳しく知っているのだろう?」 蜂須賀の表情が一瞬揺らぎ、深い溜息が漏れた。
「あのとき、主にあんなことを口にさせてしまったのは俺が判断を誤ったからで、主が責任を感じる必要などどこにも――」
 思わず口を突いて出た言葉に蜂須賀自身も驚いたのか、急に口を噤むと僕に向かって跋が悪そうに微笑んでみせた。
「君には僕の言い訳なんてとっくにお見通しだろうな」
「そうは思わないさ。皆もわかってるよ」
 僕は蜂須賀に微笑んでみせ、あのあと主の部屋で交わした会話を掻い摘まんで伝えた。弓に限らず、主がここへ持ってきた刀の付喪神が顕現したとして、その姿を自分が見ることができないとしたら……そう口にした、あのときの主の寂しそうな様子と共に。蜂須賀にはそれで伝わると思ったんだ。
「少なくとも政府がこの本丸に用意した、主を補助する力というのは僕ら政府に登録されている刀剣男士にしか作用しない。それはこの本丸構築の際、主と一緒に説明を受けたことだから間違いないだろう。政府以外の何らかの力が働いてあの娘の姿が具現化されたなら、まず一番に考えられるのは主の力なんだと俺は思う」
「でも、主には見えていないんだ。それについては僕だけじゃなく御手杵クンも目撃している」
「ああ、それはさきほど彼からも聞いたよ。主に、あの娘が見えていない振りをする理由は、僕には思い当たらない」
 蜂須賀はそれきり黙ったまま、腕を組んで考え込んでいる。僕は黙って蜂須賀が口を開くのを待った。
「あの娘の処遇に加えて、そのことを主に伝えるべきかどうか。皆の意見がまとまるだろうか」
「その必要はあるのかい?」
 僕の言葉に蜂須賀は驚いた様子で顔を向けた。
「当然じゃないか。主に関わることだ。この本丸すべての男士に計って当然だろう」
「でも、この本丸の政を司っているのは蜂須賀虎徹、君じゃないか」
 蜂須賀の目が見開かれる。
「すまない、僕は政にあまり関わっていないから……もし間違っていたら謝るよ。でも、 この本丸を司るのが主なら、実際の算段をつけるのは君だと、僕は思っている。だから僕は主が僕に語ったことを、君にだけ話したんだ」
 君にだけ、僕はそこに力を込めた。蜂須賀の瞳がわずかに揺れる。
「戦に長けている君に、そう言ってもらえるのはうれしいよ」
 微かな笑みと共に蜂須賀はそう応えてくれた。
「正解はわからない。でも主の弓をないがしろにするわけにはいかない。そして主には主として堂々と胸を張ってこの本丸に在ってほしい。俺のこの気持ちは本物だ」
 自分に言い聞かせるように、ひとつひとつ噛み締めて音となった蜂須賀の言葉を、僕は微笑みで受け止めた。
「さあ、あまり待たせるのは失礼だ。あの娘と茶の間へ行くとしよう」
 そう言って目線を上げた蜂須賀はいつものきりりとした面持ちで、僕はと言えば、きっと大丈夫なんて根拠のない安堵を覚えたことにちょっと驚きながら、歩き出した蜂須賀の後を追いかけた。
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 大阪城撤退に端を発したあの晩、打刀、太刀、大太刀に槍と、大きな刀だけ集まったこの茶の間に(あ、僕が脇差なのにあの場にいたのは単に成り行きだよ)、今日は短刀と脇差も加わりこの本丸に顕現しているすべての刀剣男士が集まったものだから、文字通り鮨詰めで土間にも溢れる有様で、結局、隣の部屋との仕切り戸を外すことでようやく皆、腰を下ろすことができた。つい数日前に焦燥感と殺気とで重苦しく沈んでいたこの部屋が、今は好奇心と期待に満ちて華やいでさえいる。皆、蜂須賀がやってくるのを今か今かと待っているのだ。もちろん、新撰組の連中が箝口令を破るようなまねはしやしない。蜂須賀が女の人を連れて歩いている、そんな本丸での目撃談が知れ渡るのにはわずかな時間があれば十分だった、ということだ。
「主君の……もしかして奥方さまでしょうか」
「それにしちゃあ随分と若かぁなかったか?」
「え~? 年の差なんて関係なくない?! まあ、そんな感じには見えなかったけどぉ」
「んじゃ、娘とかか?」
「えと……それはさすがに、人の世の理を考えれば無理があるのではないでしょうか」
「しかしながら、お身内でもなければ本丸には入れないのではないでしょうか」
  事情を知らない粟田口の短刀たちと鳴狐(のお供)が推理に花を咲かせている横で、前田と平野は口を閉じたままかしこまって座っている。真面目だなあ。
「しっ――来たよ」
 鳴狐の呟きに短刀たちは一斉に姿勢を正す。同時に部屋のあちこちで交わされていた私語もぴたりと止み、皆の視線が戸口へと注がれた。
「皆、待たせた。突然の召集にも関わらず全員揃ったのは有り難いな」
 まず入り口に姿を見せた蜂須賀が皆を見渡して言った。それから少し後ろを振り返って小さく頷いてから茶の間へと足を踏み入れた。蜂須賀はすたすたと囲炉裏端の横座へと進む。囲炉裏端では上座のことを横座というそうだ。以前、小夜クンに教わった。そしてそのすぐ後にあの娘が続いて茶の間に入ってきた。緊張した面持ちで男士のあいだを歩く娘は、無遠慮な視線を一身に集めている。そりゃそうだよね、この本丸始まって以来、初めてやってきた女人だ。じっと娘を凝視するもの、ちらちらと視線を投げては隣同士言葉を交わすもの、気にする素振りを隠しつつ耳をそばだてているもの、振る舞いこそそれぞれだが、皆の興味はただひとつ、娘が何者なのか、だ。
 蜂須賀は無言のまま横座に腰を下ろすと、娘はその少し後ろに控え座った。
「新たな仲間を紹介する」
 蜂須賀の声を合図に、あちこちで驚きの声が上がる。当然だよね、目の前にいるのは確かに今までこの本丸には居なかったものだけど、その姿は僕らでいえば脇差か打刀とおぼしき年頃の娘で、およそ刀剣男士とは思えぬ容姿だ。それでも蜂須賀は「仲間」と称した。
「静かに」
 蜂須賀の張りのある声が茶の間に響き渡った。さざ波が立つように広がっていたざわめきがぴたりと止まった。
「皆が驚くのも無理はない。だが、まずは一通り説明を聞いてほしい」
 茶の間は静まり返ったまま異議を唱えるものはいなかった。
「では――」
 蜂須賀が入り口へ顔を向け、頷いてみせるといつの間にか席を外していた前田と平野、両藤四郎がうやうやしく弓を手に茶の間に入ってきた。
「あるじさんの弓……?」
 乱藤四郎が思わず呟く。
「そうだ」
 蜂須賀は声を上げたことを咎めることなく、乱の言葉をそのまま肯定した。それでもここにいるほとんどは事の次第をまだ理解していない。あの弓が誰かの手に渡るのか、それとも弓に縁のある男士でもいただろうか、それともまだ誰も知らない新しい刀剣男士のお披露目でもあるのかと、あちらこちらで囁き声が上がっている。前田と平野は蜂須賀の前へと進み弓を手渡すと、藤四郎兄弟の並びに座り姿勢を正した。それを合図に茶の間は再び静寂に包まれた。蜂須賀は一呼吸置き、皆を見渡してからゆっくりと後ろを向いた。そこに控える娘に向かって頷いてみせると、娘の口元はわずかに引き結ばれ、娘はすっと立ち上がった。娘を見詰める皆が固唾を呑み、成り行きを見守っている。蜂須賀は娘を前へと誘い、一歩進み出た娘へ弓を差し出す。娘がそれを手にした瞬間、茶の間に集う男士たちは本能で感じ取った。「主の弓」とこの「娘」は同じものである、と。
 そうか、なんで始めから娘が弓を持って入らずにもったいぶるのかとも思ったけど、このほうが効果的だよね。さっき道場で目にした光景と同じだ。蜂須賀が手にした弓を娘へ託した瞬間、皆は目の前の弓とそれを手にした娘とが等しい存在だということを理解した。言葉で説明するより雄弁に、あの娘の成り立ちに説得力を持たせるための蜂須賀の采配なのだ。蜂須賀は戦経験がないことをよく気にするけれど、なんてことはない。上に立つものの振る舞いをよく知っている。
 驚きと興奮とで沸き立ちそうな雰囲気の中、娘は一歩前へ出ると姿勢を正した。実際に矢を射るわけじゃないから射法の構えではないけど、その立ち姿はよく均整の取れた堂々としたものだった。
  娘が口を開く。
「わたしは、主さまの弓。この地の守りにと主さまよりこの地へ招かれたもの」

                    ――娘の声と共に、この本丸に風がやってきた――

 おかしな話だ。風はいつだってこの本丸を自由に行き交っている。それでも、朗々と響く娘の声と共にこの茶の間を駆け抜けたのは、社の杜に吹く風を思わせる木々の匂いを運ぶ、此処へは届いたことのない風だ。本丸が存在できるのは、時の政府管理下の空間だ。いわば時空の飛び地。とある時代、とある場所を間借りしていることに変わりはないが、僕らはあまくで異物でしかない。だから本丸が閉ざされた空間なのは僕らを守るのと同時に間借り先へ影響を及ぼさないためでもある。そして、特例として審神者となった主のため、結界を万全のものとすべく母屋には特別に政府が防御の技術を提供、管理している。だから社がある山は本丸の一部であり行き来こそ自由にできるけど、厳密には母屋と同じ空間ではない。そのせいか、母屋を出入りする風は僅かに鈍る。母屋の外の敷地は厳重に守られている特殊な空間と人里との間にある緩衝地帯のようなものだけど、そこは互いに干渉し過ぎないのが肝要だ。それなのに、あの娘は今、外の風を直接連れてきた。それは本当に一瞬の出来事で、すぐに何事もなかったかのように、茶の間はいつもの空気に包まれた。僕の気のせいだっただろうか。そうかもしれない。政府が張り巡らせた結界をすり抜けるなんてね。でも、それまで閉じられていた三日月宗近の瞼が風の到来と同時に開かれたのを僕は見逃さなかった。少し、胸がざわつく。
 一方で、ほかの皆は多少の驚きを覚えつつも、あの日の出来事――長押から落ちてきたのを僕が受け止めた顛末――を皆が鮮明に覚えていたおかげで、娘が携えてきた弓が主の弓であることはすんなりと受け入れられた。まずは第一関門突破だ。あちこちで感嘆とも驚愕とも取れる声が上がる。ほっとして顔を上げると蜂須賀と目が合った。蜂須賀も一瞬、僕に対して安堵の笑みを浮かべたがすぐに表情を引き締め、蜂須賀は異議を唱えるものがいないことを確認すると、まずこの本丸の仕組み上、政府は娘の存在を敵や異物と認識していないことを強調した。曰く、本丸に私物として弓を持ち込む際に、政府の役人が検め問題なしとしていること、そして人の身を得たあとも侵入者として警報装置が作動していないことが何よりの証しだと言う。
 蜂須賀は要領よく、主がこの本丸に弓を持参してから今日までのことを説明していった。主の刀はなかなか持ち込みが許可されなかったけど弓はすんなりと持ってこられたこと、そしてその晩にはその姿が目撃されていたこと。そして幽霊と噂されたことで僕が深夜にその正体を確かめようとしたけど、幽霊でも妖怪でもなく、悪意は感じられなかったから在るべきところに留まるよう諭したこと。そこまでが最初の夜の出来事だ。僕はあの晩見たことすべてを伝えているわけじゃない。怪異には慣れているはずの僕だけど、あの晩の社でのことはこの土地を統べる神々のことを知らぬまま口外するのは憚られた。たぶん、最初に伝えるなら主になのだ、と僕はどこかで感じている。だからまだ誰にも教えていない。皆へは今、蜂須賀がした説明で十分なはずだ。
「あ、あの……」
 五虎退がおずおずと手を挙げた。
「そしたら僕があの晩に見た幽霊って……その……お姉さんのことだったんでしょうか。だとしたら僕……あるじさまの弓のこと、幽霊って……ご、ごめんなさっ」
 泣き出しそうな五虎退の言葉を、乱クンが継いだ。
「五虎退だけが悪いんじゃないよ、ボクも一緒にいて幽霊だって。だからボクにも責任がある。ねえ、だから叱るならボクも叱って? ううん、その前にちゃんと謝らせて。主さんの弓だなんて知らなかったけど、幽霊だなんて失礼なこと言ってごめんなさい!」
 主がその最初の一振である蜂須賀と共に鍛えた刀、乱藤四郎。短刀ながらその堂々とした態度は蜂須賀と並びこの本丸を支えてきた自負と責任感に裏打ちされたものだ。その勢いに蜂須賀は面食らった様子だったが、ふっと表情を和らげると娘に目配せしてみせた。口を開くきっかけを探してそわそわしていた娘は、蜂須賀の視線で身を乗り出した。
「わたしのほうこそ、あの晩は来たばかりでここの事情をよく知らないのに、勝手に歩き回ったりしたものだから。だから謝らないで――」
「五虎退、乱、お前たちの気持ちはわかったが、話はまだ済んでない。あとでたくさん話すといいから、少し待ってくれ」
 娘の声にほっと胸を撫で下ろした二振に、蜂須賀は優しく言い聞かせ、話を先へと進めた。
 蜂須賀が続けている間も、僕はさっきの風のことをずっと考えていた。涼やかで清々しい薫風……いや、それとも違う。新緑を揺らす山の風ではあるけど、それだけじゃない。静謐な水の気配、夜露か朝露の匂い――ああ……社の上、磐座を包み込んでいた空気だ。茶の間がその新しい風に満たされ、張り詰めた空気が解けていった。新参として注目を浴びていた娘が、僕たち刀剣男士が居並ぶ場にいつの間にか溶け込んでいる。気が付けば、瞼を閉じ、じっと何かを考えている三日月の様子に、僕は少し警戒する。その表情は、いつもの何を考えているのかわからない曖昧な笑みで何かを隠しているようにも見えた。
「そういうわけで、人の身を得て成せることを成し、我らと同じく主に仕えたいと願いを、俺は受け入れようと思う。主がわざわざ現世からここへ持ってきた意味を考えれば皆とて拒む理由はないはずだ」
 蜂須賀がきっぱりと言い切った。確かに、ね。弓をここへ置くことは主の意思にほかならない。
「前例のないことだけに不安に思うものもいるだろう。それは俺も同じだ。だからここへ来る前、主の部屋でこの本丸を維持する装置を確認してきた。結果は、ここに存在する付喪神の数や本丸の入退出に何ら問題はなかった。問題がないということは――これはあくまで俺の考えなんだが――政府がその存在を把握できるのはあくまでこの弓本体だけであって、俺たちが目にしているこの姿は政府にとっては存在していないも同じなのではないかと思うんだ」
 これは朗報だ。政府があの娘を認識していないということは少なくともあの弓が政府に接収される心配はないってことだし、時の政府の政で主を煩わせることもなくなる。もしあの娘が主に害を及ぼすことになったなら、公にするまでもなく僕らで始末をすればいいのだから。まあ、主の所有する弓そのものを破壊してしまったらその責は負わなければならないだろうけどね。そんなことを考えながら僕は蜂須賀の話に注意深く耳を傾ける。
「それから、もうひとつ伝えておかなければならないことがある」
 蜂須賀がちらりと娘のほうへと顔を向けた。娘の表情がわずかに曇ったが、一文字に口を引き結び小さく頷くのを確認して蜂須賀が正面に向き直った。
「主が目にするのもまたこの弓の姿のみ……俺たちが見ている人の姿は主には見えていない」
「待って――せっかく顕現したのに、あるじさんとおはなしできないの? そんなのって……」
 乱クンが思わず声を上げた。
「間違いない。ここへ来る前に、実際にこの目で確かめてきた」
 ああ、あの娘を伴って主の部屋に行ったのか。やっぱりすごいな、初期刀として、そしてこの本丸の政を司る筆頭の刀として、ここへ来るわずかな間にそこまで確認してくるとはね。
「そして、俺はこのことを主には伏せたままにしようと思っている」
 蜂須賀の言葉で、茶の間に戸惑いとざわめき広がる。僕はてっきり蜂須賀はあの娘のことを主に伝えてきたのだと思っていた。ああは言ったものの、この本丸を統べるにあたって主を欺くようなことを蜂須賀はしないだろうと、そして、蜂須賀なら主に上手く説明できるんじゃないかと勝手に思っていた。皆の様子に、少し心配になる。僅かでも疑念を残せばそれはいつしか不信感へと変わるだろうから。
「蜂須賀、それはどういうことなんだ」
 僕の憂いと同時に、鋭い声が上がった。長谷部クンだ。
「その……だな。主の弓に疑いを抱いているわけではないのだが……」
 珍しく歯切れが悪い。流石の長谷部クンも主の所有物には遠慮するみたいだね。
「そもそも主と共にご実家に伺いそのもの――いや、こほん――その弓を本丸に持ち帰ったのは他でもないこの俺だ。怪しむべき点は何にひとつない。しかし、だ」
 言いにくそうな様子を振り切るように、長谷部クンは頭を振った。
「俺たちは主の力、物に宿る心を励起する技を以てここに存在している。その弓もここへ来る前にはそのような姿をしてはいなかった。この本丸という場において主の力が働き、顕現したというなら、それを為し得た主に何故その姿が見えない。おかしいだろう? そして主にその姿が見えていないのなら、その存在をお伝えすべきではないのか。主に隠しごとなど許されることではない」
 一気に捲し立てると、長谷部クンは気まずそうに娘から視線を外した。 
「失礼な物言いは承知の上だが……主のお力は我ら刀剣に働くもの。審神者の力が弓に働くなど聞いたことがない。まして主のお目に映らず、政府の警備体制をも掻い潜るとなれば、間者でない証明の立てようがない」
「長谷部、その手でこの本丸に運んできたお前が主の弓をそんな風に――」
 蜂須賀は長谷部クンを諫めようとしたが言葉に詰まる。
「だから、失礼なのは承知の上と断っただろう。俺だって主の弓を悪し様に言いいたくはない。だが――」
 そのとき、ばたばたと慌てた様子の足音が響き、見たことのない若者がふたり、土間に駆け込んできた。
「御免」
 瞬時に緊張が走る。何故って、この本丸の男士全員が揃っているところに見ず知らずの男が現れたんだ、誰もが己が刀に手を掛け身構えた。
「我らが命は、ここに」
 即座にふたりの若者は土間に跪くと、手にしていた刀を目の前、茶の間の木尻側に差し出すように置いた。一斉に飛びかからんとしていた僕らはそれを見て動きを止めた
「兄上!」
 驚いて声を上げたのは弓の娘だ。同時に、その差し出された二振の刀に僕らは思わず息を呑んだ。赤石目塗り揃いの大小、あれは主の刀だ。
「兄上、いつからそのお姿――」
 娘が歩み寄るより早く、ふたりは丸腰で茶の間に駆け上がり娘の手を取ると一目散に土間へ駆け下りた。
「あ、兄上――どうしたというのですか」
 ふたりは戸惑う娘を強引に土間へ下ろすと娘の両脇でこちらに向かって平伏した。
「兄上? 何をなさっているのですか……あの、わたしからみなさまにご紹介を――」
 ふたりの間で戸惑う娘の頭を、ふたりは両脇から押さえつけて無理矢理頭を下げさせた。
「いいから、控えろ。こちらに並ぶ方々は我々が席を同じくできるようなご身分ではないのだぞ」
「えっ?」
 左側の大柄な若者の言葉に娘の動きが止まる。
「姉さんには馴染みがないだろうけど、うちの殿様でお同じ間には上がれないような方々の刀なんだ」
 右の小柄な若者の囁きが僕の耳に届くと同時に、娘はぴくりと方を震わせ即座に両の手を揃え、額を土間に打ち付けんばかりの勢いでひれ伏した。
「我ら、主が家にかつて仕えし刀なれば、このもの、確かに長きに渡り我らと共に在った弓に相違なきこと、申し上げたく。皆様方におかれましては出自を怪しむは真に道理なれど、我らも如何にしてこの姿を得しかは知らず。然れども、それぞれの姿によらず気配で通じてきた我ら、互いを見紛うことなし。そしてただ、ただ、我らが持ち主に相見えたことこの上ない喜びなれば、我ら、共にこの身を賭して主にお仕えしたく」
「どうか、我らが願い、お聞き入れいただきたく存じまする」
 差し出された大小に相応しく、娘が兄と呼んだ若者は逞しく打刀の中では大柄なほうに入るだろうがっしりとした体格で、もうひとりは短刀と思しき身の丈ながらもその堂々とした態度にずっと大人びて見えた。弓の付喪神が現れただけでも大事だというのに、更に見知らぬ刀の付喪神登場に――いや、目の前にあるのは確かに主の刀なのだけれど――混乱するなというほうが無理だ。蜂須賀もどうしたものかと考え倦ねている。
「はっはっは……」
 突然、場違いな笑い声が高らかに響いた。三日月宗近だ。
「これはこれは、このように身分を弁えるものを見たのは、随分と久しぶりだな」
 三日月が目を細めて言うと、蜂須賀がはっとして土間へと歩み出た。
「どうか面を上げてくれ。主の刀にそのようなことをさせるわけにはいかない」
 蜂須賀は膝を突き、土間に手を突くお三方に声を掛けると三日月へと顔を向けた。
「三日月宗近、ここにはあの時代のような身分制度などないぞ」
 蜂須賀の苦々しい顔に、三日月は目尻を下げて笑い返す。
「いや、すまぬすまぬ。なかなかに新鮮な光景だったのでな、ついあのような物言いになった。許せ」
 蜂須賀は向き直り、目の前の大小の刀を凝視した。
「君たちは、この……主の刀たちなのだな」
「はっ」
 短く返答するも、まだ手は付いたままだ。
「主の刀なれば、控えねばならぬのは我らのほうだ」
 頭を下げようとする蜂須賀の気配に、娘が思わず顔を上げた。
「お、おやめください! 蜂須賀さまにそのようなこと――兄上!」
 娘が両脇の若者を揺り動かし、ふたりもようやく顔を上げた。
「い、いや。そのような……我らはただの刀で……」
「ど、どうかお止めください」
 明らかに動揺している様子だ。それを見て蜂須賀は少し表情を緩めて、丁重に声を掛けた。
「ならば、どうか土間からお上がりいただきたい。それと、これはお返ししよう」
 蜂須賀がそれぞれに刀を渡した。互いに顔を見合わせているとまず打刀が立ち上がり、埃を払うと茶の間へ登った。短刀が後に続き、娘はふたりから少し下がって腰を下ろした。
「どうだろうか。自らを差し出して、身内を庇ったのだ。それでもまだ疑いは晴れないか?」
 立ち上がった蜂須賀が皆に問いかけると、表だって異を唱えるものはもういなかった。
「蜂須賀虎徹だ。この本丸の、いや、本丸を構える前から主に仕えた最初の一振だ。よろしく頼む」
 打刀が一礼する。
「ああ、もう堅苦しいのはやめにしよう。互いに、今の世の習いに従おうじゃないか」
 蜂須賀の言葉に、兄弟は顔を見合わせ小さく頷き合うとまっすぐ前を向いた。
「では。我らは――」
 娘から兄と呼ばれた若者が声を上げたときだ。
「あああああっ、こんなところに! 皆さん、一体何をしているんですか!」
 よく響く張りのある声が、突然の大層な剣幕に掻き消された。恐らく僕ら刀剣男士全員の背筋が凍ったはずだ。僕らはすっかり忘れていた。この本丸には主と僕ら刀剣男士、そして政府による警備の仕掛け以外にもっと直接的に僕らを監視している存在がいることを。
 こんのすけ、それは政府が書く本丸に送り込む管狐だ。といってもその姿は竹筒に入るのは明らかに無理と思われる肉付きで、戯画の如く可笑しくも愛らしければ、術を使って悪さをする類いの狐ではない。政府との連絡役であると言われてはいるが、要は政府直属の役人であることに変わりなく、こちらを監視するような素振りを見せることもある。敵ではないが、かと言って味方とも言い難い、そんな存在だ。
「蜂須賀殿、あなたが居ながらどういうことですか? 審神者の刀を勝手に持ち出して床に転がしておくとは」
 誰もが詰問されるものと身構えていたはずだ。それが、こんのすけの思いもよらない言葉で、括ったはずの腹の力がいっぺんに抜けた。
「床に……転がって?」
 蜂須賀が呆然としながらも、こんのすけに恐る恐る尋ねた。
「全く、同じ刀剣として興味を持たれるのはわかりますが、そこは丁寧に扱って然るべきですな」
「あ、ああ……済まなかった。気を付けよう」
 心此処に在らずといった蜂須賀の返事だったが、こんのすけは特に気に留めるでもないようだ。
「蜂須賀殿、審神者からの言伝です。手空きの際でよいので、部屋まで取りに来てほしいものがあるそうです」
「わかった。もう少ししたら向かおう」
「では、よろしく頼みますよ」
 こんのすけは用向きを伝えると、後は興味がないといった風情ですぐにどこかへ行ってしまった。まるで狐につままれたように、僕らはしばらく呆然としていた。
「こんのすけにも見えていないのか。これは朗報。政府に君たちの存在を説明する心配はこれで本当になくなった」
 蜂須賀は肩の荷が下りたかのようにほっと息を吐いた。
「これで俺も踏ん切りがついた」
 蜂須賀の表情は晴れやかだった。
「改めて皆に伝えよう。俺は主のこの弓と刀について、主にはその姿が見えぬうちは主に告げぬままとする」
 今度は蜂須賀はきっぱりと宣言してみせた。
「もしそれが政府に知られ咎められるようなことになったなら、主の預かり知らぬこととして、俺が責任を取る」
 すかさず主の刀が蜂須賀に反論する。
「それはならぬ。我らのためにお役目を果たすべきお歴々にご迷惑をお掛けするなど」
 僕らにすれば仕える主の直臣たる弓に刀、彼らにすれば自分たちは新参もの。繰り広げられる押し問答を僕らは眺めているしかなかった。結局は、この本丸を仕切る蜂須賀に一任することで話がついたらしい。一方その間、先程は真っ先に異を唱えた長谷部クンは顎に手を当て何やら考え込んでいた。
「確かに、俺たちの勝手となれば主の責は軽くなる、か」
 どうやら長谷部クンなりに納得したらしい。が、その呟きとは裏腹にすぐに首を横に振った。
「だが解せぬ。何故こんのすけに見えない姿が俺たちの目には映るのだ?」
 あ、納得したのはあくまで主に伏せておくということについてなのか。
「まあ、よいではないか」
 長谷部クンをなだめるような、緊張感のない声が上がった。三日月だ。
「よくはないだろう! 理由がわからねばいざというとき、守れるものも守れん」
「おや、へし切長谷部はもう守る気でいるのだな。感心、感心」
「三日月っ――」
 長谷部クンが苦虫を噛みつぶしたような顔で、反論を呑み込んだ。
「何、見当がつかないわけではない」
 三日月は立ち上がると、主の刀たちの元へ進む。
「本丸は特殊な場だ。時の政府の助けもあって、主の力は外界と比して強く、安定している。ならば、へし切長谷部がこれらのものとあちらで対面したときに付喪も姿がなかったとしても、ここで過ごすうちに主の影響を受け、人の姿を得たと考えられなくもない」
 三日月は主の刀たちの正面で立ち止まった。
「人は自らの経験上、把握できぬ事は目に映らぬ。いや、映れども理解できないと言うべきか。自分の知っているものと置き換えがちだ。幽霊の正体見たり枯れ尾花というであろう? 我らは名と共にこの人の身の器を用意され、顕現したのだ。あちら側で、器なしに俺たちを見るものは限られている。数多の人は付喪神の存在など気にも止めぬ。管狐とて同じよ」
 三日月はまるで値踏みするかのように刀たちを凝視している。
「ふむ……やはり鋼の生まれだけあって、相通ずるものがあるな」
 三日月は警戒を解いた笑みを浮かべ、刀の正面に腰を下ろした。
「だが……お主はわからぬな。もともと命あったもの故か」
 笑みを浮かべたまま、三日月は弓の娘へと顔を向けた。
「このものは――」
 口を開いた打刀を、三日月は掌を向け制した。
「氏素性を疑っているわけではないぞ。ただ、俺たちと異なる故、そなたらふたりほど同じ匂いがしないのでな……手放しに受け入れるわけにもいかぬのだ。済まぬな」
 三日月の声は、幼きものをあやすようでもあり、敵意は感じられなかった。それでも娘にしてみれば、気落ちさせるに十分なものだったろう。伏し目がちなその睫が微かに揺れている。
「ほぉ、物分かりがいいような素振りを見せておいて結局は認めぬということか」
 長谷部クンの厭みにも三日月は眉ひとつ動かさず弓の娘を見据えている。
「三日月宗近、納得できないのであれば後で俺が話を聞こう。結論が出るまでどこか一処に居てもらえばいいだろう」
 蜂須賀が会話に割って入る。それでも三日月は身動きひとつしない。これじゃあ埒が明かないかな。
「いいじゃないか。万が一、敵の手に落ちたなら、そうなってから僕らが斬ればいいだけだろう?」
 さすがに皆がぎょっとする様子が見て取れた。三日月がゆっくりと僕へ顔を向けた。
「なるほど、この本丸で最初にこの娘を見つけ、そのまま見逃したお主が始末する……と。そもそも何故、隠し立てしたりしたのだ。何か、疚しい――」
 まあ、そうなるよね。三日月の目は笑っていない。
「待ってください」
 弓の娘が急に立ち上がり叫んだ。
「こら、わきまえんか」
 打刀が慌てて座らせようとするが、娘は引かなかった。
「わたしが疑われるのは仕方のないこと。でも、わたしのせいで主さまに仕える剣士さまへ嫌疑が掛かるのなら黙っているわけにはいかないわ」
 娘が打刀の手を振り払って、僕に向けた三日月の視線を遮るように立ち塞がった。
「わたしから申し出ました。主に害を為すのであれば斬れ、と。本気で対峙したなら手も足も出ないことを承知の上で。それが、主さまのお側に居たいと願うわたしの覚悟です」
 ちらりと見えた三日月は、まるで鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしている。
「なるほど、なるほど……そなたの覚悟、か。あいわかった」
 三日月は云々と頷き、成り行きを見守っていた蜂須賀を仰ぎ見た。
「済まぬな、蜂須賀。年寄りが出しゃばりすぎた。どうも年を取ると疑り深くなっていかん。にっかり青江も、許せ」
 それを聞くと、娘はその場にへたり込んだ。
「で、どうであろう。年寄りの取り越し苦労を承知で、しばらくこの娘を俺に預けて見ぬか。蜂須賀」
「「えっ――」」
 蜂須賀と僕が同時に声を上げた。
「何、数日でよい。それで俺が安心すればそなたもこの本丸で大手を振って自由に振る舞えるというわけだ」
「そ、その……我らはここに居られるのであれば下働きも厭わないが、その……お側にというのは――」
 打刀が言葉を濁す。
「お主はどうなのだ。身の潔白が証明されれば、にっかり青江へのあらぬ疑いも晴れるぞ」
 三日月が娘に畳みかける。僕は出しに使われるわけか。
「僕は気にしないよ? 疑われようとなんだろうと」
 ちらりと娘が心配そうに振り向く。
「三日月、曲がりなりにも主の弓だ。その……預けるにしても共に暮らすなどとは――」
「はっはっはっはっはっ」
 慌てる蜂須賀に、三日月は屈託なく笑った。
「いやいや、年寄りの戯れ言を真に受けるでない」
 三日月はすっくと立ち上がった。
「我ら三条の並びに空き部屋があったであろう。そこですごしてもらえば良い。年寄りの話し相手はつまらぬだろうが、茶飲み仲間が欲しかったのだ。若い娘がいるだけで場が華やぐ。気心知れれば、年寄りの猜疑心も和らごう」
 どことなく芝居染みた言い回しに少し引っかかる。
「おじいちゃんのあいてにあきたら、ぼくがおもてなしします! いっしょにあそびましょ」
   離れたところでぴょんぴょん跳ねて手を振るのは、三日月と同じ三条派の短刀、今剣だ。義経の守り刀として顕現しただけあって、三条大橋での牛若丸を思わせる姿だが、見た目はともかく打たれてこの方、三日月と同じくらい長らくこの世にあるだろうにと思わなくもない。
「あ、ああ。そういうことなら……よろしいか?」
 蜂須賀が躊躇いがちに主の刀に尋ねる。ああ言われては無碍に断るわけにもいかず、娘は三条が暮らす棟で数日を過ごすことになった。
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 結局、主の打刀と短刀の兄弟はしばらくの間、蜂須賀預かりの身となり、弓の娘は三条の話し相手として過ごすことになった。僕が御手杵クンにしたように、ここでの暮らしぶりを教えながら本丸に慣れるようにするんだそうだ。ひとつ異なる点があるとすれば、彼らが出陣することはない、ということだ。
 今日のところはまず一緒にこの本丸全体を案内すると、蜂須賀が彼らを連れて行った。そして僕は今、三条の連中の後ろを追いかけるように、庫院の廊下を歩いている。
「ねえ、本気で茶飲み友達にする気かい?」
 先頭を歩く三日月が、肩越しにこちらをちらりと見る。
「気になるか?」
 含みのある視線が僕を少し苛立たせる。
「主の弓だよ? 側仕えみたいな扱いはどうだろうねえ……」
「ほぉ……側仕え、か。いっそ側女に取り立てるのも――」
「ちょ、ちょっと、何を言っているのかわからないよ」
 僕はいい加減呆れていたが、このまま去るわけにもいかないし、仕方なく歩き続けた。庫院のなかでも三条の一角はちょっと変わっていて、部屋の造りこそ同じだけど、南に面した廻り廊下や調度品、庭の雰囲気がどことなく貴族文化を彷彿とさせている。さすがに平安時代の暮らしそのものを持ち込んでいるわけではなさそうだけど。
「掃除は行き届いているな」
 三日月が一番奥の部屋の戸を開けて中を検めた。各自の居室は自分で整えることになっているけど、空き部屋については共用部分として常に当番が掃除をしている。何故って、いつ新しい男士が増えてもいいようにだ。
「まあ、今夜は灯りと布団を準備してやればよいか」
「そうだな。俺が布団部屋から一組持ってきておこう」
 三日月の問いに応えたのは、岩融。武蔵坊弁慶の薙刀だ。義経の守り刀である今剣は早くからこの本丸に顕現し、岩融が来るのを今か今かと待っていた。当然、経験値は今剣のほうが岩融よりも上で、その主従らしい在り方は彼らの元の主たちを彷彿させた。
「ぼくもいっしょにいきます。まくらはぼくがえらびますよー」
「では、私は部屋を清めておくことにしよう」
 石切丸は自室から御幣を取ってくると、空き部屋へと入っていった。ほどなく祝詞が聞こえてくる。これ、長くなりそうだよねと肩をすくめてみる。
「ねえ、三日月――」
 声を掛けようと顔を向ければ、当の三日月はさっさと自室に戻ろうとしていた。
「ちょっといいかな、まだ話は終わっていないんだけどねえ」
 ぴたり、と三日月が足を止めた。
「はて、何の話だったかな」
 とぼけるな、と言いたいところだけどそんなやり方じゃ本音は聞き出せないだろう。僕は腕組みをすると柱に背を預け、庇越しに空を仰いだ。
「どうやら、にっかり青江殿は主に弓のご執心のご様子」
 三日月の横で小狐丸がこの日初めて口を開いた。小狐丸は能の小鍛治の中で、三条宗近と稲荷明神によって打たれた太刀だ。ものに逸話が憑くのでなく、先にあった物語に肖る刀が存在するという、僕らの中でも一風変わった在り方をしている。この本丸発足時に、三日月と同じく政府から賜ったことから古参の刀ではあるのだけど、出陣にしても内番にしてもこれまであまり縁がなく、その堂々とした態とは対照的に物腰の柔らかい刀ということしか僕は知らない。その彼から声を掛けられたことに僕は驚いた。
「にっかり青江殿はあまり他者に興味をお持ちにならない方とお見受けしておりました故……珍しいこともある、と」
 黙ったままの僕に、小狐丸が控えめな笑みを投げかける。小狐丸がどのような性格なのか、掴みきれていないからどう返していいのかわからないけど、無視するのも何なので決まり悪そうに微笑んでみせた。
「おお、そうであったか……これは失礼、失礼」
 三日月は大げさに驚いてみせると僕にそっと耳打ちする。
「案ずるな、俺は手は出さぬ」
 人の良さそうな笑顔だが、目が全然笑ってないよ……。
「どうかな……」
 僕は曖昧に躱す。さあ、どう取るかな、三日月宗近。
「お前の好きにすればよい」
「そ」
「俺が興味があるのはあやつの素性であって、器である人の身ではないのでな」
 素っ気ない返事しかしない僕を、三日月はたいそう楽しそうに眺めている。素性ねえ。あの娘が神託を受けていたのは山の社――本丸の中に降りる神なのだから案じることはないだろうけど、でもそれを三日月が暴くのは何故か面白くない。
「あの娘、生々し過ぎるのだ」
 不機嫌な僕に気がついたのか、鷹揚な態度が影を潜め、三日月は真面目な顔でそう口にした。
「明神の鎚の賜か、小狐丸の五感は我らより鋭い」
「いいえ、狐という野生に導かれてのことでしょう」
 三日月の言葉に、小狐丸が謙遜してみせる。
「いのちの気配がある、と」
 三日月の言葉に、小狐丸は無言で小さく頷いた。
「鋼ではなく竹より生まれし故――そうであれば、憂うこともなかろうが」
 そう言って自室へと向かう三日月は、去り際に意味ありげな視線を投げてきた。
「今宵、俺の部屋を訪ねてくるといい。あの娘のあられもない姿が見られるかもしれんぞ」
 また人を喰ったような三日月の態度に、僕はむっとして声を上げた。
「あの娘を最初に見つけたのは僕だよ」
「ほお、にっかり青江にも独占欲があったとは」
「独占って――あの娘の持ち主はほかならぬ主じゃないか」
「左様、故に手は付けぬぞ」
 三日月はこちらを振り返りもせず、そのまま自室へと消えた。
 大阪城への出陣は打刀に太刀、大太刀が主力の部隊へ交代する時期を迎えていた。今回、僕の大阪城出陣は今夜が最後になりそうだったから、同じ部隊の連中と万全の体制で挑んだ。三日月が何を企んでいるのか、気にならないわけではなかったけど、出陣のときに別のことに気を取られるような僕じゃない。結局、弓の娘と兄弟がどう過ごしたのか知るよしもなく、夜半に帰還するや否や僕は戦装束のまま三日月の部屋へと向かった。
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 月は既に沈み、辺りは闇に包まれていた。三条の部屋の一角まで来たところで、三日月がこちらに歩いてくるのが見えた。
「来たか」
 紙燭を手に、まるで僕を出迎えにきたかのようだ。行動を見透かすような態度が癪に障る。
「君が来いと言ったんじゃないか」
「別に、俺に従う義理はなかろう? 五分五分と踏んでいた」
 ふたりして音も立てず奥へと進み、三日月に促されるまま部屋へ足を踏み入れた僕は目を見張った。
「一体……これは何を始める気なんだい?」
 僕は努めて声を落とすようにして三日月に尋ねた。部屋の中央には急拵えと一目でわかる護摩壇が設えてある。正面で山伏国広が何やら祈祷をしている。山伏国広、読んで字の如くというか、一見して山伏を思わせる姿なのは、刀工が山伏修行中に鍛えた刀だからだそうて、暇さえあれば修行のため山籠もりを企てている。山間にあるこの本丸は彼にはうってつけだろう。両隣に座っているのは小狐丸と今剣だ。そういえば、岩融と石切丸は僕と入れ違いで大阪城出陣だったね。
「何……とな? 見てわからぬか?」
 僕の後ろで戸を閉めながら三日月が揶揄うように声を掛けてきた。
「わかるよ」
 僕が聞きたいのはそれじゃない。
「そうじゃなくてさ。炎上させる気かい? 事と次第によってはこの棟だけじゃすまないよ」
「案ずることはないぞ、青江殿」」
 呆れている僕に、祈祷中の山伏が顔を上げる。彼ほどお天道様の下を堂々と歩くに相応しいものはないだろうと思えるほど、陰日向なく真正直な刀が何故ここに居るのか。場違いにもほどがないかい?
「護摩行を願い出たところ、こんのすけ殿が用意してくれてな。屋外で行わねばならぬと思っていたのだが。にわかには信じられぬが燃え移らぬ絡繰りがあるのだぞ」
 屈託のない豪快な笑顔は謀にはほど遠い。
「解せぬか? 俺が頼み込んだのだ」
 三日月が戸の側に座り込んだ。まるで、何事かあればすぐに部屋を飛び出せるようにしてるみたいだね。
「お前も突っ立っていないで座れ」
 三日月に言われるまま、僕もその場に腰を下ろした。
「調伏の真似事だ」
 三日月が目を細める。
「三日月殿が気を揉んでおられたのでな。獣の気配を感じる、と」
 山伏の言葉に妙な含みはない。
「気のせいかと思いましたが、やはり山人の気配を感じますれば……」
 小狐丸が僕に済まなそうな顔を向ける。
「小狐丸はこの本丸の誰よりも鼻が利くのでな」
 三日月が素で口にするとなんか逆に不安が増す。
「何、主の弓そのものに穢れは見えぬ。ここへ来てから山で過ごしている間に彷徨うてるものに付き纏われるようになったのであれば、払い落とせばよいだけのこと。拙僧に任されよ」
 再び山伏の祈祷が始まり、護摩の火に勢いが増した。憑き物を落として調伏するつもり満々じゃないか。素知らぬふりの三日月だけど、僕の様子をずっと窺っているのはわかる。
「でもびっくりだよ。こんなに身を焦がすほど熱くなってるのに……まるで立たないなんて」
「これはまた意外な――囲い甲斐のないことよ」
「……煙のことだよ?」
「そうであろう? この天蓋が煙も熱も集めて他所へ送るのだとか」
 おっと、僕としたことが煙に巻かれてしまったよ。三日月は僕があの娘の肉に惑わされていると勘ぐって探りを入れてきているのだろうか。それとも単に僕の反応を面白がっているだけで、本気で憑き物を炙り出そうとしているのだろうか。三日月のほんとうの狙いがわからない以上、下手に動くわけにはいかない。で、黙ったままの僕に業を煮やしたのか、三日月のほうからにじり寄ってきた。
「今日は疲れたろうからと早くに休ませた」
「誰を?」
 僕の返事は半ば投げやりだ。
「とぼけおって――」
 どっちがだ……僕は苛立ちを表に出さないようただ護摩の焔を見詰め続けた。
「この煙は庭に出て行くようになっていてな。娘が休んでいるのはこのすぐ奥の部屋なのだが、今夜の風向きだと……欄間を空けていたりすれば、今頃はさぞ煙たかろう。おお、そうだ。部屋が埃っぽかったのでな、昼間少し開けておいたのだった。すっかり忘れていた」
 目が笑ってない。本気で憑き物を落とす気だ。
「煙たいのは、獣が憑いていようがなかろうが、同じだろうけどね」
 そのとき、こほんと小さな咳が聞こえた。しばらくしてまたひとつ。次第に咳と咳の間隔が短くなり、苦しそうになってくる。がた、と大きな音がした。部屋の中で藻掻いたかに思えて落ち着かない。そして柱に思い切り当たるほどの勢いで戸を開け放つ音がした。どん、と大きく踏みしめる音は、廻り廊下に転がり出るように踏み出したのか。僕は思わず腰を浮かせた。
「ならぬ」
 三日月が僕の肩を掴む。
「あの娘がどのような顔で助けを求めてくるか、見物ではないか」
 三日月がそう言い放ったが早いか、背後の戸ががたりと音を立てた。
「三日月さま、失礼します!」
 そう叫んで娘が部屋へ飛び込んできた。がたがたと全身を震わせて、血の気の引いた顔で目を見開いている。
「どうか、したかな」
 三日月の鋭い視線が娘を捉えている。娘はきゅっと口を引き結ぶと、意を決したように三日月の腕を掴んだ。三日月の瞳がぎらりと光った。部屋に緊張が走る。
「どうかしたかじゃないです。火事です、逃げますよ!」
 三日月も僕も、一瞬何が起こっているのかわからなかった。娘は三日月の両腕を掴んで強く揺するが、三日月に動く気配がないと悟ると、咄嗟に三日月を背負うようにして立ち上がらせると、引きずるように外へ出ていく。
「みなさまも、ここに居てはなりません。早く外へ逃げてください」
 娘の必死の形相に、僕も後に続いて外に出た。見れば、娘は素足のまま庭に降りると、三日月の様子を確認している。
「どこかにお怪我は? 火傷はなさっていませんか? 胸が苦しくはありませんか?」
 矢継ぎ早に質問を投げるが、三日月はぽかんとしたままで、途方に暮れた娘は僕に気付くと、慌てて声を上げた。
「青江さま、お部屋にはまだどなたか?」
 僕の返事を待たずに、娘は部屋に向かって駆け出した。
「早く助けないと――」
 その娘の動きがぴたりと止まった。振り向く娘の先で三日月がその手を掴んでいた。
「あーっはっはっはっは、あーっはっはっはっは……」
 突然、三日月が腹の底から笑い始めた。今度は娘がぽかんとする番だった。
「三、三日月さま……?」
「すまぬ、すまぬ。もう休んでいるだろうと言わずにいたのだが、却って驚かせてしまったようだな」
 三日月の笑い声に釣られたか、残りの連中もぞろぞろと部屋の外へと出てきた。娘は皆の顔を見比べては、わけもわからずおろおろするばかりだ。
「護摩行だよ」
 三日月の笑いが止まらないものだから、仕方なく僕が娘に告げた。
「護摩……?」
 三日月を振り払おうとしていた娘の腕から力が抜ける。
「左様、左様……これは耄碌爺の取り越し苦労だったか」
 三日月はまだくつくつと笑い止まずにいる。
「有無、拙僧は山伏国広と申す。日々、修行に励む身である。今宵は主殿に災い無きよう、拙僧が祈祷を執り行っていたのだ。相済まぬ」
 事情を察した山伏国広が上手いこと誤魔化してくれた。いや、嘘は言ってないか。山伏らしい。
「祈祷……」
 それを聞くと娘はその場にへたり込み、しばらく呆然としていた。
「そんなに、ひがこわかったですか?」
 今剣が駆け寄って顔をのぞき込むと、娘は突然ぽろぽろと泣き出し今剣を抱きしめた。
「無事でよかった……火の中に取り残されているかと思ったじゃないですか」
 今剣はちょっと驚いた顔をしたけど、すぐに穏やかな笑みを浮かべると娘の背中を優しく撫でた。
「なかないでください。ぼくたちならだいじょうぶです」
「さあ、中へ。夜露で濡れてしまいます」
 小狐丸が娘の手を取り、立ち上がらせる。
「せっかくである、お主も護摩木に願いをしたためぬか? 拙僧がその願い、炊き上げて不動明王に届けようぞ」
 山伏が奥から護摩木と筆を持ってきた。三日月がそれを取り、娘の手に握らせた。
「驚かせた詫びと言ってはなんだが……俺からも頼む。主のために祈ろうではないか」
 娘の顔にようやく笑顔が戻り、大きく頷くと皆と一緒に部屋へと戻っていった。
 僕はそのまま庭で見守ることにした。月が沈んでから大分経った空は満点の星々で輝いていた。そして護摩行は滞りなく終わった。和やかな雰囲気の中、部屋から出てきた娘は僕に気付くと、無言のまま小さく会釈して、自分の部屋へと戻っていった。それを見届けて立ち去ろうとする僕の背後から、三日月の声が掛かる。
「手間を取らせたな」
「とんだ茶番だよ」
「まあ、見込み違いにもほどがあると笑ってくれ」
 これで疑いは晴れたかい? そう言ってやろうと口を開きかけたとき、目の前をふわりと淡い光が横切った。
「これはこれは。このような時間に迷い出る蛍がいるとはな」
 三日月が光と戯れるように空で手を泳がせる。
「これもここのいのちのひとつか。まこと、ここは数多のいのちに溢れていることよ。よきかな、よきかな」
 三日月は上機嫌でそのまま去って行ってしまった。
「なんだい、僕には謝らず仕舞いか……」
 別に詫びてもらいたかったわけじゃないけどね。変な詮索が止んでくれればそれでいいさ。
「でも、背負われるように引き摺られてるときの三日月の顔、傑作だったなあ」
 僕はひとり、思い出し笑いを噛み殺しながら草の上を歩き出した。
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