lapis

成人済女字書きオタク
書く:フロ監・ジェイ監・杉リパ・剣由希

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投稿日:2022年08月26日 05:41    文字数:8,122

ゆめみるみどり 2

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【タイトル】ゆめみるみどり Floyd will make Fluorite 第2話
【作品紹介】フロ監SSシリーズの2話目です。
フロイドと監督生(個性ありデフォルト名ユウ呼び)が、ただの先輩後輩から特別な相手になるまでを綴りたいと思います。
2話目は少し仲良くなった先輩後輩ですが、まだ恐れも遠慮もある2人です。
ラギー先輩も出てきます。

本作品シリーズは以下の要素を含みます。
・監督生は男装女子。後に性別発覚イベントあり
・監督生の家族が出てくる(オリジナルキャラクター)
・監督生の趣味が「石を調べること」
・魔法石、魔力、魔法についての独自設定

【作中の鉱物について補足】
岩塩 Halite
化学組成 NaCl
無色透明のものが多いが、ヒマラヤ山脈で採れるピンク色の岩塩が有名。ピンク色は不純物の鉄に由来する。
1 / 1
ゆめみるみどり Floyd will make Fluorite 2

 それから二週間が経った。

 妖精が灯すペリドットグリーンの明かりに照らされた廊下は大勢の足音と声に満たされている。昼時の騒音は監督生にとっても「普通の」高校生活と変わらない。友人たちとの楽しい会話と美味しい昼食を摂った頬は、やわい笑みを形作っていた。制服の肩に乗るグリムと隣を歩くエースの掛け合いに、ふふ、と声を抑えて笑う。そんな時。
「小エビちゃ〜ん。はい、今日の」
 蛍石色の髪の彼はいつも唐突に現れる。監督生たちが通り過ぎようとしていた曲がり角から出てきたフロイドは機嫌良く監督生を呼び止めた。背の高い彼の頭のすぐそばに、キラキラとした燐光を纏った小さなものが浮いている。
 呼ばれた監督生はパッと小エビのように身を翻し、持ち物を片手にまとめて空いたもう片方の手を彼に差し出した。
「あ! ありがとうございます!」
 先ほどまでの笑顔そのままに、魔法で浮かびふわふわとこちらへ寄ってくる燐光を受けとめる。手のひらに、ピンク色の、少し角が欠けている立方体がトンと乗って淡い光がはらはらと落ちていった。受け渡しはスムーズだった。そうするのが当たり前になってきた。もらったものをすぐにまじまじと見つめるのも、この先輩相手には不躾ではないと知っている。
「これは……立方体の、薄いピンク……」
「今日のはぁ、ただの塩でぇす!」
「岩塩!? ハライトですか!?」
「そーそー。めっちゃ材料使ったのに、できたのはただのでっかい塩。おもしろくね?」
「綺麗……」

「先行ってるぞ」の声を受け取り、見慣れた赤と黒の頭を見送る。グリムもエースの肩に飛び移って行ってしまった。昼休みが終わる頃には再会できるだろう。
 フロイドが錬金術の副産物を持って監督生のもとへ現れるのはこれで四度目。友人たちも慣れてきて、気まぐれな先輩の気を削がないようにすぐ立ち去るようになってしまった。フロイドのご機嫌とりを押し付けられた形になるのだが、監督生は嫌ではなかった。飽きない話題が手元にあるし、何より綺麗な石をもらえるからだ。
 右耳の耳飾りを小さく鳴らしながら顔を寄せてくるフロイドと、自身の手のひらに置かれた結晶に向き直る。フロイドが長身を屈めてこちらの手を覗き込んでいたので、捧げ上げるように塩の結晶を乗せた手を持ち上げれば「あはっ。小エビちゃん、チンアナゴみてーだね」と言われて少しムッとしたので背伸びはやめて手を彼と自分の顔の中間点に落ち着かせた。フロイドはもう石を覗き込んでいない。飽きてしまったのだろうか、とも思ったが、お構いなしに話を振る。
「この岩塩、自分が知ってるのよりもちょっと紫っぽいような……」
 岩塩(ハライト)は純粋なもので有れば無色透明であり、元の世界での有名な産地のものは含まれる微量元素の影響でピンク色である。しかし、フロイドが持ってきた結晶はピンクの中に薄い青みが入っており、よく見ればピンク寄りの紫色だった。
「オレの魔力が混ざったんじゃね? オクタヴィネルカラーの紫に近いじゃん」
「えっ!? 魔力って色とかあるんですか?」
 驚いてフロイドを仰ぎ見る。手のひらに乗せている綺麗な結晶と、彼の制服の胸ポケットにきらめくマジカルペンの魔法石を見比べる。たしかに、かの強欲……いや慈悲をモットーとする寮の海を思わせる薄紫をピンクに混ぜれば、このような色になるのかも知れない。
「あー、小エビちゃん魔力ないんだもんね。その辺の感覚的なことも教えられねーとわかんないんだぁ」
「全然、考えたこともありませんでした……。フロイドさんの魔力って、薄い紫なんですね」
「ん〜? これはどっちかっていうとマジカルペンに溜まってた魔力の色だから、純粋なオレの魔力はちょっとちがうよ」
「どんな色なんです?」
「知りたい?」
 にっこりと笑ったウツボの人魚の顔に嫌な予感がする。監督生が知る限り「オレ色に染めてやるよ」という台詞の似合う学生ナンバーワンはこの先輩である。魔法を使って物理的に染めてくるという意味で。実際にされたことなどないが、きっとやる、この先輩は。監督生は首を振った。
「今日は遠慮しておきます。またの機会に……」
 こちらもにっこりとした笑みを張り付かせて穏便に断る。にっこり同士しばし無言が続いたが、圧に耐えられず監督生は視線を手元に下ろした。
 そこで新たな疑問が頭に浮かび、少し思案する。持ち上げる手は疲れてきたので胸元に寄せた。いつもより饒舌なフロイドは機嫌が良いのか、ちょっとした疑問にも答えてくれるかも知れない。
「あの、よくある魔法石って強めのピンクですよね。あれはなんの色なんでしょう?」
「ん? そうだったっけ?」
「えっ、そうですよ!」
 驚いて素っ頓狂な声が出てしまった。魔法石の色もわからないなんて、興味のないことにはとことん無関心な人だ。この岩塩も錬金術の授業で作り出したのなら、おそらく魔法石にも触れているだろうに。思い返せば、監督生との石を挟んだ会話も、以前は弾まなかったものだ。前回、今回は楽しそうにしているけれど、元々は石への興味関心は低いのだろうか。しかし魔法石の色を覚えていないと言うのなら、見せるまでだ。
「えーっと、これですよ!」
 監督生は急いで制服のズボンの尻ポケットから財布を取り出した。腰ベルトから連なるチェーンがジャラリと鳴る。かぱっとガマグチを開き、少しだけ魔法石を取り出し塩の結晶の隣に置いた。ブリリアントカットが施された宝石は、目に刺さるような躑躅(ツツジ)色だ。
 眉根を寄せていたフロイドがまた長身を屈めて監督生の手を覗き込み、合点がいったと表情を緩ませる。
「これかぁ。確かにドギツイ色だよね」
 ですよね、と相槌を打つ間に、彼はまた表情がコロリと変わる。
「ていうか、持ち歩いてんの? これ」
 フロイドの疑問ももっともだろう。監督生以外のナイトレイブンカレッジの生徒が魔法石を持っているところを、監督生だって見たことがない。しかし、監督生には魔法石を持ち歩く必要があった。ガマグチを閉じた財布を示しながら説明する。
「自分、魔力がないので、妖精やゴーストにお願い事をするときに魔力をあげるのではなくて魔法石を渡しているんです」
 魔法士養成学校はその設備の管理や環境調節の大半を魔法や魔法生物に頼っている。魔法の訓練の一環として、生徒が魔法生物と交渉し、少量の魔力譲渡を対価に魔法生物を使役することがある。魔法が使えて、マジカルペンを持ち歩いている生徒は魔力の譲渡など容易くこなすが、監督生には魔力がない。代わりに魔法石を対価として差し出すのだ。
「学園長が生活費用のマドルとは別に、少しずつくれるんですよ」
 私、優しいので! の真似をするとフロイドはギザギザの歯を見せながらケラケラと笑った。しかしすぐに男子高校生らしい笑顔を引き、今度は獲物を見定めるような狡猾な笑みをのぞかせた。
「でもさ〜、こんな『モノ』として奪えるような魔法石をじゃらじゃら持ち歩いてたら危なくない? 海だったらとっくに誰かの腹の中だよ、小エビちゃん」
 そのねっとりとした視線に少したじろぎながら、しかしキッパリと答える。こういうことには毅然とした態度を取る方が良いと、この学園で過ごした数ヶ月で嫌というほど学んだのだ。
「ご心配なく。学園長からもらったこの魔法のガマグチ、所用者以外が触ると魔法生物も人もビリビリっと来るんですよ。お陰様でトラブルになった事はありません。……一度だけ、スられかけましたけど」
 答えを聞いて「つまらない」とでも言いたそうな表情のフロイドの向こうから、「フロイドくーん」と彼を呼ぶ声が割ってきた。
「お、ユウくんも一緒っスか」
 軽い足取りで駆け寄ってきた声の主はかなり近づいてから監督生に気づいた。フロイドの大きな身体に低身長のこちらの体がすっぽり隠れてしまい、背後からは見えなかったのだろう。
 声から誰であるかはわかっていたが、改めて姿を現した獣耳の上級生に、形だけの挨拶をして先ほどまでの話題に引きずり込む。
「ラギーさんの話をしてたんですよ」
 これです、と魔法のガマグチを見せる。タンポポ色の髪をした彼の前では絶対に魔法石を見せないと決めているので、フロイドに見せていた魔法石は固く閉ざされたガマのクチの中だ。
「あー、それっスか〜〜……」とバツの悪そうな顔をするハイエナの獣人、ラギー・ブッチを見て、フロイドが「うわー」と楽しそうな声を上げる。
「小エビちゃんの財布盗もうとしたのってコバンザメちゃんなんだぁ、へぇ〜」
「いやいや、違うって。ポケットから落ちそうになってたところをね」
「スろうとしたんですよね」
「未遂だったじゃないっスか!」
「モストロ・ラウンジではやっちゃダメだからね、コバンザメちゃん」
「電撃に懲りたんで、もうやらないって!」
 腕組みをしてニヤニヤ笑うフロイドに見下ろされて、ヘタリと地を向いたハイエナの耳が降参を示している。逃げ道を探していたスカイブルーの瞳が、監督生の手の中の立方体を捉えた。
「それより、お二人は何のお話を? 何スかその石は」
 ラギーの手癖の悪さをもっと追及したいところではあったが、彼が公衆の面前でガマグチ奪取を派手に失敗してくれたおかげで監督生には手を出さない方がいいという噂が立ち、余計なトラブルに巻き込まれなくなった経緯もある。監督生は素直にラギーの話題転換に乗ることにした。ガマグチは会話の途中で尻ポケットに仕舞ったが、薄ピンクの石はまだ手に乗せていた。
「塩の結晶です」と腕を伸ばし立方体をラギーの眼前に差し出し胸を張って答えると「食べるんスか」と真顔が返ってきた。
「違います! 観賞用です!」
 急いで岩塩を胸元に引き戻す。手癖の悪い先輩の手の届くところに留めておけば、細かく砕かれて腹の足し……にはならないが、味の足しにされてしまうかもしれない。
「え? 観賞? 塩を? 見るだけ?」
 理解できない、という風にこちらの胸元の岩塩を指差すラギー。そして監督生にとっては意外なことに、フロイドも少し目を見開いていた。
「観賞? 飾ってんの? ジェイドみてぇ〜」
 今度はケラケラと笑っている。よく表情の変わる人魚だ、と思いながら、監督生は口を開く。
「飾ってますよ。今までフロイドさんからもらった石、全部。ゲストルームにありますから、今度見にきてください。綺麗ですよ」
 石を押し付けて行くのはフロイドが始めたことだというのに、その行く先は考えたことがなかったのだろうか。そう思ったが、きっと返事は「興味ねぇから知らねー」で終わるのだろうな、と碧(みどり)の髪を持つ先輩の言動も予想がつくようになってきた。
「自分の好きなものおススメしてくんのもジェイドみてぇ」
 ウツボの人魚の笑いは止まらない。どこがそんなに面白かったのだろうか。兄弟に似ていることだろうか。こちらとしては面白くないので、口端に力が入ってしまう。
「あ、そうだった。フロイドくん」
 会話の成り行きを一歩引いて見ていたラギーがピクリと耳を動かした。フロイドの揶揄う対象が自分から監督生にうつったタイミングで、上手く割って入ってきた。
「今度の金曜日、遅番のオクタヴィネルの一年が入れなくなったって聞いたんスけど、オレ早番から通しで入るっス」
 モストロ・ラウンジのアルバイトの話だ。事務的な連絡に、フロイドがすぐにスマホを取り出し対応する。
「ん、ラッキー。こっちからも連絡しとくけど、コバンザメちゃんもジェイドかアズール見かけたら直接伝えといて」
「もちろんっス。ジェイドくんにメッセージも送ってあるっスよ」
 ラギーの言う通り、モストロ・ラウンジのシフト変更はアルバイト取りまとめ役のジェイドにメッセージで連絡するのがルールだ。週一回金曜日にシフトに入っている監督生も知っている。監督生は少しだけ首を傾けてアルバイトの先輩であるラギーに尋ねた。
「なんでフロイドさんにも伝えにきたんですか?」
ラギーはシシシッと笑って答える。
「まかないっスよ! 金曜のまかない担当はフロイドくん。美味しいまかない、忘れずにオレの分も作ってもらわないと」
「コバンザメちゃんが遅番入ってくれるの助かるから、ちょーっと量多くしてあげるの」
 そうなんですか、と目を丸くしているうちに、「んじゃ、よろしくっス!」とラギーが駆け出した。元々この用件を伝えにフロイドのもとへ来たのだろう。来た時と同じく、猫背の先輩は軽い足取りで去って行った。気づけば食堂近くの廊下にいる生徒たちの姿はまばらになっている。もうすぐ昼休みが終わる。
「まかない、ですか……」
 ラギーが言っていた『フロイドの作る美味しいまかない』を監督生は食べたことがなかった。フロイドの機嫌が良い日にはモストロ・ラウンジで提供するメニューよりも美味しいという噂は聞いたことがある。
「なぁに? 小エビちゃんもまかない食べる?」
 スマホを仕舞いながらの問いかけに、はい、と正直に答える。収入が少ない身としては、食費が浮くのは非常にありがたい。でも、と眉を落とす。
「遅番だけですよね……う〜ん、どうしよ」
「もう仕事慣れてきたでしょ。小エビちゃんなら遅番も大歓迎♪」
「いえ、仕事内容的には自分も大丈夫だと思うんですけど」
 帰り道が、と言い淀む。
 親しい友人と教師以外には隠しているが、監督生は女子である。モストロ・ラウンジの遅番に入ってしまえば帰寮は夜遅くなる。鏡での転移で移動が短いとは言え、オンボロ寮のまわりは寂しい夜道である。女子ひとりで歩くには心もとない。しかしそれを、事情を知らせていないフロイドに伝えるのも憚れるので、歯切れの悪い返事になってしまう。
「夜道こえーの? オレ送ってあげよっか?」
「えっ! いいんですか?」
 こちらの不安を見透かしたようなフロイドの提案にパッと顔を輝かせて食いつく。気まぐれなフロイドの「送ってあげよっか」は毎週続くとは思えないが、とりあえず初回だけでも夜道をついてきてくれると言うならあとは監督生自身が慣れて夜道を歩くのも平気になるだろう。初めての遅番バイトも、モストロ・ラウンジ最古参アルバイトメンバーのラギーがいるのなら問題ないだろう。
「オッケー。今週金曜とりあえずお試しで小エビちゃんも遅番まで通しね〜」
 またスマホを取り出しタプタプとメモをするフロイドは上機嫌だ。
 フロイドとはイソギンチャク事件で友好的とは言えない関係から知り合い、アルバイトを通して会話をする程度の仲だったが、今日ほど長く話し込んだことはなかった。今度の遅番の帰りも同行を申し出てくれたし、少し仲良くなれたのかもしれない。
 スマホから顔を上げたフロイドとバチリと視線が合う。スモーキークォーツと、イエローフローライトのオッドアイが、綺麗だ。
 高鳴った胸を隠すように「これ」と無理やり声を出す。
「岩塩、大事に飾りますね」
 手にしたピンクの結晶を、ハンカチに丁寧に包み、制服のズボンのポケットに仕舞う。
「別に、捨てちゃってもいいのに。変わってんね〜」
 その言い様に、こんなに綺麗な石なのに、と反論したくなると同時に、心に湧き上がる感情があった。口を開きかけたままそれを辿ると、懐かしさに行き当たった。
 ああ、そうか。だからこんなに、私はこの人と一緒に居るのが心地いいんだ。
 下ろしていた手をぎゅっと握り、それだけでは抑えきれず、開いていた口が、つい、言葉を漏らしてしまった。
「フロイドさん、自分の家族と、似てますね」
 石を押し付けてきて、別に大事にしなくていいと置いていく。私はそれを大事に思うのに。そういうことをする、大切な家族がいた。
「あの子も、捨ててもいいとか言うんですよ」
 似てます。と思い出から顔を上げて、ギョッとした。
「はぁ? なにそれ」
 フロイドは明らかに不機嫌だった。見開いた恐ろしい眼に、睨みつけられる。
「今ソイツ、いねーんだろ。オレが知らないヤツに、オレが似てるとか言われても、興味ねぇよ」
 強面は一瞬だけで、あとはただのむくれた顔だったが、あの眼に一度睨まれただけで監督生は怯んでしまった。こちらに危害を加えるというところまではいかないのだろうが、向けられた鋭い歯に、開きかけていた心が固く閉ざされる。
「……すみません」
 小さく謝り、うつむく。
 頭上からため息が降ってくる。ガシガシと頭を掻くような音が遠い。
「オレがソイツに似てる、じゃなくて、ソイツがオレに似てる〜、とかさぁ」
 恐怖で身がすくんでしまい、先輩の声は半分も頭に入ってこない。
 知らなかった。フロイドが、自身が誰かに例えられることを嫌がるということを。彼の中ではあくまでも自分の基準は自分で作り、誰かの例えに収まることを良しとしないのだろう。自分はあんなにも、私のことをジェイドみたいだと騒いでいたくせに。私や他の誰かのことを、小エビだのコバンザメだの、彼の中の枠にはめ込んで呼ぶくせに。そこに理不尽を感じても、それを指摘し自分の気持ちを慮らせるほどの親密さは、ない。
 私の大切な思い出が、差し出した壊れやすい綺麗なものが、受け取られずに床に落ちて粉々に砕け散ったような悲しさに、口が歪んだ。
 期待しすぎてはいけないのだ。この世界で、壊れずにいるためには。
 予鈴が鳴る。昼休みはもう終わる。
 グッと肚に力を入れ、顔を上げる。笑顔は取り繕うことができているかわからない。
「すみませんでした。もう、言いませんね」
 彼の表情を見ず、ありがとうございました、と石のお礼だけ重ねて伝える。ピクリと動いた彼の手に構わず小走りに駆け出す。こんなの立ち去り方では彼から逃げ出したことになる、と自分でもわかった。
 このままでは次に会う時にギクシャクしてしまうかもしれない。それは、この学園で、そして特にモストロ・ラウンジで雇われている身としては避けた方が良い。力も魔力も立場も強いフロイドに嫌われたり疎ましがられてしまえば、何がこの身に降りかかるかわからない。平穏な学園生活を送るには、貴重なアルバイト先を失わないためには、自分は彼とケンカなんてできないのだ。彼は強者で自分は弱者。こちらが折れるしかない。カタチだけでも、傷ついていない、逃げ出していない、気にしていないと見せなければ。ばらばらになってしまった自分の心を組み直すのは後回しにして。
 廊下の突き当たりで振り返る。ここまで来れば、互いの表情がハッキリとは見えない。先ほどと同じ場所に留まっていたフロイドに向かって、監督生は声を張った。
「金曜日、まかない楽しみにしてます。帰りの送りも、忘れないでくださいね!」
 物わかりの良い後輩を演じる。元気そうに聞こえる声が出せたのだ。きっと、自分も笑えている。
遠くでフロイドが雑に手を振った。彼の表情は見えなかったが、蛍石色の髪が揺れていた。


*****

 夢は日に日に鮮明になる。
 ファストフード店の騒がしい店内の音は聞き飽きたし、出入りする他の客を眺めるのも飽きた。毎日毎日待たされているだけの状況に、文句の一つも言いたくなる。早く来てよね、とため息と共にこぼすと、「おまたせー!」と明るい声がバタバタとやってきた。
 ガタガタンと騒がしく椅子を鳴らし、正面に彼女が座る。
 私と同じセーラー服。私と同じ黒い髪を、彼女は頭の後ろで一つに結い上げている。骨格も顔のパーツも私と同じはずなのに、彼女には華やかさが感じられるのだ。声質も私と同じはずなのに、彼女の声は騒音の中でも聞き漏らすことはない。
「久しぶり、元気してた? こっちはもう大変だよ。あっ、それよりも見てよコレ。綺麗でしょ——……」
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ゆめみるみどり 2
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ゆめみるみどり Floyd will make Fluorite 2

 それから二週間が経った。

 妖精が灯すペリドットグリーンの明かりに照らされた廊下は大勢の足音と声に満たされている。昼時の騒音は監督生にとっても「普通の」高校生活と変わらない。友人たちとの楽しい会話と美味しい昼食を摂った頬は、やわい笑みを形作っていた。制服の肩に乗るグリムと隣を歩くエースの掛け合いに、ふふ、と声を抑えて笑う。そんな時。
「小エビちゃ〜ん。はい、今日の」
 蛍石色の髪の彼はいつも唐突に現れる。監督生たちが通り過ぎようとしていた曲がり角から出てきたフロイドは機嫌良く監督生を呼び止めた。背の高い彼の頭のすぐそばに、キラキラとした燐光を纏った小さなものが浮いている。
 呼ばれた監督生はパッと小エビのように身を翻し、持ち物を片手にまとめて空いたもう片方の手を彼に差し出した。
「あ! ありがとうございます!」
 先ほどまでの笑顔そのままに、魔法で浮かびふわふわとこちらへ寄ってくる燐光を受けとめる。手のひらに、ピンク色の、少し角が欠けている立方体がトンと乗って淡い光がはらはらと落ちていった。受け渡しはスムーズだった。そうするのが当たり前になってきた。もらったものをすぐにまじまじと見つめるのも、この先輩相手には不躾ではないと知っている。
「これは……立方体の、薄いピンク……」
「今日のはぁ、ただの塩でぇす!」
「岩塩!? ハライトですか!?」
「そーそー。めっちゃ材料使ったのに、できたのはただのでっかい塩。おもしろくね?」
「綺麗……」

「先行ってるぞ」の声を受け取り、見慣れた赤と黒の頭を見送る。グリムもエースの肩に飛び移って行ってしまった。昼休みが終わる頃には再会できるだろう。
 フロイドが錬金術の副産物を持って監督生のもとへ現れるのはこれで四度目。友人たちも慣れてきて、気まぐれな先輩の気を削がないようにすぐ立ち去るようになってしまった。フロイドのご機嫌とりを押し付けられた形になるのだが、監督生は嫌ではなかった。飽きない話題が手元にあるし、何より綺麗な石をもらえるからだ。
 右耳の耳飾りを小さく鳴らしながら顔を寄せてくるフロイドと、自身の手のひらに置かれた結晶に向き直る。フロイドが長身を屈めてこちらの手を覗き込んでいたので、捧げ上げるように塩の結晶を乗せた手を持ち上げれば「あはっ。小エビちゃん、チンアナゴみてーだね」と言われて少しムッとしたので背伸びはやめて手を彼と自分の顔の中間点に落ち着かせた。フロイドはもう石を覗き込んでいない。飽きてしまったのだろうか、とも思ったが、お構いなしに話を振る。
「この岩塩、自分が知ってるのよりもちょっと紫っぽいような……」
 岩塩(ハライト)は純粋なもので有れば無色透明であり、元の世界での有名な産地のものは含まれる微量元素の影響でピンク色である。しかし、フロイドが持ってきた結晶はピンクの中に薄い青みが入っており、よく見ればピンク寄りの紫色だった。
「オレの魔力が混ざったんじゃね? オクタヴィネルカラーの紫に近いじゃん」
「えっ!? 魔力って色とかあるんですか?」
 驚いてフロイドを仰ぎ見る。手のひらに乗せている綺麗な結晶と、彼の制服の胸ポケットにきらめくマジカルペンの魔法石を見比べる。たしかに、かの強欲……いや慈悲をモットーとする寮の海を思わせる薄紫をピンクに混ぜれば、このような色になるのかも知れない。
「あー、小エビちゃん魔力ないんだもんね。その辺の感覚的なことも教えられねーとわかんないんだぁ」
「全然、考えたこともありませんでした……。フロイドさんの魔力って、薄い紫なんですね」
「ん〜? これはどっちかっていうとマジカルペンに溜まってた魔力の色だから、純粋なオレの魔力はちょっとちがうよ」
「どんな色なんです?」
「知りたい?」
 にっこりと笑ったウツボの人魚の顔に嫌な予感がする。監督生が知る限り「オレ色に染めてやるよ」という台詞の似合う学生ナンバーワンはこの先輩である。魔法を使って物理的に染めてくるという意味で。実際にされたことなどないが、きっとやる、この先輩は。監督生は首を振った。
「今日は遠慮しておきます。またの機会に……」
 こちらもにっこりとした笑みを張り付かせて穏便に断る。にっこり同士しばし無言が続いたが、圧に耐えられず監督生は視線を手元に下ろした。
 そこで新たな疑問が頭に浮かび、少し思案する。持ち上げる手は疲れてきたので胸元に寄せた。いつもより饒舌なフロイドは機嫌が良いのか、ちょっとした疑問にも答えてくれるかも知れない。
「あの、よくある魔法石って強めのピンクですよね。あれはなんの色なんでしょう?」
「ん? そうだったっけ?」
「えっ、そうですよ!」
 驚いて素っ頓狂な声が出てしまった。魔法石の色もわからないなんて、興味のないことにはとことん無関心な人だ。この岩塩も錬金術の授業で作り出したのなら、おそらく魔法石にも触れているだろうに。思い返せば、監督生との石を挟んだ会話も、以前は弾まなかったものだ。前回、今回は楽しそうにしているけれど、元々は石への興味関心は低いのだろうか。しかし魔法石の色を覚えていないと言うのなら、見せるまでだ。
「えーっと、これですよ!」
 監督生は急いで制服のズボンの尻ポケットから財布を取り出した。腰ベルトから連なるチェーンがジャラリと鳴る。かぱっとガマグチを開き、少しだけ魔法石を取り出し塩の結晶の隣に置いた。ブリリアントカットが施された宝石は、目に刺さるような躑躅(ツツジ)色だ。
 眉根を寄せていたフロイドがまた長身を屈めて監督生の手を覗き込み、合点がいったと表情を緩ませる。
「これかぁ。確かにドギツイ色だよね」
 ですよね、と相槌を打つ間に、彼はまた表情がコロリと変わる。
「ていうか、持ち歩いてんの? これ」
 フロイドの疑問ももっともだろう。監督生以外のナイトレイブンカレッジの生徒が魔法石を持っているところを、監督生だって見たことがない。しかし、監督生には魔法石を持ち歩く必要があった。ガマグチを閉じた財布を示しながら説明する。
「自分、魔力がないので、妖精やゴーストにお願い事をするときに魔力をあげるのではなくて魔法石を渡しているんです」
 魔法士養成学校はその設備の管理や環境調節の大半を魔法や魔法生物に頼っている。魔法の訓練の一環として、生徒が魔法生物と交渉し、少量の魔力譲渡を対価に魔法生物を使役することがある。魔法が使えて、マジカルペンを持ち歩いている生徒は魔力の譲渡など容易くこなすが、監督生には魔力がない。代わりに魔法石を対価として差し出すのだ。
「学園長が生活費用のマドルとは別に、少しずつくれるんですよ」
 私、優しいので! の真似をするとフロイドはギザギザの歯を見せながらケラケラと笑った。しかしすぐに男子高校生らしい笑顔を引き、今度は獲物を見定めるような狡猾な笑みをのぞかせた。
「でもさ〜、こんな『モノ』として奪えるような魔法石をじゃらじゃら持ち歩いてたら危なくない? 海だったらとっくに誰かの腹の中だよ、小エビちゃん」
 そのねっとりとした視線に少したじろぎながら、しかしキッパリと答える。こういうことには毅然とした態度を取る方が良いと、この学園で過ごした数ヶ月で嫌というほど学んだのだ。
「ご心配なく。学園長からもらったこの魔法のガマグチ、所用者以外が触ると魔法生物も人もビリビリっと来るんですよ。お陰様でトラブルになった事はありません。……一度だけ、スられかけましたけど」
 答えを聞いて「つまらない」とでも言いたそうな表情のフロイドの向こうから、「フロイドくーん」と彼を呼ぶ声が割ってきた。
「お、ユウくんも一緒っスか」
 軽い足取りで駆け寄ってきた声の主はかなり近づいてから監督生に気づいた。フロイドの大きな身体に低身長のこちらの体がすっぽり隠れてしまい、背後からは見えなかったのだろう。
 声から誰であるかはわかっていたが、改めて姿を現した獣耳の上級生に、形だけの挨拶をして先ほどまでの話題に引きずり込む。
「ラギーさんの話をしてたんですよ」
 これです、と魔法のガマグチを見せる。タンポポ色の髪をした彼の前では絶対に魔法石を見せないと決めているので、フロイドに見せていた魔法石は固く閉ざされたガマのクチの中だ。
「あー、それっスか〜〜……」とバツの悪そうな顔をするハイエナの獣人、ラギー・ブッチを見て、フロイドが「うわー」と楽しそうな声を上げる。
「小エビちゃんの財布盗もうとしたのってコバンザメちゃんなんだぁ、へぇ〜」
「いやいや、違うって。ポケットから落ちそうになってたところをね」
「スろうとしたんですよね」
「未遂だったじゃないっスか!」
「モストロ・ラウンジではやっちゃダメだからね、コバンザメちゃん」
「電撃に懲りたんで、もうやらないって!」
 腕組みをしてニヤニヤ笑うフロイドに見下ろされて、ヘタリと地を向いたハイエナの耳が降参を示している。逃げ道を探していたスカイブルーの瞳が、監督生の手の中の立方体を捉えた。
「それより、お二人は何のお話を? 何スかその石は」
 ラギーの手癖の悪さをもっと追及したいところではあったが、彼が公衆の面前でガマグチ奪取を派手に失敗してくれたおかげで監督生には手を出さない方がいいという噂が立ち、余計なトラブルに巻き込まれなくなった経緯もある。監督生は素直にラギーの話題転換に乗ることにした。ガマグチは会話の途中で尻ポケットに仕舞ったが、薄ピンクの石はまだ手に乗せていた。
「塩の結晶です」と腕を伸ばし立方体をラギーの眼前に差し出し胸を張って答えると「食べるんスか」と真顔が返ってきた。
「違います! 観賞用です!」
 急いで岩塩を胸元に引き戻す。手癖の悪い先輩の手の届くところに留めておけば、細かく砕かれて腹の足し……にはならないが、味の足しにされてしまうかもしれない。
「え? 観賞? 塩を? 見るだけ?」
 理解できない、という風にこちらの胸元の岩塩を指差すラギー。そして監督生にとっては意外なことに、フロイドも少し目を見開いていた。
「観賞? 飾ってんの? ジェイドみてぇ〜」
 今度はケラケラと笑っている。よく表情の変わる人魚だ、と思いながら、監督生は口を開く。
「飾ってますよ。今までフロイドさんからもらった石、全部。ゲストルームにありますから、今度見にきてください。綺麗ですよ」
 石を押し付けて行くのはフロイドが始めたことだというのに、その行く先は考えたことがなかったのだろうか。そう思ったが、きっと返事は「興味ねぇから知らねー」で終わるのだろうな、と碧(みどり)の髪を持つ先輩の言動も予想がつくようになってきた。
「自分の好きなものおススメしてくんのもジェイドみてぇ」
 ウツボの人魚の笑いは止まらない。どこがそんなに面白かったのだろうか。兄弟に似ていることだろうか。こちらとしては面白くないので、口端に力が入ってしまう。
「あ、そうだった。フロイドくん」
 会話の成り行きを一歩引いて見ていたラギーがピクリと耳を動かした。フロイドの揶揄う対象が自分から監督生にうつったタイミングで、上手く割って入ってきた。
「今度の金曜日、遅番のオクタヴィネルの一年が入れなくなったって聞いたんスけど、オレ早番から通しで入るっス」
 モストロ・ラウンジのアルバイトの話だ。事務的な連絡に、フロイドがすぐにスマホを取り出し対応する。
「ん、ラッキー。こっちからも連絡しとくけど、コバンザメちゃんもジェイドかアズール見かけたら直接伝えといて」
「もちろんっス。ジェイドくんにメッセージも送ってあるっスよ」
 ラギーの言う通り、モストロ・ラウンジのシフト変更はアルバイト取りまとめ役のジェイドにメッセージで連絡するのがルールだ。週一回金曜日にシフトに入っている監督生も知っている。監督生は少しだけ首を傾けてアルバイトの先輩であるラギーに尋ねた。
「なんでフロイドさんにも伝えにきたんですか?」
ラギーはシシシッと笑って答える。
「まかないっスよ! 金曜のまかない担当はフロイドくん。美味しいまかない、忘れずにオレの分も作ってもらわないと」
「コバンザメちゃんが遅番入ってくれるの助かるから、ちょーっと量多くしてあげるの」
 そうなんですか、と目を丸くしているうちに、「んじゃ、よろしくっス!」とラギーが駆け出した。元々この用件を伝えにフロイドのもとへ来たのだろう。来た時と同じく、猫背の先輩は軽い足取りで去って行った。気づけば食堂近くの廊下にいる生徒たちの姿はまばらになっている。もうすぐ昼休みが終わる。
「まかない、ですか……」
 ラギーが言っていた『フロイドの作る美味しいまかない』を監督生は食べたことがなかった。フロイドの機嫌が良い日にはモストロ・ラウンジで提供するメニューよりも美味しいという噂は聞いたことがある。
「なぁに? 小エビちゃんもまかない食べる?」
 スマホを仕舞いながらの問いかけに、はい、と正直に答える。収入が少ない身としては、食費が浮くのは非常にありがたい。でも、と眉を落とす。
「遅番だけですよね……う〜ん、どうしよ」
「もう仕事慣れてきたでしょ。小エビちゃんなら遅番も大歓迎♪」
「いえ、仕事内容的には自分も大丈夫だと思うんですけど」
 帰り道が、と言い淀む。
 親しい友人と教師以外には隠しているが、監督生は女子である。モストロ・ラウンジの遅番に入ってしまえば帰寮は夜遅くなる。鏡での転移で移動が短いとは言え、オンボロ寮のまわりは寂しい夜道である。女子ひとりで歩くには心もとない。しかしそれを、事情を知らせていないフロイドに伝えるのも憚れるので、歯切れの悪い返事になってしまう。
「夜道こえーの? オレ送ってあげよっか?」
「えっ! いいんですか?」
 こちらの不安を見透かしたようなフロイドの提案にパッと顔を輝かせて食いつく。気まぐれなフロイドの「送ってあげよっか」は毎週続くとは思えないが、とりあえず初回だけでも夜道をついてきてくれると言うならあとは監督生自身が慣れて夜道を歩くのも平気になるだろう。初めての遅番バイトも、モストロ・ラウンジ最古参アルバイトメンバーのラギーがいるのなら問題ないだろう。
「オッケー。今週金曜とりあえずお試しで小エビちゃんも遅番まで通しね〜」
 またスマホを取り出しタプタプとメモをするフロイドは上機嫌だ。
 フロイドとはイソギンチャク事件で友好的とは言えない関係から知り合い、アルバイトを通して会話をする程度の仲だったが、今日ほど長く話し込んだことはなかった。今度の遅番の帰りも同行を申し出てくれたし、少し仲良くなれたのかもしれない。
 スマホから顔を上げたフロイドとバチリと視線が合う。スモーキークォーツと、イエローフローライトのオッドアイが、綺麗だ。
 高鳴った胸を隠すように「これ」と無理やり声を出す。
「岩塩、大事に飾りますね」
 手にしたピンクの結晶を、ハンカチに丁寧に包み、制服のズボンのポケットに仕舞う。
「別に、捨てちゃってもいいのに。変わってんね〜」
 その言い様に、こんなに綺麗な石なのに、と反論したくなると同時に、心に湧き上がる感情があった。口を開きかけたままそれを辿ると、懐かしさに行き当たった。
 ああ、そうか。だからこんなに、私はこの人と一緒に居るのが心地いいんだ。
 下ろしていた手をぎゅっと握り、それだけでは抑えきれず、開いていた口が、つい、言葉を漏らしてしまった。
「フロイドさん、自分の家族と、似てますね」
 石を押し付けてきて、別に大事にしなくていいと置いていく。私はそれを大事に思うのに。そういうことをする、大切な家族がいた。
「あの子も、捨ててもいいとか言うんですよ」
 似てます。と思い出から顔を上げて、ギョッとした。
「はぁ? なにそれ」
 フロイドは明らかに不機嫌だった。見開いた恐ろしい眼に、睨みつけられる。
「今ソイツ、いねーんだろ。オレが知らないヤツに、オレが似てるとか言われても、興味ねぇよ」
 強面は一瞬だけで、あとはただのむくれた顔だったが、あの眼に一度睨まれただけで監督生は怯んでしまった。こちらに危害を加えるというところまではいかないのだろうが、向けられた鋭い歯に、開きかけていた心が固く閉ざされる。
「……すみません」
 小さく謝り、うつむく。
 頭上からため息が降ってくる。ガシガシと頭を掻くような音が遠い。
「オレがソイツに似てる、じゃなくて、ソイツがオレに似てる〜、とかさぁ」
 恐怖で身がすくんでしまい、先輩の声は半分も頭に入ってこない。
 知らなかった。フロイドが、自身が誰かに例えられることを嫌がるということを。彼の中ではあくまでも自分の基準は自分で作り、誰かの例えに収まることを良しとしないのだろう。自分はあんなにも、私のことをジェイドみたいだと騒いでいたくせに。私や他の誰かのことを、小エビだのコバンザメだの、彼の中の枠にはめ込んで呼ぶくせに。そこに理不尽を感じても、それを指摘し自分の気持ちを慮らせるほどの親密さは、ない。
 私の大切な思い出が、差し出した壊れやすい綺麗なものが、受け取られずに床に落ちて粉々に砕け散ったような悲しさに、口が歪んだ。
 期待しすぎてはいけないのだ。この世界で、壊れずにいるためには。
 予鈴が鳴る。昼休みはもう終わる。
 グッと肚に力を入れ、顔を上げる。笑顔は取り繕うことができているかわからない。
「すみませんでした。もう、言いませんね」
 彼の表情を見ず、ありがとうございました、と石のお礼だけ重ねて伝える。ピクリと動いた彼の手に構わず小走りに駆け出す。こんなの立ち去り方では彼から逃げ出したことになる、と自分でもわかった。
 このままでは次に会う時にギクシャクしてしまうかもしれない。それは、この学園で、そして特にモストロ・ラウンジで雇われている身としては避けた方が良い。力も魔力も立場も強いフロイドに嫌われたり疎ましがられてしまえば、何がこの身に降りかかるかわからない。平穏な学園生活を送るには、貴重なアルバイト先を失わないためには、自分は彼とケンカなんてできないのだ。彼は強者で自分は弱者。こちらが折れるしかない。カタチだけでも、傷ついていない、逃げ出していない、気にしていないと見せなければ。ばらばらになってしまった自分の心を組み直すのは後回しにして。
 廊下の突き当たりで振り返る。ここまで来れば、互いの表情がハッキリとは見えない。先ほどと同じ場所に留まっていたフロイドに向かって、監督生は声を張った。
「金曜日、まかない楽しみにしてます。帰りの送りも、忘れないでくださいね!」
 物わかりの良い後輩を演じる。元気そうに聞こえる声が出せたのだ。きっと、自分も笑えている。
遠くでフロイドが雑に手を振った。彼の表情は見えなかったが、蛍石色の髪が揺れていた。


*****

 夢は日に日に鮮明になる。
 ファストフード店の騒がしい店内の音は聞き飽きたし、出入りする他の客を眺めるのも飽きた。毎日毎日待たされているだけの状況に、文句の一つも言いたくなる。早く来てよね、とため息と共にこぼすと、「おまたせー!」と明るい声がバタバタとやってきた。
 ガタガタンと騒がしく椅子を鳴らし、正面に彼女が座る。
 私と同じセーラー服。私と同じ黒い髪を、彼女は頭の後ろで一つに結い上げている。骨格も顔のパーツも私と同じはずなのに、彼女には華やかさが感じられるのだ。声質も私と同じはずなのに、彼女の声は騒音の中でも聞き漏らすことはない。
「久しぶり、元気してた? こっちはもう大変だよ。あっ、それよりも見てよコレ。綺麗でしょ——……」
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