投稿日:2020年07月08日 10:34 文字数:3,403
修羅のなみだ
夢小説作品
この作品は下記の登場人物の名前を変換することができます。
「あの子ずっと帰らないわねぇ」
「足しびれませんかね〜」
「天気も悪くなってきたし、どうする?」
雛鶴、須磨、まきを──宇髄の嫁のくの一三人衆は、音柱・宇髄天元の屋敷の門前で正座する少女を見守っていた。
少女が纏っているのは襟詰めの黒衣。背中には大きく「滅」と書かれている。天元と同じ鬼殺隊の隊士であるあかしだ。思いつめた表情でじっと門扉を睨みつけている。
『大庭薫子と申します! このたび、音柱・宇髄天元どのの継子にして頂きたく参上いたしました! どうか、お目通りを!』
夜明けとともにやってきたかと思えば、一里先まで届きそうな口上ののち、その場に座り込んだのだ。
朝餉の支度をしていた雛鶴は突然の少女の訪問に目を丸くしたが、以前より主人の天元に「継子を取る予定はない。もし酔狂にも志望する奴がやってきたら追い返せ」と命じられていたので、扉越しにその旨を告げた。
しかし、少女は、
『なにとぞ!』
と諦める様子もなく、そろそろ時刻は正午になろうというのにしゃんと背筋を伸ばして正座をしている。
須磨やまきをも何事かとやってきて、困り果てた雛鶴と並んで門扉の隙間から少女を窺った。
よく見れば、鬼退治の任務の後なのか、顔や手足に切り傷があり、隊服は泥や血に汚れている。毅然とした面持ちだが、白い顔には疲労の翳りが落ちていた。
天元の三人の妻はくの一だが、情の篤い、気持ちの優しい女たちだ。
まだ幼さを残した少女が鬼との戦闘で傷だらけ泥だらけになったまま天元の出待ちをする姿は見るに忍びなかった。
雛鶴はとなりの須磨に天元に少女の来訪を伝えるよう、まきをに少女を招き入れて身なりを整えさせるよう、言った。
「いいの? 天元様の言いつけを破って」
「……まだ子供だもの。あとは天元様がお決めになるでしょう」
雛鶴がそう言うと、まきをは口元を少し緩めてたのちすぐに引き結び、閂を外して少女を迎えに行った。須磨はくの一のわりにやや遅めの駆け足で天元の部屋に向かって行く。
残された雛鶴は、少女が音柱に目通りする席を準備することにした。
※
顔や手足を借りた手ぬぐいで拭い、隊服の汚れをまきをと名乗った女性から手荒く払い落とされた少女──大庭薫子は、立派な庭を臨む一室に通された。
はやる気持ちを抑えて、真正面の床の間を見つめていると、廊下のほうから、ずしんずしんずしん、と重たい足音が近付いてくる。
──ついに音柱・宇髄天元の登場か。
薫子は姿勢を正す。
だが、鴨居をくぐるように部屋に入ってきたド派手な着流し姿の人物が記憶の中の天元と違ったので、両目をぱちくりさせた。
「すみません、宇髄天元どのへのお目通りをお願いしたのですが……」
「あぁ? なに派手に寝ぼけてやがる。目の前にいるだろうが。俺が宇髄天元様だ」
薫子の目の前にどしりと腰を下ろしたのは長髪の美丈夫。
女物のような派手な柄の着流しを纏った姿は博徒か女衒、もしくは大棚の奥様の情夫を思わせる風貌である。
「失礼いたしました。戦場とはまったく雰囲気が違ったので……」
「お前が押しかけてきて、弟子入りだか嫁入りだか知らねえが、一向に帰らねえって女房どもに叩き起こされたんだよ」
不機嫌そうに頭を掻いてはいるが、「ガキとはいえ女が訪ねてきていると言われて会わないわけにいかねぇからな」とぼやいているので、ひとまず話は聞いてくれるらしい。
「用件は聞いた。残念ながら継子は募集してねぇ。嫁候補は派手に大歓迎だけどな」
「素晴らしい奥方たちがいらっしゃると聞き及んでおりますので、そちらは謹んで辞退させて頂きます」
薫子は深々と頭を下げた。
天元はチッと舌打ちしたが、あくまで残念がる真似だけのようだ。あぐらをかいた太腿に頬杖をつき、ぐぐいっと薫子のほうに上体を寄せた。
「大庭薫子と言ったな。聞き覚えがある」
薫子の奥底まで見透かすような遠慮のない眼差しだった。
「お前……確か、最終選別で派手に仲間の返り血を浴びていた女か。今日はこざっぱりして地味だから気付かなかったぜ」
「常に血みどろなわけではないので」
薫子は苦い顔で首を振る。
最終選別──あまり思い出したくない。
薫子はあのとき同期の受験生ごと鬼を叩き切った。
すでに鬼殺しの地獄を見てきた古参の隊士からは英断と評価されたが、生き残った同期たちには疎まれた。
藤襲山で薫子と肩を並べていたのは鬼殺隊に入るために命がけの特訓をしてきた者たちだった。
だが、鬼との実戦経験のある者はほとんどいなかった。そこにいるのは親兄弟、友人、恋人を鬼に殺された者ばかりで、そのときの絶望や憤怒、そして恐怖を昨日のことのようにまざまざと思い出せるに違いない。だからこそ、同じ受験生の身体に鬼の腕が風穴を開ける光景を目の当たりにし、みな本能的な恐怖に棒立ちになった。
薫子だけが何かに突き動かされるように刀を下段に構えて駆け出していた。それもまた恐怖に打ち克とう、生きよう、とする咄嗟の本能だった。
鬼の腕にはまだ受験者の身体がぶら下がっている。反撃や防御には邪魔だろう。
そう読んだ薫子は間髪入れずに振り上げた刀を袈裟斬りに振り下ろした。
まだ生あたたかい血を全身に浴びた。
目の中にまで飛び込んで、薫子の双眸からは血の涙を流したように赤い雫が伝った。傍目からは凄惨な光景だっただろう。
「それで付いたあだ名が『同期殺し』か」
元忍の情報網か、鬼殺隊の中で知れ渡っているのか、天元は薫子の不名誉な二つ名を口にした。
「すでに心の臓はえぐられていましたが、とどめを刺したのは私ではない、とは言い切れません」
あのとき聞こえた誰かの悲鳴が脳裏によみがえる。
鬼に向けられたものか、薫子に向けられたものか、分からなかった。
他の受験生たちは同期と鬼の亡骸を青ざめた顔で見下ろしていた。
それからというもの、薫子は彼らの中で透明になってしまったようだ。近付こうとも話しかけようともしない。
「ははぁ。仲間外れされて寂しくなっちまったから今更弟子入りか?」
「いいえ。……いえ、もしかしたら、そうなのかもしれません」
音柱・宇髄天元のもとを訪れたのには理由がある。
かつて忍びだった天元は、主命のまま多くの人間を殺めたと聞いた。
鬼殺隊の中で鬼を退治したことのある者は大勢いるが、人を殺したことのある者はそうそういないだろう。
薫子は、もしかしたら宇髄天元なら、自分を見えないもののように扱わないのではないかと期待してしまった。
「その最終試験のとき、俺は用事があって藤襲山にいたんだが……」
「えっ」
伝聞ではなく実際に目撃されていた。
薫子はぎょっとして天元を見た。
天元はしっかりと薫子に目を向けて、なんと微笑んでいた。
「鬼と人間の返り血に真っ赤に染まったお前の姿──修羅と見間違った。ド派手に美しかったぜ」
天元の口から出た言葉は称賛。
血塗られた人間が美しい──薫子には到底理解できない感性だ。
ただただ忌まわしく恐ろしいだけではないだろうか。
まさか褒められるとは思わず、薫子はどんな顔をすればいいか分からなかったが、嫌われていないと判断した。
「それじゃあ、継子に──」
「継子には取らねぇ」
「えぇ〜……」
落胆に肩を落とす薫子に対し、天元は着流しから覗くぶ厚い胸板を叩いてみせた。
「ただし稽古はつけてやる。好きなだけ俺の胸を借りに来い。泣きたいときや抱かれたいときもな」
「前者だけ、ありがたく甘えさせて頂こうと思います」
「可愛げがねぇな」
そう言う天元の声は柔らかかった。
「だから、女が一人で血まみれになって、赤い涙なんか流すな」
薫子は何か言おうと口を開いたものの言葉にならなかった。喉元を通って目頭まで熱いものが込み上げる。気を緩めると、これまで胸の奥底に溜め込んでいたものが溢れ出しそうで、薫子は唇を引き結んだ。
「おい泣くなよ。嫁どもに俺が泣かせたと思われるだろうが」
「泣いて、ません……。昨晩倒した鬼の返り血がいま滲んできただけです」
「透明な返り血があるか。ごまかし方ヘタクソか」