投稿日:2020年11月01日 22:46 文字数:10,581
闇夜に悪魔と踊ったことはあるか?
ステキ数:6
コメントを送りました
ステキ!を送りました
ステキ!を取り消しました
ブックマークに登録しました
ブックマークから削除しました
童磨とのミッドサマー
✾❀❁祝祭が始まる❁❀✾
タイトルはダークナイトのジョーカーの台詞「月夜に悪魔と踊ったことはあるか?」から
✾❀❁祝祭が始まる❁❀✾
タイトルはダークナイトのジョーカーの台詞「月夜に悪魔と踊ったことはあるか?」から
夢小説作品
この作品は下記の登場人物の名前を変換することができます。
登場人物1
苗字
登場人物2
名前
| 1 / 1 |
童磨を教祖と仰ぐ万世極楽教に帰依する善男善女が、背中に「滅」と書かれた黒い洋装の娘を運び込んできたという知らせは、すぐに童磨まで伝えられた。
極楽教の信者たちはみな善良にして純朴で心優しい。童磨はさほど熱心に教えを説いたわけではないが、教祖としてのありがたい教えを求められ、至極一般的な「弱きもの、傷付いたもの、女子供老人には親切にせよ」と告げたところ、それが信者たちの信条となったためだ。
その娘は猛獣にでも襲われたような全身傷だらけの姿で、極楽教の寺院から程近い崖下に倒れていたという。発見した信者の女たちは娘に息があると分かると、みなで力を合わせて寺院まで担ぎ込まれた。
背中に「滅」と書かれた黒衣の者──すなわち、童磨のような《鬼》の天敵である、鬼狩りの一人に違いない。
人間の壊れやすい身体と短い命を省みずに挑んでくる鬼狩りの者たちは何を思い、何を考えているのか、童磨は前々から不思議でならなかった。尋ねてみたことはあったが、ほとんどの者が激昂し、返事の代わりに斬りかかってきて会話にならなかったので百年越しの謎である。
──その鬼狩りの娘、死にかけていたら俺に斬りかかってくることもないだろうし、答えてくれるかなぁ。
そんなことを思いついた童磨は、さっそく娘が安静にしている部屋に向かった。
到着した先では、女信者たちが布団に横たえた娘を甲斐甲斐しく介抱してやっているところだった。
娘は想像より若い。十代半ばから後半。艶のある黒髪は乱れ、白い顔のあちこちに生傷が刻まれ、丁寧に巻かれた包帯には血が滲んでいる。
その鮮やかな赤を見た童磨は口の中に生唾が込み上げてくるのを感じた。鬼としての性だった。いけない、うっかり食べたくなるところだった、と童磨は女信者たちに娘の容態を尋ねた。
このまま弱って死んでしまうようなら「哀れな娘の冥福を祈る」と別室に運ばせてから喰らってしまうのもいいかもしれない。そのくらい美味そうだった。
「この方、刀を放さなくて……」
童磨の問いに女信者の一人は困り顔で答えた。
そっとめくられた布団の下、美味そうな娘は重傷を負って意識を失いながら、しっかりと刀の柄を握り締めていた。
女信者たちが総出で指先を剥がそうとしたがびくともしないという。そこには娘の戦う意志がこめられているようだった。
そういえば、童磨が返り討ちにしてきた鬼狩りの中にも、死してなお刀から決して手を離そうとはしなかった者がちらほらといた覚えがある。
「いいよいいよ。俺に任せてごらん」
ニコニコと気さくな笑顔で娘の傍らにしゃがみ込んだ童磨は、なんでもないふうに鬼の怪力で娘の握り拳をこじ開けた。
信者たちは「さすが童磨様」と感嘆の溜め息を漏らした。神仏に授けられた霊力によるものと思ったのかもしれない。
刀を引き剥がされた娘の指先が、己の得物を探し求めるように微かに動く。色の失せた唇からは吐息がこぼれた。そして、白くて肉の薄い瞼を縁取る睫毛がぶるりと震えて、娘は意識を取り戻すのだと分かった。
「やぁ、目覚めたかい? 気分はどう?」
童磨は娘の顔を覗き込んだ。
声をかけられた娘はびくりと身体を強張らせたのちに怪訝な顔になった。どことなく視点が定まらず虚ろな瞳を童磨ではなく右へ左へ彷徨わせる。遠くを飛ぶ蝶を目で追うかのような視線の動きだ。童磨だけでなく自分の周りにいる女信者たちにも目をとめることもない。
もしや寝ぼけているのだろうか、と童磨が思ったとき、娘ははっと思い出したように自分の目元に触れた。ほんの一瞬、泣きそうに顔を歪ませたが、すぐに毅然とした面持ちに変わった。信者たちの制止に構わず緩慢な動作で身体を起こす。
「皆さん、どなたか存じませんが、どうもご親切に。このお礼は必ず。私は行くところがありますので失礼します」
感謝の口上を述べる娘の視線の先には童磨も信者たちもいない。蓮の花の描かれた襖戸があるばかりだ。そして、布団のすぐそばに刀があるというのに「私の刀はどこかご存知ありませんか?」と尋ねてきた。娘以外の全員が目を丸くする。
「君、もしかして、失明しちゃった?」
聞きづらいことをずばりと尋ねた童磨は至近距離からまじまじと娘の瞳を見つめる。柔らかみのある茶褐色の双眸──本来なら黒い虹彩の位置するところには「禁」という漢字を崩したような赤い模様が刻まれていた。
「……ふうん、なるほどねぇ」
この娘、童磨以外の鬼の血鬼術によって視力を奪われている。
さて、この娘をどうしたものか、と童磨が処遇について考えを巡らせている間に娘は布団から立ち上がった。その手にはいつの間にか手繰り寄せられた刀がある。どちらが出入り口か分からないだろうに、おぼつかない足取りで外を目指して歩き出した。
「まだ無理ですよ、お嬢さん」
「傷だらけなんだよ。じっとおしよ」
姉や母親くらいの年頃の女信者たちが娘を優しく止めようとする。娘には勝利の算段があるのか、ただただ無鉄砲なのか、頑なに鬼を追おうとしているようだ。鬼を倒さないことには血鬼術が解けないので必死なのかもしれない。そこで、信者たちに代わり、娘の肩に手を置いたのは童磨だった。
「まぁまぁ、ここで会ったのも何かの縁だ。自己紹介くらいしようよ。俺は童磨。この万世極楽教の教祖なんだ。彼女たちは極楽教の熱心な信者」
「万世、極楽教?」
「そうさ。しがない新興宗教だけど、みんな力を合わせて細々とやっているよ。誰にでも手を差し伸べて救済する教えだから、ここにいる信者たちが倒れている君を見つけて寺院に連れてきて介抱したってわけさ」
立て板に水とばかりに舌を回す童磨と、肩に置かれた彼の手のひらに、戸惑ったような顔をしつつも娘は立ち止まった。童磨の声の聞こえる方向に見えない双眸を向ける。
「極楽教の皆さん、助けてくださってありがとうございました。私は大庭薫子です」
鬼狩りの娘は大庭薫子と名乗った。
そして、剣士としての道を極める旅の途中に運悪く崖から滑落しまい、視力はそのときの当たりどころが悪かっただけでそのうち回復するはず、と言った。鬼の存在を知らない一般人向けの方便である。
そんな嘘に騙される奴がいるのだろうかと童磨は内心笑い出しそうなくらいおかしかったが、信者たちは「それは大変だったのね」と涙ぐんでいた。
「怪我が良くなるまで休んでいきなよ。このあたりは夜になると《獣》が出てね、信者の女がたびたび行方不明になるんだ。それに、俺たちだってせっかく助けた命を無下にされたら悲しいぜ」
鬼である自分が鬼狩りの娘に気遣いの言葉をかけるのはやはり奇妙で面白かった。
鬼狩りの娘──薫子は、自分の身を案じる極楽教の者たちに迷った様子だったが、ぼんやりとした瞳で童磨を見上げて微笑んだ。
「それではまた少し、ご厄介になります」
おや、と童磨は新鮮みを感じた。
童磨が鬼だと分からなければ、鬼狩りの娘は優しげに童磨を見つめ、こうして穏やかに話すことができるのか。
※
月のない無明の夜だった。
人里から離れ、木々が鬱蒼と生い茂る森の奥深くに届くような明かりはなく、時折光るものがあるとすれば夜行性の獣の両眼くらいの暗闇だった。
そろそろ獲物を探しに行かなければ、この前逃してしまった鬼狩りの娘、あれは本当に美味しそうだった、と悔しく思いながら動き出した《鬼》に声がかけられた。
「やぁ、良い夜だね」
街中で知人に出会ったかのように明るくて気さくな声だった。
慌てて体中の目をギョロリとさせて周囲を探ると、《鬼》の背後には白橡色の髪をした見目の良い青年が立っていた。《鬼》の異形を目の前にしても、顔色一つ変えずに感心したように見上げてくる。
「わぁ、驚いた。ぶよぶよした体中に目や耳がたくさんあるんだね。おや? 食いしん坊なのかな? 口も数えられないくらいだ」
穏やかな口ぶりでのべつ幕なし喋り立てる青年に《鬼》は薄気味悪いものを感じずにはいられならなかった。これまで食い殺した人間とも、戦ってきた鬼狩りとも、《鬼》の姿を見たときの反応が違う。
《鬼》は数え切れないほどの目玉を剥き出しにし、体の至るところにある口の奥の歯をガチガチ鳴らし、青年を威嚇した。それなのに青年はどこ吹く風というふうに人懐こい笑みを浮かべている。
「やだなぁ。そんなに警戒するなよ。俺は挨拶しに来ただけなんだよ。同じ、無惨様の血を分け与えてもらった仲だろう?」
青年が口の端を持ち上げると白くて鋭い歯が覗く。
その昔、かつて《鬼》が人間だった頃、強烈な死の気配を纏った存在と出会ったときの記憶が断片的によみがえった。
人間の今際の断末魔と血肉に溺れるようになってから、あのときに感じた強烈な恐怖をすっかり忘れていた。《鬼》になった自分は人間に恐怖を与える上位の存在になったと錯覚していたのだ。
こうして、あのときの存在と似通った気配を持つ青年がやってきたことで、《鬼》の上にはさらに強大な化け物がいることを思い出した。
「俺は上弦の弐──童磨。知ってるかな?」
暗闇の中で不思議な輝きを放つ虹色の双眸には「上弦」「弐」と刻まれていた。
「君に聞きたいことは二つ。最近、鬼狩りの若い娘と戦ったかい? 色白の女の子で背丈はこれくらい。可愛い顔をしてるんだ」
青年──童磨は自分の鎖骨あたりの位置に手を当てて、鬼狩りの娘の背丈を伝えようとしているらしい。
確かに数日前にせっかく血鬼術で視力を奪ったのにあと少しというところで逃げられた獲物がいた。
《鬼》の体の至るところにある口が「あの娘のことか?」「美味そうだった」「太腿がいい」「乳房はわしのものじゃ」と思い思いに返事した。
「じゃあ二つ目の質問。その子から血鬼術で視力を奪わなかったかい?」
この青年が《鬼》の血鬼術を知っているのはなぜなのか。
鬼狩りの娘から話を聞いたのか。いや、鬼狩りと鬼が通じているなどありえるだろうか。この両者が協力するわけがない。脅して聞き出したのか。《鬼》を害するために。
ざわざわと《鬼》の目や口が動揺して体全体が波打つ。どこかの口が「この鬼を殺してしまえ!」と叫んだ。
「おいおい、攻撃しないでくれよ。鬼同士で殺し合うなんて時間の無駄だぜ? 俺たち鬼は日光を浴びるか、鬼狩りの日輪刀で首を断たれないと死なないからね」
そう言うと、童磨は友人に己の胸のうちを打ち明けるかのような親密な口調で《鬼》に語りかける。
「俺は迷っているんだ。俺は、鬼狩りの娘を気に入ってしまってね、できるものなら手元に置いておきたい」
──鬼が、鬼狩りの娘を気に入り、手元に置いておく?
《鬼》は童磨の言っている意味が分からなかった。蛇と蛙を同じ水槽に入れると言っているようなものだ。共存できるわけがない。
「手元に置くには彼女が失明して俺を鬼だと気付かないことが大前提なんだ。あの子が他の鬼から血鬼術をかけられ、瞳に印が刻まれているのは気に食わないけどね。それは仕方ないさ!」
もし、《鬼》が人間の姿かたちをとどめていたら、背中にじっとりと脂汗をかいていたかもしれない。
童磨は人間と何ら変わらない容姿だ。表情も話しぶりも穏やかだ。《鬼》に対して殺意を向けているわけでもない。それなのに恐ろしくてたまらなかった。
《鬼》の怯えなど意に介さず、喋り疲れることなどない鬼の肉体を持つ童磨は、自分の思いの丈を話し続ける。
「だから君が健在で彼女にかけた血鬼術が発動し続けるなら万々歳。だけどね、君の実力を疑うわけじゃないぜ? 万が一にも君が別の鬼狩りに倒されてしまったら、君の血鬼術の効力は失せてしまう。そうしたら、あの子は俺の正体に気付き、殺し合わなきゃいけなくなる。悲劇だろう?」
舞台役者のように童磨は手を広げて悲しげな顔を作る。
劇場の壇上ならば見る者の心を打ったかもしれないが、ここにいるのは姿かたちは違えど二体の鬼だけ。
片や小さな小山のようなぶよぶよした体に無数の目鼻口と手足のついた異形、片や白橡色の髪と虹色の瞳を持つ青年だったが、異様さが際立つのは後者だった。
「だから、お節介かもしれないけど、君を俺が保護することにしたんだ! 俺の寺院の地下になかなか良い部屋があってね、そこに君を招待するよ。もちろん毎日新鮮な《食事》だって提供するよ」
童磨は暗闇の中で晴れ晴れと笑った。お互いの利益になる、さも素晴らしい提案をしたとでも言わんばかりの表情だ。
弾ける寸前の種子のように《鬼》の体は小さく丸く縮こまった。
──その刹那、圧縮された体が何倍何十倍もの大きさに膨れ上がり、「ふ、フフ、ふ、ふふ、フザケルナァァァ!!」と口々に叫びながら童磨に襲いかかった。
「あーあ、生かさず殺さず、捕らえるか。難しいなぁ」
童磨はあくびを噛み殺す口元をどこからか取り出した扇で隠しつつ、《鬼》に向かって己の血鬼術を発動した。
※
世間の喧騒から離れた極楽教の寺院で傷を癒やす日々は穏やかだった。
教祖の童磨から貸し与えられた一室の濡れ縁に腰掛けていると、剥き出しの顔や手首に日差しのぬくもりを感じる。ここにいると命を賭して鬼と戦う本来の日常を忘れてしまいそうだ。
極楽教の信者たちは優しく親切だ。教祖の童磨も気さくで明るい。薫子が別れの挨拶をして立ち去ろうとすると、目が治ってからでいいではないか、と引き止められてなかなか出立することができなかった。
薫子の視力を奪った鬼を倒さなければこの目は治らない。しかし、視力がなければ鬼を見つけ出す手立てがない。せめて人里に下りて藤の花の家紋の家を訪ね、鬼殺隊の誰かが立ち寄ったところに合流できれば、この袋小路から脱出することができるのに。
薫子は毎日庭を散策しているふうを装い、取り囲む塀の位置、そばに生える木、外の様子などを探っていった。目は見えないもののこの塀をよじ登って寺院から出ることは不可能ではなさそうだ。
心配してくれている極楽教の人たちには申し訳ないが、決行はいつにしよう──と思いを巡らせていた薫子の耳に、聞き覚えのある鎹鴉の鳴き声が届いた。驚いてあたりを見回すと「大庭!」と薫子を呼ぶ人間の声まで聞こえてきた。薫子は濡れ縁から立ち上がり、庭の障害物に注意しながら、声のする庭の片隅のほうに向かって行く。この付近は鼠くらいしか通れなそうな飾り窓のある石塀のあたりだった。
「大庭! 無事だったか!」
「その声は……」
目が見えないので気付くのに少し時間を要したが、聞き覚えのある声の主は最終選抜をともに生き抜いた同期の青年だった。
まさかの助っ人の登場に薫子は嬉しくて心が浮き立つのを感じた。急ぎ足で塀に近付くとすぐ隣のほうから「こっちだ」と言われたので慌ててそちらのほうを向く。
「お前、目はどうした? 見えないのか?」
「血鬼術で視力を奪われた。鬼は取り逃してしまって今はここで保護されている」
「……保護?」
訝しげな声だった。
青年は周囲の気配を探るようにしばらく沈黙した後、注意深い口調になった。
「極楽教、と言ったか? ここは変だ。お前の存在を隠そうとした」
「……極楽教の人たちが?」
「僕がお前のことを聞いたとき、彼らはみな知らないと答えた。どうにも嘘をついている様子だったので裏から侵入し鎹鴉を飛ばしてみたらお前に会えた。すぐここを出るぞ」
そのとき、建物のあるほうから薫子を探す信者の声が聞こえてきた。塀越しの青年が離れたようで気配が遠ざかった。
「今晩の亥の刻にまた来る。支度をしておくように」
そう言い残すと、青年は足音一つ立てずに姿を消した。
彼は極楽教をおかしいと言った。薫子の存在を隠して嘘をついていると。
もしかしたら、伝え方が悪かったか、保護されている薫子のことを知らない信者に質問をしてしまっただけかもしれない。
色んな可能性を考えてみるが、青年の言葉がこれまで薫子の感じていたぼんやりとした違和感に確かな輪郭を与えてしまい、胸の不気味なざわつきは収まらなかった。
このまま立ち尽くしていては信者に不審がられるだろうから、薫子は重い足取りで踵を返し、部屋のあるほうへと戻って行った。
──その夜の亥の刻、青年が姿を見せることはなかった。
翌日、沈み込んだ顔で口数も少なくなり世話係の信者たちを心配させていた薫子のところに、ひどく怯えた様子の若い女信者がやってきた。周囲を伺いながら何かを取り出して薫子の手のひらに置く。
「きっと、薫子さんならご存知だと……」
女信者から触るときに怪我しないようにと注意を促されたので、慎重に手を伸ばした薫子はその硬く、冷たい、研ぎ澄まされた感触に愕然とした。これは折れた日輪刀だ。同期の青年のものに違いない。
「わたしは祖父の代から極楽教に入信しております。小さい頃に祖父に初めて連れられて教祖様を見たとき、なんて麗しく立派な殿方だと思いました。──今も、あのときから何もお変わりがないのです。他の者たちは教祖様の神通力のなせる業だと言っています。でも、わたし、怖くて。親しかった女の信者も何人もいなくなって……わたし、わたし……」
薫子は女信者の震える手にそっと己の手を重ねた。
血鬼術によって光を失ったはずの薫子の瞳だったが、そこには怒りにも似た、確かな決意の灯火があった。
※
建物の中だというのに人工池が作られて極楽浄土のように蓮の花の咲き乱れる本堂に上座に童磨はいた。
生きている限り悩みの絶えない人間たちの話に、慈悲の微笑みを浮かべ、時にはらはら涙を流しながら、穏やかに耳を傾ける。それだけのことなのに人間たちは自分のことを肯定されたと思い、老いも若きもみっともなく這いつくばって童磨に感謝する。気楽で羨ましい限りだ。
「ん?」
今日の面会は終わったはずだが、本堂の扉の外に気配がする。用事のある信者か、追加の相談者か。
童磨は近くにいた側仕えの信者たちにちらりに視線を送ったが、覚えがない、というふうに首を振る。童磨は扉のほうに向かって優しげな声をかけた。
「誰かな? いいよ。入っておいで」
扉を開けて入ってきたのは珍しいことに失明した鬼狩りの娘──薫子だった。
初めは目が見えないせいでよく家具や壁にぶつかって難儀していたが、そのうち壁伝いに施設を歩き回ってすっかり間取りを覚えてしまったようだ。最初の頃は声をかけずに眺めていた童磨に突っ込んできたり、手を差し伸べたら恐る恐る手を重ねて施設の内部を散歩したりしたのに。
遅れて、薫子の世話係なのか、若い女信者が後を追いかけて入ってきた。薫子から少し離れて扉のそばに控える。
「わぁ! 薫子ちゃん! 部屋からここまで遠かっただろうに、君から会いに来てくれるなんて嬉しいな〜」
童磨は満面の笑みで薫子を歓迎した。
目の見えない薫子が上座まで辿り着くより先に童磨自ら下りてきて、薫子の背丈に合わせて身を屈めて顔を覗き込む。
「んー? 顔色があまり良くないな。具合でも悪いのかい? 医者を呼ぼうか?」
心の底から気遣っているように童磨が薫子の白い頬に触れると、指先にわずかに伝わる程度にだけ、薫子の顔の筋肉が強張ったのが分かった。薫子は一歩下がって童磨の手のひらからするりと逃れた。
「あれ? 前は触らせてくれたのに。もしかして俺のこと嫌いになっちゃった?」
童磨に冗談まじりの口調で訊かれた薫子はなぜか苦痛をこらえる顔になった。光を失った双眸が童磨の声の聞こえるほうをまっすぐに見つめる。
「あなたが何者であれ目が見えなくなった私に優しくしてくれたことに感謝しています。普通の娘のように穏やかに過ごし、私にも誰かを好いたり好かれたりする人生があったのかもしれないと、少しの間だけ夢を見てしまいました。──でも、私は鬼殺隊隊士、大庭薫子です。鬼は見過ごせない」
薫子の言葉に童磨は心外そうに虹色の瞳を瞬かせた。
「えー? 俺が鬼? こう見えて神様仏様童磨様と言われてるくらいだよ?」
悲しげに眉尻を下げて見せる。口元だけは緩やかな弧を描いている。次第にゆっくりと口の端が吊り上がり、人間にしては長くて鋭い犬歯を覗かせた。
「──なんで分かったのかなぁ?」
薫子の動きは迅速だった。いつの間にか指の間に短い刃──折れて切っ先だけになった日輪刀を挟んでおり、電光一閃の素早さで目の前にいた童磨の喉笛を掻き切った。
おびただしい血飛沫が壁や床にかかる。
本堂にいた信者たちは教祖が突然切りつけられたことに悲鳴を上げた。
童磨が常人であれば、床に倒れてほどなく事切れたことだろう。しかし、童磨は平然と喋り続けた。
「折れた刀を隠し持っていたとはね。だけど俺の首を落とすには短すぎるなぁ」
「私の刀を! 皆さん、あなた方の教祖は人を喰らう化け物です! 早く逃げなさい!」
薫子の後から入ってきて扉近くにいた女信者が後ろ手に隠していた刀を投げる。打ち合わせ済みだったのだろう、空を切る音を頼りに自分の刀を難なく掴み取った薫子は、左腰に鞘を押し当てて、姿勢を低くする抜刀の構えに入る。
つい先刻までぱっくり開いていた童磨の喉元の刀傷がいつの間にか塞がるさまを見た信者たちは、それが神通力と考えるにはあまりに禍々しかったことから、薫子の一喝に追い立てられるように逃げ出そうとした。童磨はやれやれと溜め息をつく。
「ひい、ふう、みい、よ……。うーん、こんなに一度に食べ切れるかなぁ」
次の瞬間だった。
扉に殺到して逃げようとした信者たちが体中から血を噴き出して一斉に倒れた。薫子に刀を投げた女信者──同期の折れた日輪刀を渡してくれ、童磨に怯えていた者もまた、折り重なるようにして息絶えていた。
目の見えない薫子には何が起こったのか分からなかったが、急に信者たちの悲鳴と気配が途絶えたことで予想がついた。
「あーあ、可哀想だなぁ。だけど、仕方ないことなんだ。この子たちが里に下りて極楽教の教祖は鬼だと触れ回ったら、俺の救いを求める者たちが困ることになる」
刀の柄を握る薫子の手は震えていた。怒りによるものか、恐怖によるものか、もしくは両方なのかもしれない。
「あぁ、君のことはまだしばらく食べる気はないから心配しないでね。君とはもう少し仲良くしてみたいんだ」
童磨は薫子以外の人間を皆殺しにしたとは思えない、慈愛に満ちた微笑を口元に湛えていた。その虹色の双眸は気分が高揚したように不思議と潤んでいる。
「俺を鬼だと知る前までは、薫子ちゃん、俺のことを好きだったよね? 君は目が見えないし、信者たちのように俺に救いを求めているわけでもない。つまり薫子ちゃんは俺そのものに惹かれて好きになってくれた。それって《愛》だよね! 俺たち、もっと仲良くなれば《愛し合える》んじゃないかな?」
晴れやかに《愛》を口にする童磨に、薫子は戸惑いと嫌悪の顔を顕わにした。
確かに、童磨を鬼と知るまでは、気さくで親切な人柄に好感を抱いていた。失明した薫子を気遣って差し出される手に、面映ゆくも嬉しさを感じた。だが、童磨の正体が分かった今になっては、その感情と思い出は忌まわしい過去でしかない。まんまと騙された自分が愚かしくて憎らしくてたまらなかった。
「……鬼と鬼殺隊の人間が愛し合えるわけないでしょう」
「小さな問題だよ。俺が鬼であることや君が鬼狩りであることなんて後付けの肩書きでしかないから。先入観は捨てようぜ」
「その肩書きを持つあなたに一体何人何十人が殺されましたか」
「これまで食べてきた女の子全員思い出すには時間がかかるなぁ。まぁ、他の女の子の話をするのはやめようよ」
勝手に話を切り上げた童磨は両手を大きく広げて、刀を構える薫子の間合いに遠慮なく立ち入る。
「俺は鬼。君は鬼狩り。お互いの正体は分かって、俺たちの間にもう嘘偽りは何一つない。さぁ、思う存分に愛し合おうよ!」
薫子は抜刀する。闇夜の戦闘を想定して闇稽古を行ってきた薫子には、動いている敵を迎え討つことはそれほど難しくはない。それに童磨の背丈は分かっている。視力のない薫子のことを油断しきっているようなら斬れると思った。自分の修得した型の中でもっとも速い剣撃を、童磨の首筋に打ち込む。
「あぁ、そうだ。一つ言い忘れていた」
薫子の刃は童磨の首筋に触れるか否か、そのギリギリで閉じた扇に挟まれるようにして止められた。童磨の手にはいつの間にか金色の扇が握られている。
「俺は十二鬼月の一人──上弦の弐。こう見えてそこそこ強いんだよ?」
童磨が手を振るう。その勢いで薫子は本堂の壁際まで床に靴底を滑らせるように吹き飛ばされる。壁に背中をつけた薫子はすぐに刀を構え直した。
「えー? まだ戦うの? 君が頑張り屋さんなことは充分に分かったのになぁ」
ふと、薫子は自分の足元から、じわじわと真冬のような冷気が迫り上がってくることに気付いた。動こうとすると下半身が氷柱に変わってしまったようにびくともしない。童磨の血鬼術だと理解したときには遅かった。
「少しお休み、薫子ちゃん。君は目が見えなくとも戦えると分かったから、眠っている間に足の腱を切っておくことにしたよ。その代わり、視力は戻しておいてあげるからね」
薫子には聞こえる声でしか感情を読み取るすべがなかったが、童磨は残酷なほど無邪気な笑顔を浮かべているに違いない、と確信した。薫子の意識は、失われた視界よりなお深くて昏い、暗闇へと落ちていった。
極楽教の信者たちはみな善良にして純朴で心優しい。童磨はさほど熱心に教えを説いたわけではないが、教祖としてのありがたい教えを求められ、至極一般的な「弱きもの、傷付いたもの、女子供老人には親切にせよ」と告げたところ、それが信者たちの信条となったためだ。
その娘は猛獣にでも襲われたような全身傷だらけの姿で、極楽教の寺院から程近い崖下に倒れていたという。発見した信者の女たちは娘に息があると分かると、みなで力を合わせて寺院まで担ぎ込まれた。
背中に「滅」と書かれた黒衣の者──すなわち、童磨のような《鬼》の天敵である、鬼狩りの一人に違いない。
人間の壊れやすい身体と短い命を省みずに挑んでくる鬼狩りの者たちは何を思い、何を考えているのか、童磨は前々から不思議でならなかった。尋ねてみたことはあったが、ほとんどの者が激昂し、返事の代わりに斬りかかってきて会話にならなかったので百年越しの謎である。
──その鬼狩りの娘、死にかけていたら俺に斬りかかってくることもないだろうし、答えてくれるかなぁ。
そんなことを思いついた童磨は、さっそく娘が安静にしている部屋に向かった。
到着した先では、女信者たちが布団に横たえた娘を甲斐甲斐しく介抱してやっているところだった。
娘は想像より若い。十代半ばから後半。艶のある黒髪は乱れ、白い顔のあちこちに生傷が刻まれ、丁寧に巻かれた包帯には血が滲んでいる。
その鮮やかな赤を見た童磨は口の中に生唾が込み上げてくるのを感じた。鬼としての性だった。いけない、うっかり食べたくなるところだった、と童磨は女信者たちに娘の容態を尋ねた。
このまま弱って死んでしまうようなら「哀れな娘の冥福を祈る」と別室に運ばせてから喰らってしまうのもいいかもしれない。そのくらい美味そうだった。
「この方、刀を放さなくて……」
童磨の問いに女信者の一人は困り顔で答えた。
そっとめくられた布団の下、美味そうな娘は重傷を負って意識を失いながら、しっかりと刀の柄を握り締めていた。
女信者たちが総出で指先を剥がそうとしたがびくともしないという。そこには娘の戦う意志がこめられているようだった。
そういえば、童磨が返り討ちにしてきた鬼狩りの中にも、死してなお刀から決して手を離そうとはしなかった者がちらほらといた覚えがある。
「いいよいいよ。俺に任せてごらん」
ニコニコと気さくな笑顔で娘の傍らにしゃがみ込んだ童磨は、なんでもないふうに鬼の怪力で娘の握り拳をこじ開けた。
信者たちは「さすが童磨様」と感嘆の溜め息を漏らした。神仏に授けられた霊力によるものと思ったのかもしれない。
刀を引き剥がされた娘の指先が、己の得物を探し求めるように微かに動く。色の失せた唇からは吐息がこぼれた。そして、白くて肉の薄い瞼を縁取る睫毛がぶるりと震えて、娘は意識を取り戻すのだと分かった。
「やぁ、目覚めたかい? 気分はどう?」
童磨は娘の顔を覗き込んだ。
声をかけられた娘はびくりと身体を強張らせたのちに怪訝な顔になった。どことなく視点が定まらず虚ろな瞳を童磨ではなく右へ左へ彷徨わせる。遠くを飛ぶ蝶を目で追うかのような視線の動きだ。童磨だけでなく自分の周りにいる女信者たちにも目をとめることもない。
もしや寝ぼけているのだろうか、と童磨が思ったとき、娘ははっと思い出したように自分の目元に触れた。ほんの一瞬、泣きそうに顔を歪ませたが、すぐに毅然とした面持ちに変わった。信者たちの制止に構わず緩慢な動作で身体を起こす。
「皆さん、どなたか存じませんが、どうもご親切に。このお礼は必ず。私は行くところがありますので失礼します」
感謝の口上を述べる娘の視線の先には童磨も信者たちもいない。蓮の花の描かれた襖戸があるばかりだ。そして、布団のすぐそばに刀があるというのに「私の刀はどこかご存知ありませんか?」と尋ねてきた。娘以外の全員が目を丸くする。
「君、もしかして、失明しちゃった?」
聞きづらいことをずばりと尋ねた童磨は至近距離からまじまじと娘の瞳を見つめる。柔らかみのある茶褐色の双眸──本来なら黒い虹彩の位置するところには「禁」という漢字を崩したような赤い模様が刻まれていた。
「……ふうん、なるほどねぇ」
この娘、童磨以外の鬼の血鬼術によって視力を奪われている。
さて、この娘をどうしたものか、と童磨が処遇について考えを巡らせている間に娘は布団から立ち上がった。その手にはいつの間にか手繰り寄せられた刀がある。どちらが出入り口か分からないだろうに、おぼつかない足取りで外を目指して歩き出した。
「まだ無理ですよ、お嬢さん」
「傷だらけなんだよ。じっとおしよ」
姉や母親くらいの年頃の女信者たちが娘を優しく止めようとする。娘には勝利の算段があるのか、ただただ無鉄砲なのか、頑なに鬼を追おうとしているようだ。鬼を倒さないことには血鬼術が解けないので必死なのかもしれない。そこで、信者たちに代わり、娘の肩に手を置いたのは童磨だった。
「まぁまぁ、ここで会ったのも何かの縁だ。自己紹介くらいしようよ。俺は童磨。この万世極楽教の教祖なんだ。彼女たちは極楽教の熱心な信者」
「万世、極楽教?」
「そうさ。しがない新興宗教だけど、みんな力を合わせて細々とやっているよ。誰にでも手を差し伸べて救済する教えだから、ここにいる信者たちが倒れている君を見つけて寺院に連れてきて介抱したってわけさ」
立て板に水とばかりに舌を回す童磨と、肩に置かれた彼の手のひらに、戸惑ったような顔をしつつも娘は立ち止まった。童磨の声の聞こえる方向に見えない双眸を向ける。
「極楽教の皆さん、助けてくださってありがとうございました。私は大庭薫子です」
鬼狩りの娘は大庭薫子と名乗った。
そして、剣士としての道を極める旅の途中に運悪く崖から滑落しまい、視力はそのときの当たりどころが悪かっただけでそのうち回復するはず、と言った。鬼の存在を知らない一般人向けの方便である。
そんな嘘に騙される奴がいるのだろうかと童磨は内心笑い出しそうなくらいおかしかったが、信者たちは「それは大変だったのね」と涙ぐんでいた。
「怪我が良くなるまで休んでいきなよ。このあたりは夜になると《獣》が出てね、信者の女がたびたび行方不明になるんだ。それに、俺たちだってせっかく助けた命を無下にされたら悲しいぜ」
鬼である自分が鬼狩りの娘に気遣いの言葉をかけるのはやはり奇妙で面白かった。
鬼狩りの娘──薫子は、自分の身を案じる極楽教の者たちに迷った様子だったが、ぼんやりとした瞳で童磨を見上げて微笑んだ。
「それではまた少し、ご厄介になります」
おや、と童磨は新鮮みを感じた。
童磨が鬼だと分からなければ、鬼狩りの娘は優しげに童磨を見つめ、こうして穏やかに話すことができるのか。
※
月のない無明の夜だった。
人里から離れ、木々が鬱蒼と生い茂る森の奥深くに届くような明かりはなく、時折光るものがあるとすれば夜行性の獣の両眼くらいの暗闇だった。
そろそろ獲物を探しに行かなければ、この前逃してしまった鬼狩りの娘、あれは本当に美味しそうだった、と悔しく思いながら動き出した《鬼》に声がかけられた。
「やぁ、良い夜だね」
街中で知人に出会ったかのように明るくて気さくな声だった。
慌てて体中の目をギョロリとさせて周囲を探ると、《鬼》の背後には白橡色の髪をした見目の良い青年が立っていた。《鬼》の異形を目の前にしても、顔色一つ変えずに感心したように見上げてくる。
「わぁ、驚いた。ぶよぶよした体中に目や耳がたくさんあるんだね。おや? 食いしん坊なのかな? 口も数えられないくらいだ」
穏やかな口ぶりでのべつ幕なし喋り立てる青年に《鬼》は薄気味悪いものを感じずにはいられならなかった。これまで食い殺した人間とも、戦ってきた鬼狩りとも、《鬼》の姿を見たときの反応が違う。
《鬼》は数え切れないほどの目玉を剥き出しにし、体の至るところにある口の奥の歯をガチガチ鳴らし、青年を威嚇した。それなのに青年はどこ吹く風というふうに人懐こい笑みを浮かべている。
「やだなぁ。そんなに警戒するなよ。俺は挨拶しに来ただけなんだよ。同じ、無惨様の血を分け与えてもらった仲だろう?」
青年が口の端を持ち上げると白くて鋭い歯が覗く。
その昔、かつて《鬼》が人間だった頃、強烈な死の気配を纏った存在と出会ったときの記憶が断片的によみがえった。
人間の今際の断末魔と血肉に溺れるようになってから、あのときに感じた強烈な恐怖をすっかり忘れていた。《鬼》になった自分は人間に恐怖を与える上位の存在になったと錯覚していたのだ。
こうして、あのときの存在と似通った気配を持つ青年がやってきたことで、《鬼》の上にはさらに強大な化け物がいることを思い出した。
「俺は上弦の弐──童磨。知ってるかな?」
暗闇の中で不思議な輝きを放つ虹色の双眸には「上弦」「弐」と刻まれていた。
「君に聞きたいことは二つ。最近、鬼狩りの若い娘と戦ったかい? 色白の女の子で背丈はこれくらい。可愛い顔をしてるんだ」
青年──童磨は自分の鎖骨あたりの位置に手を当てて、鬼狩りの娘の背丈を伝えようとしているらしい。
確かに数日前にせっかく血鬼術で視力を奪ったのにあと少しというところで逃げられた獲物がいた。
《鬼》の体の至るところにある口が「あの娘のことか?」「美味そうだった」「太腿がいい」「乳房はわしのものじゃ」と思い思いに返事した。
「じゃあ二つ目の質問。その子から血鬼術で視力を奪わなかったかい?」
この青年が《鬼》の血鬼術を知っているのはなぜなのか。
鬼狩りの娘から話を聞いたのか。いや、鬼狩りと鬼が通じているなどありえるだろうか。この両者が協力するわけがない。脅して聞き出したのか。《鬼》を害するために。
ざわざわと《鬼》の目や口が動揺して体全体が波打つ。どこかの口が「この鬼を殺してしまえ!」と叫んだ。
「おいおい、攻撃しないでくれよ。鬼同士で殺し合うなんて時間の無駄だぜ? 俺たち鬼は日光を浴びるか、鬼狩りの日輪刀で首を断たれないと死なないからね」
そう言うと、童磨は友人に己の胸のうちを打ち明けるかのような親密な口調で《鬼》に語りかける。
「俺は迷っているんだ。俺は、鬼狩りの娘を気に入ってしまってね、できるものなら手元に置いておきたい」
──鬼が、鬼狩りの娘を気に入り、手元に置いておく?
《鬼》は童磨の言っている意味が分からなかった。蛇と蛙を同じ水槽に入れると言っているようなものだ。共存できるわけがない。
「手元に置くには彼女が失明して俺を鬼だと気付かないことが大前提なんだ。あの子が他の鬼から血鬼術をかけられ、瞳に印が刻まれているのは気に食わないけどね。それは仕方ないさ!」
もし、《鬼》が人間の姿かたちをとどめていたら、背中にじっとりと脂汗をかいていたかもしれない。
童磨は人間と何ら変わらない容姿だ。表情も話しぶりも穏やかだ。《鬼》に対して殺意を向けているわけでもない。それなのに恐ろしくてたまらなかった。
《鬼》の怯えなど意に介さず、喋り疲れることなどない鬼の肉体を持つ童磨は、自分の思いの丈を話し続ける。
「だから君が健在で彼女にかけた血鬼術が発動し続けるなら万々歳。だけどね、君の実力を疑うわけじゃないぜ? 万が一にも君が別の鬼狩りに倒されてしまったら、君の血鬼術の効力は失せてしまう。そうしたら、あの子は俺の正体に気付き、殺し合わなきゃいけなくなる。悲劇だろう?」
舞台役者のように童磨は手を広げて悲しげな顔を作る。
劇場の壇上ならば見る者の心を打ったかもしれないが、ここにいるのは姿かたちは違えど二体の鬼だけ。
片や小さな小山のようなぶよぶよした体に無数の目鼻口と手足のついた異形、片や白橡色の髪と虹色の瞳を持つ青年だったが、異様さが際立つのは後者だった。
「だから、お節介かもしれないけど、君を俺が保護することにしたんだ! 俺の寺院の地下になかなか良い部屋があってね、そこに君を招待するよ。もちろん毎日新鮮な《食事》だって提供するよ」
童磨は暗闇の中で晴れ晴れと笑った。お互いの利益になる、さも素晴らしい提案をしたとでも言わんばかりの表情だ。
弾ける寸前の種子のように《鬼》の体は小さく丸く縮こまった。
──その刹那、圧縮された体が何倍何十倍もの大きさに膨れ上がり、「ふ、フフ、ふ、ふふ、フザケルナァァァ!!」と口々に叫びながら童磨に襲いかかった。
「あーあ、生かさず殺さず、捕らえるか。難しいなぁ」
童磨はあくびを噛み殺す口元をどこからか取り出した扇で隠しつつ、《鬼》に向かって己の血鬼術を発動した。
※
世間の喧騒から離れた極楽教の寺院で傷を癒やす日々は穏やかだった。
教祖の童磨から貸し与えられた一室の濡れ縁に腰掛けていると、剥き出しの顔や手首に日差しのぬくもりを感じる。ここにいると命を賭して鬼と戦う本来の日常を忘れてしまいそうだ。
極楽教の信者たちは優しく親切だ。教祖の童磨も気さくで明るい。薫子が別れの挨拶をして立ち去ろうとすると、目が治ってからでいいではないか、と引き止められてなかなか出立することができなかった。
薫子の視力を奪った鬼を倒さなければこの目は治らない。しかし、視力がなければ鬼を見つけ出す手立てがない。せめて人里に下りて藤の花の家紋の家を訪ね、鬼殺隊の誰かが立ち寄ったところに合流できれば、この袋小路から脱出することができるのに。
薫子は毎日庭を散策しているふうを装い、取り囲む塀の位置、そばに生える木、外の様子などを探っていった。目は見えないもののこの塀をよじ登って寺院から出ることは不可能ではなさそうだ。
心配してくれている極楽教の人たちには申し訳ないが、決行はいつにしよう──と思いを巡らせていた薫子の耳に、聞き覚えのある鎹鴉の鳴き声が届いた。驚いてあたりを見回すと「大庭!」と薫子を呼ぶ人間の声まで聞こえてきた。薫子は濡れ縁から立ち上がり、庭の障害物に注意しながら、声のする庭の片隅のほうに向かって行く。この付近は鼠くらいしか通れなそうな飾り窓のある石塀のあたりだった。
「大庭! 無事だったか!」
「その声は……」
目が見えないので気付くのに少し時間を要したが、聞き覚えのある声の主は最終選抜をともに生き抜いた同期の青年だった。
まさかの助っ人の登場に薫子は嬉しくて心が浮き立つのを感じた。急ぎ足で塀に近付くとすぐ隣のほうから「こっちだ」と言われたので慌ててそちらのほうを向く。
「お前、目はどうした? 見えないのか?」
「血鬼術で視力を奪われた。鬼は取り逃してしまって今はここで保護されている」
「……保護?」
訝しげな声だった。
青年は周囲の気配を探るようにしばらく沈黙した後、注意深い口調になった。
「極楽教、と言ったか? ここは変だ。お前の存在を隠そうとした」
「……極楽教の人たちが?」
「僕がお前のことを聞いたとき、彼らはみな知らないと答えた。どうにも嘘をついている様子だったので裏から侵入し鎹鴉を飛ばしてみたらお前に会えた。すぐここを出るぞ」
そのとき、建物のあるほうから薫子を探す信者の声が聞こえてきた。塀越しの青年が離れたようで気配が遠ざかった。
「今晩の亥の刻にまた来る。支度をしておくように」
そう言い残すと、青年は足音一つ立てずに姿を消した。
彼は極楽教をおかしいと言った。薫子の存在を隠して嘘をついていると。
もしかしたら、伝え方が悪かったか、保護されている薫子のことを知らない信者に質問をしてしまっただけかもしれない。
色んな可能性を考えてみるが、青年の言葉がこれまで薫子の感じていたぼんやりとした違和感に確かな輪郭を与えてしまい、胸の不気味なざわつきは収まらなかった。
このまま立ち尽くしていては信者に不審がられるだろうから、薫子は重い足取りで踵を返し、部屋のあるほうへと戻って行った。
──その夜の亥の刻、青年が姿を見せることはなかった。
翌日、沈み込んだ顔で口数も少なくなり世話係の信者たちを心配させていた薫子のところに、ひどく怯えた様子の若い女信者がやってきた。周囲を伺いながら何かを取り出して薫子の手のひらに置く。
「きっと、薫子さんならご存知だと……」
女信者から触るときに怪我しないようにと注意を促されたので、慎重に手を伸ばした薫子はその硬く、冷たい、研ぎ澄まされた感触に愕然とした。これは折れた日輪刀だ。同期の青年のものに違いない。
「わたしは祖父の代から極楽教に入信しております。小さい頃に祖父に初めて連れられて教祖様を見たとき、なんて麗しく立派な殿方だと思いました。──今も、あのときから何もお変わりがないのです。他の者たちは教祖様の神通力のなせる業だと言っています。でも、わたし、怖くて。親しかった女の信者も何人もいなくなって……わたし、わたし……」
薫子は女信者の震える手にそっと己の手を重ねた。
血鬼術によって光を失ったはずの薫子の瞳だったが、そこには怒りにも似た、確かな決意の灯火があった。
※
建物の中だというのに人工池が作られて極楽浄土のように蓮の花の咲き乱れる本堂に上座に童磨はいた。
生きている限り悩みの絶えない人間たちの話に、慈悲の微笑みを浮かべ、時にはらはら涙を流しながら、穏やかに耳を傾ける。それだけのことなのに人間たちは自分のことを肯定されたと思い、老いも若きもみっともなく這いつくばって童磨に感謝する。気楽で羨ましい限りだ。
「ん?」
今日の面会は終わったはずだが、本堂の扉の外に気配がする。用事のある信者か、追加の相談者か。
童磨は近くにいた側仕えの信者たちにちらりに視線を送ったが、覚えがない、というふうに首を振る。童磨は扉のほうに向かって優しげな声をかけた。
「誰かな? いいよ。入っておいで」
扉を開けて入ってきたのは珍しいことに失明した鬼狩りの娘──薫子だった。
初めは目が見えないせいでよく家具や壁にぶつかって難儀していたが、そのうち壁伝いに施設を歩き回ってすっかり間取りを覚えてしまったようだ。最初の頃は声をかけずに眺めていた童磨に突っ込んできたり、手を差し伸べたら恐る恐る手を重ねて施設の内部を散歩したりしたのに。
遅れて、薫子の世話係なのか、若い女信者が後を追いかけて入ってきた。薫子から少し離れて扉のそばに控える。
「わぁ! 薫子ちゃん! 部屋からここまで遠かっただろうに、君から会いに来てくれるなんて嬉しいな〜」
童磨は満面の笑みで薫子を歓迎した。
目の見えない薫子が上座まで辿り着くより先に童磨自ら下りてきて、薫子の背丈に合わせて身を屈めて顔を覗き込む。
「んー? 顔色があまり良くないな。具合でも悪いのかい? 医者を呼ぼうか?」
心の底から気遣っているように童磨が薫子の白い頬に触れると、指先にわずかに伝わる程度にだけ、薫子の顔の筋肉が強張ったのが分かった。薫子は一歩下がって童磨の手のひらからするりと逃れた。
「あれ? 前は触らせてくれたのに。もしかして俺のこと嫌いになっちゃった?」
童磨に冗談まじりの口調で訊かれた薫子はなぜか苦痛をこらえる顔になった。光を失った双眸が童磨の声の聞こえるほうをまっすぐに見つめる。
「あなたが何者であれ目が見えなくなった私に優しくしてくれたことに感謝しています。普通の娘のように穏やかに過ごし、私にも誰かを好いたり好かれたりする人生があったのかもしれないと、少しの間だけ夢を見てしまいました。──でも、私は鬼殺隊隊士、大庭薫子です。鬼は見過ごせない」
薫子の言葉に童磨は心外そうに虹色の瞳を瞬かせた。
「えー? 俺が鬼? こう見えて神様仏様童磨様と言われてるくらいだよ?」
悲しげに眉尻を下げて見せる。口元だけは緩やかな弧を描いている。次第にゆっくりと口の端が吊り上がり、人間にしては長くて鋭い犬歯を覗かせた。
「──なんで分かったのかなぁ?」
薫子の動きは迅速だった。いつの間にか指の間に短い刃──折れて切っ先だけになった日輪刀を挟んでおり、電光一閃の素早さで目の前にいた童磨の喉笛を掻き切った。
おびただしい血飛沫が壁や床にかかる。
本堂にいた信者たちは教祖が突然切りつけられたことに悲鳴を上げた。
童磨が常人であれば、床に倒れてほどなく事切れたことだろう。しかし、童磨は平然と喋り続けた。
「折れた刀を隠し持っていたとはね。だけど俺の首を落とすには短すぎるなぁ」
「私の刀を! 皆さん、あなた方の教祖は人を喰らう化け物です! 早く逃げなさい!」
薫子の後から入ってきて扉近くにいた女信者が後ろ手に隠していた刀を投げる。打ち合わせ済みだったのだろう、空を切る音を頼りに自分の刀を難なく掴み取った薫子は、左腰に鞘を押し当てて、姿勢を低くする抜刀の構えに入る。
つい先刻までぱっくり開いていた童磨の喉元の刀傷がいつの間にか塞がるさまを見た信者たちは、それが神通力と考えるにはあまりに禍々しかったことから、薫子の一喝に追い立てられるように逃げ出そうとした。童磨はやれやれと溜め息をつく。
「ひい、ふう、みい、よ……。うーん、こんなに一度に食べ切れるかなぁ」
次の瞬間だった。
扉に殺到して逃げようとした信者たちが体中から血を噴き出して一斉に倒れた。薫子に刀を投げた女信者──同期の折れた日輪刀を渡してくれ、童磨に怯えていた者もまた、折り重なるようにして息絶えていた。
目の見えない薫子には何が起こったのか分からなかったが、急に信者たちの悲鳴と気配が途絶えたことで予想がついた。
「あーあ、可哀想だなぁ。だけど、仕方ないことなんだ。この子たちが里に下りて極楽教の教祖は鬼だと触れ回ったら、俺の救いを求める者たちが困ることになる」
刀の柄を握る薫子の手は震えていた。怒りによるものか、恐怖によるものか、もしくは両方なのかもしれない。
「あぁ、君のことはまだしばらく食べる気はないから心配しないでね。君とはもう少し仲良くしてみたいんだ」
童磨は薫子以外の人間を皆殺しにしたとは思えない、慈愛に満ちた微笑を口元に湛えていた。その虹色の双眸は気分が高揚したように不思議と潤んでいる。
「俺を鬼だと知る前までは、薫子ちゃん、俺のことを好きだったよね? 君は目が見えないし、信者たちのように俺に救いを求めているわけでもない。つまり薫子ちゃんは俺そのものに惹かれて好きになってくれた。それって《愛》だよね! 俺たち、もっと仲良くなれば《愛し合える》んじゃないかな?」
晴れやかに《愛》を口にする童磨に、薫子は戸惑いと嫌悪の顔を顕わにした。
確かに、童磨を鬼と知るまでは、気さくで親切な人柄に好感を抱いていた。失明した薫子を気遣って差し出される手に、面映ゆくも嬉しさを感じた。だが、童磨の正体が分かった今になっては、その感情と思い出は忌まわしい過去でしかない。まんまと騙された自分が愚かしくて憎らしくてたまらなかった。
「……鬼と鬼殺隊の人間が愛し合えるわけないでしょう」
「小さな問題だよ。俺が鬼であることや君が鬼狩りであることなんて後付けの肩書きでしかないから。先入観は捨てようぜ」
「その肩書きを持つあなたに一体何人何十人が殺されましたか」
「これまで食べてきた女の子全員思い出すには時間がかかるなぁ。まぁ、他の女の子の話をするのはやめようよ」
勝手に話を切り上げた童磨は両手を大きく広げて、刀を構える薫子の間合いに遠慮なく立ち入る。
「俺は鬼。君は鬼狩り。お互いの正体は分かって、俺たちの間にもう嘘偽りは何一つない。さぁ、思う存分に愛し合おうよ!」
薫子は抜刀する。闇夜の戦闘を想定して闇稽古を行ってきた薫子には、動いている敵を迎え討つことはそれほど難しくはない。それに童磨の背丈は分かっている。視力のない薫子のことを油断しきっているようなら斬れると思った。自分の修得した型の中でもっとも速い剣撃を、童磨の首筋に打ち込む。
「あぁ、そうだ。一つ言い忘れていた」
薫子の刃は童磨の首筋に触れるか否か、そのギリギリで閉じた扇に挟まれるようにして止められた。童磨の手にはいつの間にか金色の扇が握られている。
「俺は十二鬼月の一人──上弦の弐。こう見えてそこそこ強いんだよ?」
童磨が手を振るう。その勢いで薫子は本堂の壁際まで床に靴底を滑らせるように吹き飛ばされる。壁に背中をつけた薫子はすぐに刀を構え直した。
「えー? まだ戦うの? 君が頑張り屋さんなことは充分に分かったのになぁ」
ふと、薫子は自分の足元から、じわじわと真冬のような冷気が迫り上がってくることに気付いた。動こうとすると下半身が氷柱に変わってしまったようにびくともしない。童磨の血鬼術だと理解したときには遅かった。
「少しお休み、薫子ちゃん。君は目が見えなくとも戦えると分かったから、眠っている間に足の腱を切っておくことにしたよ。その代わり、視力は戻しておいてあげるからね」
薫子には聞こえる声でしか感情を読み取るすべがなかったが、童磨は残酷なほど無邪気な笑顔を浮かべているに違いない、と確信した。薫子の意識は、失われた視界よりなお深くて昏い、暗闇へと落ちていった。
| 1 / 1 |
コメントを送りました
ステキ!を送りました
ステキ!を取り消しました
ブックマークに登録しました
ブックマークから削除しました

