投稿日:2020年12月31日 09:56 文字数:5,492
アンダードッグファイト
高専夏油と高専五条と高専夢主。
アンダードッグとドッグファイトをかけて。
水面下のドッグファイトと、アンダードッグ(負け犬、噛ませ犬、犬以下)のファイト(善戦)みたいなイメージ。
将来、非術師を「猿」と呼ぶ彼が、アンダードッグだったら面白いかなぁと。
夢小説作品
この作品は下記の登場人物の名前を変換することができます。
「小瑠璃って小さい上に弱いからさ。アリみたいにプチッとやられてないか、お前が任務のたびに俺は不安で不安で」
「言うに事欠いてアリ呼ばわり!? アリの穴から堤も崩れるってことわざをそのでっかい図体で再現してやろうかー!」
五条悟と月島小瑠璃。
この二人を犬に例えるなら、血統書付きのアフガンハウンドに向かって吠え散らかすポメラニアンといったところだろうか。
彼らの会話だけ聞くと小学生の男児と女児の口喧嘩のようだが、夏油の目の前では身長差およそ頭二つ分の男子高専生と女子高専生がギャーギャー言い争っていた。
同学年の硝子は慣れたもので、二人の口喧嘩が始まりそうな気配を察知すると、煙草の箱を片手に「じゃ、あとはよろしく」とその場からいなくなる。
硝子のように、面倒事に巻き込まれるのは御免とばかりにさっさと教室を出てしまえばいいと分かっているのだが、何かあったときに二人の間に割って入れるのは五条と同じ階級の自分だけだ。
小瑠璃は見た目通り肉弾戦の不得意な三級呪術師で、体力や運動神経は同年代の女子の平均か少し下回る程度。もうすぐ特級に手が届こうという異才の呪術師である五条には傷一つ付けられないだろう。そもそも、常に五条からの売り言葉に小瑠璃が買い言葉で応酬し、口喧嘩に発展するパターンなので、小瑠璃から積極的に仕掛けることはまずない。
問題は五条のほうだ。二人だけにすると小瑠璃へのからかいやちょっかいが行き過ぎてしまう可能性がある。
互いの背中を預け合うような任務では、五条は冷静な判断力で状況に即した最適解を瞬時に導き出す切れ者なのに、なぜ小瑠璃の前だと小学生レベルのただの悪餓鬼に成り下がってしまうのか。
『だから、あの二人だけにして、悟が構いすぎて失敗するくらいのほうが自分の気持ちを自覚するでしょ。傑がいつも良いところでストップをかけるから、あそこはいつまで経ってもガキの喧嘩止まり。──ねえ、それ、わざとだよね?』
ふと、休憩室で五条と小瑠璃の話になったときの硝子の手厳しい言葉を思い出し、夏油は苦笑いを浮かべる。
男女の仲が進展すれば往々にして恋人関係になるものだが、そのとき自分はどのように感じるか想像してみたが、胸にひたひたと冷たいものが押し寄せるような感覚だけで、具体的なイメージは湧かなかった。五条と小瑠璃の舌戦が、いまだに目の前で繰り広げられているせいかもしれない。
「もう絶交! 絶対に口利かない!」
「プッ。絶交だって。見た目だけじゃなく中身までガキかよ」
「身長と顔面に栄養偏りすぎて、中身が伴っていない五条くんより見掛け倒しじゃないだけ誠実だもんねー!」
「んー? あれー? 小瑠璃ちゃーん、俺と口利かないんじゃなかったのー?」
「…………夏油くーん!」
五条からの底意地の悪い返しを受けた小瑠璃は、救いを求める眼差しと声色で夏油のほうを振り返る。
夏油はいつものようにやれやれという表情を作り、五条から庇うように小瑠璃のそばに立つ。小瑠璃はすかさず安全な夏油の背後に回り込んで身を隠す。
「女子をいじめて悦に入って。ガキはお前のほうだよ、悟」
「そーだそーだ!」
「小瑠璃は悟の安っぽい挑発に乗らない。いいね?」
「はぁい……」
優しく諭す口調の夏油に対しては素直に返事をする小瑠璃。
その親しげな二人のやりとりが癇に障ったようで、五条は面白くなさそうにサングラスの上の眉根を寄せた。
「俺と傑じゃ、態度が随分違くない?」
「そりゃあ……人徳の差としか……」
「オイ、チビ。こっち来い」
「そっちがだいだらぼっちなだけで、私は小さくない!」
夏油を挟んだ二人の口論は止まらない。
夏油の仲裁で収まらないときは担任教師の夜蛾の登場により一時休戦となることが多いのだが、今日は任務で地方に出張しているため終わりが見えない。
「──小瑠璃。ほら、こっち来いよ。いじめないでやるから」
突然サングラスを外した五条は、透き通る碧眼を顕わにし、小瑠璃に向かってにっこりと微笑みかけた。
目元を覆い隠すものを取り去ると、雪花石膏を精緻に刻んだような白皙の美貌がより際立つ。顔立ちはもちろんのこと、見る者の魂の奥底まで覗き込むような、透徹した青い瞳がとりわけ美しい。
五条の人となりを知らなければ、時間を忘れて鑑賞していたい顔だが、その中身は同級生の女子に悪態をつきまくる悪童である。
「え、なになに、怖い怖い怖い……」
夏油の制服を掴む小瑠璃の手にはますます力がこもる。
小瑠璃の怯える様子に、五条はほんの一瞬だけ虚を突かれた表情になったが、すぐにニヤァと凶悪な笑い方をした。
浦島太郎に登場する悪餓鬼が浜辺でひっくり返っている亀を見つけたとき、こんな表情だったに違いない。
──そこからの五条の行動の素早さと殺気のなさは夏油が制止する暇すらなかった。
五条はその長い脚による大股一歩で小瑠璃の真横に接近すると、彼女の脇に手を入れてぬいぐるみのように軽々と持ち上げ、そして教室の壁に備え付けのフックに小瑠璃の制服の襟を引っ掛けてから手を離した。教室において、よく額縁に入れられた賞状や標語が飾られている、あの高さだ。
「えっ」
小瑠璃は目が点になっている。上履きを履いた自分の両足は床から50センチくらいのところに浮いている。フックに引っ掛けられた襟だけを支えに、吊るされた人形のようにぶら下がっている状態だった。
いまだに状況を把握できずに硬直している小瑠璃の目と鼻の先には五条の整った顔があった。今だけは小瑠璃のほうが五条より幾分か視線が高い。その超絶景ポイントから見る五条はまばゆいほどの笑顔だった。
「つつきまくるか、くすぐり倒すか。さぁ、お前でどうやって遊んでやろうかなぁ」
小瑠璃の背筋をゾッと冷たいものが駆け上がった。
口喧嘩ならまだしも、五条が実力行使に出てしまったら、肉体面でも能力面でも小瑠璃に勝ち目はない。
これまであまり感じることはなかったが、五条という男は圧倒的な強者で、今まさに小瑠璃の生殺与奪権を握っている。
「悟!」
小瑠璃の前では穏和な笑みを絶やすことのない夏油が、珍しく血相を変えて五条の肩を掴んだ。あわや一触即発か、というときだった。
『──五条悟、五条悟、昇降口前で補助監督が20分前から待機している。ただちに補助監督と合流し、任務に出発しなさい』
教室の天井に埋め込まれたスピーカーから響き渡った音声は無機質だったが、どこか苛立ちが込められているように聞こえた。
「悟……」
「五条くん……」
夏油と小瑠璃が五条を見る。
校内放送で名指しされた五条だけはケロッとした顔で「あ、忘れてた」と言う。
再びサングラスをかけると、ズボンのポケットに手を突っ込んで教室から出て行こうとした五条だったが、何かを思い出したようにピタリとその歩みを止めて小瑠璃のほうを振り返った。ちなみに小瑠璃はまだ宙ぶらりんの状態である。
「じゃあな、小瑠璃。続きは後でな」
「下ろしてから行けー!」
小瑠璃の怒声を背中に浴びながら、今度こそ五条は教室を出て行った。
五条の姿が見えなくなるまでは威勢を保っていた小瑠璃だったが、すぐに悄然と項垂れてしまった。
「夏油くーん……」
キューン、という悲しげな子犬の鳴き声が副音声で聞こえてきそうだった。
小瑠璃から名前を呼ばれた夏油はハッと我に返り、救出のために駆け寄る。
「ごめん。悟の行動が突飛すぎて私まで呆気に取られていた。ひどい目に遭ったね」
「ううう、五条悟、呪ってやるぅ……毎日おでこ鴨居に頭ぶつけろぉ……」
「はいはい。まずは掴まって」
首根っこを掴んで下ろすのはあまりにかわいそうなので、夏油は壁から吊り下げられた小瑠璃の前に立つ。
すると、小瑠璃は親にしがみつく幼子のように何のためらいなく、夏油の首に華奢な腕を回した。
小瑠璃にとっての夏油傑は、同い年と思えない落ち着きがあり、任務でも教室でも信頼のおける同級生である。夏油が小瑠璃の瞳にそう映るように振る舞ってきたのだ。
夏油は小瑠璃に気付かせないほどのほんの数秒、真顔になって動きを止めたが、すぐ優しく抱きとめて「よっと」と下ろした。
「夏油くん、ありがとう。このご恩はいつか必ず三倍返しするから」
「はは、楽しみに待ってるよ。悟には私が言っておくから」
「毎日おでこ鴨居にぶつけろと?」
「いや、そっちじゃなく。あまり小瑠璃を困らせないように」
「夏油くんは優しいねえ」
「普通だよ」
「じゃあ、もともと優しい人なんだね」
小瑠璃は目を細めてしみじみ言う。五条や硝子がこの場に同席していたら「傑が優しいわけあるか。目を覚ませ」と強烈な一発をお見舞いされていたことだろう。
夏油はさすがに照れ臭そうに「小瑠璃は私のことを買いかぶりすぎだね」と笑った。決して悪い気はしなかった。小瑠璃の口にする「優しい」は、相手への最大限の好意の表れのように聞こえたからだ。
「硝子が戻ってきたら、しばらく一緒にどこかに出かけたほうがいい。悟がさっきのことを引きずっていると面倒だからね」
「確かに。私をくすぐるためだけに巻きで任務を片付けてくる可能性がある……」
小瑠璃は雲隠れ中の硝子と携帯メールで連絡を取り合い、ほとぼりが冷めるまで硝子と近くのファミレスに行くとのことで、夏油を残して教室から姿を消した。夏油は笑顔で手を振って見送った。
それから一時間半ほど経過して──夏油が教室で携帯電話をいじっていると、ズボンのポケットに手を突っ込み、長い足を投げ出すように歩く五条が入ってきた。先程まで小瑠璃がぶら下がっていた壁を見た後、不思議そうにキョロキョロとあたりを見回す。
「小瑠璃は?」
「まだぶら下がっているわけないだろ」
「チッ。せっかく一分で祓って環七ぶっ飛ばして帰ってきたのに」
五条はこう言っているが、環七こと環状七号線を車でぶっ飛ばしてきたのは高専の学生の送迎を任されている補助監督である。後部座席に座っているだけの五条から急き立てられてさぞかし胃を痛めたことだろう。補助監督の心労は察するに余りある。
「お前は小瑠璃に構いすぎだ。小瑠璃は三級呪術師ではあるが、本人も能力も荒事向きじゃない、普通の子だぞ」
「ハァ? 普通のオンナノコが正気で呪術師やれるワケねーだろ。アイツだって俺やお前と同じで正常にイカれてるんだよ」
挑発的に己のこめかみのあたりをトントン人差し指で叩いてみせる五条だったが、夏油の言う「構いすぎ」は否定しないらしい。
夏油は見せつけるようにハァーと大げさなほど長い溜め息をついた。
「そんなに小瑠璃のことが好きかい?」
そんなわけねーよバカ、という怒声がすぐさま返ってくると予想していた。夏油は追い打ちをかける。
「いい年した男が同年代の女の子をいじめていたら、そんなふうに勘違いされるぞ」
「あぁ、好きだよ」
夏油の台詞に被せるように返ってきたのは静かな声だった。
本当に五条が発した言葉だろうか。
夏油は思わず瞠目して五条の顔を見た。
サングラスの奥に隠れた瞳に、どんな感情が浮かんでいるのか、こちらから窺うことはできない。
「……好きな子にわざと暴言を吐いたりいじめたりする精神構造が私には理解できないんだが。小学生で情緒が止まってる?」
「うるせーな! お前が聞いてきたから答えたんだろ。言うんじゃなかったわ」
「あぁ、私も……聞くんじゃなかったな」
五条が自身の想いを自覚していたのも、それを素直に打ち明けたのも、夏油には予想外だった。
五条──五条悟は、かの有名な菅原道真の流れを汲む呪術師の名家に生まれ、五条家相伝の無下限呪術と六眼を併せ持つ。誕生と同時に当代一の呪術師になることを約束されたような男だ。性格こそかなり難ありだが、容姿は整っており、呪術師から見れば家柄能力ともに完璧である。
おまけに五条は狡猾だ。今はまだ小瑠璃への恋心を持て余しているようだが、そのうち自分に振り向かせるため、己の持ち得るありとあらゆる手札を切るだろう。
非術師の家系に生まれて後ろ盾のない小瑠璃は耐え得れないに違いない。今ですら五条からの行き過ぎたちょっかいに振り回されているのだから。
夏油は、抱きとめたときの小瑠璃のあえかな身体の感触と、自分にまっすぐ向けられた眼差しを思い出した。五条があの柔らかさを知ることになるのは嫌だなと思った。
「……私は小瑠璃から何度もありがとうと言われたよ。優しいね、とも」
「は?」
「悟を怖がって私の背中に隠れるし、困ると私の名前を呼ぶし、きっと悟よりは私のことのほうが好きなんじゃないかな」
「……おい、傑。冗談のつもりなら早めにそう言えよ。つまんなくて全然笑えねーから」
「冗談に聞こえたなら医者に診てもらったほうがいいね。耳鼻科か、精神科か。そこはおまかせするけど」
笑顔のまま毒づく夏油と対照的に五条の顔から表情が引き波のように失せてゆく。
今なら、嘘だ、冗談だよ、と言えば面倒事は一時的に回避できるだろう。分かっているが夏油は訂正しなかった。
「私からの宣戦布告だ。つまらない冗談じゃなく本気。どうだい、これは笑えるかい? ──ほら、笑えよ」