刀剣乱舞にっかり青江で文字書き中。創作審神者(♂)と弓箭女士がいる独自本丸+ときどき他所さまの本丸でにかさに。基本シリアスで独自本丸ものはファンタジー色強めになると思います。

遠い昔に一次創作していた文字書きで、2年前、黒バス伊月くんで突然二次創作に目覚めて創作活動をン十年ぶりに再開しましたが、こちらは当面とうらぶ専用。
#にっかり青江版創作60分一本勝負への投稿は今まで通りぷらいべったーですが、加筆修正したものを順次こちらで公開する予定です。

投稿日:2019年04月22日 00:30    文字数:17,097

刀剣弓箭譚  3 ー匂えども人知れず咲く花ー

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とある男性審神者の本丸で出会った、にっかり青江と弓の娘の物語。

いよいよ、弓の娘が本丸に正式デビューか?と思いきや…な章です。

本作で、実際にはインデント下げてる部分があるのですが投稿時にうまく反映させることができず読みにくくなってしまいました。ごめんなさい。
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 翌朝、僕は朝餉を済ませた厨の洗い場にいた。ふと、器を洗う手を止め目を閉じる。確か、初めて出会った夜もそうだった。そこに娘の気配は確かにあるのに、実際に僕に届くのは娘の声と遠ざかる足音だけ。娘の姿が闇に溶けるのは意図してなのか違うのか。あの晩も、そして昨晩も、すべてが漆黒に包まれる闇夜では決してなかったのだ。
「どうしたんだい? このところ君が夜更かしをしているのは知っているが、こんなに眠そうな君を見るのは初めてだ」
背中からの声に僕は再び目を開く。声の主、歌仙クンは下げてきた器を洗おうと僕の隣に陣取った。歌仙クンは厨当番の日以外にも、自分の食事をここで作ることがある。庫院にある現世の道具は便利だが風流に欠けるところがある、と歌仙クンはいう。本丸の決まりでは竈番が朝餉の支度をすることにはなっているが、課せられているのは飯を炊くことと汁物を作ることだけ。朝に飯を炊くのは江戸式か。魚が手に入れば焼いたり煮たりしなくもないがあくまでそれは当番次第だ。歌仙クンがいると汁物の具が豪華になったり卵焼きがついたりする。当番でもないのに厨を使わせてもらうのだからと、歌仙クンはほかの刀にも振る舞うから、最近はそれを楽しみにする竈番もいるくらいだ。あ、僕は違うよ? ゆうべのお礼も兼ねて、宗三クンに胡麻を摺りに手伝いに来たのさ。でも歌仙クンは僕が卵焼きを目当てに来たんだと思ってるだろうね。
「僕が眠そうに?」
「ああ」
瞼を閉じていただけだったんだけど。
「ちょっと考え事をしていただけだよ」
「何か気になることでもあったのかい?」
「いや……それ、僕が洗っておくからそこへ置いておいてくれないか」
本来はここで隠し事をするべきではないのかもしれない。でも、少なくともあの娘のことを話すのであれば主に最初にするべきだろうと思えるから、僕は話題を洗い物に逸らした。それでも歌仙クンは何か言おうと口を開こうとしたところに、ふと、気配を感じた。
「間もなく広間に集まる時間です。皆で洗えばすぐに終わりましょう」
穏やかな声が背中で響く。やってきたのは江雪左文字だ。江雪左文字は、小夜クンや宗三クンと同じ左文字派の刀だ。でも二振と違って太刀である彼と僕が一緒に出陣することはまずない。三振で並ぶにはちょっと狭いが、今朝はようやく現世から戻ってきた主から集まるように言われているし、何より無口な彼が入ることで無理に話を続ける必要がなくなったのはちょうどよかった。
 今朝の厨は閑散としていて、朝餉の洗い物はわずかだった。昨晩は出陣した部隊もなく、母屋で過ごしたのは竈番の宗三クンと小夜クンに、おそらく宗三クンが布団を取りに行ったときに連れてきたのだろう江雪左文字だった。僕らは早々に洗い上げた道具や器を拭き上げてから棚にしまうと、身なりを整えるために各自庫院の部屋へと戻っていった。
 外は晴れ。軒に影を落とす若葉は眩しいくらいに生き生きと生い茂り、そこここで花々がその命を継ごうと香りを放つ。僕はその中でも目立たぬ一枝をそっと手折った。
 内番着から戦闘服へと支度している最中も僕は娘のことを考えていた。最初の晩は遅く昇った二十六夜の月が、無月の昨夜は参道に並ぶ灯籠が静かな光を放っていた。夜目が利くのは僕の武器。どうして見失う? どちらの晩のこともはっきりと思い出せるのに、立ち去る君の背中は、僕の記憶のどこにも居ない。主ならあの娘のことを知っているだろうか。何故だか僕は気が急いて、支度を済ませると足早に大広間へと向かった。
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「ほぉ、時間よりも早く足を運ぶとは、おまえにしては殊勝なことだな。いつの間にかそこにいるというのが得意だろうに。心でも入れ替えたか? 関心、関心」
母屋の廊下を曲がった途端、お小言とも厭味ともつかぬ独特な講評を賜る。ありがたくない。よりによって大広間の入り口で出くわしたのが長谷部クンだなんてついてないなあ。僕が時間より早くに来たのは、あの娘のことを主に尋ねたかったからだ。長谷部クンが既にここにいるってことは、皆が集まる前に主とふたりで話すのは無理だろうねえ。
「そんな嫌そうな顔をしなくてもいいだろう、褒めてるんだぞ」
僕の表情に気が付いて長谷部クンが無邪気に得意そうな笑みを浮かべる。今朝は機嫌がいい。しばらく主の傍仕えを独り占めできていたのだから当然か。僕はといえば、当初の目的を果たせず不本意極まりないというのに。まあ、一番乗りなんて正攻法は僕には不向きだったよ。慣れないことはするもんじゃないなあ。
「はいはい、長谷部クンに褒めてもらえるなんて光栄だよ」
「そら、今なら最前列に陣取れるな」
僕の木で鼻をこくったような物言いにも長谷部クンは上機嫌のままだ。仕方なく僕は長谷部クンに促されるまま大広間へと入っていた。
 屋内から大広間へ足を踏み入れれば、まず目に飛び込んでくるのは屋敷の庭だ。この部屋に続いていた廊下は日当たりが悪く、暗がりから急に庭からの光いっぱいの大広間に少しばかり目がくらんだが、一息もつけばすぐに目は馴染んだ。見事に手入れされている様は、僕らの内番の成果だ。でも、実はこの風景にも仕掛けがあって時間や季節を自由に入れ替えることができるらしい。なんだってそんなことをする必要があるのかはわからないけれど、「たまには気分転換も必要なんじゃないかな」なんてことを主は言っていたっけ。で、今のところ僕らは気分転換が必要なほど退屈はしていないからあるがままにこの地の風景が広がっている。僕は庭に背を向け、主が座す正面ーー長谷部クンの隣に片膝をついた。そのまま座ろうとしたときだ。ふと見上げた先に僕の視線は釘付けになった。
「なんだってこんな処にーーっ」
思わず口を突いて出た僕の言葉に、長谷部クンが驚いて僕を見た。
「どうかしたのか?」
「どうかしたって、どう考えてもおかしいだろう? こんなところに、いや、そもそもどうやったらあんなところで横たわれるって言うんだい」
僕としたことが動揺の余り声を荒げてしまうが、長谷部クンは平静そのもので同じ方向を見詰めている。
「この部屋の変化に気付くとはさすがだな、青江。お前が驚くのも無理はない。あれは今朝、主に託かって俺が掛けたんだからな。主と俺以外で目にするのはお前が最初だ」
掛けた? 長谷部クン、君は何を言ってるんだい? 僕の理解が追いつかないまま長谷部クンは続ける。
「実は先達ての現世同行は主の帰省でな。つまり、主の現在のお住まいではなく生まれ育った家までお供したんだが、そのときに持ち帰ったものだ。現世から私物を持ち込むには管理台帳へ登録すれば済むんだが、刀と弓だと知ると突然役人たちが騒ぎ出してな。通常の台帳登録だけでは許可できないと言い出して……」
長谷部クンの言葉が頭には入ってくるものの、僕の中で合点がいかない。刀? 弓? だって、長押に横たわっているのはーー。
「結局、お前が池田屋から戻ったとき刀は政府預かりになってしまって、持ってこれたのはあの弓だけだったんだ。まあ、きちんと登録されている刀剣とは言え万が一にも得体の知れぬ付喪と化していてはやっかいだからな。だがしかし、だ。役人どもが保身のために差し押さえたものの、その刀が主の家に代々伝わるものだとわかり霊力を帯びていないことがわかると、今度は役所では管理できないからすぐに取りに来いと夜も遅いのに有無を言わせず呼び出すとは。全く、役人どもは主をなんだと思ってるんだ。いいか、曲がりなりにも審神者の職を賜っている我が主にーー」
「ごめん、長谷部クン」
僕は長谷部クンの話を遮った。僕の切羽詰まった口調に長谷部クンは怪訝な顔を向けた。
「あれ……その、君が今朝あそこの長押に掛けたのって……主が持ってきた……弓?」
「そうだが」
即答、か。
「長いこと放っておかれていたようだ。まだ埃を拭っただけでこれから手を入れなければならないが、無造作に主の私室に立て掛けておくわけにもいかないしな。まずは置き場所をと主が希望されたんだ」
弓……。長谷部クンの態度は至って真摯で冗談を言っているようには見えなかった。そもそも長谷部クンに気の利いた冗談が言えるわけないし。僕はもう一度長押を見上げ、念を押すように長谷部クンに尋ねた。
「主が持ってきた……弓……が一張り、だよね?」
「まあ、弦もない状態だからな、一本とでも言うべきかな」
生真面目な長谷部クンらしい返事だ。
「つまり、長谷部クンには只の弓に見える……と」
僕は額に手をやり、心の内で状況を確認するつもりが、ついうっかり口に出してしまっていた。
「何? ま、まさか俺には見えないが良からぬ霊でも取り憑いているというのか! ならば俺が斬ーー」
「ま、待って長谷部クン、落ち着いて」
僕は慌てて長谷部クンをその場に押し留めた。僕が絡むとどうしても幽霊話に行きがちなのをときどき苦々しく思うこともあるけど、今日は逆に助かったよ。今、ここで正直に僕の目に映っているものを説明しなくて済みそうだ。
「そうじゃない、そうじゃないんだ。そういう心配が必要な類いじゃないから」
「ならいいが、何か不審なところがあるならすぐに主にーー」
長谷部クンが言い掛けたところで、どやどやとほかの刀達が広間に集まってきた。間もなく主もやってくる。
「驚かせてごめん。あの弓が主に仇なすことはないよ。僕が保証するよ」
僕は長谷部クンにいつものようににっかりと笑ってみせた。
 本当は落ち着かなきゃいけないのは僕のほうだ。その後、続々と本丸中の刀が部屋へ集ってきたが一向に騒ぎは起こらない。多分、見えているのは僕だけなんだろうな……。
  僕の視線の先にある長押、そこに横たわっているのは僕が池田屋から戻った晩に出会って、昨晩倒れているところを僕が助けた娘だ。どこがどうなっているのかわからないが、弓を掛けてあるであろう場所で背を向けている。これだけ刀が集まっているのにまるで気にする様子もない。注意して見れば、規則的に肩が上下している。裾が乱れているせいで、膨ら脛が丸見えだ。眠っているのか。この騒がしさで平気で眠っているなんて大した大物っぷりだ。いや、夕べの様子だと、飲まず食わずでそれなりに弱っていたはずだ。安心してぐっすりと眠っ……。
 そのときガタと引き戸が鳴り、開いた板戸から主が部屋へと入ってきた。部屋は一瞬のうちに静まりかえり、皆が主に注目した。大広間の中央へと進む主の手には細長い風呂敷包みがひとつあり、嫌でもそこに視線が集まる。
「何日も留守にして済まなかった」
主は僕らに一礼して腰を下ろした。蜂須賀や長谷部クンは主に頭を下げるなど止めてほしいと、それこそ何度も懇願したが、当の主はあくまで僕らのことは「賜ったものたち」なのだから丁重にもてなすのが礼儀だよと聞かなかった。もちろん、戦には出すけれどね、と笑っていたっけ。
 主は一連の留守について事情を説明している。もちろん僕だってちゃんと耳を傾けているが、どうにも集中できない。何しろ、長押の娘が身じろぐたびに裾が乱れて膝上まで着物が捲れそうになって気が気じゃないんだ。見えているのが僕だけだとしても放っておくのは全くもって憚られるじゃないか。
「で、これがその刀だ」
主の声にはっとする。僕だけでなく、ここにいる刀すべての視線が主が取り上げた包みに注がれた。
「あれが、その刀なのかい?」
僕は隣の長谷部クンに囁いた。
「ああ、そうだ。特に怪しいところなどないというのに役人どもめ」
たぶん、あの弓にしてもここへ持ってくるときにはあの娘の姿なんて見えてはなかっただろう。そう思うと、膝の上に置いた手に自然と力が入る。包みを開いている主の手の中を固唾を呑んで見守っていると、そこから古びた刀が2本顔を出した。いや、別に人の姿をしているわけではないから顔を出すというのはあくまで比喩だ。僕は無意識にほっと息を吐いた。
「どうした、主の寵を受ける刀が我々のような人の姿を持っていなくて安心したか?」
いやいや、そう言う長谷部クンのほうこそなんか笑顔が怖いよ。
「僕ら刀剣男士の顕現には政府のみが持つ大層な技が必要なんだろう? 主の刀にこういう言い方はどうかと思うけど、刀ならなんでもいいわけじゃないんだろうし」
まるで自分に言い聞かせるような言葉に僕は心の中で苦笑いする。弓があの姿だから、もしかしたらと考えた自分に少し呆れる。あの弓が娘の姿として見えるのが自分だけだとして、刀も同じとは限らないよね。それに、もし刀故にそこに何かを感じるなら長谷部クンが最初に気付いているだろう。そもそもあの娘が付喪神の類いとは限らないし……。そんなことを考えている間にも大広間では主への質問大会が繰り広げられていた。
「それはどなたの刀なんですか?」
「拵えが揃いだね」
「生まれはどこなんだい?」
幸い弓が掛けてあるのは大広間の中央、そして主が座しているのも中央だから、僕の視線は主に向けられていて、視界の隅で娘を捉えている。だけど次の瞬間、僕の意識は長押に釘付けになった。もぞもぞと娘の動きが大きくなる。(江戸中期の刀と短刀)だとか(小刀は失われている)とか、主と僕ら刀剣男士との会話も耳に届いているがそれどころではない。まさか、あそこで寝返りを打つ気なのか。ひやりとしたが、くるりとこちらを向いた娘は、昨晩、僕の握り飯を食んだときのように穏やかで満ち足りた笑みを浮かべている。飲まず食わずで過ごしていて、ようやく安心して眠れるようになったのか。まだぐっすり眠っているようだ。だが、胸元が乱れていないのはいいとして、膝上まで露わになって投げ出されているあの脚をどうやったら裾の中に納められるというんだ。もやもやとしているところに主の声が響く。
「君たちみたいな刀剣男士にはなれなかったが、僕にとっては先祖が残してくれた刀たちだ。刀掛けに置いておくから仲良くしてやってくれ。今日はこれまで。みな、当番に戻ってくれ」
主はそう言うと、刀を手に膝を立てた。同時に頭上の娘がぐらりと揺れる。
「危ない!」
僕は叫ぶより先に主に向かって畳を蹴っていた。
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 どうしたらいい? 僕の眉間にはまるで小言を切り出す直前の長谷部クンみたいに皺が寄っているに違いない。庫院の廊下を歩く僕の腕の中にはすやすやと眠っている娘がいる。幸い、皆の言動からはこの娘の姿はその依り代である弓としか映っていないようだった。あのあと、ちょっとした騒ぎにはなったが、なんだかんだで主のおかげであの場は収まった。
 あのとき、僕が長押から転げ落ちた娘を受け止めようと飛び出したとき、驚いた主は足を滑らせ尻餅をついてしまった。
      「青江! 貴様、何ーー」
      僕を引き戻そうとして伸ばした長谷部クンの腕が僕の白装束を掠める。残念だったね、こういうときは君より僕の方が早いんだ。僕は受け止めた娘が衝撃を物ともせず眠り続けていることに安堵する。皆には只の弓にしか見えていないなら、僕が弓と会話を始めたりしたらちょっとした騒ぎになるだろうからね。ほぅっと溜息をついて視線を娘から外せば、目を丸くして僕を見上げる主を捉えた。
      「主、驚かせてしまっ」
      僕が主への詫びの言葉を口にする間もなく長谷部クンが割り込んでくる。
      「おい! 主になんてことを」
      僕の言葉を遮り、長谷部クンは僕の肩を掴み勢いよく主から引き離そうとしたから、背に垂れていた僕の髪が大きく舞った。
      「へし切長谷部」
      主の落ち着いた、でも芯のあるその声に長谷部クンの動きが止まる。主は静かに立ち上がると、長谷部クンに向かって小さく頷いて戻るように促した。
      「ありがとう、にっかり青江。僕の弓を守ってくれて」
      主の言葉にぎくりとする。
      「皆、紹介が遅れて済まない。刀剣ではないから……というのはよくないね。この弓も僕の家から連れてきたんだ。手入れされないまま放置されていたんだが、弓は魔除けにもなるし、何よりこれも 僕の先祖が残してくれたものだからね。よろしく頼む」
      主は僕が受け止めた弓を一瞥すると、すぐに皆の方へと向き直ってそう告げた。その反応を見るに、どうやら主もこの弓が人の姿であることに気付いている様子はなかった。
      「あと、柄を持ってこれなかったので一時的に僕の部屋に置いてある槍があるんだ。柄が揃ったら弓と一緒にここに置くつもりだ。刀同様よろしく頼むよ」
      主は長押を見遣りながらそう言うと長谷部クンのほうへと歩み寄る。
      「へし切長谷部、ありがとう。君の俊敏さにはいつも目を見張るよ」
      頬が緩むのを必死に耐えながら長谷部クンが頭を垂れる。この場はなんとか凌げそうだと僕は安堵した。
      「そしたら、この弓はもう一度上にーー」
      僕は主に弓を掲げるように少しあげてみせようとして違和感を覚えた。装束が何かに引っ掛かって攣れる。
      「ああ、やっぱり弦は外しておくべきだったか。古い物だからそのままにしておくほうがいいかと思ったんだが」
      主が慌てて近寄り済まなそうに僕の胸を覗き込む。
      「ちょっとじっとしててくれ」
      主は手にした刀を足元に置くと、僕の胸元へと手を伸ばから、一瞬、ぎくりとする。
      「困ったな……留め具の隙間に弦が挟まって……」
      どうやら主は弓の弦を僕の白装束の留め具から外そうとしているらしい。
      「こんな間近で見ることはないけれど、この留め具の細工も見事だね。緑の石は本物の翠玉なのかな……う、う~ん、弦の毛羽立ったところが……指が入らないな……」
      主は懸命に指を動かすが、留め具に絡まった弦はなかなか外れない。
      「困ったな……仕方ない。もうこの弦は外しておくことにするから切ってしまおう。誰か手を貸しーー」
      「ちょ、ちょっと待ってくれないか」
      僕は慌てて叫んだ。主の言葉を遮るなんて、また長谷部クンに怒られるかな。でもそんなことを言っている場合じゃない。だって、主が切ろうと言った弦は、僕の腕の中で眠っている娘の髪なんだ。
 僕は自分の部屋の前でひとつ溜め息を吐く。娘を抱えたまま障子を開け部屋へ入ると、娘を起こさぬようそっと腰を降ろした。できれば娘を寝かせてしまいたかったが、髪が僕の胸の留め具に絡まっているのをどうにかしないことには僕から離すことができない。
 主の弓なのだから、いくら痛んだままと言ってもできるだけ傷付けない方法を取ろう、そう言えば皆、同意してくれるだろうと考えた僕の読みは当たった。そんなに手間を掛けることはないと恐縮する主に、壊れていようとここでわざわざ傷付けたりしちゃだめだと、長谷部クンを始め皆が口々に訴えてくれたおかげで、とにかく落ち着いて作業させて欲しいと僕は娘と共に自室に戻ることができた。
 仕方ない、ひとまず娘の髪は絡んだままでいいから、この白装束を外そう。僕は上着ごと白装束を脱げばいいかと衿に手を掛ける。娘はまだ夢の中か。娘を見つめる僕にふと疑念が湧き上がる。。あの晩、娘は鏑矢を放っていた。そして僕に向かって引いた弓にはちゃんと弦が張ってあった。けれど、目の前の娘が宿る弓の弦は無残にも外れ垂れ下がった姿だと言う。合点がいかない。
 納得のいく答えを導き出せないまましばし佇んでいると、どすどすと廊下を歩く音がした。この足音は短刀ではない。心当たりはひとつ、ふたつ。このまま行き過ぎるのか、僕を訪ねてきたのか。まあ、どのみち皆にこの娘は弓にしかみえていないのだからどうとでもなるか。
 足音は僕の部屋の前で止まった。
「青江~、ちょっといいかあ?」
長閑かつ無駄に大きな声が響く。
「ん……」
その声に娘の睫が揺れた。薄目越しに僕を見上げたかと思うと、みるみるその瞳を満月のように見開くと、いかにも叫び声を上げそうな様子を見せるから、僕は慌てて口元に指を立てる。察しのいい娘でよかった。すんでのところで娘は言葉を飲み込んだ。だが激しく狼狽しているのに変わりはない。慌てて僕から離れようとする。
「青江~、いないのか?」
「ちょっと待っ――」
僕が返事をしようと障子の方を向いたとき、娘が距離を取ろう僕の胸を勢いよく押した。だが生憎、娘の髪と僕の白装束の留め具はまだ繋がったままだ。
「痛っ」
思わず娘が叫び、僕は娘の髪がそれ以上引っ張られないように慌てて娘を引き寄せようとする。そして何が起きているのか把握できずに娘が後退りするので――。
「君、少しじっとし――うゎっ」
どさり、と派手な物音にしまったと思うより障子が開くのが早かった。
「大丈夫かっ、青江!」
すぱーんと開け放たれた障子の向こうには鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした御手杵クンが障子に手を掛けたまま止まっている。上着を脱ぎかけた僕は這い蹲るように畳みに手を付き、その下には目を白黒させている娘が身を固くして横たわっている。大丈夫、御手杵クンの目には弓が映っているだけ……。
「なあ青江……そのコ、誰?」
思わず僕と娘は顔を見合わせた。すーっと障子が閉まる音がして少し安堵する。いや、御手杵くんが去ったとして、これが本丸中に知れ渡ったら大騒ぎになるのは間違いないが、時間は稼げる。そう思ったが、次の瞬間、どすっと畳に座り込む音がした。
「俺さあ、まだ自分に何ができるのかよくわかってないじゃん? この間さ、万屋へ連れてってもらったとき「やっぱ槍だよ」って会話が聞こえてきてさ。なんだろうと思ったら、弓に対抗するなら槍じゃないかって話だったんだ」
すぐ横で、何食わぬ顔の御手杵クンがしゃべり出す。うん、わかってた。君はそういう槍だったよね。
「でさあ、主の弓……見せてもらったら……なんかこう、何か掴めるんじゃないかと思って来たんだけど」
僕は娘に向かってちょっと困ったように眉を下げて見せて、御手杵クンの方へ顔を向けた。御手杵クンはいたって真面目にこちらを見ている。
「でさ、なんで青江の下にあるのが弓じゃなくて女のコなのか、俺ちょっとわかんないんだけど」
御手杵クンが決まり悪そうに頭を掻く。もっと驚くか茶化されるかしたほうが弁解しやすいんだろうな。うん、実に御手杵クンらしい反応だけど。
「事情はすぐにでも説明したいんだけどね。起き上がろうにも、僕の白装束の留め具に髪が絡んでしまって取れないもんだから、無理に引っ張るわけにもいかなくてね。御手杵クン、悪いんだけど、この娘の背を押して起き上がらせるの手伝ってくれるかい?」
「ん? ああ、ちょっと待ってて」
御手杵クンが娘の背を持ち上げるのに合わせて僕も上体を起こし、娘の髪が千切れることなく無事に起き上がることができた。僕と娘がほっと小さく溜息を吐くと、御手杵クンが僕の胸元を覗き込んだ。
「これを取ればいいのか? ちょっと貸して」
御手杵クンは僕の白装束を上着ごと取り上げると、障子脇の明るい場所へと移動する。気を遣ってか、ゆっくりとしたその動作に、娘も距離を保ちながら障子に躙り寄った。御手杵クンは留め具をまじまじと見詰めていたかと思うと、針を納めた部分を指でぐっと押してたわませた。ゆっくりと針を外し、そこに絡まった娘の髪を一本一本解いていった。娘は最初、御手杵クンの手元をじっと見ていたが、いつの間にか視線を外して俯いてしまっていた。御手杵クンのこと、意識してるのかな。うん、彼は親しみやすいから距離もすぐに縮まるけど実際のところ整った顔立ちなんだよね。そんなことを思ったが、娘はどうやら御手杵クンのことを気にしているというよりも自分の身なりを気に掛けているようだった。よく見れば、娘が身に纏っているのはこの本丸に集う僕ら男士に比べるとずいぶんと質素な着物だ。夜着ではなさそうだけど……まあ、寝入ってるところを勝手に連れてきてしまって悪かったな、と少し申し訳なく思う。
「取れた!」
御手杵クンが得意げに留め具を僕に突き出した。「俺は刺す以外、能がないからなあ」が口癖の御手杵クンだが、三名槍の称号持ちで真面目な努力家だし、たまにその天然ぶりに振り回されもするけど、実に好ましい青年だ。
「助かったよ、近すぎると見えないものがあるんだねえ」
僕は得意げな御手杵クンから留め具を受け取るが、すぐさま直面している問題へと引き戻される。
「で、このコは?」
邪気なくにこにこと御手杵クンが笑っている。娘は部屋を出る隙を窺っているかのようにじりじりと部屋の隅へと後ずさりしながら僕に視線を送っている。
「あー御手杵クンさ、弓……主の弓を見に来たんだろう?」
「うん、そうなんだけど……」
僕が御手杵クンに視線を移したそのとき、からんと軽く乾いた音がした。振り向けば、さっきまで娘が座っていた場所に弓が落ちている。
「えー?! 今、確かにいたよな? 女のコ……消えた?」
御手杵クンはその長身からは想像できないくらい素早く立ち上がると、その弓を拾い上げると同時にすぱーんと障子を開け放つ。
「……俺、夢でも見てた?」
御手杵クンがきょろきょろあたりを見回して困惑している。
 さて、と立ち上がろうとしたときほのかに甘く酸い風が僕の鼻先を掠めた。いずれにせよ娘の存在はいずれ明らかにならざるを得ないだろうしね。僕は鞘から刀を半分だけ抜くと、障子の建框たてかまちの脇を塞ぐように勢いよくあてがった。
「青江?!」
弓を抱えたままの御手杵クンが呆然と立ってこちらを見ている。刃の先にある娘の白いうなじがその鼓動と呼応するかのようにうっすらと紅に染まる。
「っふふ……驚かせてしまったかなあ。でも、さすが主の弓を名乗るだけあるよ。眉ひとつ動かさないなんて。でも軽率だったね? 僕から逃げられるとでも?」
「逃げるだなんて……騙したの?」
「騙したなんて人聞きの悪い。一体、何のことだい」
僕はさも腹を立てたように冷たく言い放った。それでも娘はひるまずこちらを睨みつけてくる。
「わたしがあんなに間近で覗き込んだり、目の前に手を翳してもぴくりともしなかったから」
そこまで訴えると、娘は急に俯いて決まり悪そうに呟いた。
「わたしはただ、本当は他の剣士さまに姿を見せちゃいけないって……」
娘が抵抗せずにおとなしくしているのを見て取ると、僕は静かに刃を鞘に収めて娘の手を引いた。
「御手杵クン、ちょっといいかな」
何が起こっているのかわからずに呆然と立っている御手杵クンに僕は声を掛けると、部屋の中に入るように促した。
「お、おう……」
まだ目を白黒させているがそこは素直に従ってくれる。
 顕現して初めて人の身を得た男士には、しばらくの間、教育係がつく。この本丸の決まりだ。そして御手杵クンの教育係を任ぜられたのがこの僕だったわけさ。御手杵クンはこの本丸にやってきてまだ日が浅いから、僕の指示通り動くことに抵抗がない。ある意味、ここにいるのが御手杵クンで助かったよ。僕は障子を閉めて娘に向き直った。
「君が主に仕えようとしているのは知ってる。でも君の存在はまだ主からちゃんと説明を受けてないんでね。姿を消して逃げようなんて、疚しいことがあるって疑われてもしかたないんじゃないかな?」
「それはーー」
娘が顔を上げ僕と目が合う。僕はふいに表情を和らげた。
「まあ、姿を隠していろといったのは僕だしね。君は今朝、広間で何があったのか知らずに寝入っていたわけだし……そうそう、あと言っておくけど」
僕は娘の頬を両手で包んだ。
「君の顔がどんなに間近にあっても僕は平気だよ……ほら」
鼻先が触れるくらいに顔を近づけると、娘は明らかに動揺して距離を取ろうとするが、娘の背中は障子にぴたりと触れている。
「うぇ~、俺には見えない姿が青江には見えてたのかあ」
間の抜けた声が響く。いや、御手杵クンは決して間抜けな槍じゃない。ただ、ちょっとばかり間が悪かっただけだ。
「っふふ……ごめんごめん。実際は見えてなかったよ」
「見えてなかったならなんで……」
「そうだ。下手したら怪我させてたぞ?」
御手杵クンも娘も合点のいかない顔をする。
「これさ」
僕は娘の頬から手を離すと、首筋の髪へと指を這わせた。娘の肩がぴくりと跳ねる。僕の指が娘の髪からするりと抜き出したのは、一本の薄黄色の穂だ。
「君の居場所はこの花が教えてくれた」
「え……」
娘が髪に手をやる。
「けっこうお転婆なんだねえ、木登りでもしたのかい?」
「してないわ! やだ……どこで付いたのかしら」
娘は不思議そうに首を傾げた。
「気を付けなよ? 年若の娘がこんな香りを纏うもんじゃない」
僕は障子を少し開けて、外へとそれを放った。障子を閉め部屋へと視線を戻す。御手杵クンも娘もただきょとんと僕の顔を見ている。ふ~ん、何の話か通じてない、か。
「さて、座りなよ。御手杵クンにちゃんと伝えておかないとね」
僕は娘にそう言うと自分も御手杵クンと向かい合うように腰を下ろした。娘は少し後ろに控えるように座った。
「でさあ、俺は主の弓を……えっと、これだよな」
僕より先に御手杵クンが口を開く。御手杵クンは持ったままの弓を一瞥すると顔を上げて娘に視線を移す。
「俺はこれを青江が部屋に持ってったから、それを見せてもらうと思ってここに来た」
「うん」
「で、誰?」
御手杵クンが娘を指差す。
「青江の知り合い?」
御手杵クンが恐る恐る僕に尋ねる。急に声を潜めた御手杵クンの様子がなんだか面白い。そんなに遠慮がちに尋ねる必要ないのに。
「ああ、知り合いだよ。真夜中に夜着のまま逢瀬を重ねるくらいには、ね」
「あ、青江さま!」
娘が慌てて声を上げる。
「っくっくっく……」
しまった、と慌てて娘が口に手をやるから、思わず込み上げる笑いを僕は必死に飲み込んだ。
「じゃあ、説明しようか。主が長谷部クンと現世から戻った日、僕と君との初めての夜から」
怒ってるのか呆れてるのか、僕の言葉に仏頂面になった娘にちょっと目配せすると、僕は御手杵クンにあの夜からのことを掻い摘まんで話して聞かせた。
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「はぁ……もう、やだ……わたしったら」
項垂れる娘を守るよう、僕と御手杵クンは両脇に寄り添い主のいる母屋に向かって歩いていた。成り行きで、弓は御手杵クンが手にしたままだ。まあ、長押に戻すには御手杵クンくらいの背丈が必要だし、ね。
「主さまがお戻りになると聞いたらなんだか落ち着かなくて、そのままお待ちしようって身なりを整えたのよ? それなのにわたし……眠り込んだ挙げ句に主さまの前でそんな姿を……」
「もういいじゃないか、あの姿を見たのは僕だけなんだし。寝間着姿というわけでもなかったんだし」
「よくないです!」
「でもすごいよなあ、あんた。姿消せるなんて」
御手杵クンが無邪気に娘を見下ろして言う。でもおかげで場の雰囲気が変わった。
「なあ、どうしたら姿を消せるんだ?」
「どう……って」
娘が首を捻る。
「なあ、俺たちが顕現を解かれるみたいなもんなのかな」
娘は途方に暮れている。そりゃそうだよね、娘はまだこの本丸に集う男士がどんな存在なのかよくはわかっていない。
「わたしはただ、あなた以外に姿を見せちゃいけないと思って……どうにかして姿を消せないものか……」
娘が僕のほうを向く。
「うん、さっきは悪かった。君は今朝、主が君……というかその弓を皆に紹介したことを知らなかったんだ。逃げようとした、なんて言ったことは謝るよ。あ、あと刃を向けたことも」
「そのことならもう……こっそり抜けだそうとしたのは本当だし」
「でもさ、もう俺にも見えてるんだし、主に挨拶して改めてみんなに紹介してもらえばもう隠れてなくていいんだろ?」
御手杵クンがにこにこと笑いかける。その言葉に娘の顔にも笑顔が戻る。母屋はもうすぐだ。
「まあ、主に目通りが叶ったらもう少し君のことがわかるだろうしね」
 そのとき、娘が急に足を止めて息を呑んだ。その視線の先には人影がひとつ、主だ。娘は慌てて身なりをもう一度整えて、深呼吸をひとつした。頬は紅潮しその目は今までで一番輝いている。ああ、この数日君がじっと耐えてきたのは、本当に主に会いたい一心からだったのだと手に取るよう伝わってくる。
「やあ、御手杵。どうだい? もうここでの生活には慣れたかな」
主は僕らに気付くと、軽く手を上げてこちらに向かって歩いてきた。でも姿勢を正して立っている娘には主の視線が届いていない。
「ああ、青江がよく教えてくれるから。俺もだいぶん仕事ができるようになった」
「それはよかった。やっぱりにっかり青江に任せて正解だったね」
御手杵クンの返事を聞くと、主は満足そうに僕に笑いかける。
御手杵クンも少し様子がおかしいと気付いたようで、僕と顔を見合わせた。
「なあ、主。ちょっと聞きたいんだけど」
「なんだい?」
「ここに弓があるだろう? でさ、今、ここに居るのは俺と……」
主が少し怪訝な表情を浮かべる。娘の視線はこの間もずっと主に注がれている。
「にっかり青江だろう?」
主の視線は娘を通り越して、御手杵クンから直接僕へと移った。
「どうかしたのかい? 他に誰か隠れてるとか……」
「いや、いいいんだ。なんでもないよ。主はどこか行こうとしてたんだろう? 引き留めて済まなかった」
僕がそう告げると、主は何事もなかったかのように僕らと挨拶を交わして母屋へと戻っていった。きまずい空気が流れる。娘の姿は主には見えていなかった。
 主には見えていないんだ。そうとしか考えられなかった。何か声を掛けてやらないと。そう思って娘のほうを向いた僕はそのまま言葉を失った。身じろぎひとつせずにまっすぐ立って主を見送るその瞳には、大粒の涙が今にも溢れそうに揺らいでいた。声を届ける相手を失った唇は、きゅっと引き結ばれたまま小さく震えていた。御手杵クンも無言でじっと娘を見詰めている。
「あ、御手杵さま……でしたっけ」
不自然に明るい声が響いた。
「その弓、広間に戻しておいていただけますか? なくなったりしたら主さまが驚くから」
娘は一歩前へ進むとくるりとこちらへ向き直った。その笑顔とは不釣り合いな涙が両頬を濡らしていく。
「あ、あの……お騒がせしてしまってごめんなさい。わたし……わたし……」
笑顔を保とうとするのが精一杯で言葉が続かないのだろう。しばらく沈黙が続いた後。娘は空を仰ぎ、そのまま目を合わせずに僕らに告げた。
「落ち着くまで、しばらくお社で過ごしますね」
「君……」
僕が伸ばした手が肩先に触れようとしたとき、娘はそのまま踵を返して走り出した。
「ま、待てよ!」
僕は御手杵クンの腕を掴んで引き留めた。
「追いかけて、何を言ってやるんだい?」
「でも……このままじゃあ」
御手杵クンは項垂れて髪を掻きむしった。
「しばらくそっとしておこう。社はあの娘を歓迎してたんだ。心配ないよ」
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 御手杵クンと僕は連れ立って庫院へ戻る道を歩いていた。さっきはあんなに和気藹々としていたのに、今は重い空気がのしかかっている。
「でも……なんで青江には最初から見えてたんだろうな? だって現世から連れてくるときには、主にも長谷部にもあのコの姿は見えてはなかったんだろ? 意識がないと弓にしかみえないってんなら、今朝は青江にだって弓にしか見えないはず……だよな」
御手杵クンは前を向いたまま僕に問いかける。でも僕にもその理由はさっぱりわからない。黙ったままでいると、御手杵クンのほうからまた話しかけてきた。
「今朝について言えば青江は前に一度、ん? 二度か、その姿を見てるから……なのかなあ」
「どうだろうねえ、僕にもわからないな。でも、どうしてそう思ったんだい」
「青江と、主と長谷部の違いってそのくらいしか思いつかなかっただけ」
御手杵クンは決まり悪そうに頭を掻くが、案外核心をついてるのかもしれない。それに御手杵クンがそんな風に考えを組み立てたことにちょっと驚いた。
 御手杵クンがふと立ち止まって上を見た。
「これ、さっきの花?」
御手杵クンが見上げているのは大きな栗の木だ。
「ああ、そうだよ」
御手杵クンの声が少し和らいだ。
「あのコの背じゃ、枝に届かないよなあ。ほんと、木登りでもしたのかな」
こちらを向いた御手杵クンの笑顔はどことなく寂しそうに見えた。
「俺さ、元の俺ってもうこの世にないじゃん? それでも俺のこと覚えててくれて、俺の形を写してくれて、こうやって人の身ももらえた。あのコは、弓は主の手に残ってるけど、姿を見てもらえないってのは……あああああ上手く言えねえ!」
御手杵クンが頭を掻き毟る。
「そうだ! 俺は写しはあってももともとの槍はもうない。そのまま忘れ去られてたら今の俺はここにいない。ん、そうだな。あのコは今、確かにここにある。でも主はあのコの姿を知らない。俺と真逆だ。だから、えっと……なんだっけ……あ、そう、逆なんだよ、逆。弓はあってもあのコのことを主が知らないなら、あのコはいつか消えてしまうんじゃないか、って。それは切ないよなあ、そう思ったんだ」
御手杵クンはしばらく栗の木を見上げて、しばらくそうしていたけど、頭を二度三度ぶんぶんと振ってから振り返った。
「難しいこと考えるのはらしくないよな」
御手杵クンはいつものようにへらっと笑うが、僕は一緒に笑うことができなかった。
「よく見ればこれもちゃんとした花なんだなあ。いつもここ通ってたけど、なんとなく見てるだけだと、ただ葉が生い茂ってるくらいにしか思ってなくて。確かに最近ここを通るとこんな匂いしてたなあ」
「世の人の見つけぬ花や軒の栗って詠まれるくらいだからねえ」
「なにそれ?」
「俳句だよ。目立たない花だから、近くにあってもなかなか人目に付かないってこと」
御手杵クンの言葉に、僕の心は少しばかり軋んでいた。だって嘘なんだよ、娘の髪に付いていたなんていいうのは。今、僕が仕えているのはこの本丸の主だ。如何に主の弓が人の姿を得たものがあの娘なのだとしても、主から然るべき説明がなければ全幅の信頼を置くわけにはいかないじゃないか。初めて会った晩、そしてあの朔の夜、別れ際に闇に溶ける娘の姿が思い出され、僕は念のため行方を眩ませても居場所がわかるよう、広間から庫院へ向かう途中でここに落ちていた一房を娘の髪にねじ込んだんだ。だけど、主には自分が見えていないのだと悟ったときの娘を目にして、主に仕えるという娘の言葉を疑っていた自分に、なんとも形容しがたい感情を覚えた。警戒したのは、家臣として間違った行動ではなかったはずだ。でも、僕は見抜けなかった。観察する力にかけては、一廉(ひとかど)のものをもっていると自負していたのに。
「ところでさあ、青江」
「なんだい?」
僕の気持ちを知ってか知らずか、御手杵クンがまた話しかけてくる。
「なんで、この花の匂いを付けてちゃまずいんだ?」
御手杵クンは枝からその花を一房摘み取ると匂いを嗅いで頭を捻っている。ああ、そうか。御手杵クンのそういうところに僕は助けられているのかもしれない。うまく言えないけど、主が僕に御手杵クンの教育係を言いつけたのは、ただ僕が脇差だったからとか顕現した順番とか、そういうのとは別の理由があったに違いない。何事も、一部分に固執すれば本質を見誤る。一度、意識を他へ向けたほうがいい解決策が浮かぶかもしれない。僕は後ろで手を組むと、横から御手杵クンを斜めに見上げた。
「御手杵クン、顕現してどのくらいだっけ?」
「う~ん、まだひと月は経ってないよなあ……」
御手杵クンが指を折って数え始める。
「三週間くらいかな」
「じゃ、きっともうじきわかるよ」
「もうじきって?」
「そうだねえ……君のここが」
僕は心の臓の上に拳を当てる。
「その人の身にしっかりと馴染んだら、かな?」
「なあ、だからそれっていつなんだよ、青江。教えてくれよ〜」
「僕だってわからないんだよ。僕は槍の身のことは知らないんだから」
「えー」
しばらく隣り合って歩きながら押し問答が続いたが、不貞腐れたように口を尖らせていた御手杵クンが急に立ち止まる。
「ん? どうしたんだい」
僕が振り向くと、御手杵クンは真顔でこちらをまっすぐに見て言った。
「なあ、青江。あのコのことはしばらく黙ってたほうがいいよな。少なくともあのコが落ち着くまで」
のほほんとしてるようにみえるのに、ときどき突いてくるんだよねえ、御手杵クンて。こちらが言わなくてもちゃんと推し測って行動する。本人は気付いてないみたいだけどね。僕はひとつ伸びをしてまた歩き出した。
「そうだね、少し様子をみよう」
僕は振り返らずに返事をすると、努めて声を明るくして前を向いたまま続けた。
「さ、急いで戻ろう。畑当番が待ってるよ」
「うえぇ……あ、待ってくれよ~」
御手杵クンが気乗りしない口ぶりながらも、早足で追いかけてくるのがわかる。
 わずかな重苦しさを胸に、僕らは今日もいつものように当番の畑仕事をこなしていった。それでも、風が栗の花の香りを運んで来る度に、涙を湛えたまま微笑むあの娘の姿が思い出されて、僕は陽が落ちたらまた握り飯を持って社へ行こうと考えていた。だけど、この後、この本丸はそれまで経験したことのない事態に陥ったことで、それどころではなくなってしまった。
 この夜、大阪城へ出陣していた石切丸が重傷を負った。進軍途中での撤退を余技なくされたのは、この本丸始まってから初めてのことだった。
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刀剣弓箭譚  3 ー匂えども人知れず咲く花ー
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 翌朝、僕は朝餉を済ませた厨の洗い場にいた。ふと、器を洗う手を止め目を閉じる。確か、初めて出会った夜もそうだった。そこに娘の気配は確かにあるのに、実際に僕に届くのは娘の声と遠ざかる足音だけ。娘の姿が闇に溶けるのは意図してなのか違うのか。あの晩も、そして昨晩も、すべてが漆黒に包まれる闇夜では決してなかったのだ。
「どうしたんだい? このところ君が夜更かしをしているのは知っているが、こんなに眠そうな君を見るのは初めてだ」
背中からの声に僕は再び目を開く。声の主、歌仙クンは下げてきた器を洗おうと僕の隣に陣取った。歌仙クンは厨当番の日以外にも、自分の食事をここで作ることがある。庫院にある現世の道具は便利だが風流に欠けるところがある、と歌仙クンはいう。本丸の決まりでは竈番が朝餉の支度をすることにはなっているが、課せられているのは飯を炊くことと汁物を作ることだけ。朝に飯を炊くのは江戸式か。魚が手に入れば焼いたり煮たりしなくもないがあくまでそれは当番次第だ。歌仙クンがいると汁物の具が豪華になったり卵焼きがついたりする。当番でもないのに厨を使わせてもらうのだからと、歌仙クンはほかの刀にも振る舞うから、最近はそれを楽しみにする竈番もいるくらいだ。あ、僕は違うよ? ゆうべのお礼も兼ねて、宗三クンに胡麻を摺りに手伝いに来たのさ。でも歌仙クンは僕が卵焼きを目当てに来たんだと思ってるだろうね。
「僕が眠そうに?」
「ああ」
瞼を閉じていただけだったんだけど。
「ちょっと考え事をしていただけだよ」
「何か気になることでもあったのかい?」
「いや……それ、僕が洗っておくからそこへ置いておいてくれないか」
本来はここで隠し事をするべきではないのかもしれない。でも、少なくともあの娘のことを話すのであれば主に最初にするべきだろうと思えるから、僕は話題を洗い物に逸らした。それでも歌仙クンは何か言おうと口を開こうとしたところに、ふと、気配を感じた。
「間もなく広間に集まる時間です。皆で洗えばすぐに終わりましょう」
穏やかな声が背中で響く。やってきたのは江雪左文字だ。江雪左文字は、小夜クンや宗三クンと同じ左文字派の刀だ。でも二振と違って太刀である彼と僕が一緒に出陣することはまずない。三振で並ぶにはちょっと狭いが、今朝はようやく現世から戻ってきた主から集まるように言われているし、何より無口な彼が入ることで無理に話を続ける必要がなくなったのはちょうどよかった。
 今朝の厨は閑散としていて、朝餉の洗い物はわずかだった。昨晩は出陣した部隊もなく、母屋で過ごしたのは竈番の宗三クンと小夜クンに、おそらく宗三クンが布団を取りに行ったときに連れてきたのだろう江雪左文字だった。僕らは早々に洗い上げた道具や器を拭き上げてから棚にしまうと、身なりを整えるために各自庫院の部屋へと戻っていった。
 外は晴れ。軒に影を落とす若葉は眩しいくらいに生き生きと生い茂り、そこここで花々がその命を継ごうと香りを放つ。僕はその中でも目立たぬ一枝をそっと手折った。
 内番着から戦闘服へと支度している最中も僕は娘のことを考えていた。最初の晩は遅く昇った二十六夜の月が、無月の昨夜は参道に並ぶ灯籠が静かな光を放っていた。夜目が利くのは僕の武器。どうして見失う? どちらの晩のこともはっきりと思い出せるのに、立ち去る君の背中は、僕の記憶のどこにも居ない。主ならあの娘のことを知っているだろうか。何故だか僕は気が急いて、支度を済ませると足早に大広間へと向かった。
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「ほぉ、時間よりも早く足を運ぶとは、おまえにしては殊勝なことだな。いつの間にかそこにいるというのが得意だろうに。心でも入れ替えたか? 関心、関心」
母屋の廊下を曲がった途端、お小言とも厭味ともつかぬ独特な講評を賜る。ありがたくない。よりによって大広間の入り口で出くわしたのが長谷部クンだなんてついてないなあ。僕が時間より早くに来たのは、あの娘のことを主に尋ねたかったからだ。長谷部クンが既にここにいるってことは、皆が集まる前に主とふたりで話すのは無理だろうねえ。
「そんな嫌そうな顔をしなくてもいいだろう、褒めてるんだぞ」
僕の表情に気が付いて長谷部クンが無邪気に得意そうな笑みを浮かべる。今朝は機嫌がいい。しばらく主の傍仕えを独り占めできていたのだから当然か。僕はといえば、当初の目的を果たせず不本意極まりないというのに。まあ、一番乗りなんて正攻法は僕には不向きだったよ。慣れないことはするもんじゃないなあ。
「はいはい、長谷部クンに褒めてもらえるなんて光栄だよ」
「そら、今なら最前列に陣取れるな」
僕の木で鼻をこくったような物言いにも長谷部クンは上機嫌のままだ。仕方なく僕は長谷部クンに促されるまま大広間へと入っていた。
 屋内から大広間へ足を踏み入れれば、まず目に飛び込んでくるのは屋敷の庭だ。この部屋に続いていた廊下は日当たりが悪く、暗がりから急に庭からの光いっぱいの大広間に少しばかり目がくらんだが、一息もつけばすぐに目は馴染んだ。見事に手入れされている様は、僕らの内番の成果だ。でも、実はこの風景にも仕掛けがあって時間や季節を自由に入れ替えることができるらしい。なんだってそんなことをする必要があるのかはわからないけれど、「たまには気分転換も必要なんじゃないかな」なんてことを主は言っていたっけ。で、今のところ僕らは気分転換が必要なほど退屈はしていないからあるがままにこの地の風景が広がっている。僕は庭に背を向け、主が座す正面ーー長谷部クンの隣に片膝をついた。そのまま座ろうとしたときだ。ふと見上げた先に僕の視線は釘付けになった。
「なんだってこんな処にーーっ」
思わず口を突いて出た僕の言葉に、長谷部クンが驚いて僕を見た。
「どうかしたのか?」
「どうかしたって、どう考えてもおかしいだろう? こんなところに、いや、そもそもどうやったらあんなところで横たわれるって言うんだい」
僕としたことが動揺の余り声を荒げてしまうが、長谷部クンは平静そのもので同じ方向を見詰めている。
「この部屋の変化に気付くとはさすがだな、青江。お前が驚くのも無理はない。あれは今朝、主に託かって俺が掛けたんだからな。主と俺以外で目にするのはお前が最初だ」
掛けた? 長谷部クン、君は何を言ってるんだい? 僕の理解が追いつかないまま長谷部クンは続ける。
「実は先達ての現世同行は主の帰省でな。つまり、主の現在のお住まいではなく生まれ育った家までお供したんだが、そのときに持ち帰ったものだ。現世から私物を持ち込むには管理台帳へ登録すれば済むんだが、刀と弓だと知ると突然役人たちが騒ぎ出してな。通常の台帳登録だけでは許可できないと言い出して……」
長谷部クンの言葉が頭には入ってくるものの、僕の中で合点がいかない。刀? 弓? だって、長押に横たわっているのはーー。
「結局、お前が池田屋から戻ったとき刀は政府預かりになってしまって、持ってこれたのはあの弓だけだったんだ。まあ、きちんと登録されている刀剣とは言え万が一にも得体の知れぬ付喪と化していてはやっかいだからな。だがしかし、だ。役人どもが保身のために差し押さえたものの、その刀が主の家に代々伝わるものだとわかり霊力を帯びていないことがわかると、今度は役所では管理できないからすぐに取りに来いと夜も遅いのに有無を言わせず呼び出すとは。全く、役人どもは主をなんだと思ってるんだ。いいか、曲がりなりにも審神者の職を賜っている我が主にーー」
「ごめん、長谷部クン」
僕は長谷部クンの話を遮った。僕の切羽詰まった口調に長谷部クンは怪訝な顔を向けた。
「あれ……その、君が今朝あそこの長押に掛けたのって……主が持ってきた……弓?」
「そうだが」
即答、か。
「長いこと放っておかれていたようだ。まだ埃を拭っただけでこれから手を入れなければならないが、無造作に主の私室に立て掛けておくわけにもいかないしな。まずは置き場所をと主が希望されたんだ」
弓……。長谷部クンの態度は至って真摯で冗談を言っているようには見えなかった。そもそも長谷部クンに気の利いた冗談が言えるわけないし。僕はもう一度長押を見上げ、念を押すように長谷部クンに尋ねた。
「主が持ってきた……弓……が一張り、だよね?」
「まあ、弦もない状態だからな、一本とでも言うべきかな」
生真面目な長谷部クンらしい返事だ。
「つまり、長谷部クンには只の弓に見える……と」
僕は額に手をやり、心の内で状況を確認するつもりが、ついうっかり口に出してしまっていた。
「何? ま、まさか俺には見えないが良からぬ霊でも取り憑いているというのか! ならば俺が斬ーー」
「ま、待って長谷部クン、落ち着いて」
僕は慌てて長谷部クンをその場に押し留めた。僕が絡むとどうしても幽霊話に行きがちなのをときどき苦々しく思うこともあるけど、今日は逆に助かったよ。今、ここで正直に僕の目に映っているものを説明しなくて済みそうだ。
「そうじゃない、そうじゃないんだ。そういう心配が必要な類いじゃないから」
「ならいいが、何か不審なところがあるならすぐに主にーー」
長谷部クンが言い掛けたところで、どやどやとほかの刀達が広間に集まってきた。間もなく主もやってくる。
「驚かせてごめん。あの弓が主に仇なすことはないよ。僕が保証するよ」
僕は長谷部クンにいつものようににっかりと笑ってみせた。
 本当は落ち着かなきゃいけないのは僕のほうだ。その後、続々と本丸中の刀が部屋へ集ってきたが一向に騒ぎは起こらない。多分、見えているのは僕だけなんだろうな……。
  僕の視線の先にある長押、そこに横たわっているのは僕が池田屋から戻った晩に出会って、昨晩倒れているところを僕が助けた娘だ。どこがどうなっているのかわからないが、弓を掛けてあるであろう場所で背を向けている。これだけ刀が集まっているのにまるで気にする様子もない。注意して見れば、規則的に肩が上下している。裾が乱れているせいで、膨ら脛が丸見えだ。眠っているのか。この騒がしさで平気で眠っているなんて大した大物っぷりだ。いや、夕べの様子だと、飲まず食わずでそれなりに弱っていたはずだ。安心してぐっすりと眠っ……。
 そのときガタと引き戸が鳴り、開いた板戸から主が部屋へと入ってきた。部屋は一瞬のうちに静まりかえり、皆が主に注目した。大広間の中央へと進む主の手には細長い風呂敷包みがひとつあり、嫌でもそこに視線が集まる。
「何日も留守にして済まなかった」
主は僕らに一礼して腰を下ろした。蜂須賀や長谷部クンは主に頭を下げるなど止めてほしいと、それこそ何度も懇願したが、当の主はあくまで僕らのことは「賜ったものたち」なのだから丁重にもてなすのが礼儀だよと聞かなかった。もちろん、戦には出すけれどね、と笑っていたっけ。
 主は一連の留守について事情を説明している。もちろん僕だってちゃんと耳を傾けているが、どうにも集中できない。何しろ、長押の娘が身じろぐたびに裾が乱れて膝上まで着物が捲れそうになって気が気じゃないんだ。見えているのが僕だけだとしても放っておくのは全くもって憚られるじゃないか。
「で、これがその刀だ」
主の声にはっとする。僕だけでなく、ここにいる刀すべての視線が主が取り上げた包みに注がれた。
「あれが、その刀なのかい?」
僕は隣の長谷部クンに囁いた。
「ああ、そうだ。特に怪しいところなどないというのに役人どもめ」
たぶん、あの弓にしてもここへ持ってくるときにはあの娘の姿なんて見えてはなかっただろう。そう思うと、膝の上に置いた手に自然と力が入る。包みを開いている主の手の中を固唾を呑んで見守っていると、そこから古びた刀が2本顔を出した。いや、別に人の姿をしているわけではないから顔を出すというのはあくまで比喩だ。僕は無意識にほっと息を吐いた。
「どうした、主の寵を受ける刀が我々のような人の姿を持っていなくて安心したか?」
いやいや、そう言う長谷部クンのほうこそなんか笑顔が怖いよ。
「僕ら刀剣男士の顕現には政府のみが持つ大層な技が必要なんだろう? 主の刀にこういう言い方はどうかと思うけど、刀ならなんでもいいわけじゃないんだろうし」
まるで自分に言い聞かせるような言葉に僕は心の中で苦笑いする。弓があの姿だから、もしかしたらと考えた自分に少し呆れる。あの弓が娘の姿として見えるのが自分だけだとして、刀も同じとは限らないよね。それに、もし刀故にそこに何かを感じるなら長谷部クンが最初に気付いているだろう。そもそもあの娘が付喪神の類いとは限らないし……。そんなことを考えている間にも大広間では主への質問大会が繰り広げられていた。
「それはどなたの刀なんですか?」
「拵えが揃いだね」
「生まれはどこなんだい?」
幸い弓が掛けてあるのは大広間の中央、そして主が座しているのも中央だから、僕の視線は主に向けられていて、視界の隅で娘を捉えている。だけど次の瞬間、僕の意識は長押に釘付けになった。もぞもぞと娘の動きが大きくなる。(江戸中期の刀と短刀)だとか(小刀は失われている)とか、主と僕ら刀剣男士との会話も耳に届いているがそれどころではない。まさか、あそこで寝返りを打つ気なのか。ひやりとしたが、くるりとこちらを向いた娘は、昨晩、僕の握り飯を食んだときのように穏やかで満ち足りた笑みを浮かべている。飲まず食わずで過ごしていて、ようやく安心して眠れるようになったのか。まだぐっすり眠っているようだ。だが、胸元が乱れていないのはいいとして、膝上まで露わになって投げ出されているあの脚をどうやったら裾の中に納められるというんだ。もやもやとしているところに主の声が響く。
「君たちみたいな刀剣男士にはなれなかったが、僕にとっては先祖が残してくれた刀たちだ。刀掛けに置いておくから仲良くしてやってくれ。今日はこれまで。みな、当番に戻ってくれ」
主はそう言うと、刀を手に膝を立てた。同時に頭上の娘がぐらりと揺れる。
「危ない!」
僕は叫ぶより先に主に向かって畳を蹴っていた。
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 どうしたらいい? 僕の眉間にはまるで小言を切り出す直前の長谷部クンみたいに皺が寄っているに違いない。庫院の廊下を歩く僕の腕の中にはすやすやと眠っている娘がいる。幸い、皆の言動からはこの娘の姿はその依り代である弓としか映っていないようだった。あのあと、ちょっとした騒ぎにはなったが、なんだかんだで主のおかげであの場は収まった。
 あのとき、僕が長押から転げ落ちた娘を受け止めようと飛び出したとき、驚いた主は足を滑らせ尻餅をついてしまった。
      「青江! 貴様、何ーー」
      僕を引き戻そうとして伸ばした長谷部クンの腕が僕の白装束を掠める。残念だったね、こういうときは君より僕の方が早いんだ。僕は受け止めた娘が衝撃を物ともせず眠り続けていることに安堵する。皆には只の弓にしか見えていないなら、僕が弓と会話を始めたりしたらちょっとした騒ぎになるだろうからね。ほぅっと溜息をついて視線を娘から外せば、目を丸くして僕を見上げる主を捉えた。
      「主、驚かせてしまっ」
      僕が主への詫びの言葉を口にする間もなく長谷部クンが割り込んでくる。
      「おい! 主になんてことを」
      僕の言葉を遮り、長谷部クンは僕の肩を掴み勢いよく主から引き離そうとしたから、背に垂れていた僕の髪が大きく舞った。
      「へし切長谷部」
      主の落ち着いた、でも芯のあるその声に長谷部クンの動きが止まる。主は静かに立ち上がると、長谷部クンに向かって小さく頷いて戻るように促した。
      「ありがとう、にっかり青江。僕の弓を守ってくれて」
      主の言葉にぎくりとする。
      「皆、紹介が遅れて済まない。刀剣ではないから……というのはよくないね。この弓も僕の家から連れてきたんだ。手入れされないまま放置されていたんだが、弓は魔除けにもなるし、何よりこれも 僕の先祖が残してくれたものだからね。よろしく頼む」
      主は僕が受け止めた弓を一瞥すると、すぐに皆の方へと向き直ってそう告げた。その反応を見るに、どうやら主もこの弓が人の姿であることに気付いている様子はなかった。
      「あと、柄を持ってこれなかったので一時的に僕の部屋に置いてある槍があるんだ。柄が揃ったら弓と一緒にここに置くつもりだ。刀同様よろしく頼むよ」
      主は長押を見遣りながらそう言うと長谷部クンのほうへと歩み寄る。
      「へし切長谷部、ありがとう。君の俊敏さにはいつも目を見張るよ」
      頬が緩むのを必死に耐えながら長谷部クンが頭を垂れる。この場はなんとか凌げそうだと僕は安堵した。
      「そしたら、この弓はもう一度上にーー」
      僕は主に弓を掲げるように少しあげてみせようとして違和感を覚えた。装束が何かに引っ掛かって攣れる。
      「ああ、やっぱり弦は外しておくべきだったか。古い物だからそのままにしておくほうがいいかと思ったんだが」
      主が慌てて近寄り済まなそうに僕の胸を覗き込む。
      「ちょっとじっとしててくれ」
      主は手にした刀を足元に置くと、僕の胸元へと手を伸ばから、一瞬、ぎくりとする。
      「困ったな……留め具の隙間に弦が挟まって……」
      どうやら主は弓の弦を僕の白装束の留め具から外そうとしているらしい。
      「こんな間近で見ることはないけれど、この留め具の細工も見事だね。緑の石は本物の翠玉なのかな……う、う~ん、弦の毛羽立ったところが……指が入らないな……」
      主は懸命に指を動かすが、留め具に絡まった弦はなかなか外れない。
      「困ったな……仕方ない。もうこの弦は外しておくことにするから切ってしまおう。誰か手を貸しーー」
      「ちょ、ちょっと待ってくれないか」
      僕は慌てて叫んだ。主の言葉を遮るなんて、また長谷部クンに怒られるかな。でもそんなことを言っている場合じゃない。だって、主が切ろうと言った弦は、僕の腕の中で眠っている娘の髪なんだ。
 僕は自分の部屋の前でひとつ溜め息を吐く。娘を抱えたまま障子を開け部屋へ入ると、娘を起こさぬようそっと腰を降ろした。できれば娘を寝かせてしまいたかったが、髪が僕の胸の留め具に絡まっているのをどうにかしないことには僕から離すことができない。
 主の弓なのだから、いくら痛んだままと言ってもできるだけ傷付けない方法を取ろう、そう言えば皆、同意してくれるだろうと考えた僕の読みは当たった。そんなに手間を掛けることはないと恐縮する主に、壊れていようとここでわざわざ傷付けたりしちゃだめだと、長谷部クンを始め皆が口々に訴えてくれたおかげで、とにかく落ち着いて作業させて欲しいと僕は娘と共に自室に戻ることができた。
 仕方ない、ひとまず娘の髪は絡んだままでいいから、この白装束を外そう。僕は上着ごと白装束を脱げばいいかと衿に手を掛ける。娘はまだ夢の中か。娘を見つめる僕にふと疑念が湧き上がる。。あの晩、娘は鏑矢を放っていた。そして僕に向かって引いた弓にはちゃんと弦が張ってあった。けれど、目の前の娘が宿る弓の弦は無残にも外れ垂れ下がった姿だと言う。合点がいかない。
 納得のいく答えを導き出せないまましばし佇んでいると、どすどすと廊下を歩く音がした。この足音は短刀ではない。心当たりはひとつ、ふたつ。このまま行き過ぎるのか、僕を訪ねてきたのか。まあ、どのみち皆にこの娘は弓にしかみえていないのだからどうとでもなるか。
 足音は僕の部屋の前で止まった。
「青江~、ちょっといいかあ?」
長閑かつ無駄に大きな声が響く。
「ん……」
その声に娘の睫が揺れた。薄目越しに僕を見上げたかと思うと、みるみるその瞳を満月のように見開くと、いかにも叫び声を上げそうな様子を見せるから、僕は慌てて口元に指を立てる。察しのいい娘でよかった。すんでのところで娘は言葉を飲み込んだ。だが激しく狼狽しているのに変わりはない。慌てて僕から離れようとする。
「青江~、いないのか?」
「ちょっと待っ――」
僕が返事をしようと障子の方を向いたとき、娘が距離を取ろう僕の胸を勢いよく押した。だが生憎、娘の髪と僕の白装束の留め具はまだ繋がったままだ。
「痛っ」
思わず娘が叫び、僕は娘の髪がそれ以上引っ張られないように慌てて娘を引き寄せようとする。そして何が起きているのか把握できずに娘が後退りするので――。
「君、少しじっとし――うゎっ」
どさり、と派手な物音にしまったと思うより障子が開くのが早かった。
「大丈夫かっ、青江!」
すぱーんと開け放たれた障子の向こうには鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした御手杵クンが障子に手を掛けたまま止まっている。上着を脱ぎかけた僕は這い蹲るように畳みに手を付き、その下には目を白黒させている娘が身を固くして横たわっている。大丈夫、御手杵クンの目には弓が映っているだけ……。
「なあ青江……そのコ、誰?」
思わず僕と娘は顔を見合わせた。すーっと障子が閉まる音がして少し安堵する。いや、御手杵くんが去ったとして、これが本丸中に知れ渡ったら大騒ぎになるのは間違いないが、時間は稼げる。そう思ったが、次の瞬間、どすっと畳に座り込む音がした。
「俺さあ、まだ自分に何ができるのかよくわかってないじゃん? この間さ、万屋へ連れてってもらったとき「やっぱ槍だよ」って会話が聞こえてきてさ。なんだろうと思ったら、弓に対抗するなら槍じゃないかって話だったんだ」
すぐ横で、何食わぬ顔の御手杵クンがしゃべり出す。うん、わかってた。君はそういう槍だったよね。
「でさあ、主の弓……見せてもらったら……なんかこう、何か掴めるんじゃないかと思って来たんだけど」
僕は娘に向かってちょっと困ったように眉を下げて見せて、御手杵クンの方へ顔を向けた。御手杵クンはいたって真面目にこちらを見ている。
「でさ、なんで青江の下にあるのが弓じゃなくて女のコなのか、俺ちょっとわかんないんだけど」
御手杵クンが決まり悪そうに頭を掻く。もっと驚くか茶化されるかしたほうが弁解しやすいんだろうな。うん、実に御手杵クンらしい反応だけど。
「事情はすぐにでも説明したいんだけどね。起き上がろうにも、僕の白装束の留め具に髪が絡んでしまって取れないもんだから、無理に引っ張るわけにもいかなくてね。御手杵クン、悪いんだけど、この娘の背を押して起き上がらせるの手伝ってくれるかい?」
「ん? ああ、ちょっと待ってて」
御手杵クンが娘の背を持ち上げるのに合わせて僕も上体を起こし、娘の髪が千切れることなく無事に起き上がることができた。僕と娘がほっと小さく溜息を吐くと、御手杵クンが僕の胸元を覗き込んだ。
「これを取ればいいのか? ちょっと貸して」
御手杵クンは僕の白装束を上着ごと取り上げると、障子脇の明るい場所へと移動する。気を遣ってか、ゆっくりとしたその動作に、娘も距離を保ちながら障子に躙り寄った。御手杵クンは留め具をまじまじと見詰めていたかと思うと、針を納めた部分を指でぐっと押してたわませた。ゆっくりと針を外し、そこに絡まった娘の髪を一本一本解いていった。娘は最初、御手杵クンの手元をじっと見ていたが、いつの間にか視線を外して俯いてしまっていた。御手杵クンのこと、意識してるのかな。うん、彼は親しみやすいから距離もすぐに縮まるけど実際のところ整った顔立ちなんだよね。そんなことを思ったが、娘はどうやら御手杵クンのことを気にしているというよりも自分の身なりを気に掛けているようだった。よく見れば、娘が身に纏っているのはこの本丸に集う僕ら男士に比べるとずいぶんと質素な着物だ。夜着ではなさそうだけど……まあ、寝入ってるところを勝手に連れてきてしまって悪かったな、と少し申し訳なく思う。
「取れた!」
御手杵クンが得意げに留め具を僕に突き出した。「俺は刺す以外、能がないからなあ」が口癖の御手杵クンだが、三名槍の称号持ちで真面目な努力家だし、たまにその天然ぶりに振り回されもするけど、実に好ましい青年だ。
「助かったよ、近すぎると見えないものがあるんだねえ」
僕は得意げな御手杵クンから留め具を受け取るが、すぐさま直面している問題へと引き戻される。
「で、このコは?」
邪気なくにこにこと御手杵クンが笑っている。娘は部屋を出る隙を窺っているかのようにじりじりと部屋の隅へと後ずさりしながら僕に視線を送っている。
「あー御手杵クンさ、弓……主の弓を見に来たんだろう?」
「うん、そうなんだけど……」
僕が御手杵クンに視線を移したそのとき、からんと軽く乾いた音がした。振り向けば、さっきまで娘が座っていた場所に弓が落ちている。
「えー?! 今、確かにいたよな? 女のコ……消えた?」
御手杵クンはその長身からは想像できないくらい素早く立ち上がると、その弓を拾い上げると同時にすぱーんと障子を開け放つ。
「……俺、夢でも見てた?」
御手杵クンがきょろきょろあたりを見回して困惑している。
 さて、と立ち上がろうとしたときほのかに甘く酸い風が僕の鼻先を掠めた。いずれにせよ娘の存在はいずれ明らかにならざるを得ないだろうしね。僕は鞘から刀を半分だけ抜くと、障子の建框たてかまちの脇を塞ぐように勢いよくあてがった。
「青江?!」
弓を抱えたままの御手杵クンが呆然と立ってこちらを見ている。刃の先にある娘の白いうなじがその鼓動と呼応するかのようにうっすらと紅に染まる。
「っふふ……驚かせてしまったかなあ。でも、さすが主の弓を名乗るだけあるよ。眉ひとつ動かさないなんて。でも軽率だったね? 僕から逃げられるとでも?」
「逃げるだなんて……騙したの?」
「騙したなんて人聞きの悪い。一体、何のことだい」
僕はさも腹を立てたように冷たく言い放った。それでも娘はひるまずこちらを睨みつけてくる。
「わたしがあんなに間近で覗き込んだり、目の前に手を翳してもぴくりともしなかったから」
そこまで訴えると、娘は急に俯いて決まり悪そうに呟いた。
「わたしはただ、本当は他の剣士さまに姿を見せちゃいけないって……」
娘が抵抗せずにおとなしくしているのを見て取ると、僕は静かに刃を鞘に収めて娘の手を引いた。
「御手杵クン、ちょっといいかな」
何が起こっているのかわからずに呆然と立っている御手杵クンに僕は声を掛けると、部屋の中に入るように促した。
「お、おう……」
まだ目を白黒させているがそこは素直に従ってくれる。
 顕現して初めて人の身を得た男士には、しばらくの間、教育係がつく。この本丸の決まりだ。そして御手杵クンの教育係を任ぜられたのがこの僕だったわけさ。御手杵クンはこの本丸にやってきてまだ日が浅いから、僕の指示通り動くことに抵抗がない。ある意味、ここにいるのが御手杵クンで助かったよ。僕は障子を閉めて娘に向き直った。
「君が主に仕えようとしているのは知ってる。でも君の存在はまだ主からちゃんと説明を受けてないんでね。姿を消して逃げようなんて、疚しいことがあるって疑われてもしかたないんじゃないかな?」
「それはーー」
娘が顔を上げ僕と目が合う。僕はふいに表情を和らげた。
「まあ、姿を隠していろといったのは僕だしね。君は今朝、広間で何があったのか知らずに寝入っていたわけだし……そうそう、あと言っておくけど」
僕は娘の頬を両手で包んだ。
「君の顔がどんなに間近にあっても僕は平気だよ……ほら」
鼻先が触れるくらいに顔を近づけると、娘は明らかに動揺して距離を取ろうとするが、娘の背中は障子にぴたりと触れている。
「うぇ~、俺には見えない姿が青江には見えてたのかあ」
間の抜けた声が響く。いや、御手杵クンは決して間抜けな槍じゃない。ただ、ちょっとばかり間が悪かっただけだ。
「っふふ……ごめんごめん。実際は見えてなかったよ」
「見えてなかったならなんで……」
「そうだ。下手したら怪我させてたぞ?」
御手杵クンも娘も合点のいかない顔をする。
「これさ」
僕は娘の頬から手を離すと、首筋の髪へと指を這わせた。娘の肩がぴくりと跳ねる。僕の指が娘の髪からするりと抜き出したのは、一本の薄黄色の穂だ。
「君の居場所はこの花が教えてくれた」
「え……」
娘が髪に手をやる。
「けっこうお転婆なんだねえ、木登りでもしたのかい?」
「してないわ! やだ……どこで付いたのかしら」
娘は不思議そうに首を傾げた。
「気を付けなよ? 年若の娘がこんな香りを纏うもんじゃない」
僕は障子を少し開けて、外へとそれを放った。障子を閉め部屋へと視線を戻す。御手杵クンも娘もただきょとんと僕の顔を見ている。ふ~ん、何の話か通じてない、か。
「さて、座りなよ。御手杵クンにちゃんと伝えておかないとね」
僕は娘にそう言うと自分も御手杵クンと向かい合うように腰を下ろした。娘は少し後ろに控えるように座った。
「でさあ、俺は主の弓を……えっと、これだよな」
僕より先に御手杵クンが口を開く。御手杵クンは持ったままの弓を一瞥すると顔を上げて娘に視線を移す。
「俺はこれを青江が部屋に持ってったから、それを見せてもらうと思ってここに来た」
「うん」
「で、誰?」
御手杵クンが娘を指差す。
「青江の知り合い?」
御手杵クンが恐る恐る僕に尋ねる。急に声を潜めた御手杵クンの様子がなんだか面白い。そんなに遠慮がちに尋ねる必要ないのに。
「ああ、知り合いだよ。真夜中に夜着のまま逢瀬を重ねるくらいには、ね」
「あ、青江さま!」
娘が慌てて声を上げる。
「っくっくっく……」
しまった、と慌てて娘が口に手をやるから、思わず込み上げる笑いを僕は必死に飲み込んだ。
「じゃあ、説明しようか。主が長谷部クンと現世から戻った日、僕と君との初めての夜から」
怒ってるのか呆れてるのか、僕の言葉に仏頂面になった娘にちょっと目配せすると、僕は御手杵クンにあの夜からのことを掻い摘まんで話して聞かせた。
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「はぁ……もう、やだ……わたしったら」
項垂れる娘を守るよう、僕と御手杵クンは両脇に寄り添い主のいる母屋に向かって歩いていた。成り行きで、弓は御手杵クンが手にしたままだ。まあ、長押に戻すには御手杵クンくらいの背丈が必要だし、ね。
「主さまがお戻りになると聞いたらなんだか落ち着かなくて、そのままお待ちしようって身なりを整えたのよ? それなのにわたし……眠り込んだ挙げ句に主さまの前でそんな姿を……」
「もういいじゃないか、あの姿を見たのは僕だけなんだし。寝間着姿というわけでもなかったんだし」
「よくないです!」
「でもすごいよなあ、あんた。姿消せるなんて」
御手杵クンが無邪気に娘を見下ろして言う。でもおかげで場の雰囲気が変わった。
「なあ、どうしたら姿を消せるんだ?」
「どう……って」
娘が首を捻る。
「なあ、俺たちが顕現を解かれるみたいなもんなのかな」
娘は途方に暮れている。そりゃそうだよね、娘はまだこの本丸に集う男士がどんな存在なのかよくはわかっていない。
「わたしはただ、あなた以外に姿を見せちゃいけないと思って……どうにかして姿を消せないものか……」
娘が僕のほうを向く。
「うん、さっきは悪かった。君は今朝、主が君……というかその弓を皆に紹介したことを知らなかったんだ。逃げようとした、なんて言ったことは謝るよ。あ、あと刃を向けたことも」
「そのことならもう……こっそり抜けだそうとしたのは本当だし」
「でもさ、もう俺にも見えてるんだし、主に挨拶して改めてみんなに紹介してもらえばもう隠れてなくていいんだろ?」
御手杵クンがにこにこと笑いかける。その言葉に娘の顔にも笑顔が戻る。母屋はもうすぐだ。
「まあ、主に目通りが叶ったらもう少し君のことがわかるだろうしね」
 そのとき、娘が急に足を止めて息を呑んだ。その視線の先には人影がひとつ、主だ。娘は慌てて身なりをもう一度整えて、深呼吸をひとつした。頬は紅潮しその目は今までで一番輝いている。ああ、この数日君がじっと耐えてきたのは、本当に主に会いたい一心からだったのだと手に取るよう伝わってくる。
「やあ、御手杵。どうだい? もうここでの生活には慣れたかな」
主は僕らに気付くと、軽く手を上げてこちらに向かって歩いてきた。でも姿勢を正して立っている娘には主の視線が届いていない。
「ああ、青江がよく教えてくれるから。俺もだいぶん仕事ができるようになった」
「それはよかった。やっぱりにっかり青江に任せて正解だったね」
御手杵クンの返事を聞くと、主は満足そうに僕に笑いかける。
御手杵クンも少し様子がおかしいと気付いたようで、僕と顔を見合わせた。
「なあ、主。ちょっと聞きたいんだけど」
「なんだい?」
「ここに弓があるだろう? でさ、今、ここに居るのは俺と……」
主が少し怪訝な表情を浮かべる。娘の視線はこの間もずっと主に注がれている。
「にっかり青江だろう?」
主の視線は娘を通り越して、御手杵クンから直接僕へと移った。
「どうかしたのかい? 他に誰か隠れてるとか……」
「いや、いいいんだ。なんでもないよ。主はどこか行こうとしてたんだろう? 引き留めて済まなかった」
僕がそう告げると、主は何事もなかったかのように僕らと挨拶を交わして母屋へと戻っていった。きまずい空気が流れる。娘の姿は主には見えていなかった。
 主には見えていないんだ。そうとしか考えられなかった。何か声を掛けてやらないと。そう思って娘のほうを向いた僕はそのまま言葉を失った。身じろぎひとつせずにまっすぐ立って主を見送るその瞳には、大粒の涙が今にも溢れそうに揺らいでいた。声を届ける相手を失った唇は、きゅっと引き結ばれたまま小さく震えていた。御手杵クンも無言でじっと娘を見詰めている。
「あ、御手杵さま……でしたっけ」
不自然に明るい声が響いた。
「その弓、広間に戻しておいていただけますか? なくなったりしたら主さまが驚くから」
娘は一歩前へ進むとくるりとこちらへ向き直った。その笑顔とは不釣り合いな涙が両頬を濡らしていく。
「あ、あの……お騒がせしてしまってごめんなさい。わたし……わたし……」
笑顔を保とうとするのが精一杯で言葉が続かないのだろう。しばらく沈黙が続いた後。娘は空を仰ぎ、そのまま目を合わせずに僕らに告げた。
「落ち着くまで、しばらくお社で過ごしますね」
「君……」
僕が伸ばした手が肩先に触れようとしたとき、娘はそのまま踵を返して走り出した。
「ま、待てよ!」
僕は御手杵クンの腕を掴んで引き留めた。
「追いかけて、何を言ってやるんだい?」
「でも……このままじゃあ」
御手杵クンは項垂れて髪を掻きむしった。
「しばらくそっとしておこう。社はあの娘を歓迎してたんだ。心配ないよ」
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 御手杵クンと僕は連れ立って庫院へ戻る道を歩いていた。さっきはあんなに和気藹々としていたのに、今は重い空気がのしかかっている。
「でも……なんで青江には最初から見えてたんだろうな? だって現世から連れてくるときには、主にも長谷部にもあのコの姿は見えてはなかったんだろ? 意識がないと弓にしかみえないってんなら、今朝は青江にだって弓にしか見えないはず……だよな」
御手杵クンは前を向いたまま僕に問いかける。でも僕にもその理由はさっぱりわからない。黙ったままでいると、御手杵クンのほうからまた話しかけてきた。
「今朝について言えば青江は前に一度、ん? 二度か、その姿を見てるから……なのかなあ」
「どうだろうねえ、僕にもわからないな。でも、どうしてそう思ったんだい」
「青江と、主と長谷部の違いってそのくらいしか思いつかなかっただけ」
御手杵クンは決まり悪そうに頭を掻くが、案外核心をついてるのかもしれない。それに御手杵クンがそんな風に考えを組み立てたことにちょっと驚いた。
 御手杵クンがふと立ち止まって上を見た。
「これ、さっきの花?」
御手杵クンが見上げているのは大きな栗の木だ。
「ああ、そうだよ」
御手杵クンの声が少し和らいだ。
「あのコの背じゃ、枝に届かないよなあ。ほんと、木登りでもしたのかな」
こちらを向いた御手杵クンの笑顔はどことなく寂しそうに見えた。
「俺さ、元の俺ってもうこの世にないじゃん? それでも俺のこと覚えててくれて、俺の形を写してくれて、こうやって人の身ももらえた。あのコは、弓は主の手に残ってるけど、姿を見てもらえないってのは……あああああ上手く言えねえ!」
御手杵クンが頭を掻き毟る。
「そうだ! 俺は写しはあってももともとの槍はもうない。そのまま忘れ去られてたら今の俺はここにいない。ん、そうだな。あのコは今、確かにここにある。でも主はあのコの姿を知らない。俺と真逆だ。だから、えっと……なんだっけ……あ、そう、逆なんだよ、逆。弓はあってもあのコのことを主が知らないなら、あのコはいつか消えてしまうんじゃないか、って。それは切ないよなあ、そう思ったんだ」
御手杵クンはしばらく栗の木を見上げて、しばらくそうしていたけど、頭を二度三度ぶんぶんと振ってから振り返った。
「難しいこと考えるのはらしくないよな」
御手杵クンはいつものようにへらっと笑うが、僕は一緒に笑うことができなかった。
「よく見ればこれもちゃんとした花なんだなあ。いつもここ通ってたけど、なんとなく見てるだけだと、ただ葉が生い茂ってるくらいにしか思ってなくて。確かに最近ここを通るとこんな匂いしてたなあ」
「世の人の見つけぬ花や軒の栗って詠まれるくらいだからねえ」
「なにそれ?」
「俳句だよ。目立たない花だから、近くにあってもなかなか人目に付かないってこと」
御手杵クンの言葉に、僕の心は少しばかり軋んでいた。だって嘘なんだよ、娘の髪に付いていたなんていいうのは。今、僕が仕えているのはこの本丸の主だ。如何に主の弓が人の姿を得たものがあの娘なのだとしても、主から然るべき説明がなければ全幅の信頼を置くわけにはいかないじゃないか。初めて会った晩、そしてあの朔の夜、別れ際に闇に溶ける娘の姿が思い出され、僕は念のため行方を眩ませても居場所がわかるよう、広間から庫院へ向かう途中でここに落ちていた一房を娘の髪にねじ込んだんだ。だけど、主には自分が見えていないのだと悟ったときの娘を目にして、主に仕えるという娘の言葉を疑っていた自分に、なんとも形容しがたい感情を覚えた。警戒したのは、家臣として間違った行動ではなかったはずだ。でも、僕は見抜けなかった。観察する力にかけては、一廉(ひとかど)のものをもっていると自負していたのに。
「ところでさあ、青江」
「なんだい?」
僕の気持ちを知ってか知らずか、御手杵クンがまた話しかけてくる。
「なんで、この花の匂いを付けてちゃまずいんだ?」
御手杵クンは枝からその花を一房摘み取ると匂いを嗅いで頭を捻っている。ああ、そうか。御手杵クンのそういうところに僕は助けられているのかもしれない。うまく言えないけど、主が僕に御手杵クンの教育係を言いつけたのは、ただ僕が脇差だったからとか顕現した順番とか、そういうのとは別の理由があったに違いない。何事も、一部分に固執すれば本質を見誤る。一度、意識を他へ向けたほうがいい解決策が浮かぶかもしれない。僕は後ろで手を組むと、横から御手杵クンを斜めに見上げた。
「御手杵クン、顕現してどのくらいだっけ?」
「う~ん、まだひと月は経ってないよなあ……」
御手杵クンが指を折って数え始める。
「三週間くらいかな」
「じゃ、きっともうじきわかるよ」
「もうじきって?」
「そうだねえ……君のここが」
僕は心の臓の上に拳を当てる。
「その人の身にしっかりと馴染んだら、かな?」
「なあ、だからそれっていつなんだよ、青江。教えてくれよ〜」
「僕だってわからないんだよ。僕は槍の身のことは知らないんだから」
「えー」
しばらく隣り合って歩きながら押し問答が続いたが、不貞腐れたように口を尖らせていた御手杵クンが急に立ち止まる。
「ん? どうしたんだい」
僕が振り向くと、御手杵クンは真顔でこちらをまっすぐに見て言った。
「なあ、青江。あのコのことはしばらく黙ってたほうがいいよな。少なくともあのコが落ち着くまで」
のほほんとしてるようにみえるのに、ときどき突いてくるんだよねえ、御手杵クンて。こちらが言わなくてもちゃんと推し測って行動する。本人は気付いてないみたいだけどね。僕はひとつ伸びをしてまた歩き出した。
「そうだね、少し様子をみよう」
僕は振り返らずに返事をすると、努めて声を明るくして前を向いたまま続けた。
「さ、急いで戻ろう。畑当番が待ってるよ」
「うえぇ……あ、待ってくれよ~」
御手杵クンが気乗りしない口ぶりながらも、早足で追いかけてくるのがわかる。
 わずかな重苦しさを胸に、僕らは今日もいつものように当番の畑仕事をこなしていった。それでも、風が栗の花の香りを運んで来る度に、涙を湛えたまま微笑むあの娘の姿が思い出されて、僕は陽が落ちたらまた握り飯を持って社へ行こうと考えていた。だけど、この後、この本丸はそれまで経験したことのない事態に陥ったことで、それどころではなくなってしまった。
 この夜、大阪城へ出陣していた石切丸が重傷を負った。進軍途中での撤退を余技なくされたのは、この本丸始まってから初めてのことだった。
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