麻倉那祇

自分で思ってたより男女CP沼の住民だった。
ななどら3ユウマ×ヤイバ、ポケモンSVペパアオ(ペパー×女主人公)、ダンウォ(タダノゾ、リクキャサ、リンコ受け)など。同名でぴくぶらにもいたりします。

投稿日:2023年04月03日 19:03    文字数:18,624

【ペパアオ小説本新刊サンプル】春よどうか青くあれ

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(2023.5.8 追記)
通販の受付を再開しました!こちらが通販ページになります(pictSPACEに飛びます)→ https://pictspace.net/items/detail/390071

(2023.4.20 追記)
部数アンケートへのご協力ありがとうございました!入稿が確定したので本作の仕様・備考について確定版のものに書き替え、サンプル部分にプロローグを追加しました。
また、サンプルを出した時点での想定よりページ数が増えてしまいましたので、頒布価格を予定より引き上げさせていただいております。ご了承ください。

5/6(土)にpictSQUAREで開催されるpkmnシリーズWEBオンリー「いつだって主人公4」(https://pictsquare.net/gk2xrc3szkz07m1dwx1fnxx49sqctmoz)にて発行予定のペパアオ小説本「春よどうか青くあれ」のサンプルです。全二部構成のうち第一部を全文公開しています。
アオイちゃんのクラスメイトの「気になる人いる?」という一言から始まる勘違い騒動と、アオイちゃんがペパーくんへの気持ちに気付くまでの道のりと気付いてからの葛藤と奮闘のお話です。サンプル部分ではちょっと重苦しくなっていますがハッピーエンドです!
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▼目次
P2 プロローグ
P3 1、春一番は唐突に吹く
P4 2、心の晴れ間
P5 3、噂が噂を呼んで
P6 4、あひみての

▼本作の内容についての注意点
・本作の時間軸はストーリークリア後、学校最強大会後になります。
・ゲーム本編で言及されていない設定の勝手な付け足しがあります。
・オリジナルの名ありモブトレーナー(アオイのクラスメイト)が全編に渡って登場します。
・筆者の初プレイ時を基にアオイの手持ちポケモンを設定しています。

▼本書の仕様
・カバー付き文庫本(A6)
・全年齢、全編書下ろし中~長編小説本
・本文144ページ
・頒布価格 800円(頒布価格に加えて匿名配送サービス料350円が必要になります)
・頒布方法 pictSPACEでの通販(イベント当日はpictSQUAREの店舗からご注文いただけます)

▼備考
・イベント後は一旦pictSPACEの店舗を閉じ、在庫数の確認ならびに店舗の編集を行います。イベント後の通販受付再開は5/8(月)12:00を予定しています。
・注文可能部数はお一人様につき1部までとさせていただきます。
・pictSPACEでの通販はヤマト匿名配送のみの取り扱いになります。直接配送はこちらの都合により取り扱っておりません。ご了承ください。


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プロローグ


「そうだアオイ、知ってるか?」
 雲一つない青空の下、アオイがペパーの作ってくれたサンドウィッチをめいっぱい頬張っていると、ペパーが突然そう切り出した。
 今日の最後の授業だったバトル学の実践授業を一緒に受けた後、体を動かしてお腹が空いたからとアオイはいつものようにペパーをピクニックに誘ったのだった。
それにしてもさっきのポケモン勝負はびっくりした。実践授業で戦ったクラスメイトの男子が、彼のポケモンにレベルアップやわざマシンでは覚えさせられない技を覚えさせていたから。それでもそんなことで動揺して自分のポケモンへの指示を誤るようなことはない。こちらの意表を突くような戦い方は今まで何度もされてきたし、それをずっと掻い潜って勝利を掴んできたのだから。
 そんな痺れるバトルを制した後に食べるペパーのサンドウィッチは一層おいしい。そうしみじみと味わっているところに、先ほどの問いが放たれたのだった。
「知ってるかって、何を?」
「課外授業が始まってもう結構経っただろ。だからさ、そろそろアレを出さなきゃいけない時期なんだよ」
「アレ?」
 課外授業の宝探しは今回が初めてだったアオイには、当然の疑問だった。
「あー、あれだ、宝探しで何をやって何を考えたか、みたいなことをまとめるレポートだ」
「そんなの書かなきゃいけないんだ。……なんか大変そうだね」
 ジム巡りにスター団とのケンカに秘伝スパイス集めに、それからエリアゼロでの大冒険と、アオイは自分が歩いてきた広大で長い道のりを思い出して、果たしてまとめきれるのだろうか、と心配になる。
「アオイは特にそうだな……」
 ペパーもアオイが書かなければならないレポートの量を想像して気の毒そうな顔つきになった。
「まあ、まとめきれなくてもアオイがやってきたことは校長せんせが分かってくれてるし、大事なのはどれだけ濃い体験をしてきたかってことだろ? それに、秘伝スパイス探しのことについては安心していいぜ、オレがまとめたのを見せてやるからよ」
「うん、ありがと、助かる~」
 アオイはそう言ってまた一口サンドウィッチを齧りながら、レポートか、と心の中で復唱した。きっと先生に見せるものだから提出期限もあるのだろう。それまでに書ききれるだろうか、という不安の隅に、少しだけ楽しみな気持ちがあった。あるいは大切な宝物を見つけることができた冒険の思い出をしっかり記録するいい機会なのかもしれない、と。


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1 春一番は唐突に吹く


「アオイちゃんって、気になる人いる?」
 全ての始まりはクラスメイトのその一言だった。
 由緒正しく歴史は深い、格式と伝統のあるアカデミーといえど、そこに通う学生は押し並べてお喋り好きで噂好きであった。いや、実は案外、ずっと昔からそうだったのかもしれない。勉強のこと、ポケモンのこと、そして自分の周りにいる人のこと。一度話を始めたら止まらない。とかく学生というものは、いつの時代も、どこの生徒でも、きっと同じようなものなのだろう。
「気になる人?」
 そう、これはいわゆる「恋バナ」であった。アオイはこれがいわゆる恋バナであるとは微塵も思わなかったし、そもそも恋バナとは何かすら分かっていなかったのだけれど。
「そうだなあ……」
 だから、何となく口にしたその答えが周囲を巻き込んであんなことになるなんて、想像できるはずもなかった。



 課外授業の宝探しが始まってから何ヶ月か経ったある日、大事な連絡があるから各自のホームルームへ行くように、とアカデミーの全生徒に通知があった。きっとペパーが言ってたあのことだ、と思いながらアオイも自分のホームルームである1‐Aへ向かう。
「おはようございます!」
 と元気よく挨拶をして教室に入ると、既に多くのクラスメイトが集まっていて、それぞれ「宝探しどうだった?」「図鑑埋まった?」「ポケモン見せてよ!」などと盛り上がっていた。
 アオイは自分の席について周りを見回す。アオイと同様に宝探しを終えてアカデミーの通常日課で授業を受けていてしょちゅう顔を合わせている人もいれば、まだまだ冒険の途中だそうで久しぶりに顔を見る人もいた。
 宝探しが始まって以来初めて全ての席が埋まった教室はとても賑やかだ。開け放した窓から入ってくる風に乗って生徒たちの楽しげな声はより一層響いて、カーテンも踊るようにはためいている。
 アオイも隣の席の生徒と言葉を交わしていると、
「みなさん揃いましたかねえ」
 と段ボール箱を抱えたジニアが教室に入ってきた。
「ジニア先生、おはようございます!」
「おはようございます~。みなさん、課外授業の宝探しはどうですかあ?」
 ジニアの問いかけに生徒が口々に答え、ジニアはそれを聞いてうんうんと頷く。
「みなさんとても楽しんでいるようで、先生は嬉しいです~。まだ冒険し足りないという人もいるかもしれませんが、今日はみなさんに大事なお知らせがあって集まってもらったんです」
 そう言うと、ジニアは持ってきた段ボール箱からノートを取り出し、一人一冊ずつ生徒に配り始めた。途端に一部の生徒から「げっ!」「あっ、そうか!」と声が上がった。
「そうそう、もう知ってる人もいますねえ。宝探しをした後には、そのまとめとしてレポートを提出してもらうことになってるんです」
「わーっ、そうだった!」
「えーっ!」
 レポートの提出、と聞いて教室が一気に騒がしくなる。ジニアはそれをまあまあ、と宥めた。
「知っている人も知らなかった人も、落ち着いて聞いてください。レポートと言ってもそんなに難しく考えなくて大丈夫ですから。自分が宝探しで何を見つけたのか、何を感じたのかを自由に、自分なりにまとめればいいんです。文章だけじゃなくて絵を描いたり、写真を貼ったりしてもいいですよ。先生たちもみなさんが宝探しでがんばっていることは見聞きしていますが、何をして何を考えたのか、より詳しく知りたいですからね~。もちろん、まだ宝物を見つけられていないという人もいると思います。でも、焦る必要はありません。レポートの提出も大切ですが、宝探しで得られる経験の方がもっと大切ですから。まだまだたくさん冒険してきてくださいねえ」
 そこまで話して、ジニアは一度教室を見渡した。
「そうだ、何か訊きたいことがある人はいますか?」
「はい!」
 ジニアの問いに、ネモが大きく手を挙げる。
「はい、ネモさん、なんでしょうか」
「ジニア先生、レポートの提出期限はいつですか?」
「ああ、いけない、また大切なことを伝え忘れてました。締切は今日から三ヶ月後です。みなさん、自分の宝探しの道のりをじっくり振り返ってみてくださあい。自分が行ってきたところにもう一度行ってみるのも、また新しい発見があって面白いかもしれませんよ」
 連絡はこれでおしまいです、今日はこの後の授業はないので自由に過ごしてくださいねえ、と言ってジニアが教室を出ていくと、教室は一斉に、どうやってまとめよう、とか、早く宝物見つけなくちゃ、とまた騒がしくなった。
 アオイは本当にペパーの言う通りだった、と自分のこれまでの歩みを思い出して気が遠くなりそうになる。一体どこからまとめればいいのやら。
「あれ、アオイ、そんなに驚いてはない感じ?」
 斜め左前の席に座るネモがアオイを振り返って聞いてくる。
「うん、ペパーから宝探しのまとめがあるってことは聞いてたんだ」
「そうなんだ、でもジム巡りとスター団のことと秘伝スパイス集めと、それからエリアゼロのことって、全部まとめるの大変そう……」
 ネモが指を折りながら数えるのを聞いて、アオイはやるべきことの多さを再び実感して思わず深いため息を吐いて机に伸びる。
「そう、今ちょっとどうしようかって思ってた……ペパーが秘伝スパイスのことは見せてくれるって言ってたんだけど」
「じゃあ、どうしても間に合わなさそうだったら、私はジムリーダーたちの手持ちポケモンとか、チャンピオンテストの内容とか見せてあげるよ。あ、エリアゼロのポケモンたちとか、博士の研究のこととかもね」
「ありがと、ネモ。助かる~」
「じゃあ、私、これからポケモン鍛えに行くから! またね!」
「うん、またね!」
 アオイはネモが教室から走り去っていくのを手を振って見送る。この後は自由にしていいと言われた教室は既に人影もまばらになっていて、私もポケモン探しに行こうかな、と荷物をまとめていると、
「アオイちゃん、ちょっといい?」
 と近くの席の二人の女子生徒に声を掛けられた。
「うん、どうしたの?」
 アオイが声のした方を振り向くと、エリーとリアという二人の女子生徒の姿があった。二人とも宝探しを終えてアオイと一緒に通常日課の授業を受けている生徒だ。何度か短い会話をしたこともある。
「アオイちゃん、これから一緒にご飯食べない?」
 その誘いに、この後特に予定のないアオイはうんと頷いた。
「いいよ、行こう!」
「やった! いつかアオイちゃんとゆっくり話してみたいと思ってたんだ」
「じゃ、早速食堂行こう!」
 そうして三人は連れ立って学生食堂へ向かい、一緒に昼食を食べながら、宝探しはどうだったかと話をした。
「そういえば、アオイちゃんってチャンピオンランクになったんだよね、おめでとう!」
「うん、ありがとう!」
「すごいなあ、私たちのクラスにチャンピオンランクが二人もいるなんて。しかもアオイちゃんは転入してきたばっかりなのにあっという間にどんどん強くなっちゃってさあ……」
「どうしたらそんなにポケモン強くなれるの?」
「私は……ネモが強くなろうってずっと言い続けてくれてたからかな」
「そうなんだ~。ネモちゃんも生徒会長でチャンピオンでかっこよくてすごいよねえ」
 そんな話をしながら、アオイがもう少しでサンドウィッチを食べ終わるというところで、
「そうだ、アオイちゃんにずっと訊きたかったんだけど……」
 とエリーが急に声を潜めた。アオイも思わずサンドウィッチを食べる手を止めて真剣な表情になる。
「アオイちゃんって、気になる人いる?」
「気になる人?」
 これはいわゆる「恋バナ」であったのだけれど。
「うん、うちのクラスで」
「うちのクラスで? そうだなあ……」
 これがいわゆる恋バナであるとは微塵も思わなかったし、そもそも恋バナとは何かすら分かっていなかったアオイは、同じクラスの人、と言われてふと思い浮かんだ男子生徒の名前を、
「ウィルくんかなあ」
 と何の気なく口にした。すると二人は、
「えーっ! そうなんだ!」
「意外~!」
 と急に色めき立った。アオイは二人の大仰な反応に驚く。アオイとしては、バトル学の実践授業でウィルというクラスメイトの男子生徒が、彼のポケモンにレベルアップやわざマシンでは覚えさせられない技を覚えさせているのを見て、それが気になったのだった。
「わ~、そうなんだ……私、応援するからね!」
「私も!」
「う、うん……?」
 何か話が食い違っているような気がしたけれど、アオイはその違和感を上手く口にすることができなかった。
「そういえば、あんたはどうなってんの?」
「えっ、私? 全然まだだよ~。何度か一緒にピクニックはしたけど……」
「え~っ、それって脈アリじゃない!? 早く告白しなよ~」
「ダメ、まだ無理!」
「なんでよ~」
「そう言うそっちだってさあ……」
 エリーとリアの会話を何となく耳に入れながら、これがいわゆる「恋バナ」であると知らないアオイは、これから起こることを想像できるはずもなく、サンドウィッチの最後の一片を口に放り込んでもぐもぐと咀嚼しながら、今日の午後はどうしようかと気楽に考えるだけだった。


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2 心の晴れ間


 その翌日からアオイを取り巻く周囲の雰囲気は一変した。
 アオイは「気になる人いる?」という問いにウィルの名を、ただ一人の男子生徒の名を答えただけだった。それなのに、いつどこで広まったのか、昨日話をしたエリーとリア以外の女子生徒からも、顔を合わせるなり「がんばってね!」「アオイちゃんなら大丈夫だよ!」などと言われる始末だった。
 それに対して、何のことか分からないくせに「ありがとう……?」と返すアオイもアオイだった。「どういうこと?」とか一言聞き返しさえすれば誤解は解けただろうに。
 そうしてその日の授業から、アオイはことあるごとにウィルの方へ何とはなしに押しやられてやたらと一緒にされるようになってしまった。
 バトル学の実践授業では対戦相手としてお互いのポケモンの技を出し合ったり(これはウィルのポケモンをよく見ることができるからアオイにとっても好都合だったけれど)、美術の授業では同じグループで各自の出来上がった作品の感想を言い合ったり、挙げ句の果てにはエリーとリアとウィルの友人数人と一緒に昼食を食べる事態になった。
 あれ? 何かおかしなことになってない? とアオイは不思議に思ったけれど、アオイはまさか自分のあの一言が原因でこんな事態になってしまっているとは思いもよらなかった。だってアオイは、エリーの「アオイちゃんって、気になる人いる?」という問いにただ何となくウィルの名を口にしただけなのだから。
 アオイとウィルをやたらと引き合わせようとするこの事態は、アオイの好きな人を知りたい、そしてできたら恋を叶えてあげたい、主に女子のクラスメイトたちの心優しいおせっかいによるものだった。ほんの数ヶ月前に転入生としてアカデミーにやってきて、あっという間にチャンピオンまで登りつめていった、そんな時の人のことなんて何でも知りたいし、さらに恋愛に関わる話なんて誰もが気になるに決まっている。そしてその好きな人が存外身近にいると分かれば、恋を成就させようとあれこれ奮起するのも仕方がない。
 問題は、アオイは恋バナ、もとい恋愛感情とはどんなものなのかすら分かっていないから、ウィルに対して恋愛感情を抱いているはずもなく、女子生徒たちの奮闘にアオイは困惑するばかりで、お互いが完全にすれ違ってしまっているということだった。
 女子生徒たちからは好奇心と期待の眼差しを、男子生徒たちからはどことなく訝しげな目を向けられる、昨日までとはうって変わったクラスの異様な雰囲気にアオイはひどく気疲れしてしまって、せっかくの昼食もあまり喉を通らなかった。
 少し一人になろうと、購買部に行ってくると言い残してホームルームを出る。とは言っても一人になりたいだけだから本当に購買部に用があるわけではない。当てもなくアカデミーの廊下をふらついていると、ふと黄色の大きなリュックサックが目に入った。その瞬間、今まで心に掛かっていた分厚い雲が一気に晴れる感覚がして、アオイは、
「ペパー!」
 と大きな声でその持ち主の名前を呼んだ。
「うおっ、アオイか」
 アオイの心が雨上がりの空のように青く澄み渡っているとすれば、アオイの声に振り向いたペパーのその笑顔は燦々と輝く太陽だ。思わず目を細めてしまうほどに眩しくアオイの目に映った。
「なんか元気なさそうちゃんだけどどうしたんだ? 宝探しのレポートが大変だとか思ってたのか?」
「うっ、忘れてた……」
 また別の気がかりが出てきてアオイはがっくりと肩を落とす。昨日言われたばかりのことなのにすっかり忘れてしまっていた。それくらい、昨日までとうって変わった今日のクラスの雰囲気はアオイの心をひどく曇らせていたのだ。それでも、膨大な量の課題を思い浮かべてアオイがしゅんとしていたのは一瞬だった。
「でも大丈夫、ペパーを見たら元気出たから」
 そう、先ほどまでの息苦しい心地は、ペパーの顔を見て声を聞いたら嘘のようにどこかへ行ってしまった。
「ははっ、なんだそれ? じゃあ、せっかくだし外出てピクニックでもしようぜ」
 何か食べればもっと元気出るだろ、というペパーの言葉に、
「うん! 行く!」
 と答えると同時にお腹がぐう、と鳴った。ホームルームで昼食を食べたときは、考え事をしていたし気が重たくなっていたからあまり食べられなかったのだ。二人はアカデミーの外へ出るべく並んで歩き出す。
「それにしても、オレがいるってよく分かったな?」
「うん、ペパーって目立つから、すぐに分かったよ」
 それを聞いたペパーが、そうかな……? と言って自身の腕足に目をやるけれど、目立つというよりは自然と目を引くと言った方が正しいかもしれない。あの大きなリュックサックはどんな人混みの中でもペパーがここにいると教えてくれるのだ。
「そういえば、課外授業のレポートのこと、本当にペパーの言う通りだったね」
「だろ? ってかオレもちゃんとやらねえとなあ」
 実はもうまとめ始めてんだ、とノートを開いて見せてくれる。それを覗き込むと、まず目に入ったのは、ページのど真ん中に貼ってある、秘伝スパイスがあった場所の写真だった。いつの間に撮ったんだろう? その写真を囲むように、そこにどんなヌシポケモンがいたのか、どんな味の秘伝スパイスがあったのか、その秘伝スパイスを重傷だったマフィティフに食べさせてどんな効果があったのか、などが事細かに記されていた。
「お~、さすが先輩だね」
「こんなときばっかり先輩扱いすんなって」
 アオイが茶化し気味に感心すると、ペパーに帽子の上から頭をわしゃわしゃと撫で回された。砕けた口調の割に力が強い。もう、そんなにすることないじゃん、と帽子を取って乱れた髪を整えると帽子を被り直した。
「前のときは結局ギリギリに提出したから今回はちゃんとしようと思ってさ」
「あはは、私は気をつけよう」
 アオイはお返しだ、とばかりに明るく響く声で笑う。
「あ、そんな言い方してっとレポート見せてやらねえしサンドウィッチも作ってやらねえぞ」
「わーっ、ごめん! レポートは困る……」
「サンドウィッチはいいのかよ!」
「サンドウィッチも困るけど!」
 アオイは慌てて謝罪の言葉を口にするけれどペパーの意思は固く、テーブルシティの外に出てピクニックセットを広げ、サンドウィッチを作る準備ができても腕を組んだまま動かなかった。
 ピクニックに誘ってくれたのはペパーの方なのに、と憮然としながらアオイはバスケットからパンを取り出す。ペパーが作ってくれないなら自分で作るしかない。だってサンドウィッチを食べるためにピクニックに来たんだし。お腹の減り具合ももう限界だ。
 アオイは取り出したパンに荒くバターを塗って調味料を好きに掛けた後、ドスドスと音を立てて野菜を適当に刻むと、他の具材と一緒に高めの位置からドサドサとパンに落とす。さらにその上に強引にパンを乗せて出来上がりだ。野菜がいくつか皿を飛び越えてテーブルにまで転がってしまったけれど、これくらいなら味に問題はないだろう。そこそこの出来だ、と完成したサンドウィッチを頬張りながらペパーの方をみると、ペパーは信じられない、と言わんばかりに口をぽかんと開けていた。
「アオイ、サンドウィッチそんな作り方してるのか……?」
「そうだけど?」
 一人で冒険をしているときは、手持ちのポケモンたちと食べるために度々作っていたけれど、そういえばペパーの前で作ったのは初めてだった。でもそんな呆れ顔をされるほどのおかしな作り方だろうか?
 アオイは作ったばかりのサンドウィッチをぺろりと平らげ、さっそく次のサンドウィッチ作りに取り掛かる。テーブルの上にごちゃごちゃと並べた具材を狭いスペースでまともに固定できないままカットしようとすると、ペパーがガッとアオイの手を掴んでそれを制止した。
「あー! 見てらんねえ! 指でも切ったらどうするんだよ! せっかくの具材も飛ばしちまってもったいねえし! そんなんならオレが作ってやるからサンドウィッチ食いてえときはオレに言え!」
「えっ? いいの?」
 ペパーの言葉にアオイは目を輝かせる。自分で作ると何か味気なくて物足りないのだ。
「ピクニックに誘ったのはオレの方だしな」
「やったー!」
 やはりペパーが作ってくれたサンドウィッチの方が圧倒的においしかった。同じ具材を使っているはずなのに何が違うんだろう?
「おいしかった~! ごちそうさま!」
 アオイは丁寧に手を合わせてお礼を言った。お腹も心もすっかり充足感に満たされている。
 ペパーと一緒にいると本当に元気が出る。おいしいサンドウィッチが食べられるからだけではない。それはもっと根本的なところ、心の奥底から自然と溢れてくる。特別な何かをしていなくても、一緒にいるだけで気持ちが安らいで、楽しくて、自然と笑顔になれて、元気が湧いてくるのだ。今日ペパーに会ってからは、ホームルームの雰囲気に気疲れや息苦しさを感じていたことも、どうしてそんな気疲れや息苦しさを感じていたのかも、すっかり忘れてしまったくらいに。
「おう、またいつでも呼べよ」
「もちろん!」
 アオイは大きく頷く。そして満ち足りた感覚を反芻するように深く息を吸って吐く。草原に吹き渡る風は夕暮れに向けて少し涼やかさを増してきていた。


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3 噂が噂を呼んで


 その翌日も、またその翌日も、アオイとウィルの二人がことあるごとにセットにされる現象は続いた。
 ホームルームでも移動教室でも、一歩教室に足を踏み入れればクラスメイトたちの視線が一斉に集まって、その妙な一体感のある期待や疑念に気が滅入ってしまう。それでも、授業は受けに行かなければならない。アカデミーの通常日課だから、という以上に、チャンピオンとしての矜持や自戒の念があった。
 気持ちが塞いでしまうから授業に行きたくないと言って欠席することもできる。でも、チャンピオンである自分がそんなことで授業をさぼって逃げるようなことはしたくない。チャンピオンテストで合格をくれた四天王とオモダカや、チャンピオンになった功績を称えてくれたクラベル校長や、何より同じチャンピオンでライバルであるネモに示しがつかないからだ。
 それに、チャンピオンという輝かしい立場であるからこそ、ちょっとしたことで他の生徒たちの反感を買い、陰口や敵視の対象になりやすいということもあった。チャンピオンって授業さぼっていいんだ、と嫌味を言われ、今度はクラス中に白い目で見られるようになってしまうかもしれない。
 でも、その矜持だけでずっと耐えていられるほど、アオイの心はキョジオーンのようにがんじょうではなかった。教室の雰囲気ががらりと変わったあの日から、一日の日課が終わるとすぐに教室を飛び出し、アカデミーのどこかにいるペパーを探し出してはピクニックに誘ってサンドウィッチを作ってもらい、束の間の安らぎを味わって次の日を何とか耐えきる元気をたくわえるようになった。

 そんなある日の午後、授業が終わっていつものようにそそくさと教室を去ろうとしたとき、エリーとリアの二人に呼び止められてしまった。
「どうしたの?」
「あの子呼んできたからさ、ちょっと待っててよ!」
「今日こそ話しちゃいなよ!」
 あの子とは誰のことか、と廊下の遠くを見やると、ウィルがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。確かにウィルについて、というかウィルのポケモンについて気になることはある。でも、わざわざ呼び出してまで尋ねるようなことではないし、かといって呼び出されてせっかく来たのに何でもないと言ってそのまま帰すのも心苦しいし、と迷っているうちにウィルはだいぶ近くまで来ていた。すると、エリーとリアはえいや、とアオイの背中を押し、
「わっ!」
 アオイはそのあまりの勢いにバランスを崩してウィルの前に躍り出てしまった。
「だ、大丈夫かい、アオイさん?」
「ごめん、そっちこそ」
 アオイは体勢を立て直しながらエリーとリアを睨むが、どこかに隠れてしまったのかその姿は見当たらなかった。
 きっとウィルも脈絡なくここに呼び出されたのだろう、突然のことに戸惑っているようだった。このままでは申し訳ないと思って、また、せっかくの機会でもあるから、ずっと気になっていたことを訊くことにした。
「あのさ、私、ウィルくんがポケモンに覚えさせてる技が気になってて……あれってどうやったの?」
 レベルアップでもわざマシンでも覚えさせられないはずの技、あれは確かタマゴわざで、タマゴを作ることで他のポケモンを介して覚えさせることができるけれど、それを経由できるポケモンがパルデアには生息していない。だから、他の地方に簡単に行くことができる人でもなければ、覚えさせられる術はないのではないかとアオイは不思議に思っていたのだった。
「ああ、あれはね、タマゴから生まれた時点で覚えていなくても、後から覚えさせることができる道具があるんだよ」
 ウィルは気さくにそう教えてくれた。
「えっ、そうなの!? 知らなかった!」
「あはは、アオイさんでも知らないことってあるんだね。まあ、僕も人から聞いて試してみただけなんだけど……やっぱりこういうことはネモさんが詳しいんじゃないかな」
「確かに! ありがとう、今度ネモにも訊いてみるね」
「いやいや」
 アオイがお礼を言って二人が話を終わらせようとすると、
「ちょ、ちょっと違くない!?」
 と今までどこに隠れていたのか、エリーとリアが慌てて飛び出してきた。
「うわっ、なんだ!?」
「話、それで終わり!?」
「そ、そうだけど……」
「気になるってそういうことだったの?」
「うん、パルデアにいるポケモンだけじゃ覚えさせられないタマゴわざを覚えさせてたから、それってっどうやるのかなって思って」
「なによそれ~」
 と二人はあからさまに落胆して崩れ落ちた。
「気になる……? ははあ、さては君たち、アオイさんに恋バナでもさせようとしたんだな? ……あ、そうか、それで君たちがアオイさんが僕のことを好きなんじゃないかって勝手に勘違いして、僕とアオイさんをやたら引っつけようと仕組んでたんだな」
 やっと合点がいったよ、と笑うウィルに、アオイもそういうことだったのか、と納得した。でもまだ分からないことがある。
「ねえ、こいばな、って何?」
「あちゃー、その次元だったか」
 エリーはがっくりと床に膝をつき、リアは額に手を当てながら天井を見上げる。それを傍目にウィルが教えてくれた。
「恋バナっていうのは、恋に関する話、例えば誰々が誰々を好きだとか誰と誰が付き合ってるだとか、自分とかお互いの好きな人についての話のことだねえ」
「そうなんだ」
 やれ好きだとか嫌いだとか、惚れた腫れただとかはものすごく遠い、まるで縁のない世界の話のように思っているアオイは気のない相槌を返した。
「そんな無理に聞き出すこともなかったんじゃない? アオイさんも困ってたんじゃないの?」
 やれやれ、と首を横に振るウィルに、エリーとリアは、なによう、と反論する。
「だって、アオイちゃんの恋バナなんて最高に聞きたいし、好きな人がいるのか知りたいじゃない?」
「いやいや、だからって僕がその対象になるわけないでしょ……」
「え~、でもちょっとくらいドキドキしたでしょ?」
「いや、僕は全然……あ、全然なんて言ったらアオイさんに失礼か、でもしちゃ駄目でしょ。チャンピオンのアオイさんと僕なんかじゃ釣り合いとれないし、何よりアオイさんって一個上の男の先輩とよく一緒にいるじゃない? あれを見ちゃったら他の男子はアオイさんとなんて夢も見れないよ」
「あ~、確かに。あの先輩とはどうなの、アオイちゃん」
 そう訊かれて、あの先輩……ペパーのことか、とアオイは思った。そしてさらっと答える。
「ペパーは大事な友達だよ」
 そう、一緒に強大なポケモンに立ち向かう冒険をして、二人で頻繁にピクニックをするくらいの。
「え~っ、あれだけ一緒にいといて友達止まりとかある?」
「君はちょっと黙ってなよ……さっきまで勘違いしてたくせに」
「うるさいわね!」
「……でも、あの先輩、好きな人いるみたいだよ?」
「えっ!」
 エリーが突然打ち明ける事実に、それを聞いた三人の驚きが共鳴した。
「……まさか、アオイちゃんを差し置いて?」
「うん、私のお姉ちゃんがあの先輩と同じクラスなんだけど、そういう話をしてるのを聞いたんだって」
「それこそ僕らみたいな勘違いとか、適当な噂なんじゃないの?」
「さあ、どうだか」
 アオイは三人の話を聞きながら、いや、聞いているつもりだったけれど、それ以降は耳に入らなかった。目の奥がぐらりと揺らぎそうになって一人呆然と立ち尽くす。ペパーに好きな人がいると聞いただけだ。それも人づてに聞いた単なる噂レベルの。
でも、アオイの心は深く深く沈み込んでいく。どうしてそんな風に気持ちが重くなるのか分からないまま、アオイの心には雨が降る前兆かのようにざわっと強い風が吹いて、体が内側から冷たくなっていくのを感じた。


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4 あひみての

 

 アオイの日常は平穏を取り戻した。アオイがウィルを好きだという噂がエリーとリアによる早とちりの勘違いだったと分かると、クラスメイトたちは途端にその件に関しての興味をなくし、アオイとウィルが他のクラスメイトたちによって一緒にされることはなくなった。今回の騒動でウィルと話すきっかけができ、そして仲良くもなったアオイは、友達として自らウィルと一緒にいることを選ぶことも増えたけれど。
 アオイの日常は平穏を取り戻した。アオイの心の中を除いて。
 あの日からずっと、アオイの心には一歩先も見えないほどの雨がざあざあと降り続いていて、雨が降る理由も、雨を止める術も知らないアオイはその雨に打たれ続けている。ペパーに好きな人がいる、そう聞いただけだ。それだけで、あんなにずっと一緒にいたはずのペパーがまるで知らない人になったように思えて、アカデミーで姿を見かけても声を掛けづらくなってしまった。
 そうしてペパーに会わない日、ペパーと話をしない日が何日も続くと、アオイの心は栄養不足の花の芽のようにしおしおと萎れていくようだった。
 それはそうだ。日の光を浴びていないのだから。以前、生物の授業でポケモンが育つ、つまり経験値を得る方法について習ったとき、その関連事項として植物が成長する条件についても学んだ。いつかアオイの心に掛かる分厚い雲を一瞬で吹き飛ばしてくれたあの笑顔はまさしく太陽だった。そんな日の光を何日も浴びていないとなればアオイの心が萎んでしまうのも無理はない。
 パルデアに来てから、こんなに何もかもが味気なく感じ、何をしていても楽しくない日々を過ごしたことなんてあっただろうか? ホームルームの電子黒板に貼ってある「レポート提出期限まであと二ヶ月」と大きく書かれた紙をぼうっと眺め深いため息をついていると、エリーとリアに声を掛けられた。
「アオイちゃん、最近元気ないよね。大丈夫?」
「うん、なんか気分が重くって……」
 先日まで感じていたものとはまた違った重さだった。クラスメイトの好奇心の目に晒され、ホームルームに居心地の悪さを感じて教室に居づらかった頃に比べたら、今はこうして一日の授業が終わった後に教室に残っていても平気だった。だから、この雨や気持ちの重さの原因はきっともう別のところにあるのだろう。それに、その地点も何となく分かっていたのだけれど、それを原因とはっきり言ってしまっていいのか、アオイは判断しかねていた。
「あのさ」
 とアオイは声を掛けてくれたエリーとリアに対して真っ直ぐに座り直す。
「二人が私に『気になる人いる?』って言ったのは、つまるところ私に好きな人がいるか訊きたかったってことなんだよね?」
「……うん」
 二人は神妙な顔つきになって頷いた。回りくどい訊き方をして周囲を振り回す結果になったことは反省しているようだった。
「私、その『好き』とかいうのはまだよく分からないんだけど、あの日ペパーに好きな人がいるって聞いてから、ずっとこんな風に暗い気持ちで……でも、ペパーのことは大切な友達だから、どうしてこんな気持ちが続くのか分からなくて。だって友達の好きな人だったら、二人がしてくれたみたいに応援すればいいんでしょ? でもどうしてもそういう気分にはなれないんだ」
 アオイが自分の心境をぽろぽろと零すのを聞くと、先ほどまでの反省の色はどこへやら、エリーとリアはお互いの手を取り合ってきゃーっと色めき立った。
「それってさ」
「やっぱりアオイちゃん、あの先輩のこと好きなんじゃない?」
「うーん、ほんと、どうなんだろう……」
 そこでアオイは二人に問うてみることにした。
「ねえ、二人は好きな人、いるの?」
「うん」
「じゃあさ、誰かを好きになるのってどんな感じなの?」
「そうだなあ……」
 アオイの問いに、二人はそれぞれの想い人のことを考える。
「何もしてなくてもその人の顔が思い浮かぶとか、その人の顔が思い浮かんだだけで心がきゅんとして何も手につかなかったり、逆に何でもがんばろうって思ったりするとか」
「ほんのちょっとした共通点を見つけたりとか、顔を見れたり声を聞けたりしただけで嬉しいとか」
 ああ、そういうことなんだ。
 アオイの心にそう映る人は、一人しかいない。
「あっ、わかる、今日アカデミーにいるんだって分かるだけでめちゃくちゃテンション上がる!」
「でしょ?」
 と二人が惚気る傍らで、アオイは、そうか、やっぱり私は……と今までのペパーを見たときに起こる様々な感覚に納得がいって、その気持ちを噛み締めていた。
 会えない日が続いて寂しいと思うのも、その姿を、たとえあの大きなリュックサックやブーツの爪先でさえも、ちらっと見かけるだけで目の奥に電撃が走ったように世界が色鮮やかに見えて心が弾むのも、その笑顔が太陽のように眩しすぎて時々まともに見られないことがあるのも、全部、ペパーのことが好きだからなんだ。今までも、もしかしたらずっと前から、きっとそうだったんだ。

「じゃあ、また明日!」
「また今度先輩との話聞かせてね!」
 と二人と別れてから、初めて触れた気持ちをどうしたらいいのか分からず、離さないようにしっかりと、それでいて破れ零れてしまわないように手のひらにそっと包んだままアカデミーの中を歩いていると、アオイの心を浮き立たせているまさにその人に鉢合わせてしまった。
「おっ、アオイじゃねえか」
 アオイに気付いたペパーがずんずんと近付いてきて、アオイは体の内側から燃えるように熱くなって全身から汗が噴き出そうになる。わっ、わっ、なんて話せばいいんだろう?
「なんか久しぶりちゃんだな」
 とか何とか言いながら、ペパーが何の迷いもなくアオイの真正面に立つから、どぎまぎしてしまって思わず視線が逸れる。ペパーと顔を合わせるのはいつぶりだろう。最近はアオイの方から避けてしまっていたから。
 ……っていうか、えっ、なんか、近くない? 今までもこんなに近かったっけ? 初めて気付いた二人の間のわずかしかない距離。それを意識したら顔が耳まで熱くなって、心臓はどくどくと荒く速く波打った。
 何も言えないまま視線を彷徨わせているのを怪しく思われたくなくて一刻でも早くここから走り去ってしまいたいけれど、それはそれで何事かと訝しがられそうでできないでいる。すると、
「ピクニック行くか?」
 といつもと変わらない調子の声がしたから、アオイは、
「い、行く」
 と、やっとやっと答えた。そう、アオイにペパーとのピクニックを断る理由はないのだから。

 それから後のことは、頭がいっぱいになってしまってよく覚えていない。ペパーと何を話したのかも、いつものように作ってくれたサンドウィッチの味も曖昧だった。サンドウィッチを受け取るときにお互いの指先が触れてしまわないようにとか、サンドウィッチの具をこぼさないように食べなきゃいけないとか、どきどきしているのが気付かれてしまわないかとか、そんなことを気にしてばかりいた。
 ペパーと別れ、夕方になって寮の部屋に戻ると、アオイはベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。窓から差し込む強い西日に目を細めながら、ペパーが自分に向けてくれた笑顔や言葉を丁寧に包んで心の中に仕舞うようにそっと手を握る。
 良かった、なんとかなった、とほっとするのと同時に、少し期待外れのような気持ちもあった。ペパーのピクニックでの振る舞いはいつもと変わらなかったからだ。でも、それは仕方がない。アオイがアオイ自身の気持ちに気付いたところで、ペパーに何かしらの変化が起こるわけではないから。
 それに、ペパーの方から声を掛けてくれたという事実でアオイは十分だった。それだけじゃない。ペパーが自分を見つけた瞬間に笑顔になって大股で近くに来てくれたことや、ピクニックに誘ってくれたことを思い出すと、アオイの心はくすぐったくなるような嬉しさに満たされ、空に浮かぶ雲や星々に届きそうなほどの高揚感に溢れるのだった。たとえそれがいつもと何ら変わりのない、見慣れたペパーの行動であったとしても。
 そしてその気持ちはいきなり地の底まで深く沈み込んで押し潰されそうになる。また今度誘われたときは? そのときこそ気持ちが抑えきれず溢れ出て悟られてしまうかもしれない。かといって隠そうとすればするほど行動がぎこちなくなって変なやつだと思われてしまうかもしれない。それは恥ずかしくて耐えられない。でも、やっぱりピクニックはしたい。今日は何を話したのか頭から飛んでいってしまうくらい舞い上がってしまったけれど。
 アオイは初めて手にした、次々と揺れ動く感情を手のひらの上で転がしながら、これをどうすればいいんだろう、と持て余していた。転がすたびに万華鏡のように様々な表情のペパーがアオイの頭に浮かんでは消えていく。
 ピクニックに誘ってくれたときの笑顔や、マフィティフを撫でるときの優しい眼差しや、秘伝スパイスの本を読んでいるときの真剣な顔つき。ううん、表情だけじゃない。明るくて元気な声も、料理をしているときの手さばきもみんな、好きだ。
 そしてアオイの心に一番印象強く残っているのは、エリアゼロでの大冒険からの帰り道で見たペパーの顔だった。ペパーのあんなに気を落としている表情は見たことがなくて、アオイも心が締め付けられるように苦しくなった。でも、ペパーのその悲しみは、研究所で共に事実を知った自分なら一緒に受け止めてあげられるのかもしれない。これからどんなつらいことがあっても私が一緒にいるし、守ってあげたい。私が勝手にそう思っているだけだけど。だって、太陽のように笑っているペパーをいつまでも見ていたいんだ。
 アオイはうつ伏せていたベッドからゆっくりと起き上がる。部屋に差し込む夕日が、机の一番見やすいところに置いてある、大切な思い出が詰まったフォトスタンドに反射していた。ペパーは今何をしているんだろう。もう寮に帰ってきているのかな。だとしたら、そろそろ夕飯を作っているかもしれない。マフィティフも一緒に食べるのかな。マフィティフといえば、ペパーはレポート課題はあれからどれくらい進めているんだろう。私もやらなくちゃ! まずは旅の初めから……。
 そうしてレポートを怒濤の勢いで書き始め、区切りのいい場所まで進めたところで就寝時間になった。ノートを鞄に仕舞い、明日のためにベッドに入って眠りにつく。それまでずっと、アオイの心の中にはペパーがいた。

 そんなアオイのささやかで初々しい物思いは、ピクニックに行こうとペパーを誘うためにアカデミーのどこかでペパーとすれ違えることを期待しながら過ごす日が何日続いたある日、突如にして崩れ去った。
 アカデミーの階段を駆け降りていたアオイは、廊下に繋がる曲がり角の先からペパーの声がするのを聞いて、ふわりと浮き立つ気持ちを抑えながら「ペパー!」と声を掛けようとした。でも、それはその先にある光景を見てかき消される。壁の陰から覗いた先には、ペパーが2‐Gの先輩たち、つまり彼のクラスメイトと談笑する姿があった。
 それを見た途端、アオイは思わず踵を返してしまった。そして自分がそこにいたことを、自分がペパーに背を向けたことをペパーに気付かれないように、全速力で階段を駆け下りる。いつかと同じように顔が熱くなって心臓も早鐘を打つけれど、凍り付いたように冷え切った心と、わけも分からず泣き出してしまいそうになる気持ちが、以前のものとは違うということを教えてくれている。
 どうして今まで忘れてたんだろう。ペパーに好きな人がいるってこと。
 自分の気持ちに気付いてからなぜかすっかり忘れ去ってしまっていた、リアが発した「あの先輩、好きな人いるみたいだよ?」という言葉が改めてアオイの頭を強く打ちつけた。リアのその言葉を聞いた後、暗い気持ちになっていたのは、たぶんその頃にはもう、アオイが気付いていなかっただけで本当はペパーのことが好きで、ペパーの好きな人はきっと自分ではないのだろうとアオイも分からないほどの心の奥底で感じていたからだった。
 あの中に、ペパーの好きな人、いるのかな。
 アオイが先輩たちと一緒にいるペパーの姿を見たのは一瞬のことだった。それでも、消えないインクで描きつけられたように強く深くアオイの頭に残った。
 ペパーがあの笑顔を誰かに向けているところなんか見たくなかった。だけど、私がペパーの行動を制限することなんかできない。ペパーがどう生きようがペパーの自由だ。
 エリアゼロでの壮絶な大冒険を終えた後、やはり博士との別れは心に重くのしかかったのか、少しの間ペパーは塞ぎ込んでいたけれど、それは本当にほんの少しのことで、気付けばペパーは毎日学校に来るようになって笑うことも増えた。
 パルデアの現代社会を支える技術の研究、発明をした博士の息子であるという時点で既に注目を浴びている上に、顔立ちも良く料理もできてポケモンも強いペパーが密かに人気を集め始めるのにさして時間はかからなかった。本来人柄がいいというのはアオイもよく知っているし、学校に来てくれるようになったのも嬉しかった。だから、アオイは初めは友達としてそれを誇らしく思っていた。
 でも、今は心の奥底がじりじりと焼けるような思いだった。あの笑顔も、あの笑い声も、今までずっと私に向けられてきたものだったのに!
 ペパーにわいわいと話しかける先輩たちの姿を思い出しながら、あなたたちはペパーの何を知ってるっていうの? と頭の中で大声で問いただす。彼の相棒のマフィティフが大怪我をしていたこと、そのマフィティフを助けるために必死になって治療法や秘伝スパイスを探していたこと、そしてペパーと博士のこと、何にも知らないくせに!
 そう責めるように憤ったところではっとして、目的地もなく闇雲に走り続けていたアオイの足は止まった。はあはあと荒い呼吸で胸が痛む。
 私だって、ペパーの何もかもを知っているわけじゃない。私だって知らないことの方が多い。出会う前のことだって、どんな境遇だったのかを聞いただけで実際にどんな風に生きてきたのかは想像しようもない。
 そしてあの人たちは、ペパーが普段どういうふうに授業を受けているかとか、クラスの中でどんな立ち位置なのかとか、私が知らないこと、知りようもないことを知っている。
 自分からあの輪の中に割って入ることもできないで、むしろあの輪を見ただけで逃げ出してしまった癖にこんな妬みにまみれた気持ちを抱いている私はひどく惨めで情けない。私だってペパーのことを好きだと気付いたのはほんの少し前のことなのに。アオイは自身の両腕をぎゅっと強く抱く。こんな私にペパーが振り向いてくれるはずないよ。
 アオイの頭に先ほどのペパーの笑顔が焼き付いて離れない。いつか雲に覆われていたアオイの心をすっきりと晴れ渡らせてくれたのと全く同じはずの笑顔が、今はアオイの心を激しい暴風雨に見舞っていた。

 

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【ペパアオ小説本新刊サンプル】春よどうか青くあれ
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▼目次
P2 プロローグ
P3 1、春一番は唐突に吹く
P4 2、心の晴れ間
P5 3、噂が噂を呼んで
P6 4、あひみての

▼本作の内容についての注意点
・本作の時間軸はストーリークリア後、学校最強大会後になります。
・ゲーム本編で言及されていない設定の勝手な付け足しがあります。
・オリジナルの名ありモブトレーナー(アオイのクラスメイト)が全編に渡って登場します。
・筆者の初プレイ時を基にアオイの手持ちポケモンを設定しています。

▼本書の仕様
・カバー付き文庫本(A6)
・全年齢、全編書下ろし中~長編小説本
・本文144ページ
・頒布価格 800円(頒布価格に加えて匿名配送サービス料350円が必要になります)
・頒布方法 pictSPACEでの通販(イベント当日はpictSQUAREの店舗からご注文いただけます)

▼備考
・イベント後は一旦pictSPACEの店舗を閉じ、在庫数の確認ならびに店舗の編集を行います。イベント後の通販受付再開は5/8(月)12:00を予定しています。
・注文可能部数はお一人様につき1部までとさせていただきます。
・pictSPACEでの通販はヤマト匿名配送のみの取り扱いになります。直接配送はこちらの都合により取り扱っておりません。ご了承ください。


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プロローグ


「そうだアオイ、知ってるか?」
 雲一つない青空の下、アオイがペパーの作ってくれたサンドウィッチをめいっぱい頬張っていると、ペパーが突然そう切り出した。
 今日の最後の授業だったバトル学の実践授業を一緒に受けた後、体を動かしてお腹が空いたからとアオイはいつものようにペパーをピクニックに誘ったのだった。
それにしてもさっきのポケモン勝負はびっくりした。実践授業で戦ったクラスメイトの男子が、彼のポケモンにレベルアップやわざマシンでは覚えさせられない技を覚えさせていたから。それでもそんなことで動揺して自分のポケモンへの指示を誤るようなことはない。こちらの意表を突くような戦い方は今まで何度もされてきたし、それをずっと掻い潜って勝利を掴んできたのだから。
 そんな痺れるバトルを制した後に食べるペパーのサンドウィッチは一層おいしい。そうしみじみと味わっているところに、先ほどの問いが放たれたのだった。
「知ってるかって、何を?」
「課外授業が始まってもう結構経っただろ。だからさ、そろそろアレを出さなきゃいけない時期なんだよ」
「アレ?」
 課外授業の宝探しは今回が初めてだったアオイには、当然の疑問だった。
「あー、あれだ、宝探しで何をやって何を考えたか、みたいなことをまとめるレポートだ」
「そんなの書かなきゃいけないんだ。……なんか大変そうだね」
 ジム巡りにスター団とのケンカに秘伝スパイス集めに、それからエリアゼロでの大冒険と、アオイは自分が歩いてきた広大で長い道のりを思い出して、果たしてまとめきれるのだろうか、と心配になる。
「アオイは特にそうだな……」
 ペパーもアオイが書かなければならないレポートの量を想像して気の毒そうな顔つきになった。
「まあ、まとめきれなくてもアオイがやってきたことは校長せんせが分かってくれてるし、大事なのはどれだけ濃い体験をしてきたかってことだろ? それに、秘伝スパイス探しのことについては安心していいぜ、オレがまとめたのを見せてやるからよ」
「うん、ありがと、助かる~」
 アオイはそう言ってまた一口サンドウィッチを齧りながら、レポートか、と心の中で復唱した。きっと先生に見せるものだから提出期限もあるのだろう。それまでに書ききれるだろうか、という不安の隅に、少しだけ楽しみな気持ちがあった。あるいは大切な宝物を見つけることができた冒険の思い出をしっかり記録するいい機会なのかもしれない、と。


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1 春一番は唐突に吹く


「アオイちゃんって、気になる人いる?」
 全ての始まりはクラスメイトのその一言だった。
 由緒正しく歴史は深い、格式と伝統のあるアカデミーといえど、そこに通う学生は押し並べてお喋り好きで噂好きであった。いや、実は案外、ずっと昔からそうだったのかもしれない。勉強のこと、ポケモンのこと、そして自分の周りにいる人のこと。一度話を始めたら止まらない。とかく学生というものは、いつの時代も、どこの生徒でも、きっと同じようなものなのだろう。
「気になる人?」
 そう、これはいわゆる「恋バナ」であった。アオイはこれがいわゆる恋バナであるとは微塵も思わなかったし、そもそも恋バナとは何かすら分かっていなかったのだけれど。
「そうだなあ……」
 だから、何となく口にしたその答えが周囲を巻き込んであんなことになるなんて、想像できるはずもなかった。



 課外授業の宝探しが始まってから何ヶ月か経ったある日、大事な連絡があるから各自のホームルームへ行くように、とアカデミーの全生徒に通知があった。きっとペパーが言ってたあのことだ、と思いながらアオイも自分のホームルームである1‐Aへ向かう。
「おはようございます!」
 と元気よく挨拶をして教室に入ると、既に多くのクラスメイトが集まっていて、それぞれ「宝探しどうだった?」「図鑑埋まった?」「ポケモン見せてよ!」などと盛り上がっていた。
 アオイは自分の席について周りを見回す。アオイと同様に宝探しを終えてアカデミーの通常日課で授業を受けていてしょちゅう顔を合わせている人もいれば、まだまだ冒険の途中だそうで久しぶりに顔を見る人もいた。
 宝探しが始まって以来初めて全ての席が埋まった教室はとても賑やかだ。開け放した窓から入ってくる風に乗って生徒たちの楽しげな声はより一層響いて、カーテンも踊るようにはためいている。
 アオイも隣の席の生徒と言葉を交わしていると、
「みなさん揃いましたかねえ」
 と段ボール箱を抱えたジニアが教室に入ってきた。
「ジニア先生、おはようございます!」
「おはようございます~。みなさん、課外授業の宝探しはどうですかあ?」
 ジニアの問いかけに生徒が口々に答え、ジニアはそれを聞いてうんうんと頷く。
「みなさんとても楽しんでいるようで、先生は嬉しいです~。まだ冒険し足りないという人もいるかもしれませんが、今日はみなさんに大事なお知らせがあって集まってもらったんです」
 そう言うと、ジニアは持ってきた段ボール箱からノートを取り出し、一人一冊ずつ生徒に配り始めた。途端に一部の生徒から「げっ!」「あっ、そうか!」と声が上がった。
「そうそう、もう知ってる人もいますねえ。宝探しをした後には、そのまとめとしてレポートを提出してもらうことになってるんです」
「わーっ、そうだった!」
「えーっ!」
 レポートの提出、と聞いて教室が一気に騒がしくなる。ジニアはそれをまあまあ、と宥めた。
「知っている人も知らなかった人も、落ち着いて聞いてください。レポートと言ってもそんなに難しく考えなくて大丈夫ですから。自分が宝探しで何を見つけたのか、何を感じたのかを自由に、自分なりにまとめればいいんです。文章だけじゃなくて絵を描いたり、写真を貼ったりしてもいいですよ。先生たちもみなさんが宝探しでがんばっていることは見聞きしていますが、何をして何を考えたのか、より詳しく知りたいですからね~。もちろん、まだ宝物を見つけられていないという人もいると思います。でも、焦る必要はありません。レポートの提出も大切ですが、宝探しで得られる経験の方がもっと大切ですから。まだまだたくさん冒険してきてくださいねえ」
 そこまで話して、ジニアは一度教室を見渡した。
「そうだ、何か訊きたいことがある人はいますか?」
「はい!」
 ジニアの問いに、ネモが大きく手を挙げる。
「はい、ネモさん、なんでしょうか」
「ジニア先生、レポートの提出期限はいつですか?」
「ああ、いけない、また大切なことを伝え忘れてました。締切は今日から三ヶ月後です。みなさん、自分の宝探しの道のりをじっくり振り返ってみてくださあい。自分が行ってきたところにもう一度行ってみるのも、また新しい発見があって面白いかもしれませんよ」
 連絡はこれでおしまいです、今日はこの後の授業はないので自由に過ごしてくださいねえ、と言ってジニアが教室を出ていくと、教室は一斉に、どうやってまとめよう、とか、早く宝物見つけなくちゃ、とまた騒がしくなった。
 アオイは本当にペパーの言う通りだった、と自分のこれまでの歩みを思い出して気が遠くなりそうになる。一体どこからまとめればいいのやら。
「あれ、アオイ、そんなに驚いてはない感じ?」
 斜め左前の席に座るネモがアオイを振り返って聞いてくる。
「うん、ペパーから宝探しのまとめがあるってことは聞いてたんだ」
「そうなんだ、でもジム巡りとスター団のことと秘伝スパイス集めと、それからエリアゼロのことって、全部まとめるの大変そう……」
 ネモが指を折りながら数えるのを聞いて、アオイはやるべきことの多さを再び実感して思わず深いため息を吐いて机に伸びる。
「そう、今ちょっとどうしようかって思ってた……ペパーが秘伝スパイスのことは見せてくれるって言ってたんだけど」
「じゃあ、どうしても間に合わなさそうだったら、私はジムリーダーたちの手持ちポケモンとか、チャンピオンテストの内容とか見せてあげるよ。あ、エリアゼロのポケモンたちとか、博士の研究のこととかもね」
「ありがと、ネモ。助かる~」
「じゃあ、私、これからポケモン鍛えに行くから! またね!」
「うん、またね!」
 アオイはネモが教室から走り去っていくのを手を振って見送る。この後は自由にしていいと言われた教室は既に人影もまばらになっていて、私もポケモン探しに行こうかな、と荷物をまとめていると、
「アオイちゃん、ちょっといい?」
 と近くの席の二人の女子生徒に声を掛けられた。
「うん、どうしたの?」
 アオイが声のした方を振り向くと、エリーとリアという二人の女子生徒の姿があった。二人とも宝探しを終えてアオイと一緒に通常日課の授業を受けている生徒だ。何度か短い会話をしたこともある。
「アオイちゃん、これから一緒にご飯食べない?」
 その誘いに、この後特に予定のないアオイはうんと頷いた。
「いいよ、行こう!」
「やった! いつかアオイちゃんとゆっくり話してみたいと思ってたんだ」
「じゃ、早速食堂行こう!」
 そうして三人は連れ立って学生食堂へ向かい、一緒に昼食を食べながら、宝探しはどうだったかと話をした。
「そういえば、アオイちゃんってチャンピオンランクになったんだよね、おめでとう!」
「うん、ありがとう!」
「すごいなあ、私たちのクラスにチャンピオンランクが二人もいるなんて。しかもアオイちゃんは転入してきたばっかりなのにあっという間にどんどん強くなっちゃってさあ……」
「どうしたらそんなにポケモン強くなれるの?」
「私は……ネモが強くなろうってずっと言い続けてくれてたからかな」
「そうなんだ~。ネモちゃんも生徒会長でチャンピオンでかっこよくてすごいよねえ」
 そんな話をしながら、アオイがもう少しでサンドウィッチを食べ終わるというところで、
「そうだ、アオイちゃんにずっと訊きたかったんだけど……」
 とエリーが急に声を潜めた。アオイも思わずサンドウィッチを食べる手を止めて真剣な表情になる。
「アオイちゃんって、気になる人いる?」
「気になる人?」
 これはいわゆる「恋バナ」であったのだけれど。
「うん、うちのクラスで」
「うちのクラスで? そうだなあ……」
 これがいわゆる恋バナであるとは微塵も思わなかったし、そもそも恋バナとは何かすら分かっていなかったアオイは、同じクラスの人、と言われてふと思い浮かんだ男子生徒の名前を、
「ウィルくんかなあ」
 と何の気なく口にした。すると二人は、
「えーっ! そうなんだ!」
「意外~!」
 と急に色めき立った。アオイは二人の大仰な反応に驚く。アオイとしては、バトル学の実践授業でウィルというクラスメイトの男子生徒が、彼のポケモンにレベルアップやわざマシンでは覚えさせられない技を覚えさせているのを見て、それが気になったのだった。
「わ~、そうなんだ……私、応援するからね!」
「私も!」
「う、うん……?」
 何か話が食い違っているような気がしたけれど、アオイはその違和感を上手く口にすることができなかった。
「そういえば、あんたはどうなってんの?」
「えっ、私? 全然まだだよ~。何度か一緒にピクニックはしたけど……」
「え~っ、それって脈アリじゃない!? 早く告白しなよ~」
「ダメ、まだ無理!」
「なんでよ~」
「そう言うそっちだってさあ……」
 エリーとリアの会話を何となく耳に入れながら、これがいわゆる「恋バナ」であると知らないアオイは、これから起こることを想像できるはずもなく、サンドウィッチの最後の一片を口に放り込んでもぐもぐと咀嚼しながら、今日の午後はどうしようかと気楽に考えるだけだった。


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2 心の晴れ間


 その翌日からアオイを取り巻く周囲の雰囲気は一変した。
 アオイは「気になる人いる?」という問いにウィルの名を、ただ一人の男子生徒の名を答えただけだった。それなのに、いつどこで広まったのか、昨日話をしたエリーとリア以外の女子生徒からも、顔を合わせるなり「がんばってね!」「アオイちゃんなら大丈夫だよ!」などと言われる始末だった。
 それに対して、何のことか分からないくせに「ありがとう……?」と返すアオイもアオイだった。「どういうこと?」とか一言聞き返しさえすれば誤解は解けただろうに。
 そうしてその日の授業から、アオイはことあるごとにウィルの方へ何とはなしに押しやられてやたらと一緒にされるようになってしまった。
 バトル学の実践授業では対戦相手としてお互いのポケモンの技を出し合ったり(これはウィルのポケモンをよく見ることができるからアオイにとっても好都合だったけれど)、美術の授業では同じグループで各自の出来上がった作品の感想を言い合ったり、挙げ句の果てにはエリーとリアとウィルの友人数人と一緒に昼食を食べる事態になった。
 あれ? 何かおかしなことになってない? とアオイは不思議に思ったけれど、アオイはまさか自分のあの一言が原因でこんな事態になってしまっているとは思いもよらなかった。だってアオイは、エリーの「アオイちゃんって、気になる人いる?」という問いにただ何となくウィルの名を口にしただけなのだから。
 アオイとウィルをやたらと引き合わせようとするこの事態は、アオイの好きな人を知りたい、そしてできたら恋を叶えてあげたい、主に女子のクラスメイトたちの心優しいおせっかいによるものだった。ほんの数ヶ月前に転入生としてアカデミーにやってきて、あっという間にチャンピオンまで登りつめていった、そんな時の人のことなんて何でも知りたいし、さらに恋愛に関わる話なんて誰もが気になるに決まっている。そしてその好きな人が存外身近にいると分かれば、恋を成就させようとあれこれ奮起するのも仕方がない。
 問題は、アオイは恋バナ、もとい恋愛感情とはどんなものなのかすら分かっていないから、ウィルに対して恋愛感情を抱いているはずもなく、女子生徒たちの奮闘にアオイは困惑するばかりで、お互いが完全にすれ違ってしまっているということだった。
 女子生徒たちからは好奇心と期待の眼差しを、男子生徒たちからはどことなく訝しげな目を向けられる、昨日までとはうって変わったクラスの異様な雰囲気にアオイはひどく気疲れしてしまって、せっかくの昼食もあまり喉を通らなかった。
 少し一人になろうと、購買部に行ってくると言い残してホームルームを出る。とは言っても一人になりたいだけだから本当に購買部に用があるわけではない。当てもなくアカデミーの廊下をふらついていると、ふと黄色の大きなリュックサックが目に入った。その瞬間、今まで心に掛かっていた分厚い雲が一気に晴れる感覚がして、アオイは、
「ペパー!」
 と大きな声でその持ち主の名前を呼んだ。
「うおっ、アオイか」
 アオイの心が雨上がりの空のように青く澄み渡っているとすれば、アオイの声に振り向いたペパーのその笑顔は燦々と輝く太陽だ。思わず目を細めてしまうほどに眩しくアオイの目に映った。
「なんか元気なさそうちゃんだけどどうしたんだ? 宝探しのレポートが大変だとか思ってたのか?」
「うっ、忘れてた……」
 また別の気がかりが出てきてアオイはがっくりと肩を落とす。昨日言われたばかりのことなのにすっかり忘れてしまっていた。それくらい、昨日までとうって変わった今日のクラスの雰囲気はアオイの心をひどく曇らせていたのだ。それでも、膨大な量の課題を思い浮かべてアオイがしゅんとしていたのは一瞬だった。
「でも大丈夫、ペパーを見たら元気出たから」
 そう、先ほどまでの息苦しい心地は、ペパーの顔を見て声を聞いたら嘘のようにどこかへ行ってしまった。
「ははっ、なんだそれ? じゃあ、せっかくだし外出てピクニックでもしようぜ」
 何か食べればもっと元気出るだろ、というペパーの言葉に、
「うん! 行く!」
 と答えると同時にお腹がぐう、と鳴った。ホームルームで昼食を食べたときは、考え事をしていたし気が重たくなっていたからあまり食べられなかったのだ。二人はアカデミーの外へ出るべく並んで歩き出す。
「それにしても、オレがいるってよく分かったな?」
「うん、ペパーって目立つから、すぐに分かったよ」
 それを聞いたペパーが、そうかな……? と言って自身の腕足に目をやるけれど、目立つというよりは自然と目を引くと言った方が正しいかもしれない。あの大きなリュックサックはどんな人混みの中でもペパーがここにいると教えてくれるのだ。
「そういえば、課外授業のレポートのこと、本当にペパーの言う通りだったね」
「だろ? ってかオレもちゃんとやらねえとなあ」
 実はもうまとめ始めてんだ、とノートを開いて見せてくれる。それを覗き込むと、まず目に入ったのは、ページのど真ん中に貼ってある、秘伝スパイスがあった場所の写真だった。いつの間に撮ったんだろう? その写真を囲むように、そこにどんなヌシポケモンがいたのか、どんな味の秘伝スパイスがあったのか、その秘伝スパイスを重傷だったマフィティフに食べさせてどんな効果があったのか、などが事細かに記されていた。
「お~、さすが先輩だね」
「こんなときばっかり先輩扱いすんなって」
 アオイが茶化し気味に感心すると、ペパーに帽子の上から頭をわしゃわしゃと撫で回された。砕けた口調の割に力が強い。もう、そんなにすることないじゃん、と帽子を取って乱れた髪を整えると帽子を被り直した。
「前のときは結局ギリギリに提出したから今回はちゃんとしようと思ってさ」
「あはは、私は気をつけよう」
 アオイはお返しだ、とばかりに明るく響く声で笑う。
「あ、そんな言い方してっとレポート見せてやらねえしサンドウィッチも作ってやらねえぞ」
「わーっ、ごめん! レポートは困る……」
「サンドウィッチはいいのかよ!」
「サンドウィッチも困るけど!」
 アオイは慌てて謝罪の言葉を口にするけれどペパーの意思は固く、テーブルシティの外に出てピクニックセットを広げ、サンドウィッチを作る準備ができても腕を組んだまま動かなかった。
 ピクニックに誘ってくれたのはペパーの方なのに、と憮然としながらアオイはバスケットからパンを取り出す。ペパーが作ってくれないなら自分で作るしかない。だってサンドウィッチを食べるためにピクニックに来たんだし。お腹の減り具合ももう限界だ。
 アオイは取り出したパンに荒くバターを塗って調味料を好きに掛けた後、ドスドスと音を立てて野菜を適当に刻むと、他の具材と一緒に高めの位置からドサドサとパンに落とす。さらにその上に強引にパンを乗せて出来上がりだ。野菜がいくつか皿を飛び越えてテーブルにまで転がってしまったけれど、これくらいなら味に問題はないだろう。そこそこの出来だ、と完成したサンドウィッチを頬張りながらペパーの方をみると、ペパーは信じられない、と言わんばかりに口をぽかんと開けていた。
「アオイ、サンドウィッチそんな作り方してるのか……?」
「そうだけど?」
 一人で冒険をしているときは、手持ちのポケモンたちと食べるために度々作っていたけれど、そういえばペパーの前で作ったのは初めてだった。でもそんな呆れ顔をされるほどのおかしな作り方だろうか?
 アオイは作ったばかりのサンドウィッチをぺろりと平らげ、さっそく次のサンドウィッチ作りに取り掛かる。テーブルの上にごちゃごちゃと並べた具材を狭いスペースでまともに固定できないままカットしようとすると、ペパーがガッとアオイの手を掴んでそれを制止した。
「あー! 見てらんねえ! 指でも切ったらどうするんだよ! せっかくの具材も飛ばしちまってもったいねえし! そんなんならオレが作ってやるからサンドウィッチ食いてえときはオレに言え!」
「えっ? いいの?」
 ペパーの言葉にアオイは目を輝かせる。自分で作ると何か味気なくて物足りないのだ。
「ピクニックに誘ったのはオレの方だしな」
「やったー!」
 やはりペパーが作ってくれたサンドウィッチの方が圧倒的においしかった。同じ具材を使っているはずなのに何が違うんだろう?
「おいしかった~! ごちそうさま!」
 アオイは丁寧に手を合わせてお礼を言った。お腹も心もすっかり充足感に満たされている。
 ペパーと一緒にいると本当に元気が出る。おいしいサンドウィッチが食べられるからだけではない。それはもっと根本的なところ、心の奥底から自然と溢れてくる。特別な何かをしていなくても、一緒にいるだけで気持ちが安らいで、楽しくて、自然と笑顔になれて、元気が湧いてくるのだ。今日ペパーに会ってからは、ホームルームの雰囲気に気疲れや息苦しさを感じていたことも、どうしてそんな気疲れや息苦しさを感じていたのかも、すっかり忘れてしまったくらいに。
「おう、またいつでも呼べよ」
「もちろん!」
 アオイは大きく頷く。そして満ち足りた感覚を反芻するように深く息を吸って吐く。草原に吹き渡る風は夕暮れに向けて少し涼やかさを増してきていた。


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3 噂が噂を呼んで


 その翌日も、またその翌日も、アオイとウィルの二人がことあるごとにセットにされる現象は続いた。
 ホームルームでも移動教室でも、一歩教室に足を踏み入れればクラスメイトたちの視線が一斉に集まって、その妙な一体感のある期待や疑念に気が滅入ってしまう。それでも、授業は受けに行かなければならない。アカデミーの通常日課だから、という以上に、チャンピオンとしての矜持や自戒の念があった。
 気持ちが塞いでしまうから授業に行きたくないと言って欠席することもできる。でも、チャンピオンである自分がそんなことで授業をさぼって逃げるようなことはしたくない。チャンピオンテストで合格をくれた四天王とオモダカや、チャンピオンになった功績を称えてくれたクラベル校長や、何より同じチャンピオンでライバルであるネモに示しがつかないからだ。
 それに、チャンピオンという輝かしい立場であるからこそ、ちょっとしたことで他の生徒たちの反感を買い、陰口や敵視の対象になりやすいということもあった。チャンピオンって授業さぼっていいんだ、と嫌味を言われ、今度はクラス中に白い目で見られるようになってしまうかもしれない。
 でも、その矜持だけでずっと耐えていられるほど、アオイの心はキョジオーンのようにがんじょうではなかった。教室の雰囲気ががらりと変わったあの日から、一日の日課が終わるとすぐに教室を飛び出し、アカデミーのどこかにいるペパーを探し出してはピクニックに誘ってサンドウィッチを作ってもらい、束の間の安らぎを味わって次の日を何とか耐えきる元気をたくわえるようになった。

 そんなある日の午後、授業が終わっていつものようにそそくさと教室を去ろうとしたとき、エリーとリアの二人に呼び止められてしまった。
「どうしたの?」
「あの子呼んできたからさ、ちょっと待っててよ!」
「今日こそ話しちゃいなよ!」
 あの子とは誰のことか、と廊下の遠くを見やると、ウィルがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。確かにウィルについて、というかウィルのポケモンについて気になることはある。でも、わざわざ呼び出してまで尋ねるようなことではないし、かといって呼び出されてせっかく来たのに何でもないと言ってそのまま帰すのも心苦しいし、と迷っているうちにウィルはだいぶ近くまで来ていた。すると、エリーとリアはえいや、とアオイの背中を押し、
「わっ!」
 アオイはそのあまりの勢いにバランスを崩してウィルの前に躍り出てしまった。
「だ、大丈夫かい、アオイさん?」
「ごめん、そっちこそ」
 アオイは体勢を立て直しながらエリーとリアを睨むが、どこかに隠れてしまったのかその姿は見当たらなかった。
 きっとウィルも脈絡なくここに呼び出されたのだろう、突然のことに戸惑っているようだった。このままでは申し訳ないと思って、また、せっかくの機会でもあるから、ずっと気になっていたことを訊くことにした。
「あのさ、私、ウィルくんがポケモンに覚えさせてる技が気になってて……あれってどうやったの?」
 レベルアップでもわざマシンでも覚えさせられないはずの技、あれは確かタマゴわざで、タマゴを作ることで他のポケモンを介して覚えさせることができるけれど、それを経由できるポケモンがパルデアには生息していない。だから、他の地方に簡単に行くことができる人でもなければ、覚えさせられる術はないのではないかとアオイは不思議に思っていたのだった。
「ああ、あれはね、タマゴから生まれた時点で覚えていなくても、後から覚えさせることができる道具があるんだよ」
 ウィルは気さくにそう教えてくれた。
「えっ、そうなの!? 知らなかった!」
「あはは、アオイさんでも知らないことってあるんだね。まあ、僕も人から聞いて試してみただけなんだけど……やっぱりこういうことはネモさんが詳しいんじゃないかな」
「確かに! ありがとう、今度ネモにも訊いてみるね」
「いやいや」
 アオイがお礼を言って二人が話を終わらせようとすると、
「ちょ、ちょっと違くない!?」
 と今までどこに隠れていたのか、エリーとリアが慌てて飛び出してきた。
「うわっ、なんだ!?」
「話、それで終わり!?」
「そ、そうだけど……」
「気になるってそういうことだったの?」
「うん、パルデアにいるポケモンだけじゃ覚えさせられないタマゴわざを覚えさせてたから、それってっどうやるのかなって思って」
「なによそれ~」
 と二人はあからさまに落胆して崩れ落ちた。
「気になる……? ははあ、さては君たち、アオイさんに恋バナでもさせようとしたんだな? ……あ、そうか、それで君たちがアオイさんが僕のことを好きなんじゃないかって勝手に勘違いして、僕とアオイさんをやたら引っつけようと仕組んでたんだな」
 やっと合点がいったよ、と笑うウィルに、アオイもそういうことだったのか、と納得した。でもまだ分からないことがある。
「ねえ、こいばな、って何?」
「あちゃー、その次元だったか」
 エリーはがっくりと床に膝をつき、リアは額に手を当てながら天井を見上げる。それを傍目にウィルが教えてくれた。
「恋バナっていうのは、恋に関する話、例えば誰々が誰々を好きだとか誰と誰が付き合ってるだとか、自分とかお互いの好きな人についての話のことだねえ」
「そうなんだ」
 やれ好きだとか嫌いだとか、惚れた腫れただとかはものすごく遠い、まるで縁のない世界の話のように思っているアオイは気のない相槌を返した。
「そんな無理に聞き出すこともなかったんじゃない? アオイさんも困ってたんじゃないの?」
 やれやれ、と首を横に振るウィルに、エリーとリアは、なによう、と反論する。
「だって、アオイちゃんの恋バナなんて最高に聞きたいし、好きな人がいるのか知りたいじゃない?」
「いやいや、だからって僕がその対象になるわけないでしょ……」
「え~、でもちょっとくらいドキドキしたでしょ?」
「いや、僕は全然……あ、全然なんて言ったらアオイさんに失礼か、でもしちゃ駄目でしょ。チャンピオンのアオイさんと僕なんかじゃ釣り合いとれないし、何よりアオイさんって一個上の男の先輩とよく一緒にいるじゃない? あれを見ちゃったら他の男子はアオイさんとなんて夢も見れないよ」
「あ~、確かに。あの先輩とはどうなの、アオイちゃん」
 そう訊かれて、あの先輩……ペパーのことか、とアオイは思った。そしてさらっと答える。
「ペパーは大事な友達だよ」
 そう、一緒に強大なポケモンに立ち向かう冒険をして、二人で頻繁にピクニックをするくらいの。
「え~っ、あれだけ一緒にいといて友達止まりとかある?」
「君はちょっと黙ってなよ……さっきまで勘違いしてたくせに」
「うるさいわね!」
「……でも、あの先輩、好きな人いるみたいだよ?」
「えっ!」
 エリーが突然打ち明ける事実に、それを聞いた三人の驚きが共鳴した。
「……まさか、アオイちゃんを差し置いて?」
「うん、私のお姉ちゃんがあの先輩と同じクラスなんだけど、そういう話をしてるのを聞いたんだって」
「それこそ僕らみたいな勘違いとか、適当な噂なんじゃないの?」
「さあ、どうだか」
 アオイは三人の話を聞きながら、いや、聞いているつもりだったけれど、それ以降は耳に入らなかった。目の奥がぐらりと揺らぎそうになって一人呆然と立ち尽くす。ペパーに好きな人がいると聞いただけだ。それも人づてに聞いた単なる噂レベルの。
でも、アオイの心は深く深く沈み込んでいく。どうしてそんな風に気持ちが重くなるのか分からないまま、アオイの心には雨が降る前兆かのようにざわっと強い風が吹いて、体が内側から冷たくなっていくのを感じた。


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4 あひみての

 

 アオイの日常は平穏を取り戻した。アオイがウィルを好きだという噂がエリーとリアによる早とちりの勘違いだったと分かると、クラスメイトたちは途端にその件に関しての興味をなくし、アオイとウィルが他のクラスメイトたちによって一緒にされることはなくなった。今回の騒動でウィルと話すきっかけができ、そして仲良くもなったアオイは、友達として自らウィルと一緒にいることを選ぶことも増えたけれど。
 アオイの日常は平穏を取り戻した。アオイの心の中を除いて。
 あの日からずっと、アオイの心には一歩先も見えないほどの雨がざあざあと降り続いていて、雨が降る理由も、雨を止める術も知らないアオイはその雨に打たれ続けている。ペパーに好きな人がいる、そう聞いただけだ。それだけで、あんなにずっと一緒にいたはずのペパーがまるで知らない人になったように思えて、アカデミーで姿を見かけても声を掛けづらくなってしまった。
 そうしてペパーに会わない日、ペパーと話をしない日が何日も続くと、アオイの心は栄養不足の花の芽のようにしおしおと萎れていくようだった。
 それはそうだ。日の光を浴びていないのだから。以前、生物の授業でポケモンが育つ、つまり経験値を得る方法について習ったとき、その関連事項として植物が成長する条件についても学んだ。いつかアオイの心に掛かる分厚い雲を一瞬で吹き飛ばしてくれたあの笑顔はまさしく太陽だった。そんな日の光を何日も浴びていないとなればアオイの心が萎んでしまうのも無理はない。
 パルデアに来てから、こんなに何もかもが味気なく感じ、何をしていても楽しくない日々を過ごしたことなんてあっただろうか? ホームルームの電子黒板に貼ってある「レポート提出期限まであと二ヶ月」と大きく書かれた紙をぼうっと眺め深いため息をついていると、エリーとリアに声を掛けられた。
「アオイちゃん、最近元気ないよね。大丈夫?」
「うん、なんか気分が重くって……」
 先日まで感じていたものとはまた違った重さだった。クラスメイトの好奇心の目に晒され、ホームルームに居心地の悪さを感じて教室に居づらかった頃に比べたら、今はこうして一日の授業が終わった後に教室に残っていても平気だった。だから、この雨や気持ちの重さの原因はきっともう別のところにあるのだろう。それに、その地点も何となく分かっていたのだけれど、それを原因とはっきり言ってしまっていいのか、アオイは判断しかねていた。
「あのさ」
 とアオイは声を掛けてくれたエリーとリアに対して真っ直ぐに座り直す。
「二人が私に『気になる人いる?』って言ったのは、つまるところ私に好きな人がいるか訊きたかったってことなんだよね?」
「……うん」
 二人は神妙な顔つきになって頷いた。回りくどい訊き方をして周囲を振り回す結果になったことは反省しているようだった。
「私、その『好き』とかいうのはまだよく分からないんだけど、あの日ペパーに好きな人がいるって聞いてから、ずっとこんな風に暗い気持ちで……でも、ペパーのことは大切な友達だから、どうしてこんな気持ちが続くのか分からなくて。だって友達の好きな人だったら、二人がしてくれたみたいに応援すればいいんでしょ? でもどうしてもそういう気分にはなれないんだ」
 アオイが自分の心境をぽろぽろと零すのを聞くと、先ほどまでの反省の色はどこへやら、エリーとリアはお互いの手を取り合ってきゃーっと色めき立った。
「それってさ」
「やっぱりアオイちゃん、あの先輩のこと好きなんじゃない?」
「うーん、ほんと、どうなんだろう……」
 そこでアオイは二人に問うてみることにした。
「ねえ、二人は好きな人、いるの?」
「うん」
「じゃあさ、誰かを好きになるのってどんな感じなの?」
「そうだなあ……」
 アオイの問いに、二人はそれぞれの想い人のことを考える。
「何もしてなくてもその人の顔が思い浮かぶとか、その人の顔が思い浮かんだだけで心がきゅんとして何も手につかなかったり、逆に何でもがんばろうって思ったりするとか」
「ほんのちょっとした共通点を見つけたりとか、顔を見れたり声を聞けたりしただけで嬉しいとか」
 ああ、そういうことなんだ。
 アオイの心にそう映る人は、一人しかいない。
「あっ、わかる、今日アカデミーにいるんだって分かるだけでめちゃくちゃテンション上がる!」
「でしょ?」
 と二人が惚気る傍らで、アオイは、そうか、やっぱり私は……と今までのペパーを見たときに起こる様々な感覚に納得がいって、その気持ちを噛み締めていた。
 会えない日が続いて寂しいと思うのも、その姿を、たとえあの大きなリュックサックやブーツの爪先でさえも、ちらっと見かけるだけで目の奥に電撃が走ったように世界が色鮮やかに見えて心が弾むのも、その笑顔が太陽のように眩しすぎて時々まともに見られないことがあるのも、全部、ペパーのことが好きだからなんだ。今までも、もしかしたらずっと前から、きっとそうだったんだ。

「じゃあ、また明日!」
「また今度先輩との話聞かせてね!」
 と二人と別れてから、初めて触れた気持ちをどうしたらいいのか分からず、離さないようにしっかりと、それでいて破れ零れてしまわないように手のひらにそっと包んだままアカデミーの中を歩いていると、アオイの心を浮き立たせているまさにその人に鉢合わせてしまった。
「おっ、アオイじゃねえか」
 アオイに気付いたペパーがずんずんと近付いてきて、アオイは体の内側から燃えるように熱くなって全身から汗が噴き出そうになる。わっ、わっ、なんて話せばいいんだろう?
「なんか久しぶりちゃんだな」
 とか何とか言いながら、ペパーが何の迷いもなくアオイの真正面に立つから、どぎまぎしてしまって思わず視線が逸れる。ペパーと顔を合わせるのはいつぶりだろう。最近はアオイの方から避けてしまっていたから。
 ……っていうか、えっ、なんか、近くない? 今までもこんなに近かったっけ? 初めて気付いた二人の間のわずかしかない距離。それを意識したら顔が耳まで熱くなって、心臓はどくどくと荒く速く波打った。
 何も言えないまま視線を彷徨わせているのを怪しく思われたくなくて一刻でも早くここから走り去ってしまいたいけれど、それはそれで何事かと訝しがられそうでできないでいる。すると、
「ピクニック行くか?」
 といつもと変わらない調子の声がしたから、アオイは、
「い、行く」
 と、やっとやっと答えた。そう、アオイにペパーとのピクニックを断る理由はないのだから。

 それから後のことは、頭がいっぱいになってしまってよく覚えていない。ペパーと何を話したのかも、いつものように作ってくれたサンドウィッチの味も曖昧だった。サンドウィッチを受け取るときにお互いの指先が触れてしまわないようにとか、サンドウィッチの具をこぼさないように食べなきゃいけないとか、どきどきしているのが気付かれてしまわないかとか、そんなことを気にしてばかりいた。
 ペパーと別れ、夕方になって寮の部屋に戻ると、アオイはベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。窓から差し込む強い西日に目を細めながら、ペパーが自分に向けてくれた笑顔や言葉を丁寧に包んで心の中に仕舞うようにそっと手を握る。
 良かった、なんとかなった、とほっとするのと同時に、少し期待外れのような気持ちもあった。ペパーのピクニックでの振る舞いはいつもと変わらなかったからだ。でも、それは仕方がない。アオイがアオイ自身の気持ちに気付いたところで、ペパーに何かしらの変化が起こるわけではないから。
 それに、ペパーの方から声を掛けてくれたという事実でアオイは十分だった。それだけじゃない。ペパーが自分を見つけた瞬間に笑顔になって大股で近くに来てくれたことや、ピクニックに誘ってくれたことを思い出すと、アオイの心はくすぐったくなるような嬉しさに満たされ、空に浮かぶ雲や星々に届きそうなほどの高揚感に溢れるのだった。たとえそれがいつもと何ら変わりのない、見慣れたペパーの行動であったとしても。
 そしてその気持ちはいきなり地の底まで深く沈み込んで押し潰されそうになる。また今度誘われたときは? そのときこそ気持ちが抑えきれず溢れ出て悟られてしまうかもしれない。かといって隠そうとすればするほど行動がぎこちなくなって変なやつだと思われてしまうかもしれない。それは恥ずかしくて耐えられない。でも、やっぱりピクニックはしたい。今日は何を話したのか頭から飛んでいってしまうくらい舞い上がってしまったけれど。
 アオイは初めて手にした、次々と揺れ動く感情を手のひらの上で転がしながら、これをどうすればいいんだろう、と持て余していた。転がすたびに万華鏡のように様々な表情のペパーがアオイの頭に浮かんでは消えていく。
 ピクニックに誘ってくれたときの笑顔や、マフィティフを撫でるときの優しい眼差しや、秘伝スパイスの本を読んでいるときの真剣な顔つき。ううん、表情だけじゃない。明るくて元気な声も、料理をしているときの手さばきもみんな、好きだ。
 そしてアオイの心に一番印象強く残っているのは、エリアゼロでの大冒険からの帰り道で見たペパーの顔だった。ペパーのあんなに気を落としている表情は見たことがなくて、アオイも心が締め付けられるように苦しくなった。でも、ペパーのその悲しみは、研究所で共に事実を知った自分なら一緒に受け止めてあげられるのかもしれない。これからどんなつらいことがあっても私が一緒にいるし、守ってあげたい。私が勝手にそう思っているだけだけど。だって、太陽のように笑っているペパーをいつまでも見ていたいんだ。
 アオイはうつ伏せていたベッドからゆっくりと起き上がる。部屋に差し込む夕日が、机の一番見やすいところに置いてある、大切な思い出が詰まったフォトスタンドに反射していた。ペパーは今何をしているんだろう。もう寮に帰ってきているのかな。だとしたら、そろそろ夕飯を作っているかもしれない。マフィティフも一緒に食べるのかな。マフィティフといえば、ペパーはレポート課題はあれからどれくらい進めているんだろう。私もやらなくちゃ! まずは旅の初めから……。
 そうしてレポートを怒濤の勢いで書き始め、区切りのいい場所まで進めたところで就寝時間になった。ノートを鞄に仕舞い、明日のためにベッドに入って眠りにつく。それまでずっと、アオイの心の中にはペパーがいた。

 そんなアオイのささやかで初々しい物思いは、ピクニックに行こうとペパーを誘うためにアカデミーのどこかでペパーとすれ違えることを期待しながら過ごす日が何日続いたある日、突如にして崩れ去った。
 アカデミーの階段を駆け降りていたアオイは、廊下に繋がる曲がり角の先からペパーの声がするのを聞いて、ふわりと浮き立つ気持ちを抑えながら「ペパー!」と声を掛けようとした。でも、それはその先にある光景を見てかき消される。壁の陰から覗いた先には、ペパーが2‐Gの先輩たち、つまり彼のクラスメイトと談笑する姿があった。
 それを見た途端、アオイは思わず踵を返してしまった。そして自分がそこにいたことを、自分がペパーに背を向けたことをペパーに気付かれないように、全速力で階段を駆け下りる。いつかと同じように顔が熱くなって心臓も早鐘を打つけれど、凍り付いたように冷え切った心と、わけも分からず泣き出してしまいそうになる気持ちが、以前のものとは違うということを教えてくれている。
 どうして今まで忘れてたんだろう。ペパーに好きな人がいるってこと。
 自分の気持ちに気付いてからなぜかすっかり忘れ去ってしまっていた、リアが発した「あの先輩、好きな人いるみたいだよ?」という言葉が改めてアオイの頭を強く打ちつけた。リアのその言葉を聞いた後、暗い気持ちになっていたのは、たぶんその頃にはもう、アオイが気付いていなかっただけで本当はペパーのことが好きで、ペパーの好きな人はきっと自分ではないのだろうとアオイも分からないほどの心の奥底で感じていたからだった。
 あの中に、ペパーの好きな人、いるのかな。
 アオイが先輩たちと一緒にいるペパーの姿を見たのは一瞬のことだった。それでも、消えないインクで描きつけられたように強く深くアオイの頭に残った。
 ペパーがあの笑顔を誰かに向けているところなんか見たくなかった。だけど、私がペパーの行動を制限することなんかできない。ペパーがどう生きようがペパーの自由だ。
 エリアゼロでの壮絶な大冒険を終えた後、やはり博士との別れは心に重くのしかかったのか、少しの間ペパーは塞ぎ込んでいたけれど、それは本当にほんの少しのことで、気付けばペパーは毎日学校に来るようになって笑うことも増えた。
 パルデアの現代社会を支える技術の研究、発明をした博士の息子であるという時点で既に注目を浴びている上に、顔立ちも良く料理もできてポケモンも強いペパーが密かに人気を集め始めるのにさして時間はかからなかった。本来人柄がいいというのはアオイもよく知っているし、学校に来てくれるようになったのも嬉しかった。だから、アオイは初めは友達としてそれを誇らしく思っていた。
 でも、今は心の奥底がじりじりと焼けるような思いだった。あの笑顔も、あの笑い声も、今までずっと私に向けられてきたものだったのに!
 ペパーにわいわいと話しかける先輩たちの姿を思い出しながら、あなたたちはペパーの何を知ってるっていうの? と頭の中で大声で問いただす。彼の相棒のマフィティフが大怪我をしていたこと、そのマフィティフを助けるために必死になって治療法や秘伝スパイスを探していたこと、そしてペパーと博士のこと、何にも知らないくせに!
 そう責めるように憤ったところではっとして、目的地もなく闇雲に走り続けていたアオイの足は止まった。はあはあと荒い呼吸で胸が痛む。
 私だって、ペパーの何もかもを知っているわけじゃない。私だって知らないことの方が多い。出会う前のことだって、どんな境遇だったのかを聞いただけで実際にどんな風に生きてきたのかは想像しようもない。
 そしてあの人たちは、ペパーが普段どういうふうに授業を受けているかとか、クラスの中でどんな立ち位置なのかとか、私が知らないこと、知りようもないことを知っている。
 自分からあの輪の中に割って入ることもできないで、むしろあの輪を見ただけで逃げ出してしまった癖にこんな妬みにまみれた気持ちを抱いている私はひどく惨めで情けない。私だってペパーのことを好きだと気付いたのはほんの少し前のことなのに。アオイは自身の両腕をぎゅっと強く抱く。こんな私にペパーが振り向いてくれるはずないよ。
 アオイの頭に先ほどのペパーの笑顔が焼き付いて離れない。いつか雲に覆われていたアオイの心をすっきりと晴れ渡らせてくれたのと全く同じはずの笑顔が、今はアオイの心を激しい暴風雨に見舞っていた。

 

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